第3話

 真相は、意外な所からもたらされた。


「……どういうことでしょうか、アイリーン様」


 さっき聞いたことが理解できず問い返した自分に、目の前の美少女が楽し気に笑った。


「だから、貴方の嫁ぎ先のお話よ。ヴェルヘルミナお姉様」

「それが、……ハンブリング辺境伯、だと?」

「ええ!」


 楽しくてしょうがない、とばかりアイリーンは満面の笑顔で答える。多分、十人中過半数は美しい、と評する笑顔だ。

 その心根がどんなに高慢ちきのドロドロの腹黒であっても。

 アイリーンはレイマーク王国第四王女、母親は第三側室でヴェルヘルミナにとっては異母妹に当たる。柔らかい栗毛と父王譲りの青い瞳を持つ美少女。

 異母妹と言えど母親の第三側室は伯爵家出身で、アイリーンの兄、つまり王子を産んでいる為、王宮における立場は比べるべくもない。本来ならばヴェルヘルミナなど歯牙にもかけない存在であるのに顔を合わせれば嫌がらせをしてくるのは、ヴェルヘルミナとのわずか一月の年の差に理由がある。

 ヴェルヘルミナとアイリーン、第三王女と第四王女は同じ年、たった一月違いで産まれた。それだけのことだがアイリーンは気に喰わない。母親である第三側室と、その実家も、またしかり。

 伯爵家とは言え、王子を産んでいるとは言え、所詮は第三側室。

 現王には他に五人も王子がいる。当然正室が産んだ王子も。王宮における生家、伯爵家の発言力拡大を狙って輿入れしたものの成果は芳しくなく、その鬱憤晴らしとばかり、ヴェルヘルミナに地味な嫌がらせをしてくるのである。今日も、昨日の父王同様前触れもなしに訪れたかと思えばこちらが何とか淹れたお茶にニコニコと文句をつけ、そして得意げに嬉しげに言ったのだ。

 お輿入れおめでとうございます、と。


「ハンブリング伯はね、王都から東、ワッシャー地方を治める方よ。ご存知かしら?」

「……ええ、まぁ」

「あら意外だわ。世間知らず、いえ温室育ちのお姉様が」

「ご評判、ですから。お名前くらいは、流石に」


 あらぁ、とまたアイリーンは楽し気に声を上げた。姉の無知を扱き下ろすという大好物がなくなったのに、機嫌よくコロコロと笑う。


「そうなの、ご評判でいらっしゃるのよね、色々と……。変わったご趣味をお持ちだとか?」


 変わった趣味、とは一言で言って変態趣味である。

 年の頃は六十を少し過ぎたほどか、にも関わらず精力旺盛。大変な好色家で愛人も多く囲っている。多く囲えるだけの財力を持っているのが、この場合大問題だった。

 現王室は貧しい。

 ヴェルヘルミナが今日の食事にも事欠きがちなのはおおよそアイリーンたち王宮の者の仕業だが、それだけが理由でもない。要するに大元が貧しいからそもそもの予算が削られているのだ。


「でも大変な資産家でいらっしゃいますもの、きっと贅沢をさせていただけますわ。ああ、羨ましいこと!」


 つまり、ヴェルヘルミナは売られる。身売りだ。王室は、金欲しさに王女を辺境伯に売るのだ。


 流石に血の気が引いていくのを感じる。カップを持つ手が震えないようにするので精一杯だった。一方その様を見つめるアイリーンの表情は、いっそ恍惚と言っていい。アイリーン、とつい敬称もなしに零したヴェルヘルミナを咎めることもせず、優し気になあに? と小首をかしげて見せた。


「輿入れ、はいつの予定なのでしょうか。私はまだ、何も伺っていなくて」

「まぁ、そうでしたの。きっとお父様もお姉様を手放したくなくてお伝えしなかったのですわ。きっとそうですわ」

「フザケンナ」

「え?」

「それで、いつでしょう? 準備もせねば」

「え、ええ、そうですわね……。遅くとも半年後、くらいじゃないかしら」


 ――半年!!

