第6話 兄との思い出

 1番上の兄は、高校に入りしばらくすると、手狭だった我が家から、高校に近かった父方の祖父の家に下宿する事になった。同じ市内ではあったが、会うことがほとんど無くなった。

 長兄の高校在学期間の私はサッカーに明け暮れ、私がサッカーを辞めた中学時代は、大学進学を期に市外で一人暮らしを始めたため、そもそもの生活環境が大きく離れてしまう。父や母は割と頻繁に会いに行っていたようだが、私とは数ヶ月に一度、若しくは、年に一度会えば良いという関係が出来上がっていた。

 そんなわけで、長兄との思い出は多くない。しかしながら、どういうわけか、1番話しの合う良き理解者でいてくれる。


 すぐ上の兄、次兄とは良くケンカした。思い出と言われて先ず思い出すくらいにはケンカした。しかし、それも彼が中学に行かなくなってからは徐々に関係性が変化していった。


 私は中学でヒップホップにハマったが、彼はお笑いにハマった。当時、ダウンタウンが世に出てきて、松本人志という才能が輝き始めた頃だ。兄は、その才能に憧れた。


 いつの間にか、どちらかがボケてどちらかがツッコむ漫才ごっこ遊びが私たち二人の間で当たり前になった。


 どんなボケでどんなツッコミを返していたか、今になっては覚えていない。なんせ彼が憧れたのはあの松本人志だ。台本という物はどこにも無かった。


 二人の拙い漫才モドキは、楽しかった。何がどうというのは言葉に出来ないが、楽しかったのだ。ソレに一番笑ってくれたのが父だったのが、思い出にフィルターを掛けているのかもしれない。


 その頃から、お互いにライバル視するのは変わらなかったが、ケンカに発展することは減っていった。


 長兄は出来が良かった。忙しい両親の代わりに9つ離れた弟や私の面倒を良く見てくれた。いつだったか、兄と私、弟の3人で自宅近くの県内でも有名なハンバーグチェーン店で食事をしたことは今でも覚えている。しかし、兄は教師になると中学の時から宣言をし、周りが塾に通う中、自身は独りで勉強もし家の手伝いを熟しながら、受験時の夏休みには塾側から「ぜひ、夏休みだけでも通ってください。」と請われて通うくらいには、優等生だった。市内でもトップと言われる公立の進学校に単願で挑み、合格し生徒会長を任され、県内トップの国立大学の教育学部に進学し、そこで劇団を主宰をしつつ、このまま教師になるにはコネが足りないからと大学院に籍を置き学士を取るといった、凡そ凡人の私には理解できない進路を自分で選択し、それを頑固親父に認めさせる位には努力を惜しまない凄い人でもある。


 そんな長兄にライバル心を持っていたのが次兄だった。




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