間が悪い男

塩ぱん

間が悪い男

 我ながら、実に間が悪い人間だと思う。

 先生の悪口を言えば後ろに立っていたり、部活の引退試合の前日にインフルエンザになったり。大学入試には車両トラブルで遅刻をし、就職は自分の年だけ就職難だった。この前もドーナツが、目の前で売り切れたっけ。


 地元の駅前で会った、遥の腹は大きかった。

「えっ、子ども生まれるの!?」

 別に驚く年でもないのに、目を丸くして声をあげてしまった。挨拶もそこそこに叫び声を上げる俺に、遥ははにかんだ笑顔を見せた。

「そうなの。結婚しようと思ってたら、タイミングよく妊娠して」

 口許に持ってきた手で、真新しい指輪が光っていた。その幸せそうな遥の微笑みと仕草に圧倒されながら、おめでとうと言う。会話している間中ずっと笑顔の遥が羨ましくなり、つい口に出してしまった。

「今日、俺誕生日なんだよね」

「そうなんだ! 大地もおめでとうだね」

 少しの期待を込めて言ったのに、さらりと返されただけだった。


 覚えていないのか? 今日で俺は三十歳だぞ? いや、覚えていても、このタイミングで言うはずないか。

 俺は下唇をとがらせ、スーツのポケットに両手を突っ込む。いじけた俺に追い討ちをかけるように、遥は話を続けた。

「おばさんから聞いたよ、大地も彼女と長いらしいじゃん。もうすぐ結婚とか?」

「いやー俺はどうかなー」

 適当に返して、その場を後にした。母が地元のスピーカー状態なのはもう諦めているが、今日は舌打ちしたくなる。


 中学二年、十四歳の時だった。女子では一番仲の良かった遥に告白したら、一週間前に先輩から告白されて付き合いだしたと言う。

「私、大地のこと好きだったんだよ。でも大地は田中さんが好きって噂を聞いて・・・・・・無理なんだと思ってたら先輩が」

 何の噂だよ。美人だってちょっと言ったことはあったけど。

「あと一週間前に告白したら違ってた?」

 そう尋ねる俺に、遥は言ったのだ。

──じゃあさ、三十歳になってもお互い独身だったら、私たち結婚しない?

 十四歳の約束。ドキドキしたのは、俺だけだったのか。


「あんた、誕生日に帰ってくるってどうなのよ」

 頭にカーラーを巻いた母が、息子の帰宅を不満げに迎え入れる。東京郊外の実家。俺は入社と同時に、都心で一人暮らしを始めた。最初の頃は何故家から通わないのかと文句を言い、帰るたびに喜んでいたのに、今となってはこの扱いだ。金曜の夜に会社からそのまま家に帰ってきたら、誕生日に仕事と家しかないなんてとため息をついている。

「誕生日っていったら、俺を生んでくれた母さんに感謝する日だろ」

 殊勝なことを言うと、母は途端に目を点にして顔を赤らめた。

「あらあ、嬉しいこと言ってくれるじゃないの」

 母は意外にもすんなり言葉通り受け取り、既に片づいていた食卓にいそいそと一人分の夕飯を並べ始める。酢豚にほうれん草のゴマ和えに、ちくわのカレー炒め。ちぐはぐな組み合わせだが全部俺の好物だ。

「あんたもそろそろ親の気持ちが分かってきたのかしら? もしかしてもうすぐ孫が生まれるとかある?」

「・・・・・・なんでだよ」

 飛躍しすぎる話に、俺は目を細める。

「だってほら、遥ちゃん! 結婚して、赤ちゃんも生まれるらしいじゃないの!」

 地元の母親ネットワーク、恐るべし。スピーカーなのはお互い様なのか。俺たち同級生同士より母親の方が事情を知っている。

「あんたは? 彼女とはどうなのよ!」

 大好きな酸味の強い母の酢豚が、急に味がしなくなる。敢えてあまり好きではないピーマンを口に放り込み、ギリギリと奥歯で噛み締めてからぼそりと言った。

「別れた」

「あーらら」

 両手を顔の横で広げて、おどけて見せる母を横目でにらむと俺は視線をテレビの画面に移した。今年は三月中旬には桜が咲きますねと気象予報士が言い、男性アナウンサーが満開は入学式より前の時期ですかねーと答えている。

