最終話    すべての真相 ②

 傍から二人を諦観していたシェンファも同様である。


 当然であった。


 互いの吐息が感じられる距離にいたマルクスの顔が、筋骨を軋ませる異様な音とともに瞬く間に変貌していったからだ。


「やはり鍼を打つ時間を調整した方がよかったかな」


 顔面の筋骨が軋む音が止むと、マルクスは自分の顔を右手で軽く擦った。


 若干の痛みもあったのだろう。マルクスは何度も深呼吸を繰り返す。


「そ、そんな……貴方はレオ・メディチエール?」


 クラウディアは極度の困惑から顔面を蒼白に染めつつ、マルクス・ドットリーニからレオ・メディチエールへと顔を変えた人間を食い入るように見つめた。


「そうだよ。私は君がよく知っているレオ・メディチエールだ」


 本当の素顔を露にしたレオは、先ほどから握っていたクラウディアの右手を離した。


「君が混乱するのも無理はない。だが、これは現実の出来事だ。大舞台で磔刑に処されている人間はマルクスなのさ」


 レオは革ベルトの中央に取りつけられていたバックルの蓋を外し、空洞になっていた中から折り畳まれた鍼を取り出した。


「人間の人体には目に見えない経絡という気道があり、その経絡には人間の隠された未知の力を引き出すエネルギーが流れている。遠い異国であるシン国の医者は遥か昔からこの小さな鍼を用いて様々な医療に活用してきた」


 これ見よがしに鍼を見せつけながら、レオは淡々と鍼灸について語っていく。


「ただシン国人は人間の本能を追求してきた民族でもある。医者として人体の謎を解明していく中、この鍼を医療だけではなく様々な事柄に応用することを思いついた」


 それが、とレオはクラウディアの琥珀色の瞳を見つめつつ言葉を紡いだ。


「鍼を用いての殺し――〈鍼殺しんさつ鍼殺しんさつ〉と呼ばれる暗殺術だ」


「誤解しないで欲しいけど、シン国人は誰でも暗殺に長けているわけじゃないわよ。そこの医者が特別なだけ」

 横から水を差してきたのはシェンファだ。


「私も実際にこの目で見るまでは信じられなかったわ。でも鍼を用いて人体を操作する技術が存在するのは知っていた。まあ、表情筋を操作して顔の形を短時間のみ変形させるなんて荒技は見たことも聞いたこともなかったけどね。でも、実際にその鍼で命を救われた私が言うんだから本当よ。まさか、独房の中で心臓の発作に見せかけて仮死状態にされるとは夢にも思わなかったわ」


「シェンファ、悪いけど少し黙っていてくれないか。話が進まない」


「はいはい、悪うございましたね」


 レオにやんわりと一喝されると、シェンファは憤然とした態度で両腕を組んだ。


「そういうわけだ。今、シェンファが説明したように私は鍼で顔面の表情筋を操作して別の顔に変形させることができる。ここまで説明すれば素人の君でも察しがつくだろう」


 一拍の間を置いた後、クラウディアは自分の口元を左手で押さえた。


「つまり大広場で死体を公開されているのは、その鍼で強制的に貴方の顔に変形させられたマルクスということ?」


「ああ、そして君の実父であるジョルジュ・ロゼを心身喪失に追い込んだのも私の鍼による効果だ」


「まさか――」


 クラウディアは二日前の出来事を脳裏に思い浮かべた。


 二日前、修道院長室から退室した半刻(約一時間)後のことだ。


 クラウディアは修道院長室を訪れた修道士からジョルジュが倒れたという事実を聞かされた。


 すぐにジョルジュは施療院へと運ばれたものの、意識が混濁してまともに口を聞くこともできない身体になっていたことに酷く混乱した。


 重度の心身喪失状態。


 街医者に見て貰った結果、ジョルジュは極度の精神負荷を与えられた人間が発症する心身喪失の症状に酷似しているという。


 ただ半刻(約一時間)前には正常だった人間が突如として心身喪失状態になるのか不思議がっていたが。


「お父様を病気にしたのは貴方なの?」


 面と向かってレオに尋ねたクラウディアだったが、最早レオがジョルジュを心身喪失状態にした張本人だということは揺ぎない事実だった。


 他人の顔を自分の顔に変形させることが可能なレオならば、正常な人間を心身喪失状態に似た病気にするのも簡単だったことだろう。


「ああ、話したところで君には理解できないだろうがな」


 レオは渋面なまま苦笑すると、呆気に取られているクラウディアに近寄った。


「何を――」


 それは一瞬の出来事だった。


 素早くクラウディアの間合いに侵入したレオは、呆然と佇んでいたクラウディアの首筋に鍼を刺した。


 成人男性の小指ほどの長さの鍼が半分ほどクラウディアの皮膚に食い込んでいく。


「悪いな、クラウディア。最後の最後まで君を欺く形を取ってしまって」


「レ……レオ」


 やがて首筋に鍼を刺されたクラウディアは意識を完全に喪失した。


 身体中の力が一気に抜けて地面に崩れ落ちる。


 そんなクラウディアをレオは地面に倒れる前に抱き止めた。


「本当に済まない」


 今や完全に意識を失ったクラウディアをレオは力一杯に抱き締めた。


 先ほどまで強張らせていた表情を緩め、鋭い眼差しを作っていた両目から一滴の涙が零れる。


「一つ言わせて貰っていい?」


 最後の抱擁を交わしていたレオにシェンファは溜息混じりに言った。


「今の貴方は男として最低よ。たとえどんな理由があったとしても自分を慕ってくれた女に対して記憶を消すなんて野蛮を通り越して最低の行為。同じ武術家として反吐が出るわ」


 実際にシェンファは口内に溜まった唾を地面に吐き捨てた。


「そんなことは痛いほど分かっている」


 奥歯を噛み締めながら答えたレオは、クラウディアの両膝裏に右手を回して左手で背中を支えつつ一気に抱き上げた。


「だが、私にはこの方法を取るしかなかった。クラウディアには一片たりとも辛い過去を背負って欲しくなかったから」


「だからって無理やり記憶を消すのはやり過ぎなんじゃない?」


 シェンファの問いに無言を貫くと、レオはクラウディアを抱きかかえたまま言った。


「そんなことよりも約束は守って貰うぞ。君の叔父さんの力を借りて私をローレザンヌから他の都市へ移動させてくれ」


「はいはい。さっきも言ったけど私は約束を破らない性格なの」


 シェンファは組んでいた両腕を解き、乱れていた前髪をさっと整えた。


「出発は二日後、ローレザンヌの夏市が終了する日よ」


「本当に助かる。二日もあれば私の身辺整理もすべて片づく」


 レオは安らかな寝息を立てているクラウディアを慈しみの眼差しで見つめた。


 二日もあれば身分と顔を借りているマルクス・ドットリーニのすべてを清算できる。


 所属していた修道騎士団に退団届けを提出し、ロレンツォ・ドットリーニを上手いこと説得して家を出る。


 おそらくロレンツォからは何かと質問の嵐を浴びせられると思うが、万が一には鍼を使ってでも強制的に納得させるつもりだ。


 そうしてシェンファの叔父であるケイリンの力を借りて五年間住み慣れたローレザンヌから他の都市へと移動する馬車に乗せて貰う。


「それで、ローレザンヌから出てどこの都市に行くつもりなの?」


 今後の身の振り方を思案している最中、シェンファが興味津々とばかりに尋ねてきた。


「海港都市コンサルティエ」


 レオは両目を閉じると、過去