おまけの1ページ 〈かぐや姫の婚活〉

のんぴ

おまけの1ページ 〈かぐや姫の婚活〉

 実は、ほんとうは。

 と、いうほどのことではないのですが、早川朔がデートした相手はもう一人いたのです。


 警察は知っていましたよ。あの結婚相談所をちょっと調べれば、僕のことはすぐにわかります。事情聴取というものも生まれて初めて体験しました。交通違反でパトカーにのるのとはさすがに迫力が違いました。

 

 署員のみなさんからは奇異なるものへの視線をさんざんにいただきました。それはそういうものと割り切らざるを得ないのでしょう。


 いくら掘り下げたところで必要な情報は得られず、彼らはあっというまに僕への興味を失いました。そしていまはこうして平穏に暮らすことができています。

 

 警察の方々に不満はありません。彼らのふるまいは概ね常識的で、誠実なものでした。できれば協力をしたい気持ちがあったのですが、僕は本当に何も知らなかったのです。


 そう、わずかでも同じ時間をともに過ごした早川朔について、僕はなにも知らなかった。自分の問題と向き合うことでいっぱいだった。


 彼女もそれは同じように見えました。程度のほどはわかりませんでしたが。それでも朔さんは僕にたいして多少の気遣いを見せてくれました。初めての出会いの時もです。


 場所はもちろん、あの結婚相談所です。


 担当の方に誘導されて、敷居で小さく区切られたテーブル席に僕は向かいます。席では彼女が僕を待っていました。


 朔さんは薄い緑色のワンピースを着ていました。品が良く、けれども堅苦しくない、装いも朔さん本人もそんな感じで、僕はひとめで彼女に好感を持ちました。


 うつむいていた朔さんは、僕が姿を現してから少しだけ間をおいて、顔をあげます。視線が合いました。彼女の表情には少なからず戸惑いが見られました。


「僕は映画をよく見に行きます。ジャンルは雑食です。重たい小難しい映画が好きですが、その一方でアメコミ超大作も大好きです。ネットの評価が最悪のものでも、長所を見つけて案外楽しめたりします」


「なるほど。しかしそういわれるとむしろ、わたしはあなたの好まないジャンルの映画を探してみたくなりますね。『これはひどい』という感想を引き出してみたい」


 僕は小さく笑った。彼女との会話は楽しかった。お互いに用意した言葉と表情だったかもしれないけれど。


 朔さんの顔を見つめてみる。普段はもっと薄化粧な人なんだろうなと思った。仮にもお見合いなので今日は多少厚めなのだと思う。きれいな人だ。ノーメイクでもきっとそんなには変わらないと想像がつく。自分も女性なのでそういうのは見当がつく。


「僕はパートナーを探しています。真剣にです」


 朔さんは僕から視線をそらして、それからもう一度僕のことを見た。好きなだけ見てくれていい。どれだけ見られても僕は生物学的に女性だ。そのことを何も恥じてはいない。


 僕は髪が長く、年齢相応の化粧もしている。朔さんに奇麗だと思ってほしくて、服を選ぶのに時間をかけた。それほど大きくない会社で事務の仕事をしている。同僚たちはみんな僕のことを『ごく普通の』女性だと思っている。そして僕はパートナーを求めている。


「ただやはり、それはとても難しい。朔さんにも会ってもらえるとは思っていませんでした。OKをいただけて、とてもうれしかった。ああごめんなさい。あなたに負担を与えたいわけではないの。この先を望んでもいない。ただお礼を言いたかった」


「いいんですか? それで。いえ、わたしも正直にいうと重大な覚悟をもって今日ここにきたわけではないのですが。その、申し訳ありませんが恋愛対象は男性オンリーなもので」


「良いです冷やかしでも。そのくらいは察したうえで、僕はお礼を言っています」

「冷やかしではありません。それは信じてほしい」


「でも、ここは結婚相手を探す場所です。そしてあなたは女性をその対象としていない。であれば、あなたはなんのためにいまここにいるのか?」


 僕は冷静ぶってそう尋ねたが、内心はそうではないことを願ってもいた。彼女が本当は僕の理解者である奇跡を求めていた。


「ほんとに」

 朔さんはふうと息をついた。それほど悲観的ではないようだったが、タイヤの空気がゆっくり抜けていくような吐息だった。


「わたしは一体なんのためにここにいるんでしょうね? 少なくともあなたのように、純粋に幸せになりたくてではない」


「幸せですか。なんだろう。僕にとってもそれは完全に正確な表現ではないような気がする」

「そうですか? でも確かに、わたしもまあ、ここで何件かお見合いをしているのですが、それぞれの人たちが、自分の行いの意味を完全に理解はしていないような気がします。人間って、そんなものを理解する必要がそもそもないのかもしれませんけれどね」


「遠野さん、早川さん。そろそろお時間です」

 白い壁の向こう側から、この結婚相談所でわたしの担当をしてくれているスミレさんが現れた。規定の一時間が終わったのだ。


 スミレさんは僕のようなものを良く助けてくれている。黒いスーツが今日も良く似合う。髪が短い。一般的なイメージとして、僕のような女性を愛する女性というものは髪を男性のように短くすることを好むと思われているかもしれない。自分を男性のようにみせたいと。しかし僕は自分の長い髪型が好きだった。それなりに奇麗だと思う自分の黒髪を愛していた。


