変福”かふもり”
高架灯茂透
変福”かふもり”
「プシュー… 」音を立ててドアが開いた。
久しぶりにこのローカル線のボタンを押した。東京の大学に通っている私は年末の今、栃木の実家に帰ってきている途中である。小さな虫が飛び交うホーム、蜘蛛の巣が張り巡らされた階段、ずっと無人の切符売り場。一見ただの古びた汚らしいこの駅は、電車通学だった私が高校時代に嫌というほど利用した駅だ。私にとって人が多く入り組んだ都会の駅より居心地が良かった。来週提出のレポートも終わってない、試験勉強もしないといけない、アルバイト先の先輩に昨日の言い訳も考えなければならない…。憂鬱なことしか無かったが、当時と変わらないその駅の姿が、一旦それらのことは忘れておこう、私にそう思わせてくれた。
階段を降りて駅を出ると、縁石のそばに何か茶色いものが落ちているのが見えた。”すずめ”だ。小さく、弱々しく横たわっていた。少しも動いていなかった。田舎の駅とはいえ人はそれなりにいるが、皆すずめに目もくれずに歩いてゆく。羽でも傷ついたのだろうか。そう思ったが自分も早く実家に帰りたかったので何もせずに通り過ぎた。まだ昼の3時だが、空は曇りがかっていて辺りは薄暗く肌寒かった。
帰ると、親も中学2年の妹も暖かく出迎えてくれた。下宿先の家にはこたつもなければこうやって出迎えてくれる人もいないので、久しぶりの実家は心地よかった。冷えた体も心もすぐに温まった。家族と談笑しながら夕食を食べ、テレビを見て、時間はあっという間に過ぎていった。
見ていたテレビ番組が終わって、なんとなく冷蔵庫をのぞいてみた。そこにはプリンがひとつ置いてあった。スーパーに売ってるものではない、良さげなものだった。母は裏庭にゴミを捨てに、父は村の会議に出ていき、妹はお風呂に入っていたので、リビングには自分以外誰もいなかった。確かめる術が無かったが、おそらく自分のものだ、深く考えもせずそう確信し、手を伸ばした。うん、プリンはしっかり冷えていて、一際甘く美味しかった。そうして食べ終え再びテレビの前に座ってふとテーブルの方を振り返ると、そこにはお風呂から上がってきた妹がプリンの骸を前に瞳孔を広げて立っていた。
「これ、私のだったんだけど。なんで食べてるの?」
やってしまった。妹は明らかに怒っていた。
「ごめん、てっきり俺のかと…」
謝ろうとした自分の言葉を掻き消すように妹は言った。
「お兄ちゃんには雀の涙ほどの優しさもないんだね。」
ーその言葉が引っかかった。すずめ…
別に優しさがなかったからプリンを食べた訳ではないし…。しかしそんなことより、今日見つけたすずめのことが思いがけず頭をよぎった。すっかり忘れていた。あのすずめはまだあの場所に倒れているのだろうか。そう考えると不意にいたたまれない気持ちになった。たとえ立ち止まってすずめをじっくり見たとしても、自分には何もできることなど無かっただろう。しかし、あのまま死んだとしてもそれは自然淘汰だ、そんな冷え切った考えをしていた自分を軽蔑した。
その日中妹は口も聞いてくれなかったが、次の日の朝になると、何も無かったかのように元通り接してくれた。
そうこうしているうちに正月が終わった。また元の生活に戻るべく、家の玄関を開いた。と、庭に植えてある自分の背丈にも見たない小さな木が目に止まった。
ー小学低学年のことだったか。いつも外で遊んでいた私は、庭で何か落ちているのに気づいた。これは…こうもりだ。こうもりは触れると衛生上良くないからといって今の自分だと何もしないかもしれない。しかしコウモリなど見たことがなかった当時の僕には興味の対象でしかなかった。西洋で不吉の象徴とされるこうもりも、小柄だったこともあって、当時の自分にはかわいく映った。
倒れているそのコウモリはピクリとも動かなかった。生きているか分からなかったので、枝でつついてみた。すると、わずかに動いているのが確認できた。その時、何とかして元気にさせたい、そう思った僕は、じょうろに水を汲んできて、優しくかけた。乾いた羽を見て、水が欲しいのではないかと思ったからだ。実際、水をかけるとコウモリは今までにないほど動いた。予想は当たった、当時の僕は喜んだ。今思うと、水を嫌がって抵抗しただけなのかもしれないが。
その後、コウモリは自力でその木に登り、じっとした。いつか飛び立つだろう、そう安心して家の中に入った。次の日、木を見るとコウモリはいなかった。ちゃんと飛び立てたのだろうか、心配で仕方が無かったが、飛び立てたことを信じた。ー
もうあの頃の優しい自分はもう居ないのだろうか…。そんな昔のことを思い出しているうちに駅に着いた。やはりもうそこにすずめはいなかった。
野生のこうもりの寿命は、3〜5年だという。すると、あの時見たコウモリは今この世にはいないだろう。しかし、あの時コウモリが飛び立ち元の生活に戻ったのなら、その子供が今どこか暗いところで、意外にも近いところで、ぶら下がっていたりするのかもしれない。
朝の光が差し込むホームに、電車が来た。退屈だった東京での日々もこれからもっと良いものにできるようなが気がした。次帰る時はあのプリンを買って帰ろう。
「プシュー…」
ドアを開いた。
変福”かふもり” 高架灯茂透 @sosuke-kobeuni-lit
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