月夜の破れ寺

森新児

月夜の破れ寺

 夕日が血のように道を赤く染めていた。

 深編笠のサムライは荷物を持たせた小僧とともに先を急いでいた。

 ふもととはいえ山路は日が暮れるのがはやい。


(暗くなる前に宿に入っておきたい)


 とサムライが思ったときだった。


「お?」


 人のいない道のはたに、赤い着物を着た女がしゃがんでいた。

 顔を伏せて泣いているのだ。

 逢魔が時に若い娘が一人でこんな場所に、と不審に思いながらサムライは深編笠を持ちあげた。

 右目が糸のように細く閉じた片目のサムライは、男らしい低い声で娘に声をかけた。


「これどうした?」


「あい」


 声をかけられ娘は顔をあげた。

 やつれて肌は汚れているが、ひなにもまれな美しい顔だちである。

 娘はいった。


「親が殺されたのです」


「だれに殺された?」


「化け物に」


「ほう」


 興味を持ったサムライがくわしい話を所望すると、娘はこんな話をした。





 きのうの夜でございます。

 道に迷ったといって一人の若い女がわたしの家を訪ねてきました。

 こんな時間に女一人でと母は気味悪がりましたが、父は親切な性分なので女を家に泊めてやりました。その女が夜半化け物に豹変して両親に襲いかかりました。

 血を吸われて両親は灰になりました。

 わたしは家から飛び出し、女があとを追ってまいりました。悲鳴を聞いた近所の人が鍬や棒を持って駆けつけましたが、女はその人たちの血も吸い灰にしました。わたしは一人で逃げ出しました。あの村で生き残った者は、わたし以外にいないと思います。





「奇怪な話だ」


 サムライはとっさに腕組みして考え込んだ。


「しかし村人が全滅したと考えるのは早計だ。西洋には人の血を吸う吸血鬼がいると聞く。人の血がエサなのだ。エサだから満腹すればそれ以上殺す道理はない。娘、村へ案内してくれ。まだ生き残った村人がいるかもしれん」


「おサムライさま」


 娘は顔を輝かせた。


「だんな」


 と、そこで荷物持ちの小僧がサムライのそでを引いた。


「村へ行くんですか?」


 小僧はサムライを脇にひっぱると小声で尋ねた。


「うむ。窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さずというしな」


「やばいですよ。ほんとに化け物がいるとは思えねえ。あの娘はへんな夢でも見たんでしょう。頭がいかれた娘につきああうのはぞっとしねえ。それにもし本当に化け物がいたらいたでやっぱりやばい。だんなが凄腕なのは知ってるけど化け物相手に新陰流が通じるとは限りませんぜ」


「しかし見捨てるわけにもいかん。城太郎じょうたろうおまえはここで待っておれ」


 そういいながらサムライは右手をすー……と動かした。


「だんなは?」


 といいながら、小僧はそっと自分の胸を撫でた。


「娘と一緒に村へ行く。化け物退治じゃ」


 サムライはあいている左目でかなたを見つめ、きっぱりそういった。





 ひょうひょうと夜のしじまを切り裂く獣の声が聞こえる。

 深編笠のサムライは娘に案内され、日が暮れた暗い道を歩いた。


「こちらです」


 案内しながら娘は時折よろけてサムライによりかかり、たわわな乳房やむっちりと張った尻を男の逞しい体に押しつけた。

 サムライはなにもいわなかった。


 山のふもとの道に人家は絶えていたが、さいわい満月が出て足もとは明るい。

 この明るさなら相手が多数であってもおくれをとることはない、とサムライが心強く思ったとき、また「ひょう」と獣が鳴いた。


「さっきからしきりにぬえが鳴きおる。不吉な」


「おサムライさま」


 そのとき先に立って歩いていた娘が前方を指さした。


「あれでございます」


 娘が指さしたのは使い古した傘のように、ところどころ屋根に穴があいた廃寺であった。


「村を出るとき女が村人をあそこへ押し込めるのを見ました」


「わかった。おまえはここで待っておれ」


 サムライはそういうとその場に深編笠を置き、一人で寺へ向かった。

 娘は瞠目した。走っているのに、サムライの足音がまったくしない。

 短い階段をひらりと駆けあがり、サムライはお堂に侵入した。

 あいている左目を細めなくても、過酷な修行を積んだサムライには闇が見通せる。

 闇の向こうに、村人の姿はなかった。

 ただ巨大な黄金の観音像があった。

 その観音像の前に、青い着物を着た女がうずくまっている。


「……」


 サムライはすらりと腰の刀を抜いた。

 屋根からさす月の光を浴びて刃が青い光芒を放つ。

 刃が届くところまで無音で近づき、そこでサムライの足はピタッと止まった。

 観音像の前にうずくまった女の姿勢が、にわかに崩れた。

 あおむけに倒れこちらに顔を見せたのは、灰色の肌のミイラだった。


(しまったおとりだ)