 溜まらずカップを皿に落とした。幸い大きな音はしたが割れはしていない。

 アイリーンが益々満足げに笑みを浮かべ、そして気遣わしげな音色でお姉様、と声をかけた。


「急なお話で動揺されるのも無理はありませんわ。私もお姉様と遠く離れてしまうのはとても辛くて……」

「フザケンナ」

「えっ?」

「えっ?」

「え、えーと……、兎に角、ご自愛くださいませね。ご出立まであまり時間はありませんけれど、私がお手伝いできることもございましょう。またお伺いいたしますからっ」


 見送らずにいるのにも今日ばかりはご機嫌で、鼻歌交じりに去っていった。

 一方のヴェルヘルミナは腰かけたまま身じろぎもしない。


「姫様……」


 ヒルデの声にも反応を返さないまま、しばらく時が流れた。

 外は長閑だ。日差しは春の柔らかさで辺りを包み、どこかで鳥が鳴いている。まるでそのまま午睡でも、と思うほど長閑だった。


「姫様、」

「さて」


 何度目かの呼び声に、ようやく反応が返った。

 冷め切っていたお茶を行儀悪くも一気に煽って飲み干し、ガチャンとこれまた品の悪い音を立てた。


「姫さ、」

「逃げるわよ、ヒルデ」

「へっ!?」

「ボヤボヤしてる暇はないわ、今すぐ荷をまとめて!」

「ひ、姫様っ? 逃げる、とは……」

「そのまんまよ! ここから逃げるの、王宮と、王族と、あと変態爺から!!」

 勢いよく立ち上がったヴェルヘルミナが駆け出す。自室に飛び込み嵐の如く荒々しさで辺りをひっくり返しだした。


「姫様、そんな急に、」

「アイリーンの様子じゃ嘘の可能性は低い。正式に王命が下る前に、少しでも遠くへ逃げないと」

「でも……、お、追われます!」

「かもね。だからって、何もしないで言われるまま従うなんて、私は嫌」


 振り向きざま、まっすぐにヒルデを見据えてヴェルヘルミナが言った。その眼差しの強さに思わずたじろぐ。ヴェルヘルミナの全身を包む怒りの炎は一見静かだけれど、その身の内では激しすぎるほど燃え滾っている。たかが十四かそこらの女の子は、緑の瞳を炯々と光らせてヒルデを圧倒していた。

 この眼に、ヒルデは敵わない。

 気は進まない、王命に逆らうなど。だが、アイリーンの言葉が真実であるなら、ヴェルヘルミナの言う通り、何もしないなんて出来ない。

 結局、深々とため息をつく以外なく、それでもって自分の意志が伝わったことを認めたヴェルヘルミナは荷造りに戻る。不承不承、ヒルデもそれに加わった。


「急ぐ必要はあるけど、一応言い訳もしてくわ」

「何かお考えが?」

「王に咎められたけど何もできない我が身を嘆いて、ってことで良いんじゃない? 役立たずは消えますって書置きくらいしとくか」


 あっこれは相当根に持っている。

 案外根に持つ性格だったか。ヤラレタラヤリカエスか。


「ですが、輿入れの話は。王室の懐事情が厳しいのは変わりませんし、やはり姫様をそのままにするとは……」

「いるでしょ、他にも適当なのが」


 ――まさか。


「アイリーン様を身代わりに?」

「あれだって腐っても王族なんだから、義務は果たすべきよね」


 たまらず声を上げたヒルデに、振り返らず手を動かしたまま、ヴェルヘルミナは片眉だけで器用に笑ってみせた。酷薄な笑みは、またしても十四歳のものと思えない。


「どうせ私じゃなきゃ駄目な理由なんてないでしょ。ただ若い王女が良いってだけで。それならアイリーンだって全く問題ないはず」

「ですが、アイリーン様のお母上やそのご実家が黙ってはいないでしょう。追手が増えるのでは?」

「そこまでする? アイリーンが私の代わりに輿入れしたら、王に恩が売れるじゃない。アイリーン本人や母親が嫌がったって伯爵家が黙らせる方に賭けるわ」

「……一理、ありますが……」

「全く安全とは言わないけど、きっとそこまで時間もお金もかけては探さない。輿入れは遅くとも半年後ってことだから、それまで逃げ切ればこっちの勝ちってこと!」


 ちょっとは希望が見えたでしょ?

 今度は笑顔はいっそ朗らかと言わんばかりで。年相応のはずのそれに、むしろ背筋の泡立つ思いが、ヒルデはした。

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前世の鍋に運命と執念を煮つめてそれから愛を少々 朝来 @asago_kaku

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