第一章 蕾だって、まだ咲かない①
ざくり、ざくりと。雪景の中、小さな
少女は片手に体に見合わない大きなスコップを
少女──アゼリアは手袋をして、地味な色合いの分厚いローブを羽織っている。それでも口から白い息が
スコップが重たいからか、自然と息が乱れてくる。力仕事の大半は土に
「ふう……」
「アゼリア、ねぇ、ちょっと
そのときアゼリアのローブの
「少し
とまで話したところで、木々の枝で羽休めをしていた鳥が
「……雪景色を見ながらの散歩というものも、やはり
「ええ。本当に。美しい庭だ。さすが土の
枝に積もった雪がぱさぱさと落ちると同時に、並木道の隙間から姿を現した
「下手くそな
アゼリアは
『影』とは貴族が庭師を
「なによあいつら」と不快を
男たちは鼻白んだようにため息をついたが、すぐにアゼリアのことなどいないもののように会話を再開した。その間、アゼリアはぴくりとも動かず、頭を下げ続けた。
しかしその中の言葉を聞いて、思わずむっと
「……しかし精霊と良き
「まったくその通りです……うわあ!」
「ぎゃあ!」
そのとき、男たちの頭の上に松ぼっくりが落下した。
ぼとぼと、ぼとぼと。一つ、二つならまだしも、二人そろって大量の松ぼっくりが頭に
「あ……」
やってしまった、とアゼリアは思わず額を押さえた。
「ふん。もっとたくさん落ちてもよかったのに」
「さすがにだめでしょう……。失敗したな」
「だって、あの人たち、アゼリアのことを影だって……。嫌な言い方をしていたわ」
むっと
「……
アゼリアの口元はにこりと微笑んでいるが、
先代の影は、つい最近死んでしまった。
アゼリアは彼の
「この庭は陛下から管理を
ゆっくりと目を細めて庭園を見つめるアゼリアが立つその場所は、
──アゼリアと男たちが歩いた道とは、白と緑と、見事なほどに色が
緑の道は、常に王とともにいる大地の精霊がはるか昔に作ったものと聞いている。
アゼリアは庭師である。影としてこの庭園を美しく
そのとき、激しい風が
アゼリアが深く
「……仕事、しなきゃね」
そう独り
プランタヴィエ王国は、土の精霊の守護を持つ国である。
美しい四季折々の移り変わりはときに人々に苦しみを
そんな強大な力を持つ精霊は、もとは四枚の羽を持った小さな妖精として生まれ、ある日、虹色の羽を静かに震わせて、六枚羽の精霊へと生まれ変わるといわれている。
精霊となると
そんな彼女はいつも心配そうにアゼリアの周囲を飛び回っているのだが、今日に限ってはさらにその様子が
「ねえ、アゼリア……やっぱり今日くらいは休んだら?」
「そんなわけにはいかないよ」
と、何度目かの返答を伝えた。
「でも、今日は特に寒いもの。人間って簡単に
「心配してくれるのは、ありがたいことだけどね」
アゼリアはくすりと
そうして白い息を
ルピナスはアゼリアのフードから、ぴょこんと顔を出して心配そうに提案してくる。
「やっぱりもう帰りましょうよ。一日くらい早めに帰って休んだところで、誰もなにも言わないわよ」
「さてね。誰も言わなくても私が気にするかな。私は庭師だし、この仕事は陛下からご
もちろん、直接声をかけられたわけではないのだけれど。
アゼリアは今年で十六になる。庭師としてこの仕事に
両親が事故で死に、行くところもなく手を引かれてやってきたのがこの広大な庭園だった。
今は冬で、
実際は美しい庭を人々に見せることで、精霊の力や、王家の
土の精霊の加護が強ければ強いほどに庭は美しくなるともいわれ、今も多くの人々に愛され、親しまれる場所だ。その庭園の管理を、先代
しかし誰でも庭園に立ち入ることを許されたとはいっても、やはり身分の
