第58話

 議事堂に集結していたトマホークXをはじめとするサンダースのシンパの大集団は、一キロほど隣にあるホワイトハウスへぞろぞろと移動していった。

 しかし、ホワイトハウスに近づくと、そこには軍隊が待機していて、そこから先へ行くことができなかった。軍隊は、ホワイトハウスの近くにいる反サンダースの一団とサンダース・シンパを別けることで、決して接触させないという意味合いもあったのだ。

 サンダース支持者たちは、そこで雄叫びをあげ始めた。

「ホワイトハウスに入れろー!」「アメリカの恥サラシー!」「ゲイルはアメリカの恥だー!」

 しかし、サンダース支持者の群衆は数万人にも膨れ上がっていた。頭に血の登った一部の人間たちは、装甲車や戦車を乗り越えてホワイトハウスの方へと突破していった。


 そろそろ西に夕焼けが拡がり始めていた冬の寒空の下、ホワイトハウスの前の広場には、ゲイルと真太、村田、ディックの四人がいた。そして、それを取り囲むようにホワイトハウスの周辺には、ゲイルの支持者、軍隊、サンダースの支持者が合わせて数十万人にものぼっていて、冬空に怒号が響いていた。。

 キャサリン達の乗ったヘリが上空に現れて、ゲイルと真太のいるホワイトハウス前に降りてきた。

「真理亜は来るだろうか?」ゲイルが真太に聞いた。

「それは、俺にも分かりません」

「きっと来るさ。シンに会いにな」ディックが言った。

「来るとすると、海から入って川の方からだな」村田が言った。

「まだ、川の方に青い光が目撃されたという情報は無いな」ゲイルが言った。

 ホワイトハウス前の七人は、しばらくそうして会話をしていた。

そのときだった。突然、地面が大きく揺れ始めた。

「キャー!」「あわわわわ、何だこれは!」「地震か!」人々が騒ぎ始めた。

 地面の揺れはさらに激しさを増し、ホワイトハウスの建物も大きく揺らぎ始めた。そして、ホワイトハウスの中に青い光が見え、次の瞬間、ホワイトハウスの窓ガラスが激しく砕け散り、柱も折れていった。ホワイトハウスの建物は、またたく間に崩落し、中から背中を青く光らせた巨大な真理亜が出現した。その姿は、ホワイトハウスを取り巻いていた群衆の眼にも入った。

 ホワイトハウスに現れた真理亜は、ゲイルの前で威嚇と咆哮を繰り返していた。サンダースではなくゲイルが立っていることに、彼女は若干戸惑っているみたいだった。

 周囲からは、相変わらず「謝るな!」「恥さらし!」の怒号が飛び交っていた。

「真理亜ー! サンダースは死んだ! サンダースは死んだんだ!」真太が真理亜に向かって叫んだ。

「ミスターイイジマ。翻訳してくれ」ゲイルが真太に言った。

「マリア、大統領は亡くなった。私は大統領の代わりにここに来たんだ」ゲイルがマリアを見上げて叫んだ。「だから、今は私がアメリカ合衆国の代表だと思ってくれ。そして、アメリカを代表して、君に謝りたいんだ。君と君の母親には大変申し訳ないことをした。アメリカを代表して謝りたい」ゲイルは深々と礼をした。

 真理亜はゲイルをじっと見ていた。夕日が真理亜の胸を赤く照らしていた。

「そうだ! 君の国では、確かこうするんだったな」ゲイルはそう言うと、土下座をし始めた。

「ゲイルさん……」驚いて真太がつぶやいた。

「申し訳ないことをした! マリア! 日本からの占領軍の撤退と日本の完全独立も約束する」

 ゲイルは真理亜の前で這いつくばって土下座をしていて、真理亜はその姿をじっと見ていた。

 しばらくすると、真理亜のゴツゴツとした濃い緑色の皮膚からは「シュー、シュー」と湯気のようなものが噴き出し始めた。

 そうすると、空中に蛍のような青い光の粒が一条飛び始めた。

「あれっ? 何だ?」誰もがそう思った。

 すると、また、二つ、三つと青白い光が真理亜の身体のまわりを舞うように空を舞った。次第に青白い光の粒は増していき、やがて真理亜の身体のまわりを包み込むように光り始めた。