「あの井上さん」

 朔さんはスミレさんの名字を呼んだ。


「なんでしょう、早川さん」

 スミレさんは朔さんの名字を呼んだ。


「気になることがあってさ。あの、お見合いの費用について。今回はどうなるの?」

「いつもどおりですよ?」


「いつもどおり?」

 朔さんは復唱した。


「いえね、井上さん。わたし、そこのところがどうなるのかなって興味があったんですよ。わたしが知っているいつもどおりというのは、男性が八千円、女性が無料」


 そして朔さんは僕と自分とを交互に指さして、いたずらっぽく微笑んだ。

「無料でいいんですよね?」


「いやいやいや」

「たぶん遠野さんが男性分のお金を払ってくださっているんでしょうけど、それではあまりにも申し訳ない。ねえ、井上さん。いいじゃないですか無料で。返金してあげてください」


「この場を準備するまでに、わたくしどもは少なくない作業をしております。いただくものをいただかないと、うちの会社が成り立たない」

「無料ということであれば、わたしはとても納得がいくのです」


 朔さんはにこにこしているが、引き下がらない。


「朔さん、気を使っていただいてうれしいですが、僕はいいんですよ」

「いいえ、これは単なるわたしの自己満足です」


 どうして彼女がお金にこんなにもこだわったのか、このときはわからなかった。僕がその理由を知ることになったのは、彼女が死んでしまってからのこと。


 早川朔は、この結婚相談所のサクラとして、お見合いの件数稼ぎに協力していた。出会いを求めてなどいない。若くてきれいな彼女とのお見合いを望む男はいくらでもいた。お見合いの手数料を何十件もかきあつめ、朔さんは謝礼を結婚相談所から受け取っていた。裏で糸を引いていたのはスミレさんだ。


 そして彼女は死んだ。殺された。


 犯人は、たくさんいたお見合い相手の一人。その男はお見合いがうまくいかず、朔さんを逆恨みしていた。そしてある人物から朔さんの不正を教えられて、殺意を抱いた。


 犯人は捕らえられた。情報源となったある人物はそのあと自殺したという。


 だから実のところ、僕はこのとき重大な危機に直面していたのだ。


 一つ間違えれば、僕が殺人事件の登場人物となる可能性は十分にあった。実際僕は彼女にとても惹かれていた。


 僕と朔さんのお見合い費用については、結局二人で四千円ずつ払うということで話がまとまった。朔さんは概ね満足そうだった。


 しかしそれでは僕のほうで朔さんに対して申し訳ないという気持ちが生まれてしまう。なのでそのことを伝えた。


「もう一度、あなたと会いたいです」


 朔さんは困って眉をしかめた。

「ありがとう。考えさせてください。あとから井上さんを通してお返事をさせていただきます」


「会ってはもらえないということですね?」

「遠野さん。お気持ちはわかりますが、あまりしつこいとマナー違反ですよ」

 スミレさんが割って入る。なぜかそのとき、スミレさんが朔さんを献身的に守る騎士のように思えて、僕は彼女に嫉妬した。


「礼を欠いたふるまいであることは、ごめんなさい。でもあなたが四千円にこだわったように、僕にも譲れないものがある。誰にどう思われてもかまわない。たったもう一度あなたに会うために」

 僕の大声が相談所に響いた。姿は見えずとも、壁の向こうにいるはずの何人かが息をひそめたことがわかる。


 気づくと僕の両膝はかすかに震えていた。


 言葉を発しようとしたがまるで夢の中でのようにうまくいかない。

 朔さんは目の前にいるのに、次の瞬間に消えてしまう予感に襲われた。


 僕は怖かった。


「これで終わりなんて、嫌です」

 顔を伏せて絞り出した声はかすれていた。ちゃんと聞こえなかったかもしれない。でももう力は残っていない。


「四千円」

「え?」

 彼女のふいの言葉とその意味を僕は必死に理解しようと顔を上げた。


「わたしに払わせてくれてありがとう。それはあなたが思っているよりもずっと大切なことだったのよ。わたしにとっては。あら、あらら? なんだろうこれ、あなたにつられちゃったじゃないの」

 朔さんの頬にぽろぽろと涙がこぼれた。そして彼女は僕にもう一度だけ会う約束をしてくれた。


 彼女の連絡先は教えてもらえなかった。それはスミレさんが頑なに拒んだ。僕たちの逢瀬の日時はスミレさんをとおして決めることになる。やっぱり、スミレさんは朔さんの騎士のようだと思った。そしてのちに事件の真相をすべて知ったあとでも、不思議とその印象が変わることはなかった。


 どこへいこうか。僕たちの最後のデート。


 仲介人を通していたので、遠い星の人と話しているかのように朔さんとの交渉は都度時間がかかったが、スミレさんから朔さんの言葉を伝え聞くたびに、僕は幸せな気持ちになることができた。時間よりも場所よりも、僕は僕の感謝の気持ちを彼女に伝えたかった。僕の望みはそれだけなのだ。


 この場合、エスコートは僕の役目だろう。


 朔さんはそれすらも二等分で考えるかもしれない。それはそれでうれしいけれども。


 どこへ行こうか。何を食べようか。僕も人間なので、朔さんに気に入ってもらえなかった場合のことを考えると胸がざわつく。

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