募金王

下北沢候二

募金王


 北の県で巨大な地震があった。

 おおくの人が死んだ。

 ボランティアがおおぜい北の県に向かった。

 でもその手前で交通が遮断されていた。

 駆け付けられない人間は、募金をすることになった。

 Xはそのボランティア会社V の事務スタッフだった。

 全国から募金を集め、その金を被災地にもっていく。

 実際には困ってる人々の、銀行口座に振り込むだけなのだが。


 Xは被災地がなかなか復興できないのを目の当たりにした。

 募金が足りないという現実に直面した。そこで知恵を出し「被災地募金」の広告を打った。「被災地を救いたい」という広告だ。涙を誘う歌手に高い印税を払い、巨匠の映画監督を連れてきて、誰が見ても、被災地に募金をしたくなるようなCM。予算はかかったが、これはなんとか成功した。その証拠に、小学校の子供までが、なけなしのお小遣いまでもを募金した。

 だがそこから、少し変化が始まった。

 ボランティア会社Vは、募金額から一割の利益を取っている。これは元々募金の総額から設定した。何人ものスタッフの稼働に必要なために最低限のお金は必要なのだ。都内で事務所も必要だし、アルバイトにも安くない最低人件費がある。それなりに苦しい台所だった。Xは毎年この収支に悩んでいた。

 北の県の巨大な地震は復興が進まず、募金が不足していた。テレビ広告を打ったのはそういう苦肉の経営の中での発想だったが、Xはその作業の中でふとあることに気がついた。-----募金のが増えると言うことは、と定めたボランティア会社Vの収益もその分増える。別に会社は雇用を増やすわけではなく、支出は増えないのである。要するに募金の金額は大きい方がいいのだ。

 CMをわざわざ作ったのなら、もっともっとテレビで放送し募金額が増やすべきではないか-------。

 面白いものである。通常なら、大地震から75日も過ぎれば、人々は別のことを考え始める。募金など飽きられてしまう。でもそこでもう一度CMを流すと、また募金が始まったのである。テレビというのは不思議な道具である。募金の総額は増えた。テレビ広告を打つたびに増えたのである。当然、募金の総額が倍になると、利益も倍になった。五倍になれば利益も五倍だ。単純計算すればボランティアアルバイト全員の給料を五倍にできる。しかし、彼らはアルバイトだし時にはほんとうにボランティアなのである。

 自分のボーナスはやりずらいが、経費や出張の旅費などいろいろが水増しできる。

 Xはそのことに気がついた-----。

 

 そもそも簡単なことだった。

 募金が増えると自分達の組織も儲かるということを今まで考え忘れていたのだ。経営の才能を自分に感じ、Xはを頑張ることにした。(彼がここでいうが実際に何を指していたのかは不明だ。)これまでは非営利団体ののんびりとした、被災地支援のボランティアの会計担当者が、資本主義的な経営手法に気がついたのである。

 利益を出すことは面白い。

 Xはもともと理系の出身だったが、経営的視点で、ボランティア会社を分析しなおした。

 すると、一番勿体無いのは、被災地のCM作りとテレビのCM枠の代金だ。テレビ広告を打てば募金は増えるがそれなりに金がかかる。根が貧乏性であるXは少しずつ、莫大な金がかかるテレビ広告の支出が気になり出した。

 そんな時に今度は西のエリアで大雨が降り崖崩れがあった。これも大勢の家が流された。テレビでは毎日避難住居に暮らすお年寄りが報道された。そこでXは、とある交渉に打って出た。

「今回の被災地「」大変です。まさに国民みなさまの助け合いが必要です。この国は一つですから。ついては、放送局さん、今回のCMの枠は、お安くなりませんか?もしくはキャンセルで空いた枠にタダで出せませんか。」

