第29話

 翌日、軍団は約五里東に移動した。

 二日間は平穏に過ぎ将兵は英気を養った。軍団内では河畔での戦いのこと、今後のこと等があちこちで語られた。司令官ヘックナートは落胆してはいたが現実を受け入れ新たな作戦の立案に着手した。そしてユライアスは静かに時を待った。


 三日目、デュラート野でアサナス軍を監視していた斥候から敵が内紛を起こしていると報告があった。この日朝からアサナス人は部族間で激しい戦闘を繰り広げていた。それが二つに分かれていたのか三つに分かれていたのか、もしくはそれ以上なのか、皆目見当がつかない混戦ぶりだった。

 報告に接して急遽司令部では攻撃をかけるか静観するか対応が話し合われた。様々な意見が飛び交う中ひとり参謀長チリノールだけは三日前からの経緯を噛み締めていた。彼は今日の事態が起こることをユライアスから聞かされ知っていた。知っていたが信じてはいなかった。しかしユライアスが言ったことは全て現実になっている。


 あの日、緋竜騎士団総長らが河を渡った朝、彼女は言った。兵糧が足りなくなれば寄せ集めの敵軍は瓦解する、と。チリノールはそれを聞いてヘックナートに進言した。もちろんユライアスの策だとは告げずに。司令官は献策を聞き入れず最後まで自分の作戦に拘ったものの結局はユライアスの考えたとおりに事態は推移した。敵の兵糧は焼かれ、我々は堰を切って戦場を水浸しにしてから後退した。すると敵軍は仲間割れを始め今瓦解しようとしている。

 チリノールはこの後どうすればいいかも知っていた。


 司令官は参謀長に意見を求めた。チリノールはユライアスから聞いたとおりを言った。

「静観するべきです。我々が干渉できない位置にいることで彼らは気兼ねなく殺し合いができます。」

 身も蓋も無い言い方だったが場の者達は感心した。この状況を見越して堰を切りこの地まで後退することを献策していた参謀長の深慮遠謀を皆が称えた。


 ユライアスは緋竜騎士団の営でアサナス軍瓦解の報を聞き胸をなでおろした。ポウトレク、セドレク、ナトヒムらはユライアスに説明を求めた。

「不思議なことは何もありません。アサナス人は共闘などしない。自分の部族のみが味方でありそれ以外は敵です。彼らから見れば隣の部族も河の向こうの王国も本来は等しく敵なのです。今回は隣の部族を叩くよりも我らを叩く方が容易で実入りも多そうだったからそうしただけで、状況が変われば叩く相手も変わります。」

 アサナス人の本質である。近年イムルーの唱える汎アサナス主義という考えが新しい概念として森で認知され始めた。裏を返せば現状はアサナス人に同族意識など無いということである。

「彼らには計略がありました。それが働くと思って共闘していたのでしょう。成功すればまたしばらく自由に王国領内で略奪ができる。しかし失敗しました。そうなると最も略奪しやすいのは隣の部族の戦利品になるわけです。」

「なるほど。だからユライアス殿の指示は、敵の兵糧の半分を焼け、だったのですね。」

 ナトヒムが感心した。

「すべてを失うと彼らは我らに向かってきます。半分残されれば彼らはそれを分け合ったりしません。必ず奪い合いを始めます。」

 それがアサナス人です、そう言う彼女は少し寂しそうだった。


 翌日にはデュラート野からアサナス人の姿はすっかり消えていた。おびただしい数の死体を残して。

 王国軍が警戒のため数日間逗留を続けている間にいくつかのアサナス部族が捕虜交換を持ちかけてきた。この交渉はこれ以後数か月かかるのだが、意外なことにマバイオ族も交渉を持ちかけた部族の一つだった。


 程なく軍団は王都に凱旋した。都の市民は熱狂的に凱旋軍を迎えた。司令官ヘックナートの名声はいや増した。


 その後、王の名の下に論功行賞が発表され、最も重要な戦果を上げた部隊に対する栄誉である煌曙勲章は西宮庭園騎士団に授与された。総長のテーメーン伯は感激の余り涙したが、参戦した部隊の将官の多くはこの選考に首をひねった。

