第10話 かんぜんけっちゃく!

 ことっ、ことっ、と心臓が早鐘を打った。

 未夢は首を傾げ考える。

 今、膝の上で静かに眠る少年のことが好きだ。未だ二十歳になりはしないが、未夢は愛というものを知っているつもりだ。ただそれだけを頼りに生きてきたのだから。

 その未夢の胸を、衝撃と驚愕とが刺し貫いている。

 この十七年間の人生で、これ以上ないくらいリューヤのことを愛していたつもりだ。

 だがそれは誤りだった。これ以上は、あったのだ。

 リューヤの命が燃え尽きようとしている正にこの時、未夢の思いはこれ以上なく燃え盛っている。


『すぐ、逝くね』


 吐き出した言葉に嘘偽りはない。未夢にはその決意がいつだってあった。

 だが、あの一言が未夢の胸を焼いた。

 驚いた。これまでの人生で、これ以上ないくらい恋い焦がれていると思っていたはずなのに、なんとその先があったとは。

 怖いくらいだ。


「リューヤ先輩から離れろ! このクソ女ぁぁ!」


 先程まで、呆然として未夢とリューヤの抱擁を見つめていたキサラギが掴み掛かって来て、未夢は不快感に眉をひそめる。


(うるさいなあ……)


 今は、この胸のときめきをひたすら噛み締めていたい。

 未夢にとって、キサラギは玩具以下の代物だ。怖くもなんにもない。こんなものはすぐ、壊せる。


「また、リューヤを傷つけるの?」


 一言。ただ、一言で未夢はキサラギの胸を刺し貫いた。


「ち、違うっ! ウチは…ウチがリューヤ先輩を傷つけるわけない!」


 キサラギの血に濡れた腕が、未夢の服を汚す。リューヤのものだ。それだけでキサラギは万死に値する。


『一人だけなら、許すよ』


 リューヤのために生きて来た。

 リューヤがいるから生きられた。

 リューヤの判断。それが全て。

 このキサラギという少女をリューヤが求めるなら、我慢するしかない。未夢には当然の事だ。


「ウチはぁ! リューヤ先輩のためなら、命を差し出せるんだぁ! 見ろ!」


 キサラギが叫びながら、手首に刻んだ惨たらしい傷痕を突き付けてくる。


「ここも、ここも! おまえより多い! ウチの方がリューヤ先輩を愛してる! リューヤ先輩はウチのだっ!」


 ほんの少し前ならば、未夢はキサラギの存在を認めていただろう。だがここに来て、『その先』を知ってしまった未夢の考えは変わってしまった。

 リューヤを自分だけのものにしたい。

 リューヤは自分だけのものだ。

 どうしても。どうしてもだ。

 だから壊す。キサラギを壊す。


「……そう。がんばったね。おめでとう………………………………………………………2等賞」


「に、2等……あ?」


 その瞬間、キサラギの動きが止まった。

 あんぐりと大口を開け、瞬きすらせずに開かれたままの瞳は、薄く笑う未夢を見つめている。




 長い沈黙があり――




「ぐるぁぁぁぁぁ! 殺すッ! 殺すゥッ!」


 擦り傷だらけの顔に殺意を漲らせ、キサラギは狂った。もう、どうしようもないところまで。

 だが必殺の決意を込めたキサラギの手は、未夢に届かない。

 男たちの太い腕がキサラギの腕を捕まえた。


「ガァァァァッ! 離せ! 離せ! クソ女、殺してやるぅぅぅぅ!」


 キサラギは暴れ狂い、三人掛かりで取り押さえる警官に正しく狂女のように抵抗した。


「対象確保! 対象確保!」


「重傷者一名! 至急、救急車を――」


 警官が口々に喚き散らし、キサラギの呪詛の言葉は喧噪の中に消えて行く。


「さよなら」


 薄く嗤う。そして―― 


「リューヤ、ごめんね。未夢、やっぱり悪い子だよ……」


 その呟きも、喧噪の中に消えて行く。

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