「これ! これですよ! 俺が官邸で見たのは。あのときと同じだ」真太がそう言った。

 西に沈もうよしている夕日は真理亜の身体を赤々と照らしていた。その上空には青い光が真理亜をベールのように覆っていた。

「見て! 赤い服に青いガウン。まるでマリア様みたい」「何てきれい!」

 ホワイトハウスの周辺にいた人たちは、呆気に取られてこの奇跡を見ていた。誰も声をあげることさせできなかった。

 美しい光に包まれながら、真理亜は、元のヒトの姿に戻っていった。最後は、光に包まれながら、全裸の真理亜が空中から地上に降りてきた。マリアは降臨したのだ。真理亜の周囲には、依然として青白い光の粒が舞っていて、それはホワイトハウスの周囲数百メートルの範囲にまで及んでいた。

 そのとき、何人かの軍隊が銃を構えた。

「撃つな!」

 顔をあげたゲイルが、そう言いながら右手でそれを制した。

 上半身を上げて立ち上がったゲイルの前には、全身つぎはぎだらけの女が立っていた。そのつぎはぎの皮膚は、白人のものや黒人のもの、黄色人種のものなど様々であり、それらが不定形につぎ合わされていた。ゲイルはそこに、つぎはぎだらけで傷つきながらも、必死に生きようとしているアメリカを見た。

「美しい! マリア、アメリカへようこそ!」

 そう言いながら、ゲイルは両手を大きく広げて真理亜を迎え入れる仕草をし、彼女に近寄って優しく抱き寄せた。

 ゲイルの声とともに、周囲から大歓声が沸き上がった。それは、もはやサンダース支持者とか反支持者とかには関係無く、この奇跡を目前で目撃した者どうしが共有しうる感動に浸っていた。

