東尋坊兄弟ドライブ

惣山沙樹

東尋坊兄弟ドライブ

 兄の伊織いおりは、食べ物の好き嫌いが多くてワガママだし、酔うとだらしないし、たまに殴ってくるし、本当にどうしようもない人なんだけど、それでも好きなので一緒に暮らしている。

 部屋でぴったりくっついて過ごすのもいいけど……やっぱりたまには遠出したい。それで僕たちはドライブの予定を立てた。


しゅん、コーヒーのフタ開けてくれ」

「はぁい」


 運転するのは兄。僕は助手席で、兄のくっきりした横顔を見つめていた。


「何だよ瞬、ジロジロ見て」

「えへへ、運転してる時の兄さんカッコいいなぁって」

「あっそう」


 まだ肌寒いけど、天気はいいし、これなら景色も堪能できそうだ。

 僕たちが選んだのは東尋坊。遊園地とかに行くのも楽しいけれど、自然が作り上げたものを見てみたくなったのだ。


「兄さん、お菓子いる?」

「なんか適当にくれ」

「じゃあポテチにしようっと」


 僕はコンビニのビニール袋からうすしお味のポテチを取り出して開け、兄の口に放り込んだ。


「うん……やっぱりポテチはうすしおに限るな」

「僕はコンソメの方が好きだけどね」


 こんな他愛のない会話もドライブの醍醐味。いつもと違う空間というのが僕をわくわくさせてくれる。


「瞬、音楽かけよう。俺のやつ、カバンに入ってるから」

「えっと……あった」


 兄の音楽プレイヤーを繋ぎ、シャッフル再生した。いきなり僕の知らない曲がかかった。女性ボーカルの邦楽だ。兄が言った。


「これ懐かしいなぁ……」

「僕、全然わかんないんだけど」

「まあ、入ってる音源、俺が高校生の時のやつだからな」


 僕と兄は十四歳離れている。こうした時に年齢のギャップを感じる。永遠に兄に追いつくことはないのだと思うと、はがゆくなることもある。年の差の宿命だ。


「瞬、けっこうかかるから、寝ててもいいぞ」

「兄さんに悪いよ。頑張って起きてる」


 僕は景色を見たり、兄の顔を見たり。兄は時折、音楽のサビを口ずさんで。ポテチはあっという間になくなり、まだお菓子はあったけれど、手を出すのはやめておいた。

 昼の十一時頃に、サービスエリアについた。トイレに行って、一服だ。こういう時、喫煙者同士だと気兼ねがないので楽である。というより、僕は兄にタバコを教えられたのだが。


「兄さん、お昼何食べる?」

「あっちでも食うからな。軽いものにしとこう」


 セルフサービス式の食堂に行き、二人ともうどんを食べた。それからまた喫煙所に行って、自動販売機でホットコーヒーを買った。


「さーて瞬、まだもう少しかかるぞ」

「大丈夫だよ」


 車内に戻り、僕は語り始めた。


「兄さん、東尋坊の名前の由来知ってる?」

「知らねぇな」

「お坊さんの名前なんだって、東尋坊。怪力で暴れん坊でね。それが酷すぎるから、酒飲まされて、崖から突き落とされたんだって」

「……そんな由来だったのか。物騒だな」


 それを読んだ時、兄みたいだな、と思ったことは言わないでおこう。

 二時間ほどして、ようやく駐車場についた。まずは灰皿を求めてしまうのが喫煙者のさがである。幸い土産物屋の近くにあった。


「兄さん、風が強いね」

「海辺だからな。のんびり行こう」


 東尋坊までは一本道だ。商店街になっていて、僕たちはきょろきょろと左右を見ながら歩いた。


「おっ、瞬。海鮮だ。ソフトクリームもあるぞ。どれから食べようか」

「もう、兄さん。まずは景色見に行こうよ」


 商店街を抜けると、大きな青空と海が広がっていた。


「うわぁ……」


 僕は立ち止まって写真を撮った。それから階段をおり、舗装された石畳までたどり着いた。その先はゴツゴツとした岩場。大勢の観光客がその上を歩いており、僕もそれに続こうとしたのだが。


「瞬、ここでやめにしないか……」

「えっ?」


 兄にくいっと服の袖を引っ張られた。


「だって、足滑らせたらヤバくね?」

「大丈夫だって。ほら、あんなに小さい子もいるよ?」


 僕は五歳くらいの男の子が、親に手をひかれているのを指さした。


「もう見えたし十分だって」

「僕はもっと行きたいの。こわいんだったら手ぇ繋ごう?」

「うう……」


 兄の手をとり、どんどん進んでいった。柱状の岩が何本も突き出しており、鮮やかな海の色とのコントラストが美しい。波が岸壁に打ち寄せ、白い飛沫をあげていた。その様子も写真におさめた。


