第一章 蕾だって、まだ咲かない①

 ざくり、ざくりと。雪景の中、小さなあしあとが進んでいく。

 少女は片手に体に見合わない大きなスコップをかかえていた。すでに雪はやみ、わたった真っ青な空がどこまでも広がっている。けれども冷えた風はふとしたときにふるえてしまうほどの寒さを運んでくる。

 少女──アゼリアは手袋をして、地味な色合いの分厚いローブを羽織っている。それでも口から白い息がれ、鼻の頭はすっかり赤くなってしまっていた。きゅしゅり、きゅしゅり。雪をみしめるたびくつぞこから不思議な音が響く。毎年同じはずなのに、それでもこの感覚に慣れないように思うのは今年が特に寒いからだ。それから、少しばかりさびしく感じているのかもしれない。

 スコップが重たいからか、自然と息が乱れてくる。力仕事の大半は土にりよくを込めた土人形で事足りるが、細かな作業はやはり人の手で行う必要があった。庭園を管理する庭師としてそのことに不平はないが、ついため息をついてしまった。

「ふう……」

「アゼリア、ねぇ、ちょっときゆうけいしない?」

 そのときアゼリアのローブのすきから、一ぴきの小さなようせいが飛び出した。せわしなく羽を動かして少女の周囲をひゅんっと飛び回っている。としごろの少女を手のひらほどにした大きさで、羽ばたく度に空色の二つくくりの髪がふわふわと揺れていた。妖精の背中に生えたうすい四枚の羽が雪の光に反射して、にじいろにきらめいている。

「少しつかれただけだから大丈夫、ありがとう……でもルピナスも寒いでしょ。私のローブの中に……」

 とまで話したところで、木々の枝で羽休めをしていた鳥がいつせいに空へと飛び立った。

「……雪景色を見ながらの散歩というものも、やはりぜいがありますなぁ」

「ええ。本当に。美しい庭だ。さすが土のせいれい様のお力です……ん? お待ちください。……美しい庭に不要なものが交じっておりますな」

 枝に積もった雪がぱさぱさと落ちると同時に、並木道の隙間から姿を現したしん然とした男が、こちらに目を向けて顔をしかめている。

「下手くそなかげだ。なんとかいな」

 アゼリアはあわてて頭を下げ、さらにしんちように目をせた。

『影』とは貴族が庭師をする際に使用するべつしようである。つまりはアゼリアを指していた。貴族エリアが近いということはわかっていたのに、うっかりしていたのだ。庭師であるアゼリアが、彼らの前に姿を現すのは許されないことなのに。

「なによあいつら」と不快をかくすことなくルピナスは呟いているが、すっかりアゼリアの背に隠れている。彼女の姿も声もアゼリアにしか見えないし聞こえないのだが、人間ぎらいの彼女はアゼリア以外の人間に近づくことすらいやらしい。

 男たちは鼻白んだようにため息をついたが、すぐにアゼリアのことなどいないもののように会話を再開した。その間、アゼリアはぴくりとも動かず、頭を下げ続けた。

 しかしその中の言葉を聞いて、思わずむっとけんにしわを寄せてしまう。

「……しかし精霊と良きりんじんになるなどと団の連中はなんとも古い考えですなぁ。これだけの力を持っているのですから、精霊など人のいいなりにさせてしまえばいいものを。大地のほうじようを祈るだけではなく、他国に対してけんせいをきかせることもできるでしょうに」

「まったくその通りです……うわあ!」

「ぎゃあ!」

 そのとき、男たちの頭の上にが落下した。

 ぼとぼと、ぼとぼと。一つ、二つならまだしも、二人そろって大量の松ぼっくりが頭にげきとつしたことにより、「一体なんなんだ!」といかりで顔を真っ赤にしながら男たちは足早に去っていく。

「あ……」

 やってしまった、とアゼリアは思わず額を押さえた。

「ふん。もっとたくさん落ちてもよかったのに」

「さすがにだめでしょう……。失敗したな」

「だって、あの人たち、アゼリアのことを影だって……。嫌な言い方をしていたわ」

 むっとまゆをひそめるルピナスに、「それは」とささやくような声を出した。

「……ちがいないよ。私は影だもの」

 アゼリアの口元はにこりと微笑んでいるが、すみれいろの瞳は少しだけさみしげに揺れた。影と言われたことが悲しかったのではない。思い出してしまったからだ。

 先代の影は、つい最近死んでしまった。ひとつきほど前のことだった。

 アゼリアは彼ののようなものだったけれど、まだまだ彼にはおよばない。白いひげを口元にたくわえていて、少しばかり話しかけづらくて、それでも少ない口数の中でアゼリアにたくさんの仕事を根気よく教えてくれた老人だった。