 そばにいた真太が毛布を持って真理亜にかけてあげた。そして、真太も真理亜を抱き寄せた。

「ゲイルさん。真理亜は日本からはるばるやって来たんだ。真理亜は頑張ったんだぞ」真太はゲイルに言った。ゲイルは、その言葉に静かに何度もうなずいた。

 真理亜は、しばらくは意識が呆然としていた様子だったが、すぐに正気を取り戻し、近くに真太を認めると、彼に向かってこう言った。

「真太、あのときの言葉、忘れないからね」

「え? ……あのときっていうと?」

「西海岸で私に言った言葉よ。私が知らないと思って、あちこちで勝手なことを言ってたみたいだけど、約束は守ってもらうからね」

「え……、あ……、あ……。結婚……?」うろたえる真太。

「そうよ」

「もちろんさ! 俺と結婚してくれ! 真理亜」

 真太はもう一度真理亜をしっかりと抱きしめた。その瞬間、周囲からは再び大きな歓声が沸き上がった。ホワイトハウスの周囲は、歓喜の渦で包まれた。

「それから、村田さん」真理亜は村田の方を向いて言った。

「え?」

「村田さん、約束通り私を日本に帰してもらうわよ」

「あ、はい。もちろん」

 ゲイルは、群衆の中にいたクリスチャン・ビショップを見つけると、彼の方に向かって行き、そして言った。

「アメリカを救うために天からもたらされたのは、サンダースではなかった。もちろん、私でもない。アメリカを分断から救ったのはマリアの方だ」

「いいえ。たぶん、そのマリアを降臨させたあなたもですよ」クリスチャンがゲイルに言った。

「そうだ! このことを世界中に発信しないと……」真太が言った。「みんなお願いだ。自分のSNSでこの事実を発信してくれ!」

「さあ、みんな、詫びろ、詫びろ、詫びろ、詫びろ、詫びろ! 土下座しろー!」真太がはしゃぎまくっていた。

 詫びることで御神乱は人に戻る。この事実は、この場にいた人たちから、またたく間に世界中に発信されて行き、世界中に報じられていった。


 スカーレットが立てこもっていた裁判所の前では、軍隊が謝り始めた。

 そしてゆっくりと人間の鎖が解かれ、裁判所の扉が開いた。中には血まみれのスカーレットが人間の姿に戻って立っていた。


 大阪はとっぷりと日も暮れて、大阪出入国在留管理局の上空には星が瞬き始めていた。和磨はリウの向かって土下座をしようとした。すると、松倉が和磨に言った。

「やめてください。井上さん。あなたにそんなことはさせられない。それは、日本国の総理大臣である私の役目だ」

 松倉は、リウの目前で土下座を始めた。

「私は日本のリーダーだ。このたびの君たちへの大変無礼なふるまい、日本の代表としてお詫びいたします。誠に申し訳ありませんでした。許してください」

 隣で鹿島も同じことを始めた。リウは、二人のしぐさをじっと睨みつけていた。

 松倉と鹿島がしばらくそうしていると、夜空に青い蛍のような点が一つ舞った。そして、二つ、三つと次第に青白い点は増えていき、やがて青い光の渦がリウを取り巻いた。そうして、美しい光の中、リウが戻って来た。

「リウさん! 良かった」クルムが言った。「和磨さん、皆さん、ありがとう」


「そんなことができるか!」堺市庁舎の屋上ではハミルトンが怒っていた。

 しかし、もはや猶予は無くなってきていた。庁舎の玄関を破壊した無数の御神乱たちは、ぞくぞくと屋上を目指していた。

 そのとき、スマホを見ていた職員の一人がハミルトンに動画を見せた。

「司令官! 今、アメリカで大変なことが起きています」

 そこには、ゲイルが真理亜に向かって土下座をし、真理亜が人間に戻っていく様子がアップされていた。

「今、これと同じような複数の動画が大量にアップされ始めています。サンダース大統領は亡くなったみたいです」

 目を見開いて、ハミルトンはその動画を見ていた。

「ダーン!」

 そこへ、大きな音とともに、屋上へと出られる扉が破壊されて、青やピンクの光がやって来た。

「ヒイー!」「食われる!」職員たちが悲鳴を上げる。

「ハミルトンさん! お願いします。詫びてください」俊作がハミルトンをせかす。

 ついに意を決したハミルトンは、出てきた御神乱たちに向かって土下座をした。

 やがて、庁舎の屋上は、青とピンクの美しい光に包まれていった。


 香港、ロンドン、パリ、モスクワ……。この日、同じ現象が世界各地でおきた。各国の御神乱化している人間たちは、美しい光に包まれながら人の姿に戻っていった。その姿は、まさしく世界中にマリアが降臨してくるようだった。世界の各地にマリアは降臨したのだ。


 中東では男たちが御神乱に深々とお辞儀をしていた。御神乱はピンクや青の光に包まれて女性に戻って行った。


 北京の天安門広場前、押し寄せた巨大な御神乱たちを前にして土下座をしているチェン・ハオ・ラン国家主席。目の前の御神乱たちが光に包まれていく。天安門前の大きな道が、青やピンクの美しい光に覆われていった。


「和磨さん、康煕君、明日上海に旅発つそうよ。いっしょに関空に見送りに行きません?」

 マリア降臨の日から、数日が経過したある日のこと、彩子が和磨にそう言った。

「そうか。彼ももう大学生か」

「ええ、上海の大学へ進んだ後、二十歳になったら、中国籍を選びたいと言っているわ」

「そうか、昔から彼はそんなことを言っていたもんな。結局、彼にとっては、それが良いのかもな」

「上海の祖父母から、さんざん中国のすばらしさ、社会主義のすばらしさを聞いて育ってるからな」

「それに、民主主義や欧米と日本の悪口もね」

「ああ、でも、彼が知っている中国は、中国ではなかった。あれは中国にある日本だったんだ。いずれ、そのことに彼も気付くのだろうが……。俺は、家庭教師をやっているときには、きちんと彼にそれを伝える勇気が無かったんだ。それだけが残念でならない」

