第45話
サンディとマギーが屋上へと駆け込んで来た。既にその屋上には、村田とスティーブ、そしてシュングァンがいた。それとそこを護る中国軍の兵士、ヘリの操縦士が幾人かも。
「あっ、マギーさん、サンディさん」シュングァンが声をかけた。
「皆さん、希望さんは廊下のはずれの扉から外に出て、南東方向の梯子を昇って逃亡しようとしています。あ、あそこ……。多分、あの給水塔のある、とび出た建物の裏側あたりにいると思います」サンディが給水塔の方を指さして言った。「皆さん、つかまえて!」
「あと、ワンは亡くなりました」マギーが、そのことを表情一つ変えずに淡々と述べた。
屋上の人たちは、給水塔の方へと走って行った。
シュングァンは、チェンと俊作へ報告をしていた。
「シュングァンです。ワンは死亡。希望さんは屋上給水塔へ逃亡中。ジャオとハーは逃亡しました。スティーブは片腕を負傷。リウは、アディルやリズワンと海自の潜水艦の中にいます。飯島さんと津村さんが、まだここに来ていません。以上です」
折り返し、和磨からシュングァンと俊作に連絡が入った。
「芹澤博士と奥さんが御神乱となって、香港に向かっているらしいです! それと、中島真理亜さんもヘリでここに向かっているとのことです」シュングァンが言った。
希望は、廊下のはずれのドアから外に出て、上に続いている脆弱な鉄製の梯子にしがみついて、上へ上へと昇っていた。
しかし、それは、途中で折れてとぎれていた。そのため、そばにある排気管とか電線やらをつかみながら、コンクリートの外壁にへばりついて移動をし始めた。
みんなが給水塔のまわりを取り囲んでいると、下から希望の頭らしきものが見えた。
「あ、あれよ!」マギーが言った
何人かが給水塔のある構造物に登ろうとし、結果、二人の兵士が、給水塔の上に立ち、そこに陣取った。
しかし、そこに人がいることに気がついた希望は、再び下の方へ降りていこうとした。
「彼女、どうしたいのかしら?」サンディがつぶやいた。
「飛び降りるつもりなんじゃないか?」スティーブが負傷した腕を押させながら言った。
壁にへばりつく希望の眼下には、打ち寄せる海があった。
その頃、未だに真太と俊作は、御神乱の襲撃に手こずっていた。
「畜生! あっちからも、こっちからも出てきやがる。これじゃあ、なかなか上に行けねーや」俊作が言った。
そのとき、廊下の角からまたしても御神乱が出て来た。口の周りは血にまみれて真っ赤になっていた。
「うわっ! また出た」真太が叫んだ。
すかさずバズーカを放つ俊作。御神乱の頭が吹っ飛んだ。
「やべ! 今ので、もう弾を使い果たしちまった」俊作が言った。
そのとき、香港郊外で眠りについていた白御神乱の一体が目覚めた。それは、ハーが予想した時間よりも、数時間ほど早いものだった。
ゆっくりと瞼を開けた御神乱は、その巨体を起き上がらせ、香港の中心部の方へと歩き始めた。
その様子を、上空を舞っていた報道のヘリの一機がとらえた。
「御神乱のうちの一体が起き上がって、市内の中心部の方へ歩いています!」
香港上空にいた真理亜の乗ったオスプレイも、それをとらえていた。
「御神乱の一体が起き上がって歩いているみたいですね。予想より早いですね」操縦士が言った。
「そうですね。急がないと……」真理亜が言った。
「今、ネオ・クーロンの屋上に着陸できる余裕があるか、確認してみますので……」
「香港で眠っていた白御神乱が目覚めはじめました。もう時間がありません。希望さんは、確保でき次第、屋上の中国軍のヘリの方でお願いしますできますでしょうか?」海自の潜水艦部隊長が無線で交信していた。
「了解した。中国空軍の方に伝える」
そうして、ネオ・クーロンの地下に停泊していた三艘の海自潜水艦は、一斉に海の中へと潜り、一路上海へと出港して行った。
「希望さーん、変な事考えないでー! 私たちといっしょにここから出ましょう!」給水塔の上に上がり、そこで這いつくばって下を覗き込みながらサンディが言った。
「芹澤さん、あなたは世界の希望なの。死なせるわけにはいかないわ!」同じように、給水塔の上から身を乗り出してマギーが言った。
しかし、希望はコンクリートに取り付けられた梯子にしがみついたまま、黙っていた。
「希望さーん。あのねー。中島さんが大戸島のあなたの家に行って来たの」マギーが大声で希望に言った。
「……」希望は動かないし、何も言わなかったが、マギーは、そのまま続けた。
