第2話
普段この館に来客などない。
食料の搬入などはあるが、事前に取り決められた日時のみ。慌ててヒルデを見遣るも似たような反応で、つまりは事前の知らせもなかったのだろう。
再度急かすようにベルが鳴った。どうしたものかとヴェルヘルミナが狼狽える一方、ヒルデは侍女としての本分か、一足先に我に返り応対へ出る。ヴェルヘルミナもその後を追った。
「はい、」
「陛下がお渡りである」
「はっ?」
「陛下がお渡りである。王女殿下共々出迎えられよ」
「――はぁっ?」
扉の向こうにいたのは物々しい兵士たち。のっぺりと表情もなく、淡々と告げるだけ告げた後は扉を背に門番のように整列した。
思考の停止したヒルデとヴェルヘルミナの視線が合う。
「……」
「……陛下が、お渡りでございます」
「どうして」
「分かりません、ただ出迎えよ、とだけ……」
「……えっと、とりあえず……急いで準備を、」
「御成りである!」
「嘘っ、もう来た!?」
慌てふためいても既に遅い。結局何一つできず、二人そのままその場で深く腰を折る他なかった。
ゆっくりと、耳障りな音を立てながら粗末な扉が開く。日が差し込み、それが遮られ、複数の人が目の前に現れたのが分かったが視線はとても上げられない。むしろそのまま嵐が過ぎ去るまで待ちたかったが、面を上げよと無慈悲なしわ枯れ声がかけられた。
しばしそのまま迷ったが、従わないわけにもいかない。ゆっくり、恐る恐る身を起こす。ヒルデはそのまま。
「ヴェルヘルミナ、か」
記憶にある限り初めて会う王は、父は、老いた男だった。
元は豊かな明るい色であったろう頭髪は随分寂しく褪せ、しかし手入れはされているらしく良く光をはらみ眩しい。皺の寄った顔は年老いたなりに整っており、青い目は透き通った硝子玉のようだった。豪奢な装いは確かに王の地位にあるものに相応しい、のだろう。
「……申し訳ございません、ろくなお出迎えも出来ず」
再び慌てて頭を下げたヴェルヘルミナに構わぬ、と鷹揚な仕草で王が応える。
「前触れもせず訪れたのは余じゃ」
「お心遣い、ありがとうございます。……それであの、本日はなぜ……?」
「親が子に会うのに理由はいらぬ」
年単位育児放棄が何をぬかすか。
思わず目が死んだが、また頭を下げることでごまかした。
「……陛下のお気持ち、嬉しく思います」
「陛下などと他人行儀な。そなたとは誠の父娘ではないか」
忌々しいことにな。
困った。一向に顔が上げられない。
「うむ、誠に父娘ではある。だが同時に王であり、王女である」
「それは、はい」
「指南役を雇うことだ。そなたの所作は、一国の王女としてはいささか不足があるやもしれぬ」
「申し訳ございません」
「よい。余の目も行き届かぬことはある。王族として産まれたからには、その義務を果たさねばならぬ。しかと覚えておくように」
「……はい」
王は去った。
扉を開けただけ、館に足を踏み入れることすらなく。それほどまで汚いとは思わないのだが。
再び扉が閉まった薄暗い中で、ヴェルヘルミナとヒルデは無言のまま顔を見合わせた。ややあってぽつり、一体何だったの、という独り言が落ちる。
「全く、分かりません」
ヒルデも同意した。
「今まで一度も気にしたことなんか、っていうか会ったことすらなかったのに」
「ええ、それも指南役を雇えなどと……」
「なんで?」
「さぁ……」
「……雇うとして、当然その為のお金は自前なのよね?」
「渋ちんの財務方が出してくださるとは思いませんね。たとえ王命でも」
今のこの国では王命は非常に軽い。重んじられていない。財務方の方が余程力を持っている。偏に王国の深刻な財政難の為だ。王国全土、長年にわたり不作が続き、天災も頻発している。王は暗愚ではないが聡明とはとても言えない。性根も悪くはないだろうが慈悲深いとも言い難く、自身の欲望と快楽を優先させがちだ。
片隅に追いやられた姫でもそれくらいは知っている。むしろ追いやられて外にはみ出した姫だからこそ、かもしれない。民は案外、鋭い肌感覚を持っている。
「私にもないけど、王様もないんだもんね。お金」
それよりも気になるのは、その意図である。何年も捨て置き忘れ去っていたような者の所作や、ましてや王族の義務、などと。何かしら思惑があるのは間違いないが、あまりに唐突すぎて掴めない。
普通なら情報収集に動きたいところだが、王宮において自分の味方はないに等しい。母親の実家はそもそも弱小男爵家、宮中に出仕できるような身分でもない。確か母の兄だか弟だかに代替わりして久しいらしいが、顔を見たこともない。多分あちらもヴェルヘルミナのことなど忘れているだろう。
どうするべきだろうか。王の命に表立って反するわけにはいかないが、ない袖は振れない。体裁だけでも、と思うが頼る伝手もない。
「……孤独だなぁ、私って」
ため息が。ヒルデはお傍におりますよ!と侍女の声だけが慰めだ。
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