第一章 蕾だって、まだ咲かない②

 がくぜんとくずおれる青年をアゼリアは茶会にさそった。いつまでも寒さにふるわせておくのは気の毒に思ったからだ。ルピナスは夜間のとつぜんの来訪者にふんがいしてさっさと小屋の中に消えてしまっていた。

 今はアゼリアが住む小屋そのものとテーブルセットには、精霊の力が宿っている。椅子いすに座るとふんわりと温かく、雪だって積もらない。誘われるがままに力なく椅子に座り込むディモルをアゼリアは改めてじっくりと見下ろした。鼻筋がすっと通ったひどく整った容貌に、騎士というには線が細い体つきで、かみの毛はさらさらとまるで絹の糸のようだ。

 それは幼いころに両親からものがたりに語られたおとぎ話に出てくる王子様みたいな男性だった。もちろん着ている服もしっかりとしたあつらえをしている。そんな彼を前にして自身の可愛かわいげの欠片かけらもない格好が少しだけ気になったことは否定しないが、いまさらじても仕方がない。それにフードをかぶっているからか、先程よりもずっと落ち着いて対応することができる。

「あの、ジューニョ様……」

 がっくりと力なくかたを落とす青年になんと言えばいいのかわからないまま、とにかく声をかけてみると、ディモルが勢いよく顔を上げて目を見開いたので、アゼリアは思わずめんらってしまった。

「きみは僕のことを知っているのか?」

「ああ、ええ、まあ。そちら第一部隊の徽章をつけていらっしゃいますし……」

 騎士団はいくつかの部隊に分かれていて、その中でも第一部隊とは王太子専属と言われている部隊である。政治にうといアゼリアでもその程度のことは知っている。その他、色々と耳にしている噂をずいして思い出して、とにかく、とアゼリアは話をそらしてごまかした。まさか本人を相手にして、色男と言うわけにもいかない。

「そ、その。ジューニョ様が先代と交流があったとは存じ上げませんでした。ごれんらくもせず、申し訳ございません」

「いや、彼とは夜に会うばかりだったから知らなかったのも仕方ないよ。それよりも、こんなけに驚かせて申し訳なかった。きみは、おじいさんのお孫さんなのかな?」

「いいえ、まさか」

 ちっとも似ていないでしょう、とお茶の準備をしながらしようするアゼリアに、ディモルはあいまいに笑った。それはなんだかみような表情でもあった。しかしわざわざたずねるほどでもない。

 それより、とアゼリアはとぷとぷとポットからお茶を注いでテーブルの上にカップを置く。ポットの温度は不思議なことにいつでも温かく、こんな寒い日はいつでも飲みごろなのだが、今回は新しくれ直した。

「もしよければ、どうぞ」

 ディモルはぼんやりと座り込んだまま出されたカップを見て、それからアゼリアを見上げた。いくぶんおくれて、「ありがとう」と頭を下げてくれたので、アゼリアはまたたいた。そんなことにディモルは気づく様子もなくまた自身の手元を見つめた。

 ついつい呼び込んでしまったものの、お茶まで出すだなんてやはり貴族の方に失礼だっただろうか……と不安になっていたはずが、お礼まで言われてしまったのだ。アゼリアがおどろくのも無理はない。

 それからディモルはためらうことなく、れい作法がしっかりと身についているゆうな仕草でカップに口をつけた。と思えば彼は、はっと目を見開きカップの中に視線を落としている。その姿を見て、しまったとアゼリアはあわてた。

「すみません、ハーブティーは苦手でしたか」

「いやだいじよう。とっても温かくなってきた」

 外から来たばかりだから寒かっただろうと思いわざわざ淹れ直してしまったのだが、もしかすると人に出すには通好みな味だったかもしれない。

 こんなふうに寒い日にはぴったりの、スパイシーなかおりがお気に入りで、アゼリアにとっては特に冬にかかせないハーブだ。このハーブティーを夜のお供に楽しむのは子どもの頃からの習慣だったからついうっかりしていた。現に小屋のはしでは季節に関係なく、黄色くて小さな可愛らしい花がたくさんほこっている。