「カーミラさま」


 そのときお堂の入り口に姿を見せた娘が、けらけら笑いながらいった。


「エサをお連れしました。誉めてください」


 屋根からさす月の光にさっとムササビのような影が走った。

 サムライは影を斬った。


「ギャッ!」


 悲鳴をあげるとその女はうしろへ大きく飛んだ。

 床に片手が落ちている。

 残った手で傷口をおさえているのは白人の女である。

 女は一糸まとわぬ裸だった。


(天井の格子をつかんでひそんでおったのか。本物の化け物じゃな)


 とサムライはあきれた。

 おびただしく血をしたたらせた、凄惨な姿である。

 しかし月明かりに照らされた裸の女は、ぞっとするほど美しかった。

 豹のようにしなやかな肢体だが豊かな乳房や、日本の女では絶対見られない逞しい腰の張り具合に、蜜が滴るような官能が宿っている。

 長い金髪を振り乱し、青い目でサムライをにらみつけると女は呪文を唱えた。


「エコエコアザラク、エコエコザメラク

 エコエコケルノノス、エコエコアラディーア……」


(おお)


 サムライは驚嘆した。

 見よ、切断された女の右腕が、呪文とともにみるみる生えてきたではないか!


(これは)


「斬ってもわたしは死なぬぞ」


 とせせら笑った次の瞬間、女の姿がサムライの視界から消えた。


「消えおった!」


 サムライは初めて慌てた。


「おほほ!」


 娘が笑う。すると


十兵衛じゅうべえさま!」


 天井から子どもの声が聞こえた。


「影です!」


 天井の格子にぶらさがった城太郎がいった。


「女は影にひそんでいます!」


「死ね!」


 女の絶叫がお堂にこだまする。

 足もとにやどった月影に、柳生十兵衛は愛刀三池典太みいけてんたを向けた。


「ぐえ!」


 次に聞こえたのは、女の悲鳴だった。

 影の中からぬーっと立ちあがった女の乳房の谷間を、三池典太はまっすぐ貫いた。


「吸血鬼は心臓を貫かれると灰になる。そう天草のキリシタンに聞いたでの」


 十兵衛が語っているうちに、女はすー……と灰になり、闇に散った。


「きええ!」


 奇声をあげて飛びあがると娘は十兵衛に襲いかかった。


「痴れ者」


 といって城太郎は天井から棒手裏剣を投げた。


「ぎゃっ!」


 手裏剣で心臓を貫かれ、娘は空中で灰になった。


「凄腕はおれじゃない。おまえだよ城太郎」


 閉じたままの右目に浮かぶ汗をぬぐい、片目の剣豪柳生十兵衛は自分の足もとに片膝ついた従者に礼をいった。


「おまえがいなかったらわしは死んでいた、ありがとう。さすがは飛燕の城太郎、次の服部半蔵に指名されているだけある」


「伊賀者の当然のつとめにございます。この山里で次々旅人が行方不明になる事件は、この女と娘のしわざであったのでしょうか?」


「うむ、そうでまちがいない」


 十兵衛は堂内を見わたした。


「生きてる者はだれもおらぬ。この村は女と娘にとっくに滅ぼされておったようだな」


 十兵衛はそういうと目を閉じ、黄金の観音像を片手で拝んだ。


「ではこの事件は解決ということで?」


「うむ。城太郎、疲れておるか?」


「いささかも」


「そうか。わしが一足おくれたゆえにこの村は滅びた。こんな悲劇は繰り返しとうない。次の事件の依頼は?」


「次は……」


 城太郎はふところから巻物をとり出すと、月明かりでそれを読んだ。


「おお、この山向こうの里で七歳未満の女の子ばかり神隠しにあう事件が起きております」


「怪しい話じゃな。これからそこへ向かおう」


「はい!」


 二人が去ると、また荒野で鵺がひょうと鳴いた。

 一人堂内に残った黄金の観音像は鵺の声を聞きながら、静かにほほ笑んだ。

 柳生十兵衛と飛燕の城太郎の妖怪退治の旅は、かくして続くのであった。


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