「この庭は陛下から管理をおおせつかったとても大切な場所だもの。あの人たちが言うことは正しいわ。美しい庭に、それ以外はいらない。私は影で、あってはいけないものなんだから」

 ゆっくりと目を細めて庭園を見つめるアゼリアが立つその場所は、かたが冷え切ってしまうほどに寒い。だというのに、男たちが歩いていった先は草木がはびこる、雪一つないおだやかで暖かな小道だ。

 ──アゼリアと男たちが歩いた道とは、白と緑と、見事なほどに色がへだてられていた。

 緑の道は、常に王とともにいる大地の精霊がはるか昔に作ったものと聞いている。

 アゼリアは庭師である。影としてこの庭園を美しくせんていし、管理をする義務があった。しかし男たちが消えたことにあんしたからだろうか。ふう、と知らずに息がこぼれていた。

 そのとき、激しい風がれた。

 アゼリアが深くかぶっていたフードすら巻き上げ、はらはらと白い雪がい落ちる。と、同時にアゼリアの長いくろかみふくらむように風に流れ、菫色の瞳がちらりと青い空を見上げた。

 だいに風と雪がやみ、静かな雪原をり返った。

「……仕事、しなきゃね」

 そう独りち、彼女はしていたスコップをざくりと持ち上げた。


 プランタヴィエ王国は、土の精霊の守護を持つ国である。

 美しい四季折々の移り変わりはときに人々に苦しみをあたえるが、精霊に守られたよくな大地はきんを防ぎ、神の怒りとされる天災からも人々を守ってくれる。

 そんな強大な力を持つ精霊は、もとは四枚の羽を持った小さな妖精として生まれ、ある日、虹色の羽を静かに震わせて、六枚羽の精霊へと生まれ変わるといわれている。

 精霊となるとだれの目にも映るたしかな存在となるのだが、ルピナスの羽は四枚。つまりはただの妖精だ。アゼリア以外にその声は聞こえないし、見えることもない。なぜ妖精を見る目を持たないアゼリアがルピナスだけは見ることができるのかはわからないが、今ではルピナスは大切な友人のような存在だった。

 そんな彼女はいつも心配そうにアゼリアの周囲を飛び回っているのだが、今日に限ってはさらにその様子がけんちよである。

「ねえ、アゼリア……やっぱり今日くらいは休んだら?」

「そんなわけにはいかないよ」

 と、何度目かの返答を伝えた。

「でも、今日は特に寒いもの。人間って簡単にを引いちゃうじゃない……」

「心配してくれるのは、ありがたいことだけどね」

 アゼリアはくすりと微笑ほほえむ。しかし昨夜はずいぶん雪が降っていた。だからこそ手をくわけにはいかず、王宮の周囲を囲むほどの広大な庭園を足を使って見て回り、必要ならば雪かきをしなければならないのだ。

 そうして白い息をき出しながら歩いているうちに、いつの間にか青い空は次第に暗くなり、風もさらに冷たくなってくる。ほたほたと降るたんゆきがルピナスの小さな頭の上にぽすりとのった。「ふぎゃっ!」とルピナスはねこのような声を出した。アゼリアは笑って、彼女を分厚いローブのフードの中に入れてやった。アゼリアが歩くたびに出来上がるあしあとは、降り積もる雪に少しずつ消えていく。

 ルピナスはアゼリアのフードから、ぴょこんと顔を出して心配そうに提案してくる。

「やっぱりもう帰りましょうよ。一日くらい早めに帰って休んだところで、誰もなにも言わないわよ」

「さてね。誰も言わなくても私が気にするかな。私は庭師だし、この仕事は陛下からごらいいただいているものだから」

 もちろん、直接声をかけられたわけではないのだけれど。

 アゼリアは今年で十六になる。庭師としてこの仕事にたずさわるようになったのは、今から十年前──アゼリアが、六つのときだった。

 両親が事故で死に、行くところもなく手を引かれてやってきたのがこの広大な庭園だった。田舎いなかからやってきたアゼリアが目を白黒させるほどの見事な庭園であったが、王宮に連なる立派な場所だというのに、貴族以外の市民にも立ち入りが許されていると聞いたときには、さらにおどろいた。

