第六章②



   ◆◇◆



「何を言っているんだ、鬼ヶ華。俺が犯人……?」

 斎藤は、落ち着いた様子でそう返した。

 先程まで背後から朱音に襲い掛かろうとし、それを蒼亥の『狗』によって止められたにもかかわらず、白を切るつもりのようだ。

 朱音は眉根を寄せながら、悲しげに話し始めた。

「斎藤先生は、『狐面』の騒動の全てに駆け付けていましたよね」

「そりゃあおまえらが心配だからな」

「でも、先生は駆け付ける前に起こっていたことを知っていました」

「なに……?」

「まず校舎裏で真衣が襲われていた時、私がクロに抱えられて二階から飛び降りたことを知っていました。あの時はまだ、先生が駆け付ける前だったのに」

「遠くの方からたまたま見えていたんだ」

「じゃあどうして、先日の夜、私がクロに抱えられて屋上までジャンプしたことを知っていたんですか? あの場には『狐面』の結界が張られていて、私たちの他に誰もいなかったのに」

「………」

 そこで初めて斎藤は口を閉ざした。

 元より、こんな詰め方をしなくても斎藤が犯人である証拠は揃っていた。

 先程提示した、現場に残っていた布というのは斎藤のものである。

 それだけでなく、蒼亥が調査したところ、『狐面』の出現したどの場所にも斎藤の妖力が残っていた。真衣の妖力よりもずっと濃いものが、だ。

 今思えば、一番初めの『狐面』騒動の際、理事長室には斎藤の姿があった。もしかしたら、あの時からすでに理事長先生たちは斎藤を疑っていたのかもしれない。

 どちらにせよ、斎藤はこれ以上言い訳を口にする気は無いようだ。

 諦めたような、それでいて何か強い思惑を秘めた瞳で俯いていた。

「斎藤先生……どうしてこんなことを」

「どうして? そんなの決まっている。平穏な学園生活を送るためだ」

 こんな騒動を起こしておいて、それは矛盾しているのではないかと朱音は思った。

 だがそれでも、黙って斎藤の話を聞いた。

「いつだってエリート科の生徒は普通科の生徒を下に見ている。妖力が無い、育ちが悪い、そんな理由で。俺からすればおまえらだって同じガキだっていうのに、何を偉そうにしているんだか」

