第六章①
その日、朱音はいつも通りに学園へ向かった。
いや、一つだけ違うことがある。それは、お弁当を二つ持っているということだ。
実はちょっと早起きをし、クロの分のお弁当も作っていた。
これが先日のクロの活躍に対するお礼なのだが……果たしてこれがお礼になっているのか、朱音はいまだに悩んでいた。
神様を含め、あやかしたちが食事をしている光景は何度も目にしたことがある。
ただ、クロが物を食べている姿はまだ見たことが無いため、もしかしたらこのお弁当も食べない可能性があるのだった。
だからお昼休み、屋上でクロに直接訊いてみることにした。
「ねえクロ」
「なぁに?」
「クロは食事ってするの?」
「必要じゃ無いからしないよ」
あっさりとそう言われてしまった。
一応、物が食べれないというわけではないようなので、ダメ元で言葉を続ける。
「あの……あのね? この間のお礼に、お弁当を作ったんだけど……」
そこまで言いかけた途端、クロから勢いよく抱き付かれた。
「朱音ぇ~! オレのためにお弁当を作ってくれたの? 嬉しい嬉しい! やっぱり朱音はオレの花嫁だねぇ~!」
「だぁああ! 引っ付かないでよ! 危ない!」
体格差がある所為で、クロから覆い被さるように抱き付かれていた。
スリスリと朱音の後頭部に頬ずりしながら、クロは朱音に怒られないぐらいでパッと体を離す。
そして両手を差し出した。
「ちょーだい、オレのお弁当」
とても神様としての威厳など無い様子で、手作り弁当をねだってくる。
改めてねだられると少し恥ずかしい気がしたが、朱音はそっと鞄からお弁当を取り出し、クロへと渡した。
「やったー! 金庫に保管しておこう」
「今すぐ食べてよ!」
「えー。食べたら無くなっちゃうじゃん」
「食べ物は味わってこそなんだから! それに数年後、金庫を開けたくなくなるような真似はやめて!」
本気か冗談かあまりにもわからなかったので、朱音はそうツッコミを入れた。
屋上には他にも昼休み中の生徒がいるのだから、あまり目立つようなことをさせないでほしいと心から思った。
クロはしばらく、お弁当を眺めては嬉しそうに笑ったり、掲げたり、見下ろしたり、やはりまた眺めたりを繰り返していた。
しかし朱音にジト目で見られていることに気が付いたクロは、ようやくお弁当に手を付け始めた。
「わあ、これ美味しい。さすがオレの花嫁」
「そういうのいいから」
とは言いつつ、作ったものを褒めてもらえるのはとても嬉しいことだった。
朱音は年相応に、思わず顔をにやけさせながら自分のお弁当に手を付けた。
そんな呑気なお昼休みを過ごしながらも、朱音の頭の片隅にあるのは黒幕の存在だ。
お弁当を食べ終えた朱音は、同じくご馳走様をするクロのお弁当箱も回収しつつ、その重たい口を開いた。
「あのね、クロ」
「うん?」
「今日の放課後……黒幕を追い詰めてみようと思うの」
朱音の横顔は決意に満ちていた。
そんな朱音を、クロは真面目な表情で見詰めていた。
「理事長先生たちにはもう話してあるの。ただ、最後まで自分の力で解決したいって言ったら、サポートするよ、って。だから蒼亥にも協力を頼んで、放課後に……」
そこまで言って、自分の手が震えていることに気が付いた。
あの人に黒幕だと突きつけることが恐くてたまらなかった。
そんなことはないと信じたい気持ちと、白竜のアドバイスに沿うならどう考えてもあの人に怪しいところがありすぎるという気持ち。
朱音は一晩かけて覚悟を決めたが、それでも迷いが全く無いわけではなかった。
「……朱音」
そんな朱音の手に、クロは優しく触れる。
「こういう時、何て声をかければいいのかオレにはよくわからないけど……どんな朱音であろうと、オレは愛しているからね」
「……そっか、ありがとう」
クロなりの労わりに、朱音は微笑を返す。
「クロ……放課後、もしも『狐』が出たらその時はお願いね」
