生まれ変わるは元の自分たち

犀川 よう

生まれ変わるは元の自分たち

 迂闊にも、九段の大先輩にコウ争いで負けしてしまい、頭を下げて投了する。念願の囲碁棋士になったとはいえ、いつものようなパッとしない一局に、私は気合を入れる為にと普段は履いていない黒のスカートの裾を握った。大先輩は「序盤は良かったのに残念だったね」と、お人柄の良い人らしい感想を漏らしてくれたが、私はもう恥じるしかなくて、感想戦で自分が何を言っているのか、よくわからなくなってしまう。プロになってもう三年が経つが、私の棋力は限界だと、自分でもわかり始めてきていた。

 頭を冷やす為に市ヶ谷の本院を出ると、門の前で同期の彼が空を見ていた。彼もまた停滞していて、私と同じように後輩たちに段位を抜かれている。恐らく私と同じように負けたのだろう。私は彼の傍に寄ると、彼は苦笑しながら「負けたよ」と言った。「私もよ」と返すと、何も言わずに力の無い笑顔を見せてきて、少しだけ胸が騒めいた。――私は彼の細身で中性的な姿を密かに愛していて、女性のように睫毛が長くて目も綺麗な彼に、ずっと想いを寄せているのだ。


「俺、YouTuberになろうと思うんだ」

 えっ、と思った。いきなりすぎて、何を言っているのか理解ができなかった。彼はそんな私の顔を見て、フフと笑う。

「君もそんな素直に驚く顔をするんだね。対局時は、どんなに劣勢でも表情を変えないのに」

「当たり前よ。いきなりYouTuberになりたいなんて言うんですもの。あなたはそんな目立つような事をしたいなんて、言う人ではないと思ってたのに」

「まあ、今まではそうかもしれないね」

「本当にわけがわからないわ。どういう事なのか、説明をしてよ」

 私は本院の練習室へと彼を誘うと、彼は黙ってついてきた。


 彼も私もデビューは鮮烈だった。彼は初年で新人王戦に優勝し、私は女性棋士としては奇跡的な連勝記録を打ち立てた。彼とはプロになる前の院生時代からのライバル関係で、今もこの本院で切磋琢磨している。彼とは会話をする以上に、碁盤の上で互いを語ってきた。もう五年以上、彼とは方円を通して理解し合っているのだ。だから、今日も彼とは対局を通じて、その説明を受けようと思う。適当な場所に座ると、私は彼に白の碁石を渡す。互いに礼をしてから、私は4の四の右上隅の星に黒石を打った。

「囲碁のYouTuberになるの? 他の棋士たちのように?」

「違うんだよ」

 彼は素直に左下隅の星に白石を打つ。中性的な彼でも、細いけれどゴツゴツとした手と怒り肩が、男性であることを証明していた。

「じゃあ、何のYouTuberになるの?」

「知りたい?」

「まさか!」

 素直でない私は、喧嘩をしかける布石の準備をすると、彼は笑いながら「何を怒っているの?」と言った。

「だって、急なんですもの。あなたはいつだってそう。プライベートな事は、私に何も言ってくれずに決めてしまう」

「そうだね。そうかもしれないね」

 彼は穏やかな口調と棋風で、私に返事をする。

「俺はね、料理系YouTuberになろうと思うんだ」

 私は次の手を考えるのを放棄した。というよりも、思考を止められてしまったのだ。彼がストレス解消を兼ねて、趣味で料理をするのは知っている。だが、まさかそれでYouTuberになろうとは、あまりにも突飛すぎるではないか。

「囲碁棋士として料理系YouTuberになるの?」

「いや、囲碁もう、辞めるよ」

 彼は戦いに入る前に、打つのを辞めてしまった。

「退会届を出すよ」

 彼はすっきりしたような表情をして言いきった。私はこれが彼との最後の対局になるのがどうしても嫌で、黒石を持つ、彼のあの男らしい手を掴んで、無理矢理に私と戦う為の手を打たせた。かやの碁盤に危うく涙を落としそうになりながら。


 スマホの中で楽しそうに料理をしている彼は、まるで別人のようだ。最初は本気でYouTuberで生活をしていくのが信じられなかったが、彼のやり方と再生数を見て、私は納得した。これが彼の生き方の転換なのだろう。なるほどと、思わず唸ってしまう。