「うんうん、僕、こういうのが見たかったの」

「死ぬ……絶対死ぬ……」


 確かに……ここから落ちたらひとたまりもないだろう。自殺の名所になっているのも納得できた。とうとう兄が叫んだ。


「無理! これ以上無理!」

「ええ……あと半分くらいあるよ?」

「行くなら一人で行け」

「それは寂しいなぁ」


 仕方がないので、くるりと引き返し、商店街に戻ってきた。すると、兄はたちまち態度を変えた。


「よし! どっか入って食おう!」

「はいはい」


 目についた一軒の店に入り、腰をおろした。ここのウリは海鮮丼らしい。せっかくの旅行だ。値段は気にせずに美味しそうなものを頼むことにした。


「瞬、俺はイクラにするけど」

「僕はエビにする。あっ、イカ焼きもいいなぁ」

「サザエもあるぞ。よし、全部頼もう」


 しばらくして、テーブルの上はごちそうでいっぱいになった。僕は写真を撮り、まずは熱々のサザエから手をつけた。


「んー! 美味しいね、兄さん」

「ああ。酒飲みたくなるな」

「飲んでもいいよ。旅館まで僕が運転するから」

「ダメだ。父さんのベンツ、ボコボコにしたんだろ?」

「自損でよかったよねぇ」


 ソフトクリームも捨てがたかったが、満腹になってしまって諦めた。

 そして、僕たちは旅館についた。朝から車に揺られっぱなしだったので、布団も敷かれていなかったが、二人で畳の上で寝てしまった。

 電話のコール音で目が覚めた。夕飯の時間を過ぎていたようで、僕たちは慌てて食事処へ向かった。


「兄さん、乾杯」

「おう、乾杯」


 瓶ビールが身に染み渡った。兄もご機嫌だ。ぐいぐいいこうとしたので僕は止めた。


「兄さん、まだ温泉入ってないでしょ」

「まあ……確かにそうか」


 懐石料理に舌鼓を打ちながら、僕は兄に言った。


「あーあ、もっと先まで行きたかったのに」

「俺、水死体になるのはごめんだから」

「じゃあ、何で東尋坊にしたのさ」

「そりゃあ……瞬が言うから。あんなにこわいと思わなかったんだよ」


 酷いことをされることもあるけれど……。なんだかんだで、うちの兄は優しい。こわがりなのも可愛く思えてきた。やっぱり、好きだなぁ。

 遅い時間になったからか、大浴場は貸切状態だった。身体を洗い、湯につかり、僕はことんと兄の肩に頭を置いた。


「瞬、近い」

「いいでしょ、二人っきりなんだから」

「誰か入ってきたらどうするんだよ」

「その時はその時」


 幸い、誰も来ることはなく、僕は思いっきり兄に甘えた。

 ふかふかの布団に飛び込んで、缶ビールを飲んで、兄とじゃれ合って。宿での一夜はあっという間に過ぎていった。

 帰りの車の中で、僕はシートに身を預け、ぼおっと前を向いていた。


「兄さん、終わっちゃうね、旅行」

「なんだ、寂しいのか?」

「うん……」

「また次、他のところも行こう。できればあんまりこわくないところ」


 もうすぐ日常に戻ってしまう。まあ、日常があるからこそ、非日常が楽しいのだということは、頭ではわかっているんだけど。


「瞬、しんどいなら寝とけ。昨日そんなに寝てないだろ。俺なら大丈夫だから」

「起きとくってば」


 しかし、車の振動が心地よくて、僕は意識を手放してしまっていた。

 兄のマンションに帰りつき、まずは洗濯機に服を放り込んだ。旅の後片付けは早い方が楽だ。リビングで兄とタバコを吸いながら、撮った写真を眺めた。僕は言った。


「うーん、やっぱり画面で見ると迫力なくなっちゃうな」

「俺はそれくらいでちょうどいいよ」


 タバコを吸い終わった兄は、寝室へ行った。僕は洗濯が終わるまでリビングで待ち、干した後、兄の様子を見に行った。ベッドにうつ伏せになって、よく眠っていた。僕は兄の髪を撫で、呟いた。


「兄さん、ありがとう。大好き……」


 明日からは元の生活になる。けれど、兄と一緒なら、それも楽しいものになるはずだ。僕は離れない、兄と、ずっと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

東尋坊兄弟ドライブ 惣山沙樹 @saki-souyama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

同じコレクションの次の小説