と放送局に声をかけ始めたのである。また広告映像の制作の方も

「映画監督さん、映画俳優さん、ボランティアで出れませんか。とても世の中を感動させて有名になるCMを作れますよ」

と姑息にも前回採用を見合わせた二番手の監督や俳優に話を持って行った。交渉をしてみたところ、意外と雲行きは悪くなかった。

 どうやら、この国の人間はみんな募金と言われると、頭が上がらない。結果、ほとんど安くなり、ひどい時は全てのスタッフが、ボランティアになった。被災地もボランティアなのだから、と言う空気の説明をXは繰り返し使った。

 さらに、Xはこの考えを進めた。

 放送局の枠は実は、災害の後に、お安くなることに気がついたのである。

 理由は簡単で、CMがキャンセルになるのである。

 被災地で大勢死んでるのに、ビールで乾杯もできないし、車が津波に流されてるのに自動車のCMも打てない。何より、楽しい広告は、死者が大勢出てる時節には相応しくない。それで企業はCMをキャンセルする。そこで放送局はしばしば、空いてしまった枠を半額でいいから売り直したいのである。それでもたくさん枠は余る。Xは半額では満足せず、〇円に近い値段で大量に購入する約束を考え出した。ひどい時は次の震災の時にゼロに近い値段で一億円用意するというような、大恐慌で株を買い付ける財閥のようだった。九割引なら十億円の枠を買ったのと同じである。

 それだけではない。実は災害時に募金の広告は抜群の効果があるのである。特にテレビの場合、ほとんどのニュースやワイドショーが地震や災害の報道ばかりになる。親を失った子ども、子供を失った親、学校を失った小学生。たくさんの悲劇が報道され、その後に、決まってXの作った「巨匠映画監督の作る涙を誘う被災地募金のCM」が流れた。サッカーの試合のハーフタイムにサッカーのユニホームのCMを流すのは莫大なお金がかかる。それは効果があるからである。それに引き換え被災地の報道の合間の募金の広告は、枠代も底値なら、制作費も全部ボランティア価格であった。

 Xは出世した。

 震災が来るたびに、この会社Vは儲かったのである。

 


 Xは貪欲だった。いや、資本主義は、貪欲にできている。儲かっても更なる利益の追究は忘れなかった。まだまだ見直して、安くなるもの、効果の出るものは、導入する。それが彼の性癖である。

 Xはあるとき、県ごとの「募金率」を調べた。

 簡単である。その件の平均年収と、平均募金額の比率を出せばいい。

 A県がいつも比較的に多かった。大都市に近く、裕福で、教育がさかんなA県は募金をしたくなるらしい。

 逆にC県は少ない。田舎で年収が低く、心が荒んでいるのかもしれない。

 そこで、Aの広告予算を増やし、Cを減らす実験をしたら、全体の売り上げが上がった。面積最大化の、簡単な数学・算数である。

 PDCAである。

 そうやって、限界までこの国の被災地に発生する、人間の善意を調べ直し、収益をさらに増やした。また、募金が巨額になっていく時、一割の手数料も少しずつ上げてみたが、気づかれず、二割を超えていた。大金が振り込まれる時に被害者は手数料などみないのである。何もかもうまくいった。


 そんななか、北の国境の向こうで、つまり異国で、世界的な山林火事が起きた。

 最初は自分の国ではないと思っていたが、ふと、海外にも募金ができることに気がついた。ちょうど、災害が少ない時期だったので、募金額が前年を割っていた。Xは、海外への募金を、募集開始した。

 また巨匠映画監督を探し、芸能事務所の社長を接待して若い女優を無料で頼み、ずいぶんりっぱなCMを作った。「国境なき募金」キャンペーンである。「愛は国境を越える」のである。そんなことを語ったCMだった。

 この企画も素晴らしく成功した。Xは募金というのは自分の住む国だけでなく、人類共通にある程度の心を揺さぶることに気がついた。もちろん海外の送金のどさくさに紛れて、二割ではなく四割の手数料をとった。知らない国で自分の募金が何に使われてるか?を調べる奴はいない。募金は募金した時点で、シュワっと消えてお賽銭のようにその先は見えないものなのである。募金したその瞬間、正義の慰めで完結しているのだから。お賽銭の行く末など誰もみてはいけない。