 入学式っていったら、校庭の桜が満開のイメージなのに。間が悪いな。今年の桜も、俺も。


 俺だって結婚しようと思ってたんだ。もう少し貯金が増えたら、昇進したら、そしたら結婚しようって。

「私もうすぐ三十だし、地元に帰って結婚するの」

 それなのに唐突な花音の結婚宣言。いつの間にそんな相手がいたのか? 一緒にいた三年間は何だったのか?


 東京に出たままいつまでも一人でいる花音を、実家の両親が心配している話は何度か聞いた。帰省するたび、親戚じゅうがまだ結婚しないのかとうるさいとも。

 だからって俺の存在を無視して、勝手に結婚を決めるなんて!

 でも、怒ることも責めることもできなかった。情けないけれどあまりのショックで、何も言えなかった。そうか元気でなと言って別れるのが精いっぱいだった。

 俺の存在をないものとして勝手に結婚を決められたんだ。あまりにもみじめすぎる。綺麗に去ったのは、俺の小さな小さなプライドだった。そして後から湧いてくる自分の何がいけなかったのだろうという自責と、花音への怒り。


「じゃあちょうど良かった! この人なんだけどさ」

 何がちょうどいいんだとビールに口をつけながら母をにらむが、母はそんなこと全く気にしない。嬉しそうに笑いながらスマホの画面を俺に見せた。

 そこにはストレートのロングヘアの女性が、少し首をかしげて恥ずかしげに微笑んでいた。

「私スイミングスクール通ってるじゃない、そこの友だちがね」

 スイミングスクールでの人間関係について、母は延々と語り始める。半分以上は何度も聞いたことのある話だ。適当に相づちを打ちながら、俺は母のスマホ画面に写る女性を見ていた。

 色白の肌に長いまつ毛、和風の清楚な感じの人だ。年は自分より少し上だろうか。目元に意思の強さが感じられ、しっかりとしてそうな美人である。

「──で、その人の姪っ子さんなのよ。どう? 会ってみない?」

 それまでの話に比べて、彼女の説明が短すぎる。俺はスマホの上で指を二本動かし拡大したが、彼女の顔の皺は確認できず顔がぼやけただけだった。

「向こうはね、大地のこと優しそうだってすごく気に入ってくれてね」

「なにそれ。俺のこと知ってるの?」

「ううん。写真見せて、色々いいように言っておいたからさ」

 なに勝手なことしてるんだ。大体彼女いるって言ってただろうが。まあ、結局別れたんだけど。

「だって大地ったら、彼女いるって言うのに一向に連れてこないから、本当はいないんじゃないかと思って」

 そんな嘘ついてどうするんだよと返したかったが、結局もう連れてくることはできないのだから何とも言えなかった。


 花音はすぐに甘えてきて、構ってあげないといじけて、そういうところが可愛かった。だけどもしかしたら、こんな風にしっかりして見える清楚な美女が、俺には合ってるのかもしれない。

「ただね、相手三十五なのよ。そこ大丈夫?」

「全然大丈夫」

 肘をついてぼそりと呟く俺の声に、母はナイス! と両手を合わせた。

 きっと箱入り娘で世間を知らないから、あんたがよく見えたのかもしれないねなどと俺にも相手にも失礼な話を、母は声を弾ませてしている。俺はすっかり冷めた酢豚を食べながら聞き流していた。

 

 約束の翌週末の朝。一人暮らしをしているアパートの鏡の前で、服装をチェックする。合コンじゃないんだから、ちゃんとした格好にしてよ! と何度も母に言われたので今日はジャケットにパンツ姿だ。母とスイミングスクールのお友だちとやらと、四人で実家近くの喫茶店で顔を合わせて、あとは若いお二人でごゆっくりーということになるらしい。