 紅茶やハーブティーの淹れ方は庭師の仕事以外に先代から引きいで教えてもらったことの一つでもあった。

 そこまで考えて、ふとアゼリアはディモルに問いかけた。

「先代は私よりもずっとお茶を淹れることが得意でした。……ジューニョ様も、お飲みになったことがおありですか?」

 故人をしのびたくなるような気持ちになったのかもしれない。

 なんていったってここはもとは先代が住んでいた場所だし、先代がいなくなってから、まだひとつき。いまだにしんみりとした気持ちになってしまう。

 それほど強く疑問の声を上げたつもりはなかったのだが、「……そうだね、ある……かな」と、なぜだかディモルは歯切れの悪い言葉だった。アゼリアがわずかにまゆをひそめていると、空気を感じ取ったのか。彼はけほんとせきばらいをしてごまかした……ように見えたが、気のだろうか?

 しかしアゼリアの質問の代わりとばかりに、今度はディモルが気さくな口調で、けれども彼女をいたわるように尋ねる。

「それで、おじいさんはいつ頃おくなりに? ついこの間、会ったばかりだと思っていたんだけれど」

「そうですね、一月ほど前です」

「……一月。丁度、僕は任務で不在にしていた頃だ」

こうれいでしたから。八十は過ぎていましたし、仕方がありません」

 自分に言い聞かせるようにアゼリアが告げると、ディモルは真っ青な目を驚きに見開いていた。「そんなにご高齢でいらっしゃったのか」と、独りちるような声を聞き、この人はなにを言っているんだろう、とまたまたアゼリアは首をかしげた。

 いくら深くローブを被っていようともふうぼうや声は隠しきれるものではないし、力仕事はもうほとんど土人形にたよっていた。先代が老人であることなど見ればわかるはずなのに、彼はいまさらながらに驚いている。それに、最初に出会ったときの言葉……。

 奇妙な間が落ちた。アゼリアのいぶかしげな視線にディモルは気づいているのか、ひどく気まずそうにゆっくりとハーブティーを飲み込んでいく。ごくり、ごくり。

 飲み終わったところで、ディモルはそそくさと立ち上がった。

「すまない、ありがとう。話を聞けてよかったよ」

 仕草ばかりは優雅だが、どこか慌て急いでいるように軽くアゼリアに頭を下げる。そして小さく微笑ほほえみ、背中を向けて静かな夜のやみの中へと消えていく。

 しばらくの間、アゼリアは木々のすきに吸い込まれるように消えてしまったディモルを、ただじっと見送っていた。が、ふとテーブルの上に視線を落とすと、アゼリアのカップからは温かな湯気が立ち上っていた。さきほどまでのことがまるで夢のように思えてしまい苦笑したとき、ディモルの言葉や態度から、き上がる疑問がはたとひもけた。

(もしかして、あの方は……)

 アゼリアのかんちがいかもしれないし、そうではないかもしれない。でも。

(今後、あの方とかかわることはないわけだし)

 すべては自分が気づかぬふりをしておけばいいだけのこと。

 アゼリアは、今日のこと……わずかな夜のお茶会のおくを、そうっと胸の内にしまい込むことにした。そして片付けをして小屋にもどると、小さなようせいはいじけたようにベッドの中にもぐり込んでいたから、くすりと微笑み、やさしくなでた。


 もう出会うことはないだろう──そう考えていたというのに、アゼリアが暮らす小屋へと再びディモルがやって来たのはその三日後のことだ。満月の日と同じような、だれもが静まり返る時間である。ルピナスは相変わらず「なんでまた来ちゃったのよ」と悲鳴を上げていたが、ディモルには見えも聞こえもしないので仕方ない。

