ハロー、トゥエリア【無料版】

月見 夕

明日の天気も金次第

「ハローハロー、トゥエリアにお住まいの皆様」

 寝室に鳴る天気予報の声で、今日も目が覚めた。アラーム替わりに設定したのは他でもない私だ。その日の心の持ちようが変わる。だからもぞもぞと布団から顔だけ出して耳をそばだてた。

「――本日の天気は晴れ、昼からところによりマヨネーズの予報です」

 やだなぁ、今日はマヨネーズか。ねっとりした油とも水ともつかないあの白い物体をが降り落ちる様を想像し、起きて早々にも関わらず布団を被り直したくなる。

「会社休もうかな……」

 しかしそんなことも言っていられず、迫る始業時間に備えて私は布団からのそのそと起き上がった。



 ここはメタバース企業としては最大手のトゥエリア社が運営する、バーチャル空間【トゥエリア】だ。

 災害や異常気象の深刻化や少子高齢化による人口減少、通勤通学・買い物難民の増加により、2050年代ごろからこの国の人々は現実世界だけで生活することに困難を覚え始めた。

 その受け皿になったのが、当時はまだビジネス目的でしか使用されることのなかったメタバース空間だった。仮想空間のここでは現実世界で煩わしかった空間の制約なしに生活する事ができる。

 買い物はトゥエリアに接続されたオンラインショップで世界中の品物を即時購入する事ができるし、行きたい場所へは体感コンマ数秒で行ける。

 現実世界の私たちは完璧な温度湿度が保たれた安全な地下シェルター内のベッドの上でぬくぬくしているはずだ。食事排泄もすべて自動で処理されるため、私のように24時間365日をトゥエリアで過ごす人間も少なくない。


 しかし仮想空間の人口が増えるほど、そちらでの社会が生まれることも事実。とうとうトゥエリア内にする企業も現れ始め、あれよあれよという間に行政の出張所が開設され、然るべき仮想空間内の法整備が行われた。

 こうしてトゥエリアは人類の新天地にして理想郷、という名の新しい現実世界になったのである。

 とはいえその生活を維持するためには金が必要だ。トゥエリアは基本利用に関しては無料だが、五感コードと呼ばれる擬似感覚のうち、無料の視覚と聴覚を除いた嗅覚・味覚・触覚に関しては有料サブスクリプションとなっている。いい商売してると思う、本当に。

 そして何もベッドで寝ているだけで金が生まれる訳ではない。欲しいものがあったら稼いだ金で買わねばならない。

 掻い摘んで言うと、理想郷こっちでも普通に働かなければならないのである。かなしみ。


 とはいえ、現実世界とは違いここでは文字通りドアトゥドアで職場に接続しているし、有料コンテンツを解放すれば絶海の孤島に居を構えることも、空を自由に飛ぶことも可能だ。

 元の身体が老衰や病死を迎えない限りここでは死ぬ事がないし、痛覚は共有されないからやれ加齢で身体が痛いだの何だのというボヤきからは無縁である。そこはありがたい。

 さすがはメタバースのトップランナーたるトゥエリア社、「みんなで同じ夢の中へ」のキャッチコピーも伊達じゃない。

 私もたまに寝たきりになっているのメディカルチェックのためにログアウトすることがあるくらいで、ほぼ毎日トゥエリアで過ごしている。快適さ故にもう元の世界では暮らせなくなっていたのだ。


 だがそんな夢のような生活に、最近私は不満を抱きつつあった。

 原因は先の天気予報である。

 それまで無料版のユーザーにとって、トゥエリアは白を基調とした、シンプルかつ機能的なデザインの街並みだった。

 しかしある時から風景のそこここに企業広告が目立ち始めたのである。どうやらトゥエリア社はユーザー向けの有料コンテンツの販売をするだけでなく、企業向けに広告掲載を持ちかけ広告収入を得るようになったようだ。業界のトップランカーの癖に、まだ取れるところから取る算段なのだろうか、とその時は鼻白んでいた。


 ところがある日、耳を疑う天気予報が流れた。

「本日はスポンサーのスカイウェル・ボトラーズ社の協賛で、なんと午後からは新商品のダイエットコーラが降る見込みです」

 最初は何の冗談かと思った。コーラ? 誰が何のために? バーチャル空間とはいえ国内人口の7割が暮らしているのに、そんなファンシーな雨が降ってたまるか、と。

 しかし天気予報通り、その日の午後3時ちょうどから空からしとしとと黒い雨が降った。

 仰ぎ見れば、雲を模したテクスチャーに「新・ダイエットコーラ発売中!」とポップな字体が踊っている。

 私は味覚コードを解放してないから味は分からなかったけれど、上司は「あれけっこう甘さ控えめだったね」と朝礼で話題に挙げていたから、ユーザー全体で見れば反応としては上々だったようだ。

