最終話 そして嵐が……

 一人きりで、暗がりを歩いて行った。

 どこまでも。

 どこまでも。

 寂しくは無い。また恐怖もない。誰しも、いずれは通る道だ。


 暗い……。


 優しい暗闇。そんなことを考える。

 いつまでも、ここでまどろみ続けるのもいいかもしれない。


 ……リューヤぁ、お腹空いたよ……


 お……もう、そんな時間か。そろそろ起きるか……。


「よ……し、メシ……」


 あれ、声が……出ない。これは……。

 あぁ、そうか。そうだったな……。


 うっすらと目を開く。今は、それですら重労働だ。


 光。


 刺すような痛みが瞳に飛び込んで来る。


 ……よし、生きてる。



◇◇



「おはよー」

「ああ……」


 目を覚まして二週間ほどが経過しようとしている。その間、未夢に付きっきりの看病をされたことは俺の人生にとって、これ以上ないほどの汚点だ。


「リューヤぁ、おしっこしよ? おしっこ!」


 未夢が尿瓶片手に頬笑んでいる。

 ……この変態が!

 しかし、未夢ごときの世話になる日が来ようとは。焼きが回るとはこのことだ。

 キサラギの飛び降りの一件以来、俺の周囲は様々なことが変化した。

 先ず、未夢は俺の指示なしでも食事を採るようになった。とてもいい変化だ。しかし、甲斐甲斐しく俺の世話を焼く反面で、りんごのように赤く染まった頬を見ていると、コイツが何を期待しているか嫌でも分かってしまう。

 目を覚まして以来、俺と未夢は毎日のようにキスしている。一線を超えるのは時間の問題だろう。

 俺としては、この距離の近くなった幼なじみとの間に生まれたこの暖かい気持ちを、もう少し時間を掛けて育てて行きたいと思っている。

 未夢の両親は、毎日のようにやって来た。


「息子よ……」


 相変わらず、未夢の親父はふざけている。このヒゲは、俺が将来の義理の息子だということ信じてを疑っていない。

 ちなみに、未夢のお袋もふざけている。


「未夢、子供はまだなの?」

「もう少しだよ」


 お腹をさすりながら、幸せそうに答える未夢。

 ふざけんな。マジふざけんな。

 それから、うちの親父とお袋も出張先から帰ってきた。

 長期の入院が予測されたため、俺としては進級のことが気掛かりだったのだが、そこは親父が骨を折ってくれたらしい。学校側も前後の事情を汲んでくれた。その辺りのことは補習や講習を行う等して便宜をはかってくれるようだ。


「今は休め」


 親父の言葉だ。

 頑張り屋さんでない俺は、勿論そうさせてもらう。

 そしてキサラギは……あれ以来、会っていない。

 親父やお袋に尋ねたが、二人とも頑として口を割らなかった。何かある。そう思わずにいられない。親父は学校にも口止めしたようだ。見舞いにやってきた担任も、口を濁すだけで何も答えてくれなかった。