より王宮に近く、大地の精霊の加護が強い南の道は貴族エリア、対して反対の北の道は市民エリアとして気づけば長い年月の中で、ある程度の線引きが出来上がっていた。
貴族エリアにある道は不思議なことにいつでも暖かく
貴族たちが庭師のことを
先代の影が亡くなるまではアゼリアは市民エリアの管理を行っていた。
貴族エリアを
さて、そんな雪景色も、手を加えなければただ牡丹雪が降り積もるばかりである。
アゼリアはスコップをまた地面に突き刺して、赤くなった鼻を片手でこすった。そうしてゆっくりと日々の仕事を
──その日は、満月が
アゼリアが日課である庭師の仕事を終え、パンとスープのみの簡単な夕食を食べた後、小屋の窓からふと外の月を
せっかくの満月だと
(……先代も、こんなふうに雪を見ていたのかしら)
手の中のカップの温かさを感じながら、ふとアゼリアは考えてしまう。
アゼリアが市民エリアから、貴族エリアに近い今の小屋に住むようになったのは、それこそ最近のことだ。先代とは
こぢんまりとしているが、しっかりとした造りの丸太小屋は、昔からちっとも変わらない。外見とは裏腹に、中は綺麗に手入れをされていて、先代の
椅子に座ってお茶を飲みながら冬景色を楽しんでいたアゼリアの
「はあ……あったかい」
ここは冬を忘れるくらいに暖かいが、それでも昼間の寒さは忘れられない。紅茶を一口飲んで、ほっと一つ息をついた。そのときだ。
「おじいさん」
背後から、声をかけられた。
聞こえたのは
「ここに来るのも久しぶりだね。ああ、
(もしかして、私と、先代を
びっくりして紅茶のカップをテーブルに置く。重苦しいローブは、先代との共通点だ。背の高さこそ違えど、深くフードを
アゼリアは思わず振り返り立ち上がった。そして声を上げようとした。が、
対して青年はため息をつきながらこちらに近づいている。
頭に被ったフードの布地の
アゼリアはぎゅっと目を
「ひどい
そう彼が
アゼリアの
「きみ、
男は
うまく話すことができないのなら姿を見せてしまえばいいと思っての行動だったのだが、思わず瞳がかち合ってしまいそうになったことに
「え……。きみ、お、おじいさん、じゃ、ないのか……?」
「当たり前でしょ!?」
とすぐさま
もちろんルピナスの姿はアゼリアにしか見えないが、なぜかひどく興奮し始める彼女をそのままにしておくわけにはいかない。男にわからないように、
なんせ彼はアゼリアにとってとてもよく見知った顔であったからだ。
胸の中が、ふいに温かくほころんでいく。同時にゆっくりと、心の中に
──男の名はディモル・ジューニョ。
テーブルの上に置かれたランプの小さな明かりの中でもはっきりとわかるほどに整ったその
そういった
ディモルというこの騎士は、この誠実そうな外見とは裏腹に、夜会に姿を現したかと思えば気づけばどこぞのご令嬢を
噂だけを聞くとふしだらな
その顔を改めて見て、アゼリアは
当のディモルといえば今も
しかし彼の背はアゼリアよりもずっと高く、目が痛くなってしまうほどだ。そして
「あの、し、失礼
「目を汚す? なぜだ?」
ルピナスを押さえる手とは反対の手で慌ててフードを被ろうとするアゼリアに対してディモルが不思議そうに首を
それに……と考えた。なぜだかわからないが、アゼリアの菫色の
お前は
だからなるべく姿を
「……おじいさんは、一体どこに?」
青年の声には
しんしんと雪が落ちる音ばかりが
言っていいものだろうか。
(ううん、ごまかしても仕方がないわ……)
逡巡したのは一瞬だ。
「……先代は、死にました」
彼はアゼリアの言葉を
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