「………」

「そんな時、三条から相談があったんだ」

「真衣から……?」

 思いがけない話の展開に、朱音は目を見開く。

「自分の親友がエリート科の生徒にいじめられている。何とかできないか、ってな。そこで俺は『狐』を使った呪いを思いついたんだよ」

「真衣が……」

 真衣の言う親友とは、まぎれもなく朱音のことだ。

 ずっと、どうして今回のこの騒動に真衣が関わっているのか気掛かりでしょうがなかった。

 しかしこれでわかった。

 真衣は朱音が受けるいじめを少しでも無くそうと考え、行動に起こしたのだ。

「『狐』の召喚は俺がした。そして『呪い』を願ったのは三条だ。だから『呪い返し』も三条の方にしかこない」

「っ……」

「教師としてそれはどうなんです?」

 それまで黙っていた蒼亥が、聞くに堪えないと言いたげにそう口にした。

 だが、斎藤はそれを無視し、朱音に笑ってみせる。

「それで?」

「え……」

「それで、どうする? 確かに『狐』の召喚は俺がしたが、俺は何も願っていない。『呪い』を願ったのは三条だ。俺は何もしていない」

「何を言って……」

「俺はナイフを買っただけ。そのナイフをどう使ったのかは三条の仕業だ。俺には関係無い」

 まさか、そんな開き直りを見せるとは思ってもみなかった。

 少なくとも朱音も蒼亥も、斎藤のことは教師として尊敬する面があった。

 それなのにこんな態度を見せられ、何か大きなものに裏切られるような気持ちに陥った。

「先生! 真衣が『呪い返し』で危ない状態なんです! 先生の力で『狐』を消して下さい!」

「知らんな。『狐』は『呪い』と化して三条の指揮下になっている。三条が『呪い』を解かない限り無理なんじゃないか?」

 真衣が意識不明の重体であることを知っていて、斎藤はそう言い放った。

 許せないという気持ちが朱音の心の底から湧き上がる。

 どんな理由であれ、真衣は『呪い返し』という責任を取っている。

 なのに斎藤は、『呪い』の全ての責任を真衣に押し付けているのだ。

 悔しさから、朱音は唇を噛み締めた。

 その時。



「朱音にとって彼は厄災?」



 不意に、澄んだ声が耳朶を震わせた。

 朱音と斎藤の間に、闇が……闇の塊が生まれた。

 闇色に反した真っ白な肌。薄紅色の唇をニンマリと持ち上げ、血のように赤い瞳を細めている。

 忌神クロが、そこに居た。

 彼は虚ろな目付きで斎藤を見ると、次に朱音の方へ視線をやった。

 口元は笑っていても、いつものふざけた様子は一切無い。

「ねえ朱音。彼は朱音にとって厄災?」

 同じ質問をされた。

 朱音はクロと斎藤を交互に見る。

 思い描いたのは真衣のこと。

 真衣は、朱音のために『呪い』を行使することを決めた。

 ならば朱音の答えは決まっていた。

「うん。私にとって厄災だよ」

 瞬間、クロの背中から大きな腕が生え、斎藤の頭をガッシリと掴んだ。

「うぐっ、あ……うあぁ!」

 何かオーラのようなものが、ベリベリと剥がされていくのが見える。

 しばらくしてその塊が、あの『狐面』であることに気が付いた。

「朱音の厄災はオレだけでいいんだ。オレ以外の厄災は一つもいらない」

「やめろ……やめろぉお……っ」

「おまえという厄災は消させてもらう」

「うあああああああああああ!」

 悲鳴というよりは絶叫だった。

 苦しむ斎藤など気にもせず、クロは容赦無く闇色の手で斎藤にまとわりつくオーラを……『狐面』を剥ぎ取った。

『グギッ、ギ、ギィイイ』

「さようなら」

『ギッ、ギャアアアアア!』

 つんざく獣の悲鳴が響き、朱音は覆わず耳を塞いだ。

 クロの闇色の手に掴まれた『狐面』は抵抗を見せるも意味は無く、しばらくもがいてはいたものの、闇色の手が力を込めた途端に弾けるように霧散してしまった。

「あ……あ……」

 そして遅れて、斎藤が白目を剥いて倒れこんだ。

「……おい。大丈夫なのか?」

 斎藤に駆け寄り、様子を見ながら蒼亥がクロに向けてそう訊ねた。

 クロは無視しようとしていたが、朱音からの視線に気付き仕方なく答える。

「命には別条は無いでしょ。ただし『狐』ごと妖力を剥いだから、その辺りはどうなっているかわからないけど」

 あまりにも恐ろしいことを軽い口調で言ってくれる。

 仰向けになって気絶する斎藤に、今しがた消え去った騒動の大元となる『狐面』。

 これを願ったのは自分自身だと、朱音はごくりと息を呑んだ。

「そんなに気にしなくていいんじゃない? それとも、もっと消してほしい厄災があるのかな?」

 誘うようにクロが耳元で囁いてきて、朱音は驚きながら数歩後退した。

「そっ、そんなんじゃないよ……」

 そうは言いつつも、クロの言う通り朱音は斎藤に対し何も思わないわけにはいかなかった。

 本当に、知る限りでは良い先生だったのだ。

 生徒思いで、何かと頼れる先生だった……けれど、だからこそエリート科の生徒と普通科の生徒の確執に思うところがあったのかもしれない。

 理事長先生たちなら、もっと上手く斎藤先生の気持ちに寄り添うことができただろうか。

 真衣のことで頭に来てしまったが、果たしてクロに任せたこの判断は正しかったのだろうか。

 様々な思いが、考えが、朱音の中を駆け巡った。

 そうして出てきたのは、言葉ではなく涙だった。

「っ……」

 ボロボロと、大粒の涙がこぼれ始める。

 ようやく騒動を解決できた涙であり、自分自身の未熟さを感じる涙でもあった。

 簡単には形容できない涙を零し続ける朱音を、クロはそっと抱き締める。

「泣かないで、朱音」

「無理ぃ……」

「じゃあオレが泣き顔を隠してあげるね」

 朱音をすっぽりと覆い隠し、クロは愛おしそうに朱音を抱き締める。

 かくして、『狐面』の騒動は幕を下ろしたのであった。

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