黒猫
早河遼
※
私は黒猫だ。
夜空に輝く満月の光も届かぬ路地裏、その闇に溶け込む程の黒い体毛が私のチャームポイントだ。無造作に捨てられた鏡に映ったのを見ても、その美しさは一目瞭然だ。
私の趣味は、このように夜道を散歩する事だ。何故なら全身に掛かる夜風と細やかな虫の音が非常に心地いいからだ。おまけに昼間と比べて人間の数が少ない。私にとって夜は最高のひとときなのだ。
いつしか路地裏を抜け、塀を渡り、やがて足の感触に飽き、跳び降りる。そして車すら通らない狭き無人の道路を歩く。堂々と真ん中を歩く勇気は無かったので、塀に沿ってゆっくりと歩く。
私達猫は耳が良い。だから、道中色んな音が耳に入ってくる。トントンと鳴るまな板の音。テレビの微かな音と人間の子供の笑い声。大人の男と女が言い争う声。今日もころころと色んな音が耳に入ってくる。まぁ、これも散歩の楽しみの一つではあるが。
そんな風に音を楽しみつつ、蛍光灯を頼りに道路を進む。するとその途中で、二つの人間の声が聞こえてくる。もう遅い時間にも関わらず、声音は若い。ひとまず様子を見ようと、再び塀に跳び乗る。
「なぁ、こんな噂知ってるか?」
「噂? 急になんだよ、藪から棒に……」
塀の上から人間の様子を観察する。背丈から察するに、どうやら子供らしい。鞄を背中に背負っているが、最近知った「塾」とやらの帰りだろうか。なんでも「塾」は夜中に鞄を背負った子供が集まる場所だと聞くのだが。
「まぁ聞いてくれよ。どうやらこの町には、『魔女』と呼ばれてる女が居るらしいぜ?」
「はぁ、魔女ぉ? 漫画の読みすぎなんじゃねぇか? お前、この前も授業中に漫画読んでたのバレて先生に取り上げられたろ?」
「それとこれとは話は別だろ? まぁ、とりあえず最後まで聞いてくれよ」
……どうやらこの小僧達は私の姿に気付いていないようだ。こっそり付いて行ってみるか。
「噂によると、その『魔女』と呼ばれてる女は、三丁目にあるあの怪しげな家に住んでるみたいで、中で怪しい実験を繰り返してるみたいだぜ?」
「怪しげな家……って、あの斉藤さんちの近くのか」
「あぁ、その家の窓から変な匂いがしてたって目撃情報があるみたいなんだ」
「うわ、怖えー」
「しかもそれだけじゃないんだ。その『魔女』すっげぇおっかねぇらしくてさぁ。髪はボッサボサで、黒猫を飼ってるらしいんだ。そいつが凄ぇ凶暴らしくて」
「マジかよ。通学路でよく見るから怪しい家だと思ってたけど、まさかそんな恐ろしい家だったなんて……」
………………。
嫌な話を、聞いてしまった。
これだから人間は嫌いだ。偏見と捏造で情報を固め、笑い話として会話のネタにする。あまりにも狡猾で、むごい生き物だ。相変わらず反吐が出る。
全く、今日はとびきり最悪な夜だ。
「うわっ! 何だ⁈」
物音と共に、私は塀から跳び降り、人間二人の前に立った。そして歯を見せ、爪を突き立て、体勢を変えて、威嚇する。
「く、黒猫だ! 何で急に俺たちの前に!」
「おい勘弁してくれよぉ! 俺、猫苦手なんだよ!」
目の前の人間達の反応は想像以上だった。私の急な登場と威嚇に酷く怯え、動揺している。中々に惨めなものだがこれを目にしたところで私の苛立ちは収まらない。目を開いて奴等を睨みつけ、声を上げた。
「お、おいやべぇよコイツ! 逃げるぞ!」
「ちょおい! 待ってくれよぉ!」
やがて怯えきった彼等は、私に背を向け一目散に逃げていった。足音が静かな空間に響き、少し不快に感じた。
やれやれ、今日は本当に最悪な日だ。
煮え切らない苛立ちを腹に残し、私はふんと鼻を鳴らしてその場を後にする。身体に染みる夜風だけが、私を宥めてくれた。
「あ、おかえりぃ。遅かったねぇ」
少し薄汚れた窓から我が家に入ると、一つの無垢な女の声が私を迎えてくれた。乱れた茶色の髪をしたそいつは、黒いぶかぶかの衣服を身に纏い、変な形状の容器がびっしり置かれた机に向かっていた。
「今日も遊んでやれなくてごめんよぉ? 仕事で忙しくてさ。その分あとでたっぷり撫でてやるからなぁ!」
そう言って彼女はわしわしと私の頭を撫でる。その手があまりにも鬱陶しかったので、不機嫌そうな表情を作り、右手で払ってやった。
「えぇ〜? なんで嫌がるのさぁこのツンデレ野郎!」
ぎゃあぎゃあわめく主の事などお構いなしに私は家の奥へと歩いていく。全く、相変わらず埃臭い場所だ。そろそろアレルギーが出るんじゃないかと思うぐらい。
私の主は美容薬、とやらを研究している。だから家に充満する匂いはいつも変化する。良い香りの日もあれば、吐きそうになるぐらいの悪臭の日もある。そりゃあ近所の人間が、魔女の実験だと噂したくもなるだろう。
おまけに主は行動一つ一つが危うい。ドジで、どこか抜けてて、不器用で……過去にこの家が火事になりかけた程である。
まぁ、しかし……。
「うっひゃあ! また失敗したぁ! やばいやばい急いで換気しないと……」
……裏表なく誰に対しても優しい、私が出会った中で唯一心の許せる人間だ。だって、道端に捨てられた私を拾ったのも、彼女なのだから。
主の慌ただしい様子を見て、いつの間にか眠くなって、寝床に着く。こうして私の楽しい夜の時間は、終わりを迎える。窓から入る夜風は、家の中でも私を優しく包み込んでくれた。
黒猫 早河遼 @Hayakawa_majic
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