第46話

 屋上のドアが開いて、真太と俊作が飛び出して来た。二人は、やっと屋上に到着したのだ。

「後から御神乱が追って来る! 下は、もう御神乱でもういっぱいだ! もう、ここにもすぐに上がってくるぞ!」息を切らしながら、真太が大声でそう言った。

「海自の潜水艦も出港したし、下の方の中国軍も既に撤収し始めた!」俊作が言った。

「あー! 飯島さん、津村さん、急いでください」サンディが言った。

「希望さんは、見つかりましたか? ……うわ! 何だこれ」真太の目に飛び込んできたのは、白煙と炎に包まれて傾いたり倒れたりしている香港の摩天楼の惨状だった。

 制御不能となり、暴走した白御神乱によって、もはや香港は火の海となり始めており、一部の御神乱はネオ・クーロンに迫っていたのだ。

 摩天楼はもうもうと煙に包まれており、その煙は天を覆っていた。しかも、いくつかの高層ビルが傾いていたり、中には完全に倒壊したりしている高層ビルもあった。それらのビルの間を黒い御神乱の影がうごめいていた。


「希望さんは、この下で、梯子にしがみついています」サンディが言った。

「でも、もう撤収が決まって……」マギーが言った。

「下からも御神乱が来るのであれば、なおさらです。皆さん、ヘリに搭乗して下さい」部隊長が促した。

 そこに、和磨からの指示が俊作に入って来た。

「俊作! 和磨だ。そこに中島さんの乗った日本国のオスプレイが来ていると思う。村田さん、飯島さんは、時間の許す限り、芹澤希望の救出に当たり、救出したら、彼女とともに中島さんのヘリに乗ってくれ。あとの人、俊作、スティーブさん、マギーさん、サンディさん、シュングァンさんの五名は、中国のヘリに乗って退避してくれ。もう危険だ!」

「分かりました! みんなに伝えます」


ハーとジャオは、香港市から深圳市に向かう山道を走行中だった。

「ここまで来れば大丈夫だな」ジャオが、後ろを振り返りながらそう言った。

「それにしても、すごい状況だな」ハーが後ろを振り返って言った。

 二人がやって来た後方、香港のある方角には、煙と炎が天まで達していたからだ。


 ネオ・クーロンの屋上では、待機していた中国軍兵士たちの撤収が始まっていた。兵士たちは中国軍のヘリに乗り込んでおり、マギー達五人も二機のヘリに分乗して乗り込んだ。代わりに、真太と村田が給水塔にかけ登り、そこからビルの外壁沿いに降りて希望の救出に向かっていた。

 そうして、二機のヘリは離陸して、黒煙のたなびく香港の空に舞い上がって行った。


 希望は、まだ梯子にしがみついていた。そこは、給水塔からは、まだ一〇メートルほど下の方にあった。その下、更に数十メートルの眼下には、香港湾のほの青暗い海が静かに打ち寄せていた。

「希望ちゃーん! 今、そっちに行くからな」真太が大きな声で希望に声をかけた。

 そのとき、ビルの一部に白御神乱の核融合火焔が当たった。ネオ・クーロンが大きく揺れた。

 その衝撃で、希望がつかんでいた梯子と壁面を止めてあったボルトの一部がはずれた。梯子が壁面の一部のみでひっかかって宙ぶらりんの状態になった。そして、その衝撃で、希望の左手もまた梯子からはずれた。希望は右手一本で梯子にぶら下がった。彼女は、何とかして左手で近くにある錆びた排気管をつかもうとしていた。

「希望ちゃん! 大丈夫か。もう少し頑張っててくれ。今降りて行く」そう言うと、真太が給水塔から梯子を降り始めた。


 そのとき、中国軍のヘリと入れ違いに、黒雲の間から真理亜の乗ったオスプレイが現れ、ネオ・クーロンの屋上に降下してきた。

 しかし、希望はその行動を嫌って、真太から遠のく方向へ移動しようとしていた


 希望がぶら下がっている壁面に面した香港湾の海中に青い光とピンクの光が現れた。

 その二つの光は、白い泡沫とともに次第に海面に全体像を表し、それは、二体の巨大な青御神乱と赤御神乱の姿となって香港に現れた。

 その青御神乱には、ある特徴が見て取れた。彼の右目は潰れていたのだ。


 香港の惨状と現状をテレビが世界に報道していた。ヘリに乗って実況しているリポーターが興奮していた。

「香港は、覚醒した二十体ほどの白御神乱の放つ核融合火焔によって火の海となっています! 北京のときと全く同じ状態です! ネオ・クーロンには、まだ拉致されていた芹澤希望さんを始め、数人の人たちが残されているものと思われます」「そして、今、香港湾には、これらとは別に、赤と青の二体の巨大な御神乱が現れました! この二体の御神乱が何であるのかは、よく分かっていません」「我々も、これ以上、ここからの報道は危険と思われますので、一旦、ここを離れて避難したいと思います」