 飲料会社側がトゥエリアの運営に一体いくら払ったのかは計り知れないが、たぶん数千万もの瞳に広告は映り、も上手くいったのだろう。ダイレクトにも程がある宣伝によりそのコーラは大いに話題になり、爆発的に売れたそうだ。


 トゥエリアはそれに味をしめてしまった。

 その後どうなったかは多く語らずとも想像が付くだろう。

 充分すぎる成功事例に食い付いたあらゆる企業が、「ぜひ自社製品をトゥエリアで降らせて欲しい」と殺到したのである。

 トゥエリア社はそれらの一切を拒まず、大手を広げて迎え入れた。

 するとどうなるか。毎日1時間、あらゆるものが空から降ってくるようになったのだ。ぱっと思いつくものを挙げると、鯖缶にドッグフード、車のフィギュア(多分車のメーカーの仕業)、保険のパンフレットなんかが降った。コンビニのロゴマークなんてのもあったから、もう何でもありだ。拝金主義の運営のせいで、近頃は視界が広告まみれになってしまった。



「おはよミカコ。今日の昼はマヨネーズだってね」

 玄関ドアの先に自動接続された職場に足を踏み入れるや、同僚のスズカが声をかけてきた。

「私マヨネーズ好きじゃないのよ……」

「えー美味しいじゃん。天気予報聞いてほら、今日のお弁当のサラダは何もかけないで来たの」

 スズカはそう言って生野菜が詰まった弁当を開いて見せた。その弁当箱は開け放った窓の外に差し出すつもりだろうか。まったく、天気予報に昼食が左右されるとは恐れ入る。

「ミカコも味覚コード解放しようよー。ここなら津々浦々の美味しいもの食べ放題じゃん。もったいないよ」

「スズカ、飲みに行きたいだけでしょ」

「バレた?」

 いま味覚コードを解放したら、外出のたびに天気予報を気にせばならなくなるのは間違いないだろう。

 天気が広告まみれになる前ならまだしも、と溜息を吐いて自分の席につく。

 スズカはこの世界トゥエリアからの新着情報を掌の上に映し出し、確認するや私に振り返った。

「ね、バージョンアップ情報見た?」

「大体読まずに既読スルーしてる」

「だろーと思った。これ見てほら」

 食い気味に迫る彼女に若干面倒臭く感じながら、ぼんやりと空中に浮かんだステータス画面を覗き見る。

「明日からさ、その日降るものはSNS経由で決まるらしいよ」

 そこには確かにスズカの言う通り、「ユーザーと新たなエクスペリエンスとの出会いを飛躍的に促進」するためだとか何とかで、国内でもユーザー数の多い短文投稿型SNSとの連携が綴られていた。それによると、どうも直近24時間で最も多く投稿された内容がその日の天気に反映されるらしい。

 面倒なことになってきた、と私は眉根を寄せる。

 これはつまり、SNSユーザーの興味関心の的となったものがトゥエリアの天気になるという事だ。

 私はSNSのアカウントを持たない。だからいまSNSで何の話題が盛り上がっているのかも知らない。

「楽しそうじゃん。明日は何が降るのかな」

 スズカはステータス画面を閉じてそう言うが、私は嫌な予感しかしなかった。最低限の理性を持つ企業ならまだしも素人の投稿の集積だ。何が降ってもおかしくない。

「前よりロクなもん降らないんじゃないの」

 青い息混じりにそう言う私に、スズカはあっと声を上げた。

「多分分かったわ、私」

「何が降るの」

「明日は何の日でしょう?」

「………………あー」

 遅れて思い当たった私は、朝からどっと疲れが増したように感じた。



「ハローハロー、トゥエリアにお住まいの皆様」

 いつもの朝だ。いつもの声で、いつもの天気予報が流れていく。

「本日は快晴、午前中からところにより――」

 でももう私には分かってる。何が降るのかなんて。今日が休みで良かったのかもしれない。

「――たくさんの猫が降るでしょう」

 そう、今日は2月22日。

 古くからこの日は「猫の日」と呼ばれる。猫を愛してやまない人間にとってはその持て余す猫愛を叫ぶ日であり、猫関連の話題と商材が消費される日でもある。

 スズカに招待されて新設したSNSのタイムラインを見れば、他所様の猫の画像が次から次へと投稿されていた。それこそ川のように、もうほぼ氾濫するのではないかという勢いで猫の写真が、絵が、動画がシェアされていく。

