第六章③



   ◆◇◆



「真衣……真衣!」

「ん……朱音?」

「真衣……良かった……」

 病室で真衣の手を握ったまま、朱音は涙目で安堵した。

 ベッドに横たわった真衣は、しばらく茫然としていたが、少しずつ自分が何故ここにいるのか理解していき、その表情を変えた。

「朱音……私、私が……」

「わかってる。それが正しいことだとは言えないけど、真衣が私のことを思ってやったことなのはわかってる」

「そっか……。ごめん、こんなことになって」

「ホントだよ。真衣の馬鹿……死んじゃうかもしれなかったんだから……っ」

 朱音は涙を拭いながら、弱々しく真衣を叱責する。

 真衣は苦笑しながら、朱音の手を握り返した。

「それじゃあ、斎藤先生のことも知ってる……?」

「うん」

 朱音の返答に、真衣は目をつぶる。

「……斎藤先生、言ってたんだ。一部のエリート科の普通科に対する態度が許せないって。それを聞いたら私、真っ先に朱音に対する鬼ヶ華さんのこと思い出しちゃって。それに私自身も、エリート科の人に目を付けられてた。だから先生の計画に乗ったの。『呪い』を行使すればどうなるかわかっていながら、乗ったの」

「うん」

「でも『呪い』なんかに頼って朱音を助けようだなんて、もうそこで全部間違ってた。だけど斎藤先生は本気で普通科の生徒のことを思ってて、それが伝わったから……。だから今回のことは、全部自分の意思でしたことなの。斎藤先生は何も悪くない」

「………」

 真衣は涙を溢れさせながらそう言い切った。

 確かに真衣には真衣の責任がある。だからその罪を、『呪い返し』というカタチで受けたとも言えた。

 だが、真衣が斎藤を庇っている姿は見ていて痛々しかった。斎藤は少しも真衣を庇おうとしていなかったからだ。

 そしてそのことは伝えないべきだろうと、朱音はグッと言葉を飲み込んだ。

「理事長先生たちがね、今回のことで真衣はこれ以上罪に問わないって言ってた」

「え、どうして……」

「まず『呪い返し』が十分な罰であったこと。そして、一部のエリート科の普通科に対する所業に目を配れていなかったのは学校側の責任であり、今回の件が今後の抑止力に繋がるってことから、真衣へのお咎めはこれ以上は無しなんだって」