 今は冬で、つぼみすらもねむっているが、春になると色とりどりの花をかせ、多くの人でにぎわう。その様々な色合いはまるで大地に眠る精霊を思い出させる。だからこそ、今から三代ほど前の国王が日々せいれいへの感謝を忘れぬようにと、誰でも庭園に立ち入ることを許可した。当時はあまりの驚きに、それこそ国中がき立ったらしい。

 実際は美しい庭を人々に見せることで、精霊の力や、王家のけんを見せるための政治的な意味合いが強かったのでは、と語られているらしいが、現に当代の国王は体の弱さからおもてたいに立つことができないため、それほど意味合いとしては異なってはいないのだろう。

 土の精霊の加護が強ければ強いほどに庭は美しくなるともいわれ、今も多くの人々に愛され、親しまれる場所だ。その庭園の管理を、先代き今、アゼリア一人で行っている。とても大切な仕事なのだと自身でもにんしきしていた。

 しかし誰でも庭園に立ち入ることを許されたとはいっても、やはり身分のかべというものは存在する。

 より王宮に近く、大地の精霊の加護が強い南の道は貴族エリア、対して反対の北の道は市民エリアとして気づけば長い年月の中で、ある程度の線引きが出来上がっていた。

 貴族エリアにある道は不思議なことにいつでも暖かくほがらかな気候で、それこそ外では雪が降るような気候であったとしてもしんはカジュアルな服装のまま、ごれいじようたちは分厚いドレスやケープを着る必要もなく散歩をしながら雪景色を楽しめる。また屋根付きのガゼボでお茶会をすることもできるから、ときおりご令嬢たちの楽しげな声も聞こえる。

 貴族たちが庭師のことをかげと表す言葉にはあざけりの意味が込められていることは知っているけれど、そのことに対して深くなにかを感じたことはない。それよりも、人はアゼリアの姿を好まない。だから姿を消すことばかり必死になって、アゼリアはいつもしんちようひとみを見せないようにローブのフードを深く被っていた。

 先代の影が亡くなるまではアゼリアは市民エリアの管理を行っていた。

 貴族エリアをけるようになったのは先代が亡くなってからのため、慣れているとは言いがたい。だからこそ下手くそな影、と言われてしまうと中々肩身がせまく感じてしまう。先代の言う通り、アゼリアはそこないの影だ。幼いころから、『お前は影にはなれんだろう』と白いひげをなでながら、ぽつりとつぶやかれたものだ。

 さて、そんな雪景色も、手を加えなければただ牡丹雪が降り積もるばかりである。

 アゼリアはスコップをまた地面に突き刺して、赤くなった鼻を片手でこすった。そうしてゆっくりと日々の仕事をり返した。変わらない日常だ。たしかに、そう思っていたはずなのに。


 ──その日は、満月がれいな夜だった。

 アゼリアが日課である庭師の仕事を終え、パンとスープのみの簡単な夕食を食べた後、小屋の窓からふと外の月をながめたときに、少しばかりもったいないような気分になったのだ。

 せっかくの満月だと椅子いすとテーブルを持ち出して、ついでにティーセットの準備をする。その間、ルピナスはアゼリアのかたで楽しそうにおしゃべりをしていた。そんな彼女に、いつもアゼリアは口元をやさしげなみの形にしてゆっくりとうなずいて返事をしていた。そしてしんしんと降る雪をぼんやりとあおいだ。

(……先代も、こんなふうに雪を見ていたのかしら)

 手の中のカップの温かさを感じながら、ふとアゼリアは考えてしまう。

 アゼリアが市民エリアから、貴族エリアに近い今の小屋に住むようになったのは、それこそ最近のことだ。先代とはたがいに異なる小屋で過ごしていたが、管理の区域が変わったため、色々と都合のいいこちらの小屋に引っしてきたのだ。

 こぢんまりとしているが、しっかりとした造りの丸太小屋は、昔からちっとも変わらない。外見とは裏腹に、中は綺麗に手入れをされていて、先代のちようめんさがよく表れている。そして小屋とその少しの周囲だけは、いつもほんのりと暖かくいつでも過ごしやすい。これもありがたくも大地の精霊の力だ。