 彼はその容姿を活かして、アイドルのようなひらひらとしたドレスを纏って料理をしていた。男性らしい怒り肩はそのドレスによって隠され、あの無骨な手は調理用のゴム手袋で上手く誤魔化されていた。彼は自分が男性であるとは名乗らず、あくまでも女性としてYouTuberをしている。確かに、長い髪のウイッグをしていると、とても美人の女性に見える。恐らく、私以外では彼が男性であるとはわからないであろう。もともと細かった脚に白いニーソを履いていてより女性的に見えた。どこで覚えたのか、化粧も抜群に上手だ。もしかしたら、チームを組んで撮影しているのかもしれない。

 私は彼を院生時代から知っている。彼の事なら何でも知っていると思っていたし、そうありたいと今でも思っている。どんな小さなものでもいい。どこかの棋戦で優勝できたら、彼に告白するつもりでいた。女っ気のすべてをかなぐり捨ててこの世界に身を投じてきた私には、恋愛などどうすれば良いのかわかるはずもない。ただ、何かのタイミングがあれば、上手に告白できると思っていたのだ。

 最新の配信をスマホで見ると、プリンを作っていた。その所作が最初の頃の配信よりも更に女性らしくなっている。丹念に脱毛された脚を綺麗につつむ白いニーソが女性であることを主張していた。彼女の動きは肩からではなく腰から始まっていて、色気すら感じる。私はプリンと彼女のニーソを見て、二つの嫉妬を覚えた。――そのプリンを食べたのは私だけなのにという気持ちと、悔しいとすら思える、彼女の美しさに。


 ようやく巡ってきた棋戦も初戦で無様な敗戦となり、感想戦まで終えると、私はトイレに駆け込んで大声で泣いた。あまりにも不甲斐なさすぎて、自分に腹が立ったのだ。心中を察してくれたのか、最初から洗面台にいた先輩棋士がそっと背中を擦ってくれると、私の惨めさは更に拡大してしまい、先輩棋士に抱きついてしまった。先輩棋士はよしよしと励ましてくれる。その優しさを心地良く思ってしまった私は、自分がプロでやっていくことはもう無理だと、観念をした。

「――お世話になりました」

 先輩棋士にそう言うと、私はそのまま本院を出た。


 心機一転を図るべく、まずはさっぱりしたいと、市ヶ谷駅の近くにある見知らぬ美容院に飛び込んでみた。私を見た一人の女性美容師が何となく事情を察したのか、私を優しく席へと案内してくれた。既に予約客の対応をしているのにもかかわらずに、だ。

「アナタ、素材はかなりイケてるのに勿体ない。よし! アタシがもっともっと美人にしてあげましょう」

 女性美容師はそう言いながら、予約客を手早く仕上げると、私の方に来て、「さて、今日は久々に気合入れて、メイクまでセットでやりますからね。覚悟をしてくださいね」なんて笑いながら、適当な雑誌を手渡す。終わってみたら、自分で言うのもなんではあるが、私は生まれ変わったかのような美人になっていた。おしゃれなんて他人事だった私には、衝撃的な光景が鏡越しに広がっている。

「ホラ、やっぱり女は綺麗でいないと」

 女性美容師は得意げな顔をしながら私の肩を叩いて、「これで新しい恋でも見つけてきてくださいね」と言ってくれた。


 私は棋士を辞めた。あの女性美容師がそれなりな容姿だと気づかせてくれたおかげで、新しい仕事を得た。なんとまさかのモデル業である。街を歩いていたらスカウトに声をかけられ、珍しい前歴もあってか、芸能事務所に所属することになったのだ。ほとんどすっぴんで生きてきた私には、別世界の仕事である。しかも、まさかは連続するもので、その芸能事務所の動画配信部には、あの料理系YouTuberであるも所属しているではないか。それを知った私は、すぐに彼女に連絡を入れた。「今の自分に会ってほしい」と。

 私が彼女に告白をしてOKをもらうと、相乗効果を考えてか、芸能事務所も公認してくれた。私は配信を見る度に、彼女に愛おしさを感じてしまい、彼よりも、彼女の方を好きになってしまったのだ。


 それからしばらく経ち、撮影を終えたに私は、「これからも彼女の姿のままで付き合って欲しい」ともう一度告白すると、は照れながら、「今は、こっちの姿の方が自然な自分でいられるんだ」と言って、私の手を握って受け容れてくれた。その手は相変わらず男性的でありながらも、その日履いていた黒のニーソは女性的で美しくそして可憐であった。そんな彼女の笑顔は、モデルになった私以上に美人なのであった。

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