「彼が日本を嫌いなのは、日本でいじめられたからよ」

「中国を擁護することを言っただけだったんだ。中国の良さを伝えようとしただけだったんだ。でも、それが周りは許さなかった」

「中国を擁護すればするほど、彼は非難された。それで、彼は日本の悪口を言うようになっていった。祖父母から日本の話を基にして……」

「彼は日本と中国のハーフなのに、日本人によって、日本を憎む敵を一人増やしてしまった」


 翌日、関空の出立ロビーに行くと、康煕が立っていた。和磨たちの姿を見ても、彼はムスッとした顔をしていた。

「久しぶり! 向こうに行っても元気でな」和磨が言った。

「……」彼は黙っていた。

「康煕君、今度帰って来る時は、もしかすると中国人になってるんだよね」彩子が言った。

「もう、こんな国なんて、帰ってきませんよ」そう、康煕が言い放った。

「そんなこと言わないでよ。また会いましょう」彩子が言った。

「中国人になろうが日本人になろうが、それは君が決めれば良いことだ。ただ、どの国の人間になったとしても、俺としては、君にナショナリストにだけはなって欲しくない」和磨がそう言った。

「良く言うよ。あんた、アメリカが好きだって言ってたくせに……。日本国民を守るために、アメリカのヘリを打ち落としたくせに……」康煕がそう言った。「……俺がどの国を愛そうと、俺の勝手だろ!」

 そう言うと、彼はぷいと後ろを向き、搭乗口の方に消えていった。


 ホワイトハウスの奇跡の後、ゲイルは改めて大統領選挙によって大統領に就任した。村田は軍に戻って行った。真理亜と真太はスプリングフィールドの真太の両親とともに暮らしてはじめており、スプリングフィールドにある教会でささやかな結婚式をあげた。二人は、今はアメリカに住んでいるが、まもなく日本へ帰郷する予定だ。

 二人は、こんなことを話している。

「かつて大戸島の人たちは、御神乱のことを「御神乱様」と尊称で呼んでいた」

「これは、御神乱ウイルスが、自分たちを怒らせないような人間にしてくれたことに対する感謝の意を込めて、そう呼んでいたのじゃないかしらね」「また、怒らせた場合は、背中の光でそれが分かるので、怒らせてしまった相手に対して謝る大切さを教えてくれたのも御神乱ウイルスだと思ったのかも」

「今や、世界中の人たちが御神乱ウイルスのキャリアになったよな」

「しかし、そのせいで、我々は謝ることを覚えた。今や、多くの地域で戦争や紛争は起きていないわね」

「考えてみれば、これまでのほとんどの戦争・紛争・内乱というものは、人間が謝れないという見栄やエゴからきていたんじゃないかな」


 大阪。瞳は自分のアパートの洗面所でえづきはじめていた。


 時間を少し遡ること一年近く前。

 東京大爆発直後の大戸島、そこには中国とアメリカの軍隊が乗り込んできていた。

 一軒一軒しらみつぶしに家を調査していく中国軍のある部隊。彼らはとある家に踏み込んでいった。

 その家には六畳ほどの離れがあり、そこにはビーカーや試験管や、その他にも様々な実験機器が置いてあった。また、数々の研究ファイルやらメモらしきものが棚に整理されて並んでいた。そこは研究室らしかった。中国の兵士は、今度はキッチンに踏み入った。流しの下の床の上にはボウルやフライパンやバケツが放り出してあった。

 兵士の一人が流しの下の扉を開けたとき、そこに膝を抱えてうずくまっている一人の少女が見えた。彼女の背中は光っていなかった。なぜかあまり笑わなかった少女「芹澤希望」である。

「先生を呼んで来い」兵士は部下にそう言った。

「王(ワン)先生! 王宇航(ワン・ユー・ハン)先生」そう叫びながら、兵士の一人がワンと呼ばれる男を呼びに行った。

 すぐにワンと呼ばれる男はやって来た。彼は、しばらくじっと少女を見ていたが、やがてこう言った。

「連れて行け」


大戸島の娘 第二部「マリア降臨」 (終わり)

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大戸島の娘 第二部 マリア降臨 御堂 圭 @mido-kei

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