「そしたらねー、あなたのご両親は、あなたを捨てて島から出て行ったじゃなかったのー。あなたを東京に送り出すために、色々と知り合いを訪ねてたのよー。でも、あの日、東京があんなことになって、しばらく帰って来れなくなっていたの。ご両親が再び島に帰って来た時には、あなたは既にワンに連れ去られたあとで……。随分探されてたみたいなのー」
「嘘だ……」希望は小さくつぶやいた後、自分に言い聞かせるように大きく叫んだ。
「嘘だー!」
「嘘じゃないわ。中島さんが全ての証拠を持ってるわ。そしてね、あなたのご両親は、最近になってあなたがここにいることを報道で知ることになって、御神乱になって……」
そこまで言ったとき、希望の顔に動揺が走った。
香港郊外で眠っていた白御神乱が次々と目覚め始めた。
そして、それぞれは市内方面へと向かったり、北の山の方へ向かったり、西の空港方面へ向かったりした。
ネオ・クーロンの屋上にいた人たちも、その様相に気がつき始めた。
「あっ、あれ! 御神乱の覚醒が始まっているわ」
最初に気がついたのは、給水塔に登っていたマギーだった。
「思ったより早いな」スティーブが言った。
「まだ、市内に残っている人がいるかもしれない。私、もう一度放送室に行って告知してきます」マギーはそう言うと、急ぎ、給水塔から屋上へ降りてきた。
「いや、それは止めた方が良い。あとは、テレビの報道や政府SNSに任せよう」スティーブが言った。
上海へ向かう海自の潜水艦内。眠っていたウイグル人たちが目覚めはじめた。
「あ……、何だここは?」一人の目覚めたウイグル人が言った。
「大丈夫です。あなた方は救出されたんです。ここは、日本の海上自衛隊の潜水艦の中です」リウが言った。
「皆さん、本当にごめんなさい」ウイグル語でリズワンが言った。
「あなたがたをこんな風にしてしまって、申し訳ありませんでした」アディルが言った。
「ああ、指令……」
「それから、チェン・ハオラン国家主席から、あなた方に謝罪のDVDがあります」リウがそう言って、手にしたDVDを再生してみせた。
覚醒した香港市の御神乱たちは、ついに市内の中心部で暴れはじめた。
彼らが核融合火焔を吐くごとに、高層ビルは轟音を上げて倒れ、いたるところで白煙と炎が上がり始めた。
彼らの行動範囲は、次第にネオ・クーロンのある沿岸部へと拡がり始めていた。
ネオ・クーロン内にいた搬入口から突入してきた中国陸軍の部隊長は、司令部と連絡を取っていた。
「ええ、ウイグル人たちを乗せた海自の潜水艦は、既に出港しています。ワンは死亡。ジャオとハーは逃亡したました。テロリストたちは、ほぼ排除しましたが、今度は世界中から集められていたテロリストたちが御神乱となって暴れまわっています。もう手がつけられません!」
「もう時間が無い。撤収しろ」
「……はい。分かりました。撤収します」
屋上にいる中国空軍の部隊長も、何やら上と相談していた。
「……芹澤希望は、現在、屋上の給水塔付近で逃亡もしくは自殺を図ろうとしている模様です。現在、何人かの人間で彼女の説得を試みています」
「……あ、はい。分かりました」
屋上にいた中国空軍の部隊長がサンディたちに告げた。
「上からの指示です。これ以上、ここに留まるのは危険です。もう既に御神乱の攻撃が近くまで及んでいます。皆さんも、ただちに我々のヘリに同乗して、ここから離れてください」
「え……、だってまだ、希望さんが! それに飯島さんと津村さんだって、まだ……」給水塔の上からサンディが叫んだ。
「命には替えられません。一緒にここから離れてください。我々の退避が完了したら、中国軍による御神乱への爆撃が開始されます」
「爆撃! ?」サンディが言った。
「はい、香港市民の退避はほぼ完了しているみたいですし、白御神乱に香港が焼かれるくらいなら、いっそのこと、御神乱ごと排除してしまおうというのが、上の考えみたいです」
「で、でも……、希望さんは世界の希望なんです! 御神乱ウイルスの抗体を持っているのは、世界でたった一人、希望さんだけなんです」マギーが言った。
そのとき、上空に日本政府のオスプレイの音が聞こえた。
「そうだ! 我々はあれで帰ります。ギリギリまで希望さんの救出を試みますので」村田が言った。
そんなやりとりをしている間にも、放射能火焔が近くのビルを打ち砕いた。
香港の火災は益々広がりを増している。その巨大な煙は、もうもうと上空を覆い隠していた。
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