「……いいのかな」

「いいんだよ。理事長先生たちがそう決めてくれたんだもん」

「……うん」

 再び泣き出した真衣を、朱音はそっと見守る。

 ちなみに斎藤の方はしっかりとした罪に問われることとなった。

 責任能力のある大人が、生徒をたぶらかすような真似をした上に、全ての責任を真衣に押し付けようとしたためだ。

 どんなカタチであれ、生徒思いでなあの斎藤ともう会えなくなるのだと思うと、何とも言えない気持ちになった。

「朱音……」

「ん?」

「ごめんなさい。こんなことをしたのも、朱音だけじゃなく蒼亥くんも巻き込んでしまったことも。全部全部、本当に……ごめんなさい」

「うん」

 変に慰めの言葉は用意しなかった。

 代わりに、いつものような話題を提供する。

「そーいえばあの『あやかし相談所』に行ってみたんだけどさ」

「えっ、あの『あやかし相談所』に?」

 涙目だった真衣が、いつもの調子で食いついてきて朱音は安心する。

「どうだった……?」

「白竜さんっていう『龍』がいたの」

「へえ~。『龍』が経営してたんだ」

「でね、白竜さん、登場する時に演出があったり、所々決めポーズしたりでぶっちゃけちょっと変わった人だったんだよね」

「えぇ~何それ。『龍』ってちょっと気難しめの人が多かったイメージ」

「白竜さんはどっちかというと真逆って感じだったね。よければ今度一緒に行こうよ。今回の件ですごーく力になってくれたし」

「……いいのかな、私が行っても?」

「いいんだよ。むしろ事件解決のお礼を言いに行こうよ。白竜さんもきっと喜ぶ」

「うん……そうする」

 病室には二人の明るい声が飛び交った。

 ここのところずっと気が張り詰めていた二人が、ようやくこれまでのように笑い合えている。

 そんな優しい光景を眺めながら、蒼亥はそっと病室に入っていった。

「お話中ごめん。真衣さん、調子はどう?」

 突然現れた蒼亥を見て、真衣はピシッという音が聞こえてくるかというぐらいガッチガチに固まっていた。

 若干、顔も赤く染まっている。

「蒼亥、来てたんだ」

「俺も真衣さんが心配だったし」

「えっ、あ、し、心配ってそんな……わた、私の方こそたくさん迷惑かけて、ごめんなさいっ!」

 蒼亥の言葉で我に返ったのか、真衣は声を裏返しながら言った。

「そんなに謝らなくて大丈夫ですよ。きっと姉さんに対してたくさん謝ったと思いますし。むしろ俺も『狗』の扱いがまだまだ未熟で、屋上では上手く助けられなくてすみません」

