あなたの味

かわの

あなたの味

「心がこもった料理は美味しい」


 それがあなたの口癖だった。

 私とあなたはちょっとだけ相容れない部分があったけれど、これが最も合わないところだったと思う。


 あなたが作ったハンバーグ。あなたが作った肉じゃが。あなたが作ったお握り、チョコレート、ブロッコリーの茹でたやつ。どれも確かに美味しかった。

 けれど、それは単純にあなたの料理の腕前が良いからで、加えて私が空腹だったからだ。


 だから私の結論はこうだ。私が空腹ならば、何を食べても美味しい。

 お湯を入れてから10分が経過したカップ麺も、粉々に砕けたコーンフレークに消費期限が昨日だった牛乳をかけても、あなたに振る舞うため密かに練習してた不恰好なオムライスも。

 私は私が食べるそれらに私のための心なんて込めてないけど、お腹が空いていたら美味しく感じるでしょう。

 そんなことをあなたに伝えたら、軽く喧嘩になってしまったので、もう言わないけれど。


 まあ、どうやら、私たち2人はどちらも間違っていたようだ。

 あなたが心を込めたものを食べる、空腹の私。しかし、それは私がこれまでの人生で食べたものの中で、最も美味しさからかけ離れた味がした。


「硬いし、味薄いし、食べにくいし、美味しくないよ」


 そういった意味を持った呻き声を呟く。どうでもいい。どうせ誰にも聞こえないのだから。

 ここ数日の間、絶えず吹き荒ぶ猛吹雪で、外界は白一色だ。世界が滅んでしまったかのような景色の中で、滅びかけているのは私の方だと、痛む頭が教えてくれる。


 登山用のグローブ越しにあなたの手を握る。もう握り返されることは2度とない。満足出来ない私は衝動的にグローブを投げ捨て、半ば無理矢理に指を絡ませる。それでも、握り返されるどころか、握っている感覚すら殆ど存在していない。


 孤独と死の恐怖で気が狂いそうになる。私はあなたに縋り付いて、齧り付く。泣き叫んで、噛み千切る。嘔吐えずいて、飲み込んで、目を背けて逃げる。逃げたままで、また手を繋ぐ。


「ごめんね、私が言い出したせいで」

「私……もう、駄目みたい……」

「愛してる」

「お腹が減ったら、私を食べてね」


 あなたが今際の際に放った幾つかの言葉。

 その時は首を大きく横に振りながら泣くことしか出来なかった私が、あなたの最期の言いつけを守っていることに、あなたは満足しているだろうか?

 そんな脳内の記憶を揺蕩っていると、腹の虫が鳴る。一瞬で理性が姿を消し、再び生存本能が身体を突き動かした。


 ……その時から、最早どれ程の時間が経ったのかは分からない。思考も視界もぼんやりしていて殆ど覚えていないが、いずれにせよ私は言葉の通じない異国の救助隊に発見され、一命を取り留めた。


 それから更に長い時が流れて、やっと落ち着けるようになった私は、私たちの家に帰ってきた。アクティブなあなたに引っ張られるようにして何となく行った旅行で、多くの時間とお金と、そしてあなたを失った。正直、帰ってくる意味もそれ程ないように思えた。


 それでもここに帰ってきたのは、彼女を感じたかったからだ。あなたが座っていたソファ。2人で使っていたベッド。そして、あなたが立っていたキッチン。

 何もかもが懐かしくて愛おしく、だからこそ心の穴が広がり続けて、私は全身が凍えるようだった。

 このままこうしていれば、独りのうのうと生きながらえることなく、今度こそ凍え死んであなたのところへ行けるかもしれない。そう思った。


 そんな思考を、十分に充電されて自動的に起動したスマホの画面の光が妨害する。彼女の遺品であるスマートフォンだ。彼女のことを少しでも多く記憶に留めておきたくて、拝借させてもらった。

 私はパスワードとして私自身の誕生日を入力する。彼女自らが嬉しそうに情報漏洩したのを、昨日のことのように思い出す。悪用された4桁の数字で、無事にロックは解除された。


 私は真っ先に写真を確認する。私はあまり写真を撮るタイプではなかったから、スマホの中のデータに彼女を写したものが殆どなかった。なので、私とは対照的に写真を撮るのが好きだった彼女のスマホを覗きたかったのだ。


 ところが、アルバムには彼女自身を写したものは存在しなかった。思い返せば、彼女は旅行先の写真はよく撮っていたが、自撮りしているのは見た記憶がない。一覧に表示されているのは、一緒に行った旅行の風景と、私の寝顔の盗撮ばかりだった。


 あなたらしさを感じて頬が緩む。どれくらい笑っていなかっただろう。しかし、これから先も笑顔になれる自信がない。ここにはもう、あなたが居ないのに。


 涙が溢れそうになる。何もかもが嫌になって、電源ボタンを押そうとしたときに、とある写真が目に留まる。それは他とは違い、右下に秒数が表示されている。動画が撮影されていた。私たちの家のキッチンで撮られたものだった。

 頼むから、あなたがこの中に居ますように。そう願いながら動画を再生する。


「――今日、貴方に『お腹が空いていたら何でも美味しい』って言われて、ちょっとだけムカっときたけど……」


 ああ、あなたの声が聞こえる。もう2度と聞くことが叶わないと思ったあなたの声が。


「まあ、よく考えたら料理に1番重要なのは気持ちじゃないかもと思って……でもお腹が空いてれば何でもいいって訳でもないと思って!だからこの動画を撮ってます」


 私と喧嘩した日に撮られたものだ。私が捻くれた難癖を言っただけなのに、わざわざこんなものを用意してたのか。


「貴方は食に無頓着すぎてちょっと心配だから、今日は私が特別に料理で本当に1番大切なものである『調理工程』を大公開しちゃいます!」

「……ふふっ」


 違いない。私は思わず失笑する。確かにあなたは美味しくなかった。ちゃんと調理すれば、また違ったかもしれない。

 画面の中の彼女は、スマホをどこかに立て掛けて、手元が見えるアングルで撮影を続ける。


「そうだなぁ……よし、今日はオムライスにするよ!オムライスくらいは貴方も作れるようになること!」

「言われなくてももう練習してるんだけど」


 まさかのオムライス被りに思わず吹き出す。ただ動画を見ているだけだけれど、あなたとお喋りしているみたいで、嬉しい。

 彼女は説明を続けながら、慣れた手つきで料理を行っている。卵を片手で割るのは、私には到底出来そうもない。私はあなたのその姿に、ただうっとりと見惚れていた。だが――。


「それから卵でライスを包んで……うわ、破けた!嘘〜いつもは絶対失敗しないのに〜!」


 どうやら説明しながらの調理はいつもとは少し勝手が違ったらしい。私は「ドンマイ」と慰めてあげる。


「う〜ん、この動画送るのやめとこうかな……いやでもせっかく撮ったし……」


 この動画は私に送信されることはなかった。結局、微妙に失敗したオムライスを彼女のプライドが許さなかったのだろう。


「まあとにかく!これ見て貴方もオムライス作れるようになっとけば、私が出掛けたりして――」


 私が居ない時でも大丈夫だから。


「……うん、ありがとう」


 ぽたぽたと、スマホの画面に涙が零れる。私は大泣きしながら大笑いしていて、でも確かに幸せだった。


 ひとしきり泣いた後に、お腹が空いていることに気が付く。私は急いで家を出て――卵を買って帰宅する。ワクワクして腕が鳴る。

 空腹の私が作るのは、あなたの気持ちがこもったオムライス。きっと、最高に美味しい。

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