第3話 不在の証明(後編)

 涼正りょうせいは、遺体発見現場に足を運んだ。


 警察とて、怪鳥かいちょうがいると本気で考えてはいないはずだ。ほかに証言もなく、念のため水渕みずぶちに怪鳥について調べるよう依頼をした、といったところだろう。この世に存在しないものを、警察が本気で調べるわけにはいくまい。


 現場は、公園のはしだった。木々や段差によって、海辺からは死角となっている。街灯も少ない。遺体発見時、公園周辺に何人いたかわからないが、仮にここから怪鳥が飛んだとして、発見者が数人のみというのもうなずける。そんな場所だ。


 警察による現場検証は終わっており、ここで遺体が発見されたと一見しただけではわからない。あたりを捜索したところで、なにも見つからないだろう。この国の警察は、それなりに優秀だ。


 不在の証明は、存在を証明するよりもはるかに難しい。たとえば、羽や足跡が見つかれば、怪鳥がいると証明される。

 逆に、痕跡がなくとも存在している可能性はある。不在の証明にはならない。


 不在を証明するのは、ほぼ不可能だ。

 それでも、涼正が妖怪の存在を否定するのは、存在の証明もまた、されていないからだ。


(妖怪など、この世に存在しない)


 書籍にはしばしば妖怪の記述があるが、それらは想像の産物か、想像の産物を使って現象の説明をしているかだ。どちらにしても、妖怪が実在するわけではない。


 涼正は、腕時計を見た。長針も短針もぴたり「Ⅻ」の文字をしめしている。


(日付がかわったか)


 十日前に怪鳥が目撃されたのも、日付がかわるころだった。そう考えたときだ。

 嵐のごとき突風が吹き荒れた。しかも、風は涼正が立っているごく限られた範囲だけに吹いていた。遠くに見える木々は、ゆれていない。


 あまりの風の冷たさに、涼正はコートをかき合わせた。


(何だ?)


 しばらくして、風はやんだ。おそらく五秒も吹いていなかっただろう。

 ふたたび前を向いたとき、涼正は思わず目を見開いた。


 一対の目が、はるか上から涼正をとらえている。


 それは、怪鳥としかいいようがなかった。高さは五メートル近くある。翼と足は鳥のようだが、からだには蛇のようなうろこがついている。頭も鳥ではない。くちばしのついた人間の頭だ。


(まさか、こんな)


 かたくなに否定していたものが、今、目の前にいる。


 涼正はとっさに身がまえた。護身術は心得ているが、人外に通用するだろうか。

 こんなことなら、水渕の言葉を肯定しておくべきだったか……いや、肯定したところで、水渕がともに調査をしたとは限らないし、水渕がいても怪鳥をどうにかできるとは思えない。


 怪鳥が翼を広げて、くちばしを開いた。涼正は、動くことができなかった。認めたくないが、恐怖で足がすくんでいた。


 怪鳥が、くちばしで何かを吸おうとした。そのとき、涼正の前で紫色の光がひらめいた。


「ふう。あぶなかった」


 怪鳥の悲鳴にまじって、なんとも間の抜けた声が聞こえた。


「ぎりぎりだったね、桜ちゃん」

「先輩、どうしてここに? あの光は」


 水渕は笑った。今は、スウェットではなくスーツを着ている。


「俺の尾行もなかなかでしょ。怪鳥が襲ったのは『端整な顔立ちの若い男性』ってことだから、君をおとりにしたら出てきてくれるんじゃないかと思って」


 なかなか大胆なことを考える。だが、端整な顔立ちかどうかはともかく、おとりにされたことを怒る気にはなれなかった。目の前で起きたことが整理できず、それどころではない。


「で、あいつの動きを封じられたのはこれのおかげ」


 水渕が見せたのは、小指の先にも満たない紫色のたまだった。なにやら文字が書かれている。


瑪瑙めのうだよ。書いてあるのは荼枳尼天だきにてんを表す梵字ぼんじ。これをこっちの銃で撃ったわけ。いやー、俺も意外と霊力あったんだなー」

「霊力?」

「俺のおばあちゃんの実家、寺なんだ」


 そういうものなのだろうか。

 自画自賛する水渕をながめていた涼正は、不意に足の力が抜けるのを感じた。


「おっと」


 涼正のからだを、水渕が抱き留める。


「これでわかった? 妖怪は実在するって」


 視線を動かすと、怪鳥が光の縄から抜け出そうともがいている。


「残念だけど、俺は一時的に動きを封じるしかできない」

「このまま、放っておくのですか?」

「今は、怪鳥が実在するとわかっただけでよしとしよう。事件の真相より、君のほうが大切だ」

「……わかりました」


 なんとも表現しがたい感情を抱きつつ、涼正はうなずいた。水渕に支えられて歩くうちに、いつの間にか意識を失っていた。




 ◆2月25日 午前7時00分



 目を開けると、ベッドの上だった。やわらかいシーツと、ほどよい重みの羽毛布団が心地よい。カーテンの隙間から、朝の光がこぼれている。


「起きた?」


 首をかたむけると、ベッドの端に水渕が座っていた。雑誌を読んでいる。どうやらここは事務所の仮眠室で、涼正は一晩中眠っていたようだ。


「あの怪鳥は、どうなりましたか? 事件との関連は」


 涼正はからだを起こしつつ、水渕にたずねた。いつの間にか、上着を脱がされている。


「仕事熱心だな。妖怪なんていないって、あれほど主張してたくせに」

「自分の目でたしかめたのですから、もう否定はしません」


 水渕が、布団の上に雑誌を置く。


「君らしいこたえだ。まあ、依頼者には『怪鳥は存在しました』って伝えておくよ。どっちにしても、俺のつけ焼刃の術じゃ、あれ以上はどうしようもないから」

「その件ですが、先輩はなぜ、あのような術を知っていたのですか?」


 ああ、とうなずきながら、水渕は例の瑪瑙をポケットから取り出した。


「瑪瑙っていうのは、もともと魔除けの石で、荼枳尼天の梵字を書いたのは、知ってる梵字がそれだけだったからだ。俺、大学のとき民俗学にはまってて、そのときに身につけた知識を適当に使ってみただけだよ。銃のほうは、おもちゃだし」


 つまり、怪鳥の動きを止められるかどうかは、水渕本人にもわからなかったということだ。我が身の危うさを思い知らされて、涼正は寒気がした。


「桜ちゃん、鳥肌立ってる」


 水渕が、面白がって首にふれようとする。その手を払いのけて、涼正は視線をそらした。

 どうなっていたとしても、今回の件については、涼正に落ち度がある。


 水渕が、ふっと息をついた。


「けど、君が無事で本当によかった」

「……助けられたのは、これで二度目です」

「そう? 俺、前にも君を助けことあった?」


 涼正はこたえなかった。だが、今の桜野さくらの涼正という人格は、水渕はじめがいなければ存在していない。それは、事実だ。


「一つ、お聞きします」

「何?」

「あなたは、はじめから妖怪の存在を知っていたのですか?」

「いいや。けど、いるって考えたほうが楽しいでしょ」

「そうですか」


 予想どおりのこたえだった。

 涼正がかれた水渕一とは、そういう男だ。




 妖怪退治をする銀髪の二人組のうわさを涼正が知ったのは、それから二日後のことだった。

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苦労人と自由な相棒 辰栗 光 @tatsukuri_hikaru

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