 個人に対する勲章としてセルタニ炎勲章が翼装隊の二人に贈られた。イズミンとディグリーンである。この授賞には国軍第三連隊と砂烏騎士団の強い推薦があった。


 戦争は英雄を生む。それは戦争を催す者と戦争に奉仕する者が必要とするからである。

 時に英雄は勝利を誰に対しても分かりやすく説明するための表象となる。それにイズミンとディグリーンはなった。

 王都の市民がこの戦について語り合う時、決まって二人の話題が挿し込まれた。空からの一撃という真新しさに加えて二人が社会的に下層の身分であったことも人々に受け入れられ易かった。彼らはあちこち(といっても主に市中の酒場や遊戯場でだが)でもてはやされた。イズミンはやや戸惑ったがディグリーンはこの状況を謳歌した。都ではディグリーンのだらしない着衣を真似する若者が増えさえした。

 彼らは一躍時の人となった。

 が、棒給が上がるようなことはなかった。


 一方、緋竜騎士団に光は当てられなかった。行賞は無く、代わりに総長に対して閉門蟄居が勧告された。

 ポウトレクとユライアスはこの結果に満足で軍監のナトヒムに感謝さえしたが多くの緋竜の騎士は憤った。王国軍の壊滅を防いだのは自分達であるという自負があったからである。緋竜騎士団内のみならず他の大隊や騎士団にも同じ思いを持つ者が大勢いて、実際に司令官ヘックナートに対して評定の見直しを求めた者も何人かいた。

 ヘックナートとしてはこの措置は個人的な恨みや嫌がらせからではなかった。そこまで彼は陰湿な男ではない。ただ真面目で小心なだけである。緋竜騎士団の功績は彼なりに理解していた。「偶然」とはいえ敵の計略を発見し無効化したこと、敵の兵糧を焼きそれが「結果として」敵の内部分裂に繋がったこと、司令官としてはこれらのことを正しく評価した上でそれでも命令無視は看過できなかったのである。


 王都で凱旋行進と式典が挙行されることが決まったが、緋竜騎士団の参加は認められなかった。ポウトレクらは早々の領地への帰還を決めた。

 都を引き払う前、郊外にある緋竜騎士団の宿営地には大勢の来訪者があった。デュラート野で共に戦った将官らで、皆ポウトレクらに対する感謝や労いを示すとともに論功行賞の不公正や緋竜騎士団に対する扱いの不当を言い募った。後者についてはポウトレクはやはり不満に思っていないという立場を崩していなかったので、その態度が逆に謙虚さや忠義心と受け取られた。ある大隊長は臣たるもののあるべき姿であると評し、ある騎士団長は武人の鏡と誉めそやした。最後にはポウトレクもうんざりしてきた。


 御庭騎士団副長のロンティーヌも来た。彼はポウトレクへのあいさつもそこそこに、「命の恩人」ユライアスに対して長々と丁寧な感謝を伝えた。贈り物も持参していた。ヤギの乳を発酵させた食べ物でテーメーン伯領の名産物とのことだったが、荷馬車一杯分あった。都で珍重されているとか美容に効果があるとかをひとしきり喋ってロンティーヌは帰って行った。

「随分と気に入られてるな。」

 ポウトレクがからかった。

「そんなことはありません。」

 ユライアスは迷惑そうに答えた。

「すごい量じゃないか。」

「余り物でしょう。戦いが案外早く終わったので。」

 贈り物は各隊に分配された。


 最後にナトヒムがやって来た。ナトヒムはポウトレクとの名残を惜しんだ。ポウトレクもナトヒムとの会話を楽しんだ。話題は都の流行などごく他愛のないもので、例えば、肩衣の襟の大きさをどうすべきかとか、競技会の有力選手は誰々だとか、そういった話に二人は時間を忘れて熱中した。そして、ポウトレクの蟄居が開けてから再会することを約して二人は別れた。


 こうしてデュラート野の役は終わりを見た。

 いくつかの余韻を残して。

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サノマイア戦記 革命と宝石 @m_kensky

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