 ディモルはじっと庭に立ちくしていたが、なにかかくを決めたような顔つきだった。

 今日は雪が降っていないので鼻の頭は赤くはない。それでも昼間に降り積もった雪の上にあしあとをつけて、青年はぎゅっと両手をにぎっていた。

「……その、この間は申し訳なかった。思わずごまかしてしまったけれど、あれからとても考えたんだ。これから僕が話すことは、きみにとってはバカバカしくも感じるかもしれない。でも全部本当のことなんだ。できれば信じてくれるとありがたい」

 そう言って気の毒なほど小さくなってしまった声を聞いて、これはもしかすると、まずはお茶の準備が必要かもしれないとアゼリアは慌てた。長い話になりそうだ。

 ローブのフードは、いでしまうかどうか考えて、やっぱり深くかぶり直した。

 そして以前にディモルがうっかりともらしてしまった言葉が──深く事態に関わっているのだろうなと、そっと考えた。


 先代が亡くなったのは、つい一月前のことだ。

 アゼリアにとっていきなりといえばいきなりのことだったけれど、それでも少しずつ、もしかしたらと思うところがあった。

 老人は、いつもアゼリアとはわずかなきよを置いて接していた。なにを話せばいいのかもわからなくてただ二人でもくもくと紅茶を飲んで、ときおりいつしよに満月を見上げた。たがいに口下手だったのだ。

 そんな姿を見ていたルピナスが、「あなたたち、ちょっとくらい話してみたら?」とあきれ混じりにほおづえをついていたのはなつかしい記憶である。

 ──そしてアゼリアは少しばかり不思議なひとみを持っている。

 アゼリアの瞳と目を合わせると、誰しもぞっとしたような表情をしてけんかんをあらわにする。その上、夜にはかみの色も黒からももいろに変わってしまうのだ。髪の色が変化する気味の悪い人間など、自分以外知りはしない。だからアゼリアは今までも、これからも人と関わるつもりは毛頭ないから、いつも深くローブのフードを被っている。

 どれだけ下手くそだと言われようとも、かげしようちようのような暗い色合いのローブを着て庭園の中で静かに生きることはアゼリアにとってはとても重要で、大切なことだ。もちろん、未熟者なりに庭師としてのプライドもある。

 なので人とまともに会話をするというのは中々ない機会であり、アゼリアにとって大変な事件だった。ディモルはすっかりきんちようしている様子だが、アゼリアの胸の内の音だって中々なものである。お守り代わりのお茶を準備しているうちにやっと緊張がほぐれ、庭のテーブルの上にそっとカップを差し出したときには、なんとか息をすることができた。

「どうぞ。この間と同じものになりますが……」

「ああ、ありがとう」

 年季の入った椅子いすに座りながら、ディモルはアゼリアを見上げてにこりと微笑む。また、お礼を言われてしまった。

「ありがとうじゃないわよ。それを飲んだら帰るのよ?」「一目散にね? あなた、ここは婦女子の家ということは理解している? 夜分に来るなんて非常識よ!」「やっぱりあんたはそういうやつだったのね……!」

 ちなみにこのすべての台詞せりふはディモルの周囲をひゅんひゅん飛び回るルピナスの口から飛び出ているものだ。「ああ、いやらしいわァ……!」とルピナスはぶるっと四枚の羽といつしよぶるいをして、ひいぃとディモルから距離を置く。ディモルには見えていないというところがなんともおかしくて、アゼリアはそっと笑いをみ殺した。

だいじよう、この人はそんな人ではないと思うよ……)

 そう小さな声で伝えてやりたかったのだが、そんなことをしてしまうとディモルに聞こえてしまう。

「まさかまた来るなんて思わなかったわ! 今日はちゃんと私が追い返して……もごもご」

 アゼリアができることといえば、ディモルに気づかれないようにそっとルピナスをローブの内側に入れることくらいである。

「あ……ごめん、気がきかなくて。きみもどうぞ座って」

 そんなアゼリアたちのひとそうどうを知らず、ディモルははっとして手のひらをアゼリアに向けた。「えっ?」と思わずアゼリアがたじろいだのは無理もない。先代と茶会をしていたくせで、椅子はいつも二きやく準備をしてしまっていたが、通常の貴族ならば、使用人相手に同じ席に座ることを願うのはあまりにもみようだ。