「もちろん」
そうしていくつかの授業を終え、ついにその時がやってきた。
放課後。校舎にはまばらに生徒が残っている。
そんな中、朱音が職員室へ入ると、残っている先生もほとんどいなかった。
だがそこに斎藤先生の姿があり、朱音は意を決して彼の元へと近付いた。
「斎藤先生」
「おお、どうした?」
採点を切り上げ、斎藤は朱音の方を向く。
「あの……一連の騒動の犯人がわかったんです」
「なに……?」
「轟先生が犯人だったんです」
「なっ……」
予想外の言葉だったのか、斎藤は目を見開き、一度辺りを見回した。
他に数名の教師の姿があり、斎藤は悩んだ末に立ち上がった。
「場所を移そうか」
「はい」
斎藤に誘導されるまま、近くの会議室へと朱音は連れていかれる。
部屋に入ると、しばし二人は無言だった。
先に口を開いたのは斎藤の方だ。
「一連の騒動ってのは、『狐の呪い』の話だよな?」
「そうです」
「犯人がわかった、って……三条の他に、ってことか?」
「はい」
「それが轟先生だっていうのか?」
斎藤はまだ疑っているようだった。
だが、朱音は真っ直ぐと斎藤を見つめて話し始めた。
「この間、夜間の学校で襲われた時、『狐』が撤退してから轟先生は現れたんです。タイミングが良すぎると思いませんか?」
「そうは言ってもな……あの日は轟先生はたまたま居残りなさってたんだ。それだけで疑うのはよくないぞ」
「でも、その前にも私に何か探りを入れようと質問をしてきた時もありました。わざわざ荷物を運ばせて。そんなことをするってことは、犯人として何か私から情報を聞き出そうとしてたんだと思います」
「うーむ。そうは言ってもなぁ……」
決め手に欠けると感じているのか、斎藤は腕を組んで唸るように首を傾げた。
そこに、朱音は追い打ちをかける。
「それに犯人がわかる証拠を掴んだんです」
その言葉に斎藤の顔付きが変わった。
「証拠……?」
「はい。まだ検証中で轟先生だと判明してませんが、今日この後、これを蒼亥の『狗』に確かめてもらうつもりなんです」
そう言って朱音は、鞄から小さな布切れの入った透明な袋を取り出した。
「それは……?」
「犯人が現場に残したと思われる布です。これを蒼亥の使役する『狗』にニオイを確かめてもらえば、きっと轟先生のニオイが出るはずです」
「……なるほど」
驚いたような納得したような、そんな表情を斎藤は浮かべた。
「ところで鬼ヶ華。あの忌神はどうしたんだ? 今日は一緒じゃないのか?」
「クロですか? クロなら今は、理事長先生のところに行ってもらってます。轟先生が犯人だと思うって、伝えてもらってるんです」
「そうか」
「でも轟先生が犯人だなんて……本当は私まだ、信じたくないです……」
悲しげな表情を浮かべながら、朱音は鞄へと証拠品を戻すために斎藤へと背を向ける。
窓からは夕暮れが綺麗なほどに映っていた。
そして同時に、朱音の背後から襲い掛かろうとする斎藤の姿もまた、窓に反射し映り込んでいた。
しかし。
「ぐあっ!」
悲鳴を上げたのは斎藤の方だった。
斎藤の振り上げた腕には蒼亥の『狗』が噛み付いており、斎藤が後退するのを見て噛み付くのをやめていた。
噛まれた腕を抑えながら斎藤が顔を上げると、いつの間にか蒼亥の姿が室内にあった。
蒼亥はこれ以上無いほど冷ややかな視線を斎藤に向けている。
「なっ……何をするんだ鬼ヶ華! これは何の真似だ」
「それは斎藤先生、貴方の方ですよ」
蒼亥は『狗』の殺意を斎藤に向けたまま冷たい声でそう言い放つ。
そして。
「……斎藤先生」
先程よりも悲しげな顔で、朱音は、一度奥歯を噛み締め、そうして告げた。
「本当は斎藤先生が、一連の騒動の犯人なんですよね?」
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