「あ、蒼亥くんが謝る必要なんてほんと……げほっげほっ」

「あーもう、無理しないで真衣」

「ご、ごめん」

 真衣は昔から蒼亥に対して憧れのようなものを持っているのは知っていた。

 それが恋愛感情に繋がっているのかはわからないが、少なくともこんな調子になるぐらいには、蒼亥のことを強く意識している。

 当の蒼亥といえば真衣を気遣い、近くにあった水差しから水を入れ、冷静にコップを渡してあげていた。

「ふう……ごめんなさい本当に。蒼亥くんも、改めてありがとう」

「思ったより元気そうで安心しました。学園に戻って、また姉さんと仲良くしている姿を早く見たいです」

「うん」

 蒼亥からの言葉に、少しだけ涙をため、真衣は一つ頷いた。

「姉さん、そろそろ鬼ヶ華の方に戻らないと。今回のことで椿姫さんがピリピリしてるし」

「そっか」

 なんだかんだ椿姫も今回の件に巻き込まれた側だ。

 しかし真衣が願ったように、あれ以来、椿姫は本当に朱音を使用人扱いしなくなった。

 もちろんそれは『呪い』よりも恐ろしいクロの存在あってこそだが。

 それに、実のところ今回のことで一部のエリート科が大人しくなっていた。

 実際に『狐面の呪い』に出くわしたエリート科の生徒による話がどんどん誇張されていき、今では普通科の生徒をいじめると呪われる、なんて話にまで繋がっているそうだ。

 理事長先生たちはあえてその噂話を否定しないでいる。

 だから本当にもう、真衣が心配するようなことは無くなったのだ。

「それじゃあ真衣、私たちもう行くね」

「うん。本当にごめ……」

「ごめんなさいじゃなくてありがとうって言ってほしいな」

「……うん、ありがとう」

 もう一度だけ二人は、ギュッと手を握り合った。

 そうして涙でくしゃくしゃになりながらも笑顔を浮かべた真衣に見送られ、朱音と蒼亥は病室を後にするのだった。



「なんだかんだ大丈夫そうで安心した」

 帰路につきながら、蒼亥は隣を歩く朱音の方を伺いながらそう告げる。

 蒼亥の心配は、もちろん真衣に対してもあったが、それ以上に朱音の方に向いていた。

 友人が一連の騒動に関わっていたことで胸を痛めていないか、気掛かりで仕方なかったのだ。

 だが、病室でのやり取りを見るに大丈夫そうだと判断したからこそ、蒼亥はそう口にしたのだった。

「そうだね。私も真衣が起きるまでは色々なことを考えていたんだけど……実際に目覚めた真衣を見たら、自然と話すことができた」

「なら良かった」

 ニッコリと微笑む蒼亥の姿は実に絵になり、こんなところを学園の人や真衣が見たら黄色い悲鳴が上がりそうだと朱音は思った。

 と、そこで朱音は思い出したように蒼亥の方を向く。

「蒼亥、付き合ってくれて悪いんだけど、私ちょっと寄る所あるんだ」

「そうなの? じゃあ先に戻ってるよ」

「うん、ありがとう」

 そうして蒼亥は去ろうとしたが、その足を止めて振り返る。

「姉さん」

「ん?」

「あんまりあの『忌神』に気を許しちゃ駄目だからね」

「あはは……りょーかいしました」

 やはり蒼亥は鋭いなと思いながら、朱音は蒼亥の姿が完全に見えなくなったところで声をかける。

「……クロ」

 途端に、朱音の影が膨れ上がり、そこから溢れた闇が人のカタチを成していく。

 その美貌に薄ら笑いを浮かべながら、クロは朱音を見下ろしていた。

「なぁに?」

「ん……影の中に潜んでいてくれてありがとう」

 朱音は、クロがずっと傍にいることに気付いていた。

 それでもクロは気を利かせたのか、病室ではその姿を表に出すことがなかったのだ。

「べつに。オレは朱音にしか興味が無いだけだよ」

 照れ臭さではなく本心からそう言っているものだから、朱音は苦笑を浮かべた。

 そんな朱音を、クロはジッと見つめている。

「でも今回のことは……たくさんクロにお礼しなきゃだね。クロがいなかったら、真衣を救うことも、犯人から守ってもらうこともできなかったもの」

「………」

「クロ、本当にありがとう」

 朱音は、心からの感謝と共に、柔らかな矢顔をクロに向けた。

 しばし、クロは何かを考えているように固まっていた。

 そしてようやく動き出したクロは、その真っ白な手を朱音の頬に優しく添える。

「ねえ朱音」

「何?」

「キスしたい」

「えっ?」

 予想外の言葉に、朱音は一瞬思考停止する。

 冗談か何かかと思いたかったが、クロの目は真剣だし、そもそもクロは冗談を言うような性格ではない。

「そんな、何をいきなり……っ」

「なんだろ。そういう気分っていうか、今の朱音、いつも以上に可愛くてしたくなってっていうか」

 軽薄な口調ではあるが、クロの手は妖しげに朱音の頬をなぞる。

 官能的なその仕草に、朱音は真っ赤になった。

「で、でもそんなこと言われても……っ」

「じゃあ今回のお礼としてでいいよ。それなら大義名分が付くでしょ?」

「そ、それは……」

 確かに今回、クロの活躍無くして解決は見込めなかった。

 そのことを誰よりも実感している朱音は、『お礼』としてクロに何か返そうと考えていた。

 だがまさか先手を取られ、しかもキスをねだられるとは思ってもおらず、なんて返答していいのかわからなくなる。

「朱音……」

 そんな朱音の胸中を察しているように、クロは迷いの無い口調でその名を口にする。

 何も不安がることはないと、その赤い瞳が語っていた。

「前みたいに奪うようなキスじゃなくて、ちゃんとしたキスを……しよう?」

「く、クロ……」

「朱音、オレの朱音……愛してる」

 呪いのような愛の言葉。

 その言葉と共に、朱音はクロからゆっくりと口付けられた。

「ん、ぅ……」

 以前の時とは異なる、お互いの唇をしっかりと感じるキス。

 クロの唇はとても冷たいのに、朱音の体温はどんどん上昇していった。

 しばらくそうしていた二人だったが、クロが朱音の唇を甘噛みし、ゆっくりとクロの方から離れていく。

「これ以上は、オレの方が我慢できなくなるなぁ」

「我慢って?」

「キス以上のことしたくなる、ってこと」

「んなっ……」

「あはは。朱音、顔真っ赤だ」

「もう! からかわないで!」

「からかってなんてないよ」

 クロは、ゆらりと動き、朱音を背後から抱きしめる。

「オレはいつだって朱音の全てが欲しいんだよ。オレを助けてくれたあの時から、オレは朱音のモノだし、朱音もオレのものなんだから」

 絶対的なルールを口にするように、クロは真っ直ぐとした口調でそう語りかける。

 何よりも誰よりも恐ろしい『忌神』。

 何の因果かそんな『忌神』に見初められた朱音。

 両者は、不思議なバランスでもってお互いの関係を成り立たせていた。

「クロのモノになりはしないけど……これからもたまに助けてくれたら嬉しいな」

「朱音が望むならいくらでも助けるよ」

 二人は顔を合わせ、同じタイミングで笑った。

 そうして帰路につく二人の影は、お互いの関係を暗示するように重なっていたのだった。



【END】

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忌み神様の溺愛花嫁 〜独占欲の強いヤンデレ神様に溺愛執着されながら学園の怪事件を解決します〜 Q歩 @q-ho

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