第47話
香港が消滅し、全ての事件が終わった後、井上和磨は国連に呼ばれ、総会で演説をすることとなった。
以下が、そのときの演説文である。
皆さん、平和をもたらすものとは何なんでしょう? イデオロギー? 思想? それとも、有能なリーダー? 統一と排除? それとも、多様との共生? 抵抗できないほどの支配力? それとも、それをもできないようにする抑止力? 仮想敵国? それとも、共通の敵? 笑顔? 笑い? 人の気持ちを読むこと? 謝ること? それとも、永遠に終わることのない償い?
さて、私たち人類は、この数年間の間にたくさんのことを学びました。
かつて、私たちは強い力を欲しがりました、そして強く大きな国になること、世界が一つに集約されることで平和をもたらされるのだと思っていました。でも、これは幻想でしかありませんでした。また、国家の統一とか民族の自決は、必ずマイノリティーの排除をもたらします。ですから、かつての世界で吹き荒れていた民族の独立、国家主義、民族主義というものは、必ずしも、国民全てに幸せと安定をもたらすものではなかったのです。この考えは、ときとして民族固有の文化の絶滅や民族浄化なるものをもたらします。人種、民族、文化というものは、いずれは混じっていくものです。ですから、民族主義やナショナリズムというものに、大きな意味など無かったのです。これは幻想だったのです。我々が重視すべきは、統一とは逆のもの。それは、多様性と、その多様との共生だったのです。
さて、今回、私たち人類は学びました。国家が大きな力で民衆を支配しようとしても、各国民それぞれが、それを跳ね返すだけの抑止力を持ったとき、その考えはもろくも崩れ去るということをです。また、個人の怒りの前では、イデオロギーや思想などというものは、何も効果を成さないことを学びました。結局のところ、大事なのは、イデオローグではなく、個人の感情であり、感情の集積が国家を動かしているのです。そのことを我々は忘れていました。不思議なものです。イデオロギーや思想というものは、人々を幸せにするために人間が考えたものなのに、それらの対立によって、人々を傷つけているのです。紛争や内戦は、宗教によるものだと言う人もいます。でも、どうでしょう? よくよく調べてみれば、たいていの場合、それは宗教が原因ではありませんよね。それは、貧困による格差とか水問題があるのです。そうです。宗教もまた、本当は紛争の引き金ではないのです。これは詭弁です。
次に、私たちは、人々を怒らせないために、謝ることと笑うことを学びました。ほんのつかの間、世界はこれによって平和になりました。でも、これはかりそめの平和でしかありませんでした。人々は、保身のために、自分の本音を押し殺し、本音を言わずに、相手の顔色だけをうかがい、そして常にへらへらと笑うようになったのです。しかし、これは偽りの世界でしかありません。そこには、各個人各々の想いや感情は存在していないからです。
私は、ここで皆さんに提案したいのです。世界が本当の意味で平和になるために必要なこと。それは、他者への思いやり、いつくしみ、ほどこしなのではないかと……。それなのに、なぜ、仮想敵国が必要なのでしょう? 他国と仲良くするために、なぜ、共通の敵が必要なのでしょう? そんなもの、もともと必要無いではありませんか。お互いに仲良くなりたいという気持ちさえあれば、何か施しをしてあげたいという気持ちさえあれば、世界は共生できるのではないでしょうか? 人間は、嫌われてると思っている人を嫌いになるものです。自分が嫌いな人は、たいていは、相手も嫌いなものです。でも、逆に、自分のことを好きだと言ってくれる相手のことは、自分も好きになるものです。おそらくは、国どうしも同じことです。
平和をもたらすものは、統一や大国思想ではありません。また、謝ることでも笑顔でもありません。ましてや、憎しみや恨みや、それへの償いでもありません。重ねて言いますが、世界が本当の意味で平和になるために必要なこと。それは、他者への思いやり、いつくしみ、ほどこしなのではないかと……。
さて、私はここで、皆さんに私の友人を紹介したいと思います。私は、彼女の国に何か施しをしたいと思っているのです。もちろん、私の国、日本もまだまだ大変ですけど……。