 未夢に世話を焼かれながら、リハビリを行う傍らで、空いた時間はキサラギのことばかりを考える。

 キサラギの両親は、俺に会いに来なかった。アイツが一人暮らしだったことを鑑みるに、家庭環境に少なからず問題があるのは疑いない。

 だが、それを知りたいか、と聞かれれば、俺の答えはノーだ。未だ、学生の俺にとって、その問題は大きすぎる。手に負えない。

 キサラギの行く末に関しては、意外な所から言及があった。


「あの娘は、遠くに行ったんだよ」


 答えたのは未夢だ。

 まあ、あれだけのことをやらかしたのだ。何もないと思う方がどうかしている。納得出来ないが、今はどうしようもない。……今は。


「リューヤぁ、未夢、もうヤだよ。あんなの……」

「ああ、わかってる。もうしないよ」


 心配そうに言う幼なじみの髪を撫でる。

 未夢は変わった。

 以前は、俺に頼りきりだった生活も、今ではなるべく自分でこなそうと必死で頑張っている。

 ケガの功名というやつだ。俺が重傷を負い、動けなくなったことで未夢の何かが変わったのだ。だとすると、キサラギのあの行為にも意味はあったのだろう。

 どんどん俺の手から離れる。それは見ていて微笑ましい光景で……それでいて、ちょっぴり悲しい。


 今ならもう、行けるのだろうか。

 俺はもう、行ってしまってもいいのだろうか。


 いずれこの街を出る。

 以前から考えていたことだ。

 住み慣れたこの街を離れ、新しく厳しい環境で生きて行く。そこでは、新しい出会いが待っているだろう。つらい出来事が待っているだろう。

 それらを求め、俺は行きたい。

 もちろん、未夢のことは心配だし、気掛かりだ。

 だが、遠く離れた場所で、一度自分を見つめ直したい。それは未夢との関係も含まれる。未夢を大事に思うからこそ、そうしたいし、そうすべきだと思う。一度、距離を置き、この胸の思いを確かめたい。


 時は流れ、季節は移ろう。

 桜が散り、俺は高三になっていた。復学してここまでは、慌ただしく過ぎて行った。

 最大の援護はやはり未夢で、相変わらずエロいし変態だが、家事にも積極的に参加するようになったし、自分の体調や着衣にも気を配るようになった。週末は、相変わらず二人きりで過ごすことを望むが、以前とは違い奇抜な行動で俺を悩ませることはなくなった。

 危うく揺れるようだった瞳の色も、今はもう落ち着きの彩りを見せている。確固たるものを得たのだろう。


「リューヤぁ……キスしよ……?」


 掠れた声で甘える未夢を抱き寄せ、応える。

 小さな舌を吸い上げながら薄い胸を弄る。耳元で漏れる吐息は熱く湿っぽい。未夢は少し乱暴にされるのが好きだ。膝の上に座らせて、乱暴に下着を剥ぎ取って行く。


「りゅうやぁ、アレやだぁ……」


 未夢は避妊を嫌がる。無論、良識的な俺は無視する。


「はじめてのときみたく、なまでそそいでほしい……」

「……」


 変態が!

 雰囲気を台なしにするその言葉を飲み込む。今はまだ、この熱い吐息を感じていたい。ベッドでもつれあいながら、小さい耳朶に口づけたところで、リビングの電話が鳴り響いた。


「やだぁ、もう……!」

「待ってて……」


 唇を尖らせる未夢に囁き、トランクス一枚で無粋な闖入者からの電話に応答する。


「もしもし?」

『……』

「こちら国崎ですが、どちらさまでしょうか?」

『……』


 不意に、背中に氷柱を差し込まれたような寒気を感じた。


 まさか……。


『せんぱい……』


 ごくり、と息を飲む。


『ウ チ で す』


「……」


 俺は電話の線を引き抜いた。

 何も聞いてない。キサラギから電話なんてなかった。


「りゅうやぁ……」


 気が付くと、シーツを身体に巻き付かせた格好の未夢が、ぷうっと頬を膨らませて背後に立っている。


「なあ、キサラギから電話があったって言ったらどうするよ……」


 未夢は首を傾げて笑う。


「またあの子? しつこいね。未夢、もう飽きちゃったよ」


「ははっ、そうか」


 乾いた声を立てて、俺も笑って見せる。


「うふふ、そうだよ」


 未夢は、にっこりと満面の笑みを浮かべ、なんでもない事のように笑っていた。


 今日も明日も明後日も、こうして俺と未夢は続いて行くんだと思う。少なくとも未夢の浮かべる笑みは、変わらない明日を連想させる。

 未夢が笑って言った。



「リューヤ、大好きだよっ」



 肩の力が抜けたような気がして、俺も笑った。

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いじわるリューヤとぽんこつみゆちゃん ~やんでれじごくへん~ ピジョン @187338

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