金魚蜂

蒼開襟

第1話

 炎天下の昼の後、ほんの少し夕立ゆうだちがあって涼しい風が吹いている。

冷房が壊れたままの彼女の部屋で彼は異国の慣れない暑さに戸惑いを隠せずに、竹でできた敷物の上にべったりと寝転んでそよそよと動いている扇風機にあたっている。



『暑い・・・僕、インドは行った事あるけど日本の夏はこう蒸暑いね。』

 そう言って、団扇うちわで扇いでいる彼女の顔を見ると眉を下げて頬を膨らせた。



『いいなあ・・・君は慣れてるから今でも涼しいでしょ?』

 ごろんと寝転んだまま彼は彼女の座っている方へ体を向ける。



 彼女はテーブルに肘をつき、団扇で扇いでいた手を止めて彼を見下ろすと、片手を伸ばして扇風機の頭を少し下げてやった。

『そんなことないよ。私も暑いのは暑いかな。』



 そよそよと彼の前髪が揺れ始めると、彼はさっきよりも涼しげな顔をして言う。

『やっぱり君を連れて避暑地リゾートへ旅行に行けばよかった。』



 今日で何回目の言葉だろう。彼女は苦笑いをしながら、ふと顔を上げてサイドボードの上のカレンダーを見る。


 カレンダーの日付には予定として夏祭りと書かれている。ああ、そうか。と彼女は微笑むと彼に問いかけた。

『ねえ、お祭があるのよ。行ってみる?』



 彼はぱっと目を見開いて起き上がると、わくわくした様子で彼女の手を掴む。

『お祭って、日本のおフェスタ?花火とか?』

『そうそう。花火とか、屋台・・・えっとその時にしか出てないお店とかもあるのよ。行ってみたい?』彼女がにっこり笑うと、彼は大きく頷いた。

『勿論。行きたい。』





 カラコロと足元で音色を奏でながら、二人は夜道を歩いている。もう遅い時刻だが、今夜は特別と子供たちは嬉しそうな顔をしてぱたぱたと走っていく。

通り過ぎていく少女たちは愛らしい浴衣を着て何だか楽しそうだ。



『フフッ。』彼はさっき彼女に着付けてもらった浴衣が嬉しいのか両手を広げて見たり、足元の下駄を鳴らしたりしている。

『そんなに喜んでもらえて、用意しておいて良かった。』

珍しく日本に滞在すると聞いていたので、彼女はとりあえずと男性用の浴衣を用意しておいたのだ。異国な顔立ちながら、なかなか似合うのは不思議な気もすると彼女は苦笑する。


『ありがとう。浴衣を着せてもらえるなんて思わなかったから。ねえ、さっきから思っていたんだけどね。』

彼はにこにこと笑いながら、そこに立ち止まった。彼女は立ち止まった彼に釣られて足を止める。

『どうしたの?』



『うん、女の子たちもお父さんやお母さん、お婆さんたちも浴衣着てるけど、色んな柄があるんだね。すごく素敵だね。ほら、あの子はトンボだ。』

嬉しそうに小さな声で指差して、トンボ柄の浴衣を来た少女を目で追う。

『そうね。色んな柄があるのよ。貴方が着ているのは落ち着いたトーンのものだけど、私が着ているのは白地に赤い花でしょう?』

『うん。日本はこういった文化があるから素敵なんだね。それに君も凄く素敵だ。』

口元を緩ませて彼は彼女の耳に唇を寄せると呟いた。



『さっきから色んな人を見てるけど、やっぱり君が一番綺麗だと思うよ。』

急に褒められて彼女は俯くと顔を赤くした。

『もうっ。』

彼は照れたままの彼女の手を繋ぐと、今度は少し足早に歩き出した。




数メートル先では煌々こうこうと灯りがつき、にこやかな人々がそこへと吸い込まれている。

雑踏の中、彼は両端にある屋台に目を泳がせている。喧騒けんそうに良く似た音と共に、香ばしい匂いや甘い香り、そしてむせ返る人の汗の匂いが鼻につく。けれど、そんな不快なものですら陽気な気分のせいか気にならずにいる。

彼女は右手奥にある金魚掬いを見つけると、彼の袖を引っ張った。



金魚掬きんぎょすくいがあるよ。』



薄い紙を貼った丸いものを水につけて子供たちが金魚を掬っている。傍まで来ると彼は興味深そうにそれを見る。

『へえ、ああするんだね。あれは貰えるの?』

『ええ。貰えるのよ。』

彼が自分の足元にしゃがみ込んで金魚掬いをしている少女の手元をじっと見始めると、近くの空で花火が上がる音がした。



ワッと歓声があがり、人々が花火の良く見える場所へ流れ出す。二人も少し高台になっている場所へ移動すると、そこで夜空を見上げた。

『凄いね。僕の国でも花火はあるけど、こうしてお祭ごとに上がるのも凄いな・・・あ、見た?今ハートの形していたよ。』



彼は花火の色に染められながら、白い歯をこぼす。その顔を見て、一緒にこられて良かったと彼女は思った。次々と上がる打ち上げ花火。夜空は一瞬ごとに明るくなると、また色を変えていく。轟音と共に花を咲かせるとまた儚く散っていった。



花火が終わって、一通りまわり終えると家路に着く。少し疲れた顔をした彼は大きく息を吐いた。

『楽しかった。また来たいなあ・・・。』

右手には馬をかたどったべっ甲飴こうあめが揺れている。

『そうね。また来ましょうね。』

彼女の言葉に彼が微笑むと、またカラコロと下駄を鳴らしながら人気のない道を歩いていった。後ろではまだ祭は続き、楽しげな音が耳に響いている。

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