第5話 父との思い出

 父は、町工場で従業員を抱える頑固親父だった。仕事一筋の職人だ。兄のころは、家族より仕事を優先していたようだった。しかし、次兄が私より先に中学に行けなくなり、入院をしながら養護学校(今でいう特別支援学校)に通い出したころから徐々に変わっていったように思う。


 父そのものが変わったというより、父が持つ、家族への愛情表現の仕方がより直接的に見られるようになっただけなのだと感じられた。


 それまでも、父には愛されていると感じていたが、もっと怖かった。


 あまり叱られることはなかったが、一度怒らせると、しっかりと反省が見られるまで許されなかった。母に怒られるのと、父に怒られるのでは、その性質が大きく違った。理不尽に怒ることはないが、逆らってはいけない。それが私たち兄弟の父に対する共通認識だったように思う。


 そんな父は、私が中学に行かなくなっても、何一つ変わらなかった。毎日顔を見に部屋を覗く以外私と多く関わろうとしなかった。その距離感が心地良かった。


 書けば書くほど輪郭がボヤケていく。父との大切な思い出が綺麗事に塗りつぶされてしまうようだ。少し怖い。


 当時の私は何も知ろうとしない子どもだった。自身に起こっている病と向き合える器が無かったのだと思う。


 母は、私の現実を容赦なく突き付けてきた。父は、私の現実を全て飲み込んでくれた。これだけ書くと母が可哀相だが、未だに母とは根っこの部分で相容れないと思っているので、衝突してしまう。父とは一番良い時に死別したのかもしれない。


 それでも、父には生きていて欲しいと願ってしまう。今の私を見て何を言うのか。応えのない問いはいつも空中分解して解けて消える。


 父との一番の思い出はやはり父を殴ってしまった時だろう。あれはその前に私が母に向かって包丁を持ち出していたのかもしれない。


「生んでくれなんて頼んでない!」


 私はそのどうしょうもない現実から逃げたかったのだ。しかし、自分から死ぬことも、誰かの命を奪うことも出来ない位には良識的な両親の元に産まれたお陰で本当にしてはいけないことまではしていない。書いていて本当か? と自問自答はしてしまうが…。


 それを止めざるを得ない父が、私の部屋まで追い掛けて来た。その時点では包丁は私の手を離れていた。そうして私は父を殴った。当然、殴り返される事を覚悟して。


 しかし、父は殴り返すどころか、亀になった。その姿に混乱し、それでも一度振り上げた拳はなかなか止まってくれない。私は泣き、父は耐えた。


 後になって、父はその時内臓に小さくないダメージを負った事を知った。その後も私は定期的に暴走して暴れたが、人に対して殴らず、物を壊すようになった。

 そして、それ以降、私は父の跡を継ぎたいと心から思うようになり、それを伝えた。


 注)物を壊すのもいけない事なので、やめましょう。どうしても行き場のない思いを抱えてしまった時は、叫ぶのも一つの方法だと思います。


 父は、その生き様で、私に多くの物を残してくれた。


 父とのもう一つの思い出。


 これは、誰も傷付かないです。


 私は両親が役所に掛け合ってくれ、父の工場に近い中学に転校する事になった。


 最初は通えていたが、また通えなくなった中学3年の春に入院をする事になった。その後の進路で機械科のある高校に行きたいのは、父たちも知っていた。


 その時に面会に来てくれた父から写真を印刷した紙と、トレーシングペーパーを渡された。その写真には、父が作った機械が写っていた。


「これを、見たまんま写しとってくれ」

「わかった」


 その意図は何も、1ミリも汲み取れなかったが、父に頼まれた事が嬉しくて、1日の大半をその作業に没頭した。


 今ならわかるが、その写しは決して上手くなかった。それでも父はそれを見て笑顔でありがとうと言ってくれたのだ。


 それが私にとって初めてした仕事だ。もちろん金銭の授受は無かったが、あの「ありがとう」には、それ以上の価値がある。それを知れたのは間違いなく今の私の財産だ。


 その入院生活は、私の主治医が七夕の短冊に『千客万来』と書いて、不信感しかなくなったので終わったが。



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