 服装OK、ひげOK、眉毛OK。最終チェックを終えると、玄関に向かい靴を履く。ドアノブに手をかけて、開くと──そこには目を丸くした花音が立っていた。人差し指を伸ばして、インターホンを押そうとしていたらしい。俺の姿を認めて、小さく息を飲んだ。

「花音!?」

 別れたはずの花音の訪問に、俺もぎょっとする。

「実家に帰ったんじゃないのか?」

──地元に帰って、結婚するの。

 あれから一ヶ月以上経っている。まだ帰っていなかったのか。

「違う、違うの!」

 俺の言葉に、花音は強く首を横に振る。眉間に皺を寄せ、眉を下げて大きな目には涙を浮かべている。どういうことか分からずにぽかんとしていると、花音の目から涙がぽろぽろとこぼれだした。

「ごめんなさい、嘘なの。結婚なんて話ないの」

「どういうこと?」

 意味が分からず、俺は困惑して花音を見る。胸の前でぎゅっと結ばれた両手が震えていた。玄関のドアを開けたまま、アパートの廊下で泣き出した花音を家の中に入れた方がいいか一瞬迷ったが、俺たちはもう別れている。

「大地を試したの。私もうすぐ三十だって言ってるのに、結婚の話は全然してくれないし、実家にも連れてってくれないし」

「えっ? えっ!?」

 泣きじゃくる花音の言葉が全く理解できず、俺はさっき念入りにセットした髪をぐしゃりとつかんだ。

「俺は花音といつか結婚したいと思ってたし、実家は結婚を決めてからだと思ってたし!」

「そんなこと、ひとことも言ってなかったじゃない! だから私、実家帰るって言ったら・・・・・・結婚するって言ったら引き留めてくれるかと・・・・・・でも大地はあっさりさよならって言うし・・・・・・私のことそんなに好きじゃなかったのかって・・・・・・でもやっぱり・・・・・・私、大地が・・・・・・」

「ええっ!?」

 そんなこと考えもしなかった。てっきり結婚話が進んで、自分との関係をなかったことにされたのかと思っていた。


 花音はしゃくりあげながら、左手に持った鞄から小さなタオルを出す。頬と目の回りの涙を拭いて顔を上げた。マスカラが見事に剥がれ、目の下を黒くしていた。

「試したりしてごめんなさい」

 鼻をすすりながら、花音は頭を下げる。今拭いたというのに、新しい涙がまた目に浮かんできた。

 俺は見事に騙されたということか。

 そうか、そうだ。花音は駆け引きのようなことはしても、黙って他の男と結婚を決めるような子じゃないのは俺も分かっていたはずじゃないか。

 情けなさと安堵で、俺の顔に笑みがこぼれる。

 

「今でもまだ間に合う?」

 涙でメイクをぐしゃぐしゃにした花音が、俺を見上げる。俺は小さくうなずいた。それに花音の表情が、再びくしゃりと崩れる。涙が次々とまた、目から溢れてた。

「大地が好きなの。私と結婚してください」

 突然の花音からのプロポーズだった。


 振られたと思っていじけていたこの一ヶ月の自分が、一瞬にしてどこか遠くに飛んでいった。騙されたくせに、俺もアホなのかもしれない。だけどやっぱり試すようなずるいところもあるけれど、素直に謝る花音が俺は好きなんだ。

 俺は何のためらいもなく両手を伸ばし、花音を抱き寄せる。

「うん、結婚しよう」

 まだ早い、もう少ししてからという迷いも、もうなかった。今俺の胸にあるのは、この時を、花音を逃してなるものかという思いだけだった。

 

 手を離された玄関のドアが、花音の後ろでぱたんと閉じた。

 その音でふと思い出す。そうだ、今日はこれからお見合いだった。母には──もう少ししたら謝罪の電話をしよう。

 お見合いの直前に、花音と結婚を決めるって。

「間が悪いなあ」

 俺は嬉しさを噛み締めながらそう呟くと、胸の中の花音を更に強く抱き締めた。

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