それでは、皆さんに紹介します。中国の国家主席、チェン・ハオ・ランです。
和磨がそう紹介すると、チェン・ハオランがシーワンQの姿で登場してきた。会場がどよめき、世界が驚愕した。
「どういうことだ!」「チェン主席がシーワンだったの?」「信じられない!」「オネエが主席なんて、中国は進んでるな」
「中国は、今回の件でひどく傷ついています。どうか皆さん、彼女の国に手を差し伸べてあげてくださいませんか。彼女の国には、かつて、私の国、日本をはじめ、様々な国々が搾取しようとしました。だから今度は、みんなで復興の手を差し伸べてあげようではありませんか」和磨が言った。
それから十年後の日本。俊作と瞳は、息子の運動会を参観していた。
「がんばれー!」声を張り上げて息子の疾走を応援する俊作と瞳。
その疾走する彼らの息子の肌は、明らかに浅黒く、黒人との東洋人との混血であることが分かった。
和磨は総理となり、彩子はファーストレディとなった。そして、安村里穂が和磨の秘書として和磨を支えていた。
俊作は外務大臣となっていた。党の幹事長には、鳥越美姫が就任しており、いずれ美姫が日本国最初の女性総理になるのではないかと言われていた。
クルム夫妻は、アメリカでジャーナリストの活動を再開していた。
村田は、ロサンゼルスにある日本人街で両親の和食料理店を継いでいて、日々忙しく店の切り盛りをしていた。。
アディルとリズワンの夫婦は、カシュガルでウイグルの解放と民主化に取り組んでいた。
中国は、チェン・ハオランのもと、自己改革が進められ、中華共和国と国名を変え、社会主義を捨てて自由経済主義と民主主義の国家として生まれ変わっていた。元来、この国は侵略よりも商業を得意とする国だ。中国のゴルバチョフと呼ばれるチェンの手腕は、世界的にも大きく注目されていた。
しかし、それでも白御神乱のシステムをめぐって暗躍するテロリストたちもいた。逃亡したハーとサオは、その後、つながりを持った。お互いの利害関係が一致したのだ。サオは、まだ中華帝国の再興を夢見ていた。その為のテロ活動の為に白ウイルスとVRシステムに目をつけたのだ。イデオロギーの無いハーとジャオにすれば、金になる話であれば、何でも良かった。
あるとき、サオとハーたちのもとに、ある青年が現れた。
「司令官、我々の思想に共感し、仲間になりたいと言って来ている青年がいるんですが、どうします?」
「会ってみるか」サオが言った。
「ただ、そいつの父親は日本人みたいなんです」
「日本人……? 怪しいな」
サオが青年と面会してみると、はたしてそこにいたのは町田康煕だった。
十年後の芹澤希望は大戸島にいた。大戸島には、WHOによって「大戸島御神乱ウイルス研究所」なるものが作られており、世界で唯一の御神乱ウイルスの抗体を保持している希望は、そこに研究対象として、半ば隔離された形で過ごしていたのだ。
その日、定期船から桟橋に降りてくる父娘がいた。それは、十年後の真太と九歳になる彼の娘だった
海岸から丘の方へと登っていく二人。そう、そこは真理亜が三度目に大戸島を訪れたとき登っていった場所であり、かつて笑子の働いていた役場のあったところだ。
丘を登りきると、例の大戸島の悲劇を後世に残すための碑の刻まれた海の見える広場に出た。広場を円形状に取り囲むモノリスのような石碑たち。そのピカピカに研磨された大理石の石板には、三島笑子や須磨子他、大戸島で亡くなったおびただしい数の人たちの名前が刻まれていた。そして、最後の方には芹澤昭彦と芹澤朱里の名前が刻まれ、さらに最後の一列には、中島真理亜の名が真新しい感じで彫られていた。
その名前の前で、じっと立ち尽くす真太と娘。
そこへ希望が九歳になる息子とともにやって来た。それを目にした真太が言った。
「母親の名前が、今回ここに刻まれたと聞きましてね。それで、息子にも一度それを見せてあげたいと思いまして……」
「そうなのですね。……飯島真理亜ではなく、中島真理亜なのですね」
「ええ、真理亜は最後まで夫婦別姓にこだわっていたんです」
「そうなのですね」
