第一章 蕾だって、まだ咲かない②
今はアゼリアが住む小屋そのものとテーブルセットには、精霊の力が宿っている。
それは幼い
「あの、ジューニョ様……」
がっくりと力なく
「きみは僕のことを知っているのか?」
「ああ、ええ、まあ。そちら第一部隊の徽章をつけていらっしゃいますし……」
騎士団はいくつかの部隊に分かれていて、その中でも第一部隊とは王太子専属と言われている部隊である。政治に
「そ、その。ジューニョ様が先代と交流があったとは存じ上げませんでした。ご
「いや、彼とは夜に会うばかりだったから知らなかったのも仕方ないよ。それよりも、こんな
「いいえ、まさか」
ちっとも似ていないでしょう、とお茶の準備をしながら
それより、とアゼリアはとぷとぷとポットからお茶を注いでテーブルの上にカップを置く。ポットの温度は不思議なことにいつでも温かく、こんな寒い日はいつでも飲み
「もしよければ、どうぞ」
ディモルはぼんやりと座り込んだまま出されたカップを見て、それからアゼリアを見上げた。
ついつい呼び込んでしまったものの、お茶まで出すだなんてやはり貴族の方に失礼だっただろうか……と不安になっていたはずが、お礼まで言われてしまったのだ。アゼリアが
それからディモルはためらうことなく、
「すみません、ハーブティーは苦手でしたか」
「いや
外から来たばかりだから寒かっただろうと思いわざわざ淹れ直してしまったのだが、もしかすると人に出すには通好みな味だったかもしれない。
こんなふうに寒い日にはぴったりの、スパイシーな
紅茶やハーブティーの淹れ方は庭師の仕事以外に先代から引き
そこまで考えて、ふとアゼリアはディモルに問いかけた。
「先代は私よりもずっとお茶を淹れることが得意でした。……ジューニョ様も、お飲みになったことがおありですか?」
故人を
なんていったってここはもとは先代が住んでいた場所だし、先代がいなくなってから、まだ
それほど強く疑問の声を上げたつもりはなかったのだが、「……そうだね、ある……かな」と、なぜだかディモルは歯切れの悪い言葉だった。アゼリアがわずかに
しかしアゼリアの質問の代わりとばかりに、今度はディモルが気さくな口調で、けれども彼女を
「それで、おじいさんはいつ頃お
「そうですね、一月ほど前です」
「……一月。丁度、僕は任務で不在にしていた頃だ」
「
自分に言い聞かせるようにアゼリアが告げると、ディモルは真っ青な目を驚きに見開いていた。「そんなにご高齢でいらっしゃったのか」と、独り
いくら深くローブを被っていようとも
奇妙な間が落ちた。アゼリアの
飲み終わったところで、ディモルはそそくさと立ち上がった。
「すまない、ありがとう。話を聞けてよかったよ」
仕草ばかりは優雅だが、どこか慌て急いでいるように軽くアゼリアに頭を下げる。そして小さく
しばらくの間、アゼリアは木々の
(もしかして、あの方は……)
アゼリアの
(今後、あの方と
すべては自分が気づかぬふりをしておけばいいだけのこと。
アゼリアは、今日のこと……わずかな夜のお茶会の
もう出会うことはないだろう──そう考えていたというのに、アゼリアが暮らす小屋へと再びディモルがやって来たのはその三日後のことだ。満月の日と同じような、
ディモルはじっと庭に立ち
今日は雪が降っていないので鼻の頭は赤くはない。それでも昼間に降り積もった雪の上に
「……その、この間は申し訳なかった。思わずごまかしてしまったけれど、あれからとても考えたんだ。これから僕が話すことは、きみにとってはバカバカしくも感じるかもしれない。でも全部本当のことなんだ。できれば信じてくれるとありがたい」
そう言って気の毒なほど小さくなってしまった声を聞いて、これはもしかすると、まずはお茶の準備が必要かもしれないとアゼリアは慌てた。長い話になりそうだ。
ローブのフードは、
そして以前にディモルがうっかりともらしてしまった言葉が──深く事態に関わっているのだろうなと、そっと考えた。
先代が亡くなったのは、つい一月前のことだ。
アゼリアにとっていきなりといえばいきなりのことだったけれど、それでも少しずつ、もしかしたらと思うところがあった。
老人は、いつもアゼリアとはわずかな
そんな姿を見ていたルピナスが、「あなたたち、ちょっとくらい話してみたら?」と
──そしてアゼリアは少しばかり不思議な
アゼリアの瞳と目を合わせると、誰しもぞっとしたような表情をして
どれだけ下手くそだと言われようとも、
なので人とまともに会話をするというのは中々ない機会であり、アゼリアにとって大変な事件だった。ディモルはすっかり
「どうぞ。この間と同じものになりますが……」
「ああ、ありがとう」
年季の入った
「ありがとうじゃないわよ。それを飲んだら帰るのよ?」「一目散にね? あなた、ここは婦女子の家ということは理解している? 夜分に来るなんて非常識よ!」「やっぱりあんたはそういうやつだったのね……!」
ちなみにこのすべての
(
そう小さな声で伝えてやりたかったのだが、そんなことをしてしまうとディモルに聞こえてしまう。
「まさかまた来るなんて思わなかったわ! 今日はちゃんと私が追い返して……もごもご」
アゼリアができることといえば、ディモルに気づかれないようにそっとルピナスをローブの内側に入れることくらいである。
「あ……ごめん、気がきかなくて。きみもどうぞ座って」
そんなアゼリアたちの
たしかにアゼリアは庭師であり使用人ではないが、ほとんど似たようなものである。だから前回は
しかしここで無下にするのも失礼なような気がして、アゼリアは少しだけ考えた後、
「……その、さっきも言ったように今から僕が話すことは
そして先程と似たような言葉を
信じるもなにも、アゼリアはすでになんとなくの事情は察していたが、言いふらすつもりもなければ、そもそも口にする相手もいない。
でもそんなことはディモルが知る
「
ディモルの言葉に、アゼリアは
そう、ディモルはアゼリアに自身の名前を知られていることを知ってしまっていた。
これはアゼリアのうっかりだ。彼には申し訳ないことをした、と自然と
再びこの小屋にくるまでの数日、彼は
重たいため息をついてカップを両手で包みながらも小さくなるディモルの姿は噂で耳にする社交界の色男とは程遠かったが、彼にも色々とあるのだろう。あいにく、アゼリアはそんな
なので、すっぱりと告げてしまった。
「ジューニョ様は、
アゼリアの言葉にディモルははっと顔を上げた。なんだか泣き出してしまいそうな、大人なのに子どもみたいな表情だ。言葉は顔が
──ひどい呪いを受けたものだよ。僕は朝が来る
これはアゼリアを先代と
「そう、なんだ」
長いため息と一緒に、ディモルはゆっくりと
そうして、少しずつ語った。
「呪われたのは僕ではなく、ずっと昔の先祖になるんだけれど──」
ジューニョ家に伝わる、そのあまりにも情けない昔話を。
庭師と騎士のないしょ話 真夜中のお茶会は恋の秘密を添えて 雨傘ヒョウゴ/角川ビーンズ文庫 @beans
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