 壁面のパイプやコードをつかみながら降下していく真太。それを避けるように、真太から逃げようとする希望。

 希望は、一旦海をじっと見た。海へ飛び降り自殺しようとすることを考えているかのようだった。

「希望ちゃん! ダメだ! 動かないで! 変なこと考えちゃダメだ!」真太が叫ぶ。

「いやだ! 誰も私を助けることなんてできない! 両親だって、私を助けてはくれなかった。そして、私を見放して逃げたんだ!」

 希望は、その場で何とか自分の中で折り合いをつけて、飛び込む決心をしようとしているようだった。

 日本政府のオスプレイは、ネオ・クーロンの屋上に着陸し、回転するローターの風に髪を煽られながら、ドアを開けて真理亜が出て来た。


 そのとき、壁面にしがみついている希望の背後にそそり立って行く巨大な影があった。

 それに気がついた希望は後ろを振り向いた。そこには、希望を見下ろす巨大な右目の潰れた片目の青御神乱の姿があった。希望には、直感的にそれが父親であることが分かった。

「お父さん……!」希望はそうつぶやいた。

 父の後方、海から上がってくるピンク色の御神乱が希望の目に入った。

 芹澤昭彦は、その右手で娘の身体をやさしく握った。

「あっ! え!」希望が声をあげた。

 そうして、父は、娘の身体を屋上に置いた。

 すかさず、真理亜が毛布を持って希望に駆け寄って来た。

「さ、早くヘリへ!」ローターの突風にあおられながら、希望をヘリの方へ連れて行く真理亜。

「真太ー! あなたたちも早くヘリに乗って!」

「真理亜―!」

 真太と村田も急いで給水塔から降りて、ヘリの方へと走った。

 その姿を確認した芹澤昭彦は、ネオ・クーロンから離れた。

 真理亜、真太、村田がその姿を仰ぎ見ていた。


「バン!」

 真太と村田がヘリコプターに向かって走っているとき、屋上の扉が激しく破壊され、数体の御神乱が屋上へと飛び出して来た。

「うわっ! とうとう出やがったな」真太が言った。

「早く! 早く!」真理亜が二人をせかせた。


 ネオ・クーロンから離れた青と赤の二体の御神乱は香港に上陸し、ネオ・クーロンの近くに、オスプレイの離陸を守るような体制を取った。

 その光景が、オスプレイの中からも見えた。ヘリの窓を通して、ピンクと青に光る、それぞれの巨大な背中が見えていた。

「何? 私たちを守ってくれてるの?」真理亜が言った。

「そうなんじゃないか。早く行けってことだよ」真太が言った。

「離陸しますよ」操縦士が言った。

 オスプレイの二機のローターが回転を始め、屋上から機体が離れはじめた。

 そのときだった。往生に出てきた青や赤の御神乱たちが離陸しようとするオスプレイに絡みついてきた。

「うわーっ! 離れやがれ!」真太が言った。

「振り落としてー! 早く―!」真理亜が操縦士に言った。

 オスプレイは、御神乱を振り払いながら上昇した。しかし、そのうちの一匹が脚の一つに噛みついたまま空に舞い上がってしまった。それは、まさしく、あのサンダースの墜落したときのヘリのような状態だった。

 上昇する機体の中からは、白御神乱と応戦している赤と青の二体の巨大御神乱の姿が見えており、それが次第に下方に見下ろす状態に変化していった。

「このまま飛行します」操縦士が言った。

 白御神乱たちの核融合火焔は、芹澤夫妻の身体に向けて容赦なしに放たれはじめた。

 肩口に火焔の攻撃を受け、そこから赤い血しぶきが舞い上がった。

 激しい痛みに咆哮をあげる芹澤昭彦。

「お父さん!」希望が声をあげた。

 高層ビルに身を隠しながら、白御神乱に対峙する両親。

 しかし、白御神乱の火焔は、容赦なしに芹澤夫妻を攻撃した。芹澤夫妻は、何とか倒れかけた高層ビルに身を隠しつつ応戦している。

 今度は、芹澤朱里の膝に火焔が当たった。

 瓦礫の上、膝から崩れ落ちる朱里。

「もう、やめてー!」

 その様子を機内で見ながら叫ぶ希望。

 昭彦と朱里は、お互いに目配せした後、朱里は足を引きずりながら、大きな亞皆老街(アーガイルストリート)の西の端へ逃げて行った。

「お母さん!」

 昭彦はというと、同じ亞皆老街の東の端へと進んでいく。二人とも、血みどろの身体となっていて、息も絶え絶えといった様相だった。

「まさか……! 操縦士さん、急いで香港から離れて!」真理亜が言った。

「どうした?」真太が聞いた。

「あの二人、最後の力を振り絞って……」真理亜が言った。

「ええ! ……娘の犯したことの尻拭いは親の責任ってことか……」真太が言った。

 香港の空の片隅に中国軍の爆撃機部隊がやって来るのが見えた。

「いかん!」操縦士は、そう言うと、急ぎ、本部へ芹澤夫妻の状況を伝えた。「芹澤夫妻は、激突して核融合を起こすつもりです! 危険です! 香港へは来ないでください! 我々も、至急、ここから離れますので」

「操縦士さん、大至急、香港から離れて! なるべく早く! 遠くへ!」真理亜が叫んだ。

「同じ過ちは、二度はしませんって」操縦士はそう言うと、スロットルを全開にした。

 すると、客にしがみついていた御神乱は、振り落とされて海へと落ちていった。

 香港から離れ始めたオスプレイ。

 瓦礫の中から立ち上る炎と黒煙の中、昭彦と朱里は、亞皆老街の両端の位置に付いたようだった。それはまだ、離れていくオスプレイのコクピットの中からも確認できたが、次第にその姿は小さくなっていった。

「ごめんなさーい! 私がいけなかったのー! お父さん、お母さん、ごめんなさーい!」

 希望は、毛布にくるまれた状態で真理亜に肩を抱かれて嗚咽していた。

 亞皆老街の東に陣取った昭彦が、西に向けてゆっくりと走り出すのが見えた。青白い光が、静止しているピンク色の光に向かって加速していった。その姿を見ながら、希望が絶叫した。

「いやーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 真理亜が、希望の肩をいっそうきつく抱きしめた。

 次の瞬間、香港を巨大な閃光が包み込んだ。

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