 次の手は簡単だった。

 県の比較で成功したことを、国家レベルにしたのである。

 つぎつぎと海外支店を作っては、その国の広告会社と連携した。単純なビジネスモデルである。悲しいことがあったらお金を募金しましょう。国内でも海外でもそのメソッドは持っています-----。


 これも成功した。

 当然だ。県単位のPDCAが国単位になっただけ。募金をする人の多いMの国での広告を増やし、募金などの余裕のないNの国の広告を減らす。計算は同じだ。A県の成功事例と同じで、とにかく一番利益が出るように計算する。

 やがてV社は世界的な募金会社になって上場した。

 資本主義的にはゴールであろう。

 Xは当然その利益も莫大にせしめている。無論、毎年、株主は恐ろしい金を手にしたし、経営者としてXのサラリーは巨額を極めた。それでいて、世界に良いことをしている、というブランドでXは常に気分が良い人生を送っていた。

 とはいえ、この会社は何も物を作っていない。災害を見つけては、募金をテレビで誘発し、金を右から左へ流すだけである。それには必ず、災害や、不幸な人たちが必要だった。株主を含め、このことにほとんどの人間は無頓着だったが、Vという会社の収益は、と、あがるのである。


 ふと、地震と、山林火事が二年ほど発生しなかった。

 Xは明確に気がついた。悲惨な事件がないと、売り上げが上げられない。実は、ボランティア会社V は災害がないと利益が出ないのである。いまや巨額の収益を誇るVは利益が減るとたいへんだ。全世界に優雅に設置したオフィス代も各国の支社長の給与もバカにならない。悲劇が少ないと、簡単に会社は危機になった。株価が暴落しかねない。


 Xは、困った。

 Xは社長になっていたから、株価が暴落すれば自分は首である。世界的な企業は経営者には厳しい。サッカーの監督みたいなものである。困ったことになった。最近二回目の結婚を女優としたばかりである。愛人も似たような女優で複数囲っている。意外と金はあればあるほど使うのである。女優は旅行ひとつするのにも、べらぼうな金がかかるし、金がなければ他の金持ちの元に逃げてしまうのは目に見えている。女優を斡旋する業者からは、いろいろと言われた。

「まあ、すぐに、地震か、山火事、台風あたりが来るだろう。」

Xは、最初は楽観視していた。ただ残念なことにまだなかなか悲劇が来なかった。地震も台風も、全くと言って良いほどない。そうして三年目を迎えた。ある意味人類には幸福な三年であったが-----。


 ある時から、社長室にすこし冷たい顔をした業者が出入りするようになった。

 秘書もその業者は何者かはわからなかった。

 Xは焦っていた。

「社長、ということで、企画の件です。」

「ああ、前向きにいこう」

「ありがとうございます。」

「しかし、そうか、そういう仕組みだったのか」

「そうです。簡単なことです。災害や悲劇は経済的にはこの上ない収益のチャンスなのですから。」

「そうだね。いつ発生するかわからない地震よりも、このほうがいい」

「はい。いちおう、作戦コストと言いまして紛争を起こすためのいくつかの前金はお願いします。」

「その、大丈夫なんだろうね」

「もちろんですよ。災害の比ではないですから。戦争の悲惨さは。しかも、何日も、何年も続きますから御社の収益も安定しますよ」

「なるほど。」

「歴史を見てください。二倍三倍なんてケチくさいことは言いませんよ。どこか遠くで戦争が起きてくれれば、この国の人間はいくらでも募金するようにできている。そして何よりあなたはメディアの使い方を知っている。」

「それはよかった。」

「まあ、定期的にやっていきましょう。しばらくは大丈夫です。」

「しばらく?」

そこで目の冷たい男は言った。

「いや、このノウハウを他の人も学び出すとね、そもそも遠くの戦争ではなくなるかもしれないので。まあ、空襲とか、最悪の場合は原爆とかね。歴史でも知ってると思いますが…そうなると、募金する余裕がこの国になくなるんですよ。まずは、ここからは、ちょっと遠い、例のU国のあたりでやってみます。」

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募金王 下北沢候二 @shimokitazawa5

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