 本番2月22日が待ちきれず、「前夜祭」と称して昨日から画像を投稿する強者たちもいたようで、中には「#トゥエリアに猫を降らせよう」なんてハッシュタグ付きの投稿も散見された。余計なことを思いつく人間もいるものだ。


 開けた自室の窓から空を仰げば、SNSのロゴを掲げた白い雲がふわふわとこちらへ向かって来るのが見えた。やめろこっち来んな。

 玄関を出てトゥエリアの街並みへ飛び出すと、猫の雨を一目見ようと家から出て来た人々で外は賑わっていた。

 私の願いも虚しく上空に到着した雲のテクスチャーを睨む。

 どこか高い空で「にゃーん」と聞こえた気がした――次の瞬間。

 雨やあられよりもはるかに大きな何かが、ばらばらと空から落ちてくる。

 両手両足を広げてスカイダイビングをする猫、丸くなったまま落ちてくる猫、お気に入りの箱に収まった猫、ふわふわの長毛猫、三毛猫、黒猫、ぶち猫、猫、猫、猫……

 大小様々、ありとあらゆる猫が快晴の空から降ってきた。

 彼らは地上に近付くにつれて徐々に落下スピードを緩め、柔らかく着地する。

 後から後から降ってくる猫に、見守っていたユーザーたちは歓声を上げた。

「にゃーん」

 ふと足元を見れば、小さな白猫が金色の瞳で物欲しそうに私を見上げていた。

 猫は別に嫌いじゃない。日向で丸くなって寝転んでいる様は人並みに可愛いとは思う。けど無数に降ってこなくていい。

 そうこうしているうちに屋根も門柱も柵も車も道路も何もかも、平たい場所は全て猫に占拠され、人間たちは足の踏み場もないほどのもふもふの洪水に巻き込まれた。

「うにゃ?」「にゃにゃ」「にゃあお」「ふみゃああ」「にゃあご!」「ぎにゃ!」「ふー!」「にゃあん」「うみゅ」「ごろごろごろ」「にゃああ」「みー」「すぴー」「にゃーん」「にゃんにゃんにゃん」「なーん」「にゃにゃ!」

「ああああああああもうまとめて鳴くな!!」

 私の叫びは猫たちの大合唱に掻き消されていく。それでもまだ滝のような大猫雨が街に降り注いだ。運営も降猫量ぐらい調節しろ。

 たまらず自宅に駆け込み玄関ドアを閉めたが、扉の向こうからガリガリと爪を研ぐ音がした。アパートに傷が残ったら運営を訴えよう。

 閉め切った窓の外に目を遣ると、猫たちは思い思いに歩き回り、家々の外壁や街路樹で一斉に爪を研ぎ、その辺に毛玉を吐き、屋根の日向の取り合いをしたりしていた。実に自由だ。

 対して人間共はというと、私のように早々に家に退却した者もいれば、無数の猫に代わる代わる乗られて恍惚とした表情を湛えた者もいた。

「勘弁してよ……」

 視界の猫濃度の高さに耐えきれなくなり、私は思わず「ログアウト」を選択した。



 日が暮れてからトゥエリアに戻ってくると、既にあの忌々しいロゴ入りの雲はどこかへ去り、街並みは何事もなかったかのように元通りになっていた。後片付けの早さはまあバーチャル空間ならではだ。すっかり静けさを取り戻したいつもの夜にほっと息を吐く。

 どうせSNSの話題はでは昼間の猫嵐で持ち切りなんだろうな。ひょっとしたら明日も今日の余波で同じように猫が降るかもしれない。そしたら次も、その次の日も……?

 猫の予報はしばらく続きそうだ、とぐったりしてSNSを開くと――トレンド画面では昼間とは一転、別の話題が取り沙汰されているようだった。

「スズキ大臣W不倫」「不倫&巨額の贈収賄発覚」「傘下の政治団体も裏金」「渦中のスズキ大臣が記者に暴行」「大手企業の入札に直接関与」……タイトルを目で追うだけで、現職のスズキ大臣が方々で大変なことをやらかしたことだけが伝わってくる。ロイヤルストレートフラッシュかよ。

「何これ……トレンド1位から7位まで全部スズキ大臣関連じゃん」

 どのトレンドワードを検索しても、スズキ大臣の脂ぎった顔と彼の行いを糾弾する文章が出てくる。猫はもはや8位以下に追いやられていた。

 やめろ、それ以上盛り上がるな。

 いや、もう遅いか。この調子だと夜が明けて明日の朝になってもこの近年稀に見るほどの特大政治問題で話題は持ちきりだろう。

 となると、明日の天気は――


「プレミアムプランに入ろうかな……」

 月額8千円で手に入る、広告の表示がなくなる生活を本気で検討しながら、私は深々と溜息を吐いた。

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