第4話 少女は最後に空を飲んだ

 その男はヴィクター・ノクターナルと言った。


 本名かどうかは黒川は知らない。


 褐色の肌を白い背広で包み、やたらと背の高い精悍なこの男がふいにこの家にやってきても、誰も気に留めないほど、この町はいろんな人種が住んでいる。


 黒川はこの人物と付き合って、褐色の人間も白髪になるんだという、当たり前のことを学んだ。



「女の家の風呂は使う気にならない。」


「そう言うな。俺が知っている中で、女を殺せるのはお前しかいない。」


 流暢な日本語でそういってヴィクターはクリムトという猫が寛ぐソファをちらりと見た。


「俺、という不条理を愛する女は殺されるのが似合うだろう。」


「なるほど。」


 ヴィクターは笑い、あたりを見回した。黒川は今吸っている煙草が入っていたシガレットケースを差し出した。


「お前、葉巻にしないのか。」


「肺に入れられんものは煙草じゃない。何、風味は葉巻にも負けんよ。」


 そう言われて渋々手巻きの煙草に、ヴィクターは手を出した。火は自身で点けた。



 黒川は出したジッポを引っ込めて、渋々先ほどヴィクターから渡された紙を見る。


"星川 空(ほしかわ のあ) 19歳”


 空と書いてノアと読ませるのも気に食わない。何より、写真のその目がより一層気に食わない。


 空と書いて"から”と読むように、空っぽで沈んだ目をしている。少し日本人離れした、綺麗な少女であるにも関わらず。


「相当親の金を使い込む、相当などら娘らしい。」


「どら娘とは言わない。息子だけだ。」


 ヴィクターはオウと大げさなリアクションをした。


「日本語ってのは何年住んでも難しい。」


 黒川は煙草の火を紙につけた。承諾の合図だ。


 紙を燃やす煙はかなり多く、ヴィクターは毎回咳き込むが、黒川の真っ黒な肺は煙を物ともしないらしい。


 煙たい夜はそうして過ぎて行った。



 星川空はその日、空にいた。


屋上の手すりにつかまって。


金髪と白いワンピースは初夏の風を捕まえては放していた。


「そのまま自分から飛び降りてみると助かるんだが。」


「そうできたら、私も助かるの。」


空は振り返った。眩しい少女だと黒川は思った。


半そでのワンピースから除いた手首には痛々しい傷跡。


全く、これだから女の殺しは受けたくない。


黒川はそう思った。


「あなた、ヴィクター・ノクターナルから何か言われて来たの?」


「・・・なぜその名前を知っている?」


「お父様、らしいって聞いてる。」


「はあ?」


あいつめ、不良品廃棄まで、俺に押し付けるようになったか。


「多分違うぞ。」


「どうして?」


「俺の知っているヴィクター・ノクターナルは黒人だ。」


「なんだ、違うんだ。私の足長おじさん。」


「大方、愛人の一人なんだろうな。お前の母親が。」


「ふうん。」


つまんなさそうに空は言った。


「貴方はヴィクター・ノクターナルから言われて来たんじゃないの?」


「違うな。」


「なんだ。そっか。」


「どうだ。それでも死にたいか。」


「そうだねぇ。」


空はそっぽ向いてしまった。


生きたいと少し思ってほしい。そうでないと殺し甲斐がない。


黒川はそう思っている。


「やっぱり死にたいかな。」


空は、大空に両手を広げた。


「私の名前は空だから、空に帰るの。」


「はいはい。」


黒川は煙草を咥えたまま、空を空へ放った。


ドチャ。


最後に見えるのは赤い血の一点のシミ。


この子のことで覚えておくことは何もない。


黒川は煙草を捨てて、その場を去った。






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黒川龍斗の煙たい日々 K.night @hayashi-satoru

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