「真理亜もあれから随分頑張ったんですけどね。やはり、今までの無理がたたったんでしょう。もともと傷だらけの身体でしたし、放射能も浴びていましたから……。この子を産んで、しばらくして亡くなってしまいました」「あ、こちら笑子といいます。真理亜と話し合って名付けました。ずっと笑って生きていけるようにと願いまして」「笑子、ご挨拶して」
「こんにちは。飯島笑子です。芹澤さんですよね」
「はい、そうですよ。こんにちは」「お母様に似て、聡明そうなお嬢さんですね」
「そうですか」
「こちらは、私とワンの子、芹澤大輔です」希望が息子を紹介した。
「こんにちは、大輔君」真太が挨拶した。
「こんにちは。芹澤大輔です」
「大介、笑子さんとこの辺で遊んでおいで。あまり危ないところにいっちゃだめよ」希望がそう言った。
大輔と笑子は、その場を離れ、近くに遊びに行った。
「私も、あの時は死のうと思っていましたが、両親が身を挺して助けてくれた自分の命ですし、それに、あの時は、お腹にこの子がいたものですから……」
「知ってました。私も、あなたがいつ飛び降りようとするのか、はらはらもんでしたよ」
しばらく、中島真理亜の墓碑銘を眺めていた二人だが、希望が再び口を開いた。
「私は光らない女です。ここに名前が刻まれることはありません」
「でも、あなたは世界の人々を光らなくすむようにしてくれましたよ。あなたは世界を救ったんです。あなたが持っていた抗体から御神乱ウイルスの治療薬が開発され、あなたのおかげで治療薬が完成したんですから」真太が言った。
「それが正しかったかどうか、今でも私には分かりません。今でも、治療薬を拒否している人達も多いと聞きますし、白御神乱のウイルスも裏で売買されているみたいです。人は、一度手に入れた力は、なかなか手放したがらないものなのです。たぶん、大戸島の人たちはそのことを知っていたんです。だから外に出したくなかったんだと思います。みんな抑止力が欲しいんです」
「……確かに、抑止力を持つ権利を奪うな。生まれながらに皆、抑止力を持っているんだと主張する人々がいるのは事実です」
「大戸島での私は……、私だけは抑止力を持たない少女だったんです」
「だから、みんなにいじめられたと……」
「私は、今でもみんなと同じように光りたいと思っているんですよ」
「希望さん……」真太は、それ以上かけるべき言葉が見つからなかった。
しばしの沈黙の後、希望が再び口を開いた。
「あのとき、マギーさんがワンを撃ったときの言葉ですけど……」
「えっ! ワンを撃ったのはマギーさんだったんですか?」
「あ……、はい。表沙汰にはなってなかったんですね?」
「はい、みんな知らないと思いますよ」
「でも、私とサンディさんは、その場にいました」
「そうだったんですか!」
「そのとき、マギーさんは『裏切者』と言って、ワンに引き金を引いたんですけど、あの裏切者って言う意味は、組織を裏切った人間という意味ではなく、マギーさんを裏切った男という意味だったんじゃないかって思います。マギーさんは、あのとき、まだワンを愛していたんだと思います」
「……」
「彼女も、結局はイデオロギーよりも女として行動したんです。激しい怒りや恨みは、イデオローグや思想・宗教によるものではないんですね」
「それについては、私もそう思います」
改めて墓碑銘を見まわしながら希望が言った。
「たくさんの人が死にましたよね。私は、もう誰も死なせたくはないのです」
二人は、墓碑銘の向こうに拡がる、キラキラと陽の光を受けて輝く太平洋の大海原をじっと見つめていた。
ここに、二種類の薬があります。
一つは、御神乱ウイルスと呼ばれるもの。これによって人類の誰でもが抑止力を身に付けることができ、それによって、誰もがお互いに攻撃できなくなるもの。
もう一つは、その御神乱ウイルスを消す薬。世界から、御神乱ウイルスによる恐怖が無くなる代わりに、人々が再び平気で傷つける世界に戻る可能性のあるもの。
あなたなら、どちらを選びますか?
大戸島の娘 第3部「光らぬ子」(終わり)
大戸島の娘 第三部 光らぬ子 御堂 圭 @mido-kei
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