美味しい対価、不味い代償

ハヤシダノリカズ

オルギア

「アタシは人間の望みを叶える時、その人間の最も美しい個性を対価に頂いているわ」

 一つの存在がそう言った。髪を蛇のように蠢かせているそのシルエットが薄明りの中にある。

「美しい個性とは、例えばどのようなものだ?」

 蛇髪の存在に問いかける存在があった。それは腰の辺りに羽毛を持たない羽根を生やしている。

「そうね。例えば動かない足を動くようにと願った少女からは、声を頂いたわ。アレはとてもいいものだった。人は得たモノと失ったものを比べ、失ったモノを嘆くものね。その愚かさほど甘美なものはない」

 楽しそうに声を発するその口は、粘度の高い唾液が上下に糸を引いている。

「違いない。ワシが頂く対価はいつも人間の寿命よ。しかし、近頃の人間は『寿命くらいくれてやる』と息巻くものの、ワシが『望みを叶えた瞬間、貴様は八十歳になるがいいか?』と確認を取ると尻込みする」

「アハハハハ!人間って自分に都合のいい解釈をするものよ。現在の年齢のままに寿命が減ると思うのね。ホントバカ。でも、それをわざわざ言うあなたは相当なお人好しね」

「下ごしらえと味付けは大事だろう? 人間がどう絶望したか、それが対価の味を決定づけるのだからな」

「それで、今すぐに老人になるかどうかの選択を迫られた人間はどんな反応をするの? 気になるわ」

「あぁ、オマエがさっき言っていた足と声の交換は、人間一人の中で完結する対価だっただろう? ワシが望みを叶えてやると持ち掛けるのは自分以外の誰かを助ける願いの主が多い」

「おぉ。それはいいのう。それは愉快じゃ」

「『望みを叶えた瞬間、貴様は八十歳になるがいいか?』とワシが問うと、大抵の人間は『えっ、ちょっと待って』と顔色を変える。さっきまでの自己犠牲心は目に見えてしぼむ」

「アッハッハッハ!寿命を差し出すのは構わないが、若さを差し出すのはゴメンこうむると! 自己犠牲心のマントを翻した英雄が、そのマントで窒息しそうになって慌てふためくのか。それはいい!」

「そこからは交渉よ。助けるべき相手の助けるべき重要箇所を一つずつ上げていく。内臓は全て治すのか、頭部の損傷はどの程度に止めるのか、腕はいるのか、足はいるのか……。交渉の後のワシの術がそこに残すのは辛うじて命を繋ぎとめた者と、十五年ほど年を取った英雄になれなかった中年よ」

「その絶望はさぞや美味かっただろう。いつか、アタシも一緒に味わいたいものよ」

「そして、あやつらはワシに言うのだ『悪魔め』と」

「あら、陳腐ね」

「あぁ。ワシをどのような存在と思おうと好きにすればいいが、ワシに向ける悪魔という侮蔑は、そのまま自分自身に向かっているんじゃがな」

「えぇ。ホント滑稽だわ。打算という悪魔を身の内に飼っているのは人間じゃないの」

「あぁ、そして、何も言わずともそれに気づく人間はいる。それに気づくというスパイスは何にも代えがたい。だから、ワシは愚かな人間にそれに気づくヒントを与える時があるが、どうにも察しの悪い人間というのはいる。まるで気づかぬヤツがおる。アレは台無しじゃ。不味い」

「あらあら、それはどうしようもないね。ハズレはあるものだけど……」

「あぁ。ハズレはあるものだ。しかし、最近はハズレも減ってきた」

「あらそうなの?察しの悪い人間が減ってきたって事? そんな風には思えないけど」

「いやいや、そっちのハズレは今も昔も変わらない。ワシにとっての一番のハズレは心の底から自己犠牲を厭わない者だ。自分の五十年を失って老人になってなお、叶った願いを本当に喜べる者……あやつらの満足や感謝という感情はまるで食えない。不味くて不味くて臓腑が溶けてしまいそうじゃ」

「ほぉ……。そんなゲテモノがおったのか」

「昔の事じゃ……。今はそんなモノに当る事はまず、ない」


 悪魔、魔神、精霊、鬼、妖怪……、様々な概念で人間に呼ばれる二つの存在の対話はそこで途切れた。

 見えないものを人が信じていた時代の方が彼らの力は強かった……そう主張する者は多い。だが、実際はそうでもない。

 今は、見えないナニカを怖れる人の生き様が彼らに力を与える時代ではないが、希望や善意や信心を魂を捧げて太陽に昇華するような者がいない時代でもある。


 彼らを追いやる光が、今は少し、弱い。

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美味しい対価、不味い代償 ハヤシダノリカズ @norikyo

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