 たしかにアゼリアは庭師であり使用人ではないが、ほとんど似たようなものである。だから前回はきゆうをするのみに努めていたのに。

 しかしここで無下にするのも失礼なような気がして、アゼリアは少しだけ考えた後、すすめられるままに椅子に座った。そのときちらりとアゼリアを見たディモルが、うれしそうに顔をほころばせていたのを見て、とても不思議な気持ちになった。が、ディモルはすぐさま覚悟を決めたように表情を引きしめ、じっとアゼリアを見つめた。

「……その、さっきも言ったように今から僕が話すことはこうとうけいなものなんだけど、信じてくれるとありがたい」

 そして先程と似たような言葉をり返した。勧めたハーブティーには申し訳なさそうに手をえたまま動かない。楽しむような気にもなれないのだろう。

 信じるもなにも、アゼリアはすでになんとなくの事情は察していたが、言いふらすつもりもなければ、そもそも口にする相手もいない。

 でもそんなことはディモルが知るよしもないから、緊張したこわいろは無理もないことだ。

いまさらながらだけれど、改めて自己しようかいさせてもらうよ。僕の名前はディモル・ジューニョ。はくしやく家の長男だ。きみもなのかもしれないけれど」

 ディモルの言葉に、アゼリアはあいまいに笑った。彼からしてみれば、深くローブを被ったアゼリアの口元程度しか見ることができなかっただろう。

 そう、ディモルはアゼリアに自身の名前を知られていることを知ってしまっていた。

 これはアゼリアのうっかりだ。彼には申し訳ないことをした、と自然とまゆを下げてしまう。あそこでアゼリアが彼の名前を言わなければ、ディモルだって知らぬ存ぜぬを通してげ切ることができたかもしれない。

 再びこの小屋にくるまでの数日、彼はなやみに悩んだのだろう。あの影の女が、誰かに自身の秘密を言いふらしたりはしないだろうかと。アゼリアにその気はなくとも貴族からすれば庭園のうわさほどこわいものはない。庭園はれいじようたちが集まりおしゃべりをするには格好の場だ。アゼリアにはよくわからないが、聞きかじったところ貴族にとっての噂とはとてもおそろしいものらしい。

 重たいため息をついてカップを両手で包みながらも小さくなるディモルの姿は噂で耳にする社交界の色男とは程遠かったが、彼にも色々とあるのだろう。あいにく、アゼリアはそんなを読み取れるほど人との関わりは深くはないし、真っぐに言葉をくことしかできない。

 なので、すっぱりと告げてしまった。

「ジューニョ様は、せいれいのろわれてしまったのですね?」

 アゼリアの言葉にディモルははっと顔を上げた。なんだか泣き出してしまいそうな、大人なのに子どもみたいな表情だ。言葉は顔がゆうべんに語っている。おそらくごまかそうとした。でも、すぐに首を横にったのは、自身が来た目的を思い出したのだろう。


 ──ひどい呪いを受けたものだよ。僕は朝が来るたびに昨夜のおくをすっかりなくしてしまうんだから。


 これはアゼリアを先代とかんちがいしたディモルが、最初に話した言葉である。

「そう、なんだ」

 長いため息と一緒に、ディモルはゆっくりとうなずいた。

 そうして、少しずつ語った。

「呪われたのは僕ではなく、ずっと昔の先祖になるんだけれど──」

 ジューニョ家に伝わる、そのあまりにも情けない昔話を。

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庭師と騎士のないしょ話 真夜中のお茶会は恋の秘密を添えて 雨傘ヒョウゴ/角川ビーンズ文庫 @beans

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