第38話 たいへん、母たきが帰宅
以前にお島本人から自分は横浜の居留地出身と聞いている。もし話が本当だとするとお島にとってはなんという因果になるのだろう。平田禿木が云った近年施行された労働民法からしても、お島本人が云っていた「ここには年季奉公ではなく賃金契約で来た」という話からしても、長吉のお島への仕打ちは言語道断ということになる。横浜遊郭時代のお島の母お春への薄給といい、長吉のお春お島親子への無体には限りがない。一葉は唇を噛む思いで暫し沈考するが自分などには妙案などあろう筈もなかった。今こうして妹邦子や母たきと3人で、いくらにもならない針仕事などをしてようよう口を粥ですする身なのだ。またお島を身受けするなどと云おうものなら母たきの剣幕やいかにが思いやられる。無念のため息をひとつ吐いたちょうどその時に玄関の戸が開く音がした。「ただいま」たきが帰宅したのである。
一葉恋慕・明治編 多谷昇太 @miyabotaru77
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