帰りの峠道

@ku-ro-usagi

読み切り

俺の嫁は

付き合っている時から

いつも手のひらサイズの小さなジップロック的なものに

少しの天然塩を入れたものを鞄に忍ばせていて

たまに新しく入れ替えたものを鞄にしまっている姿も見ていた

別にそれで何をするわけでもなく

ただ持っているだけ

「それは意味があるのか」

とはちょっと思ってたな

口にはしなかったけど

いやだって

「口は災いのもと」

だろ

夫婦なら尚更

なんたって俺は身を以て知っているからな

これからする話には全く関係ないのだけれど


紅葉もすっかり落ち葉になって道路の端に積まれていたから

あれは秋も終わり頃

休日に2人でドライブへ行ったんだけどさ

帰り道の高速が事故渋滞になってて

まだ高速乗る前だったし

ちょっと遠回りだけど山道抜けていこうかってなったんだ

山道は当然峠道だけど車は全然いなくて

予定どおりの時間には帰路に着けそうだった

ただ

順調に走ってるつもりだったのに

山道の癖にやけに分かれ道が多くなってきて

外灯なんかもろくにないからさ

俺は運転に集中して

嫁にナビがどっち示してるか教えてもらってたんだ

でも

「また分かれ道か?ちょっと多くないか?」

って戸惑い始めた時に

「次はどっち?」

って聞いたら

嫁は助手席でシートにぐったり凭れて寝てた

「あぁ、疲れたんだなぁ」

と思って

起こすのも可哀想だしさ

自分でナビ確認しながらゆっくり進めばいいかと

ゆっくり走ってたら

また分かれ道

「いやいやさすがにおかしい」

と山道を見回したんだ

そしたら

いきなりナビがフリーズ

仕方ない

後続車もいないし狭い山道

ハザード出して車停めてさ

スマホのナビ見ようとしたら

こちらもまさかのフリーズ

山の中だからか?

仕方ないと諦めて

「看板でもないか?」

と目を凝らしてたら

左の道の先は妙に夜の色が濃い気がして

俺はただ勘で

右に行くかとハンドルを少し強く握った瞬間

「……ぐぅっ!?」

右足の指や甲に押し潰されるような痛みが走り

起きているのに目覚めさせられたような感覚に顔を上げると

寝ていたはずの嫁の顔と身体がかなり近くと言うか

正確には俺の左足に半分乗ってた

なぜか

それは俺の握るハンドルを嫁も握っているし

右足が俺の足の間に伸びていたから


嫁は

「……目、覚めた?」

と荒い呼吸と低い声で問い掛けてきた

(目が覚めた?)

俺は今の今まで起きてきて運転していたはず

なのに

「私が先に手から離すから、いい?動かさないでね?」

肩で息をしていた嫁は

俺が頷くと

ゆっくりと

そしてギクシャクと手を離した

その嫁の手は

かなり力を入れていたのか青白くなって血管が浮いていた

それに気を取られていると

「ね、足も離すから、ブレーキ、気をつけてね」

大丈夫?

と念を押され頷くと

右足を上げるように俺の左足からも離れていき

やっと俺の右足の痛みが

ブレーキと共に嫁の足に踏まれていたことが分かった

そして俺は

やっとそんな嫁から視線を前に移すと

我らが愛車は

昼なら大層見晴らしのいいであろう

下りカーブの頂点に突っ込む様に停まっていた

しかも

どうやら事故があったばかりの

本当に事故たてほやほやの場所らしく

その事故はどんな勢いだったのか

ガードレールがぶち破られ

残った部分の端と端が

まだビニールテープで結ばれているだけの場所で

俺たちの乗った車の鼻先が

風にゆらゆらと揺れるビニールテープに

ギリギリに触れている位置だった


嫁は

今更肝を冷やしている俺をじっと見てから

「そのまま待ってて」

とゆっくりと車から降りて

片手に持っていた鞄から塩の入った袋を取り出すと

塩を車の前にパッパッと振り撒いた

そして

運転席側に周り

俺に車から出てくるようにジェスチャーをし

俺はエンジンを止めて

ガチガチに強張っている身体を何とか動かし外に出ると

しんとした山の中

タイヤの焦げた臭いと坂道にはブレーキ跡

嫁は俺に向かって

叩きつけるように塩を振り撒いてきた

更に

残りの少量を自分にも振り掛けると

「運転、替わるから」

ずっと強張ったままの顔と静かな声で交代を申し出てきた


大人しく助手席に収まった俺は

峠道を無事に抜けてから嫁の話を聞いた

嫁の話だと

峠道に入った辺りから段々と運転が怪しくなって

道は一本道なのにやたら迷うようにふらふらし始めて

返事もあやふや

たまに通りすぎる対向車にもクラクションを鳴らされる有り様

何度声を掛けても肩を叩いても

峠の頂上に着いた頃には

「大丈夫なの?ねぇ?ねぇってば!」

と聞いてもすでに返事はなく

「停まって!お願い!」

と強めに言っても聞いてもらえず

スピードだけは上がり続け

とうとう

きつくなる下りのカーブで更に強くアクセルを踏み始め

駄目だ完全におかしいと思った時には

もう

一番危険な

見晴らしだけはすさまじくいい急カーブだった

嫁は

もう何を考える間もなくシートベルトを外し

身を乗り出してハンドルを掴み

右足を運転席の足許に突っ込んで全身の力を足に込めて

急ブレーキを踏んだと

嫁の話だと

嫁は寝てもいなかったし

状況的に寝るどころでもなくナビは正常に動いていた

そして

分かれ道はたまにあったけれど

鋪装のなされていない道がたまにある程度で迷うような分かれ道は一つも無かった

おかしいのは

「ただあなた一人だった」

と言われた


そして

あの時はあまりの衝撃と緊張と恐怖で全く気づかなかったけれど

助手席で徐々に足の痛みを感じるようになり

病院へ行ったら

右足の指の骨が折れていた

しかし

その程度で

俺もそうだけれど

嫁の命が助かったのだから安いものだ


あれから

俺も天然塩を少量持ち歩くようになった

嫁が塩を持つ意味は

「特にはないよ

一応お守りの代わり程度

ほら

お守りって処分しにくいでしょ

お塩は使えるから」

雑で合理的な理由だった

でもって取り替えてた塩

使ってたのか

いや

別にいいけれども


俺が鞄に忍ばせてる塩は

たまに出先でテイクアウトした

バーガー○ングのポテトに振って食べてる

当然

「塩分高過ぎ!」

と怒られるのだけど

疲れてる時の追い塩は美味いんだよ

たまに塩薄い時もあるし


それからもたまにドライブはしているけれど

山道を走るのはやめた

正確には

昼でも怖くて走れなくなった


そして

夕暮れ前から始まる高速の渋滞でも

あの延々と続く

赤く光るテールライトに

うんざりではなく

安堵する日が来るとは

思わなかった









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