 椅子に座ってお茶を飲みながら冬景色を楽しんでいたアゼリアのひざの上にちょこんと座っていたルピナスは、いつしかうつらうつらと頭をらしていた。すっかり禿げた木の枝に、少しずつ雪が積もっていく。その間から、まあるい月がのぞいている。

「はあ……あったかい」

 ここは冬を忘れるくらいに暖かいが、それでも昼間の寒さは忘れられない。紅茶を一口飲んで、ほっと一つ息をついた。そのときだ。

「おじいさん」

 背後から、声をかけられた。

 聞こえたのはみようつやのある若い男性の声である。庭園は誰でも入ることを許可されてはいるものの、夜は立ち入りを禁じられている。アゼリアが驚いてり返る前に、青年は言葉を続けた。

「ここに来るのも久しぶりだね。ああ、つかれた。聞いてくれよ。ちょっと長期の任務でさ。なんせまり込みだよ。きつかった」

(もしかして、私と、先代をかんちがいしているの……?)

 びっくりして紅茶のカップをテーブルに置く。重苦しいローブは、先代との共通点だ。背の高さこそ違えど、深くフードをかぶったままでは遠目ではわかりづらいのかもしれない。

 アゼリアは思わず振り返り立ち上がった。そして声を上げようとした。が、のどの奥でからまってうまく声が出せない。

 対して青年はため息をつきながらこちらに近づいている。くらやみの中でもよくわかる品のいい仕草で金のかみの上に降り積もった雪を片手で振りはらっていた。ぼけたルピナスが椅子にずり落ちた格好のままきょろきょろと周囲を見回している。

 頭に被ったフードの布地のふちを両手できつくにぎりしめながら、少しだけアゼリアは後ずさった。どんどん男は近づいてくる。まだ彼はアゼリアのことを先代だと思い込んでいるようだ。違いますよと伝えたいのに、人と話そうとすると、すっかりアゼリアの口は重たくなる。

 げるべきかとしゆんじゆんしたが、勘違いをしているだけなら正せばいい。

 アゼリアはぎゅっと目をつぶった。声が出ないのならば、と彼女がやっと勇気を振りしぼったときだ。

「ひどいのろいを受けたものだよ。僕は朝が来る度に昨夜のおくをすっかりなくしてしまうんだから。ごまかすのも本当に大変だった。もうしばらく、夜の任務はかんべんだ」

 そう彼がき出したしゆんかんと、アゼリアがえいやとフードをいだのは同時だった。

 アゼリアのやわらかなが雪あかりの中でふんわりと揺れた。男は、大きく目を見開いた。

「きみ、だれなんだ……?」

 男はぼうぜんとして言葉をつむいで、それから自身の口元をぞっとしたように押さえた。

 うまく話すことができないのなら姿を見せてしまえばいいと思っての行動だったのだが、思わず瞳がかち合ってしまいそうになったことにあわてて、こちらはこちらで急いでうつむいてしまう。

「え……。きみ、お、おじいさん、じゃ、ないのか……?」

「当たり前でしょ!?」

 とすぐさまさけんだのは、ねむそうな目をぱっと見開きまゆをつり上げたルピナスだ。ルピナスは男の顔を見て、「こいつ……」といらったような声を出しうなっている。

 もちろんルピナスの姿はアゼリアにしか見えないが、なぜかひどく興奮し始める彼女をそのままにしておくわけにはいかない。男にわからないように、かんのないようにと手をばしてルピナスの羽を片手でつかむ。そしてローブの内側にきかかえながらそっと相手を覗き見たとき、アゼリアはおどろいた。脱いだローブのフードはすぐに被ってしまおうと思っていたのに、そんなことは忘れてしまうほどに。

 なんせ彼はアゼリアにとってとてもよく見知った顔であったからだ。

 胸の中が、ふいに温かくほころんでいく。同時にゆっくりと、心の中にとどめていた彼の名前を思い出した。

 ──男の名はディモル・ジューニョ。はくしやく家の長男で、王太子を護衛するの一人だ。

 がいとうには護衛騎士を表すようせいの羽を模したしようがつけられているので間違いない。護衛騎士の中で、きんぱつで青目の青年はおそらく彼のみであるはず。

 テーブルの上に置かれたランプの小さな明かりの中でもはっきりとわかるほどに整ったそのようぼうは、多くの令嬢たちをとりこにしていると聞いている。つまりは社交界の色男だ。

 そういったうわさにはあまり興味がないアゼリアだったが、庭園での茶会のつまみのようにごれいじようたちがしとやかに、ときおりうれしげに話す声を耳にしているうちに、自然とくわしくなってしまった。

 ディモルというこの騎士は、この誠実そうな外見とは裏腹に、夜会に姿を現したかと思えば気づけばどこぞのご令嬢をさらい、すぐに消えてしまうのだという。令嬢たちの言葉を借りるのならば、とてもお盛んな方らしい。

 噂だけを聞くとふしだらなひとがらのように感じるが、王太子からのしんらいは厚く、かついえがらも悪くはないディモルは、美しい見かけも相まって少女たちのあこがれのような存在なのだとか。

 その顔を改めて見て、アゼリアはこんわくのままに口をぎゅっと閉じた。この方が、ディモル・ジューニョ様、と心の中で言葉を繰り返して、記憶をさかのぼらせる。思い出すのはうすぐらい景色と水っぽい雨のにおい。ふと、一筋の光が差し込んできたそのときのことを、ディモルの髪色はほう彿ふつとさせた。

 当のディモルといえば今もたましいけたような顔をして、じっとアゼリアを見下ろしていた。だから思わずアゼリアも、なるべく瞳をせたままディモルの様子をうかがう。

 しかし彼の背はアゼリアよりもずっと高く、目が痛くなってしまうほどだ。そして二十歳はたちは過ぎているはずだが、降り積もる雪の中で鼻の頭を真っ赤にさせている彼はどこかいたいにも見えて、なんだか噂とはかけはなれているように見える──とまで思案した辺りで、ローブの中でじたばたとルピナスが暴れて、はっとした。今はそんなことを考えている場合ではない。

「あの、し、失礼いたしました。お目をよごしてしまい……」

「目を汚す? なぜだ?」

 ルピナスを押さえる手とは反対の手で慌ててフードを被ろうとするアゼリアに対してディモルが不思議そうに首をかしげたので、アゼリアはすみれいろの目を丸くした。なんせ、どう見てもアゼリアは平民とおぼしき格好だ。そしてこの庭園に住んでいるのだから、庭師であると想像するのも難しくはない。貴族であるのなら、庭師を見れば誰もがかいそうな顔をする。

 それに……と考えた。なぜだかわからないが、アゼリアの菫色のひとみと目を合わせると、人はいつも苦しげに眉を寄せる。こちらについては相手の目を見ないように下を向いていればけることができるが、さらにアゼリアは夜になると不思議と髪の色まで変わってしまう。

 すみを垂らしたような黒い髪から、うすい桃色へ、日がしずみ、月がのぼるようにゆっくりと変化する。そのことを知っているのはルピナスと先代、そして土のせいれいくらいだ。自分でも気味が悪いと思ってしまう。

 お前はかげになることはできない、と先代はそう言っていたけれど、アゼリアは庭師として以前に、文字通りの影になりたかった。自身はそうなるべき人間なのだとすっかり思い込んでもいた。

 だからなるべく姿をかくすようにしていたはずなのに、ディモルの反応はアゼリアが思いえがいていたものとはずいぶん違っていた。「それより」と、ディモルが、静かに息を吐き出すように声を出す。

「……おじいさんは、一体どこに?」

 青年の声にはしんがにじみ出ている。アゼリアは、さっと眉を寄せた。

 さきほどの気安さを考えると、彼は定期的に先代のもとに通っていたのかもしれない。そんな人間がいたことなど初耳だが、アゼリアと先代は深く言葉をわす仲ではなかった。それこそたがいに名を呼び合うことさえないほどだったから、知らないのも無理はないかもしれない。

 しんしんと雪が落ちる音ばかりがひびく中で、やっと気持ちを落ち着かせたアゼリアはばやくローブのフードを被りなおし顔を上げた。ディモルが吐き出す息は真っ白で、それがひどく寒そうで、相変わらず鼻の頭も真っ赤だった。

 言っていいものだろうか。

(ううん、ごまかしても仕方がないわ……)

 逡巡したのは一瞬だ。

「……先代は、死にました」

 彼はアゼリアの言葉をみ込んで、くしゃりと顔をくずした。泣き出しそうだ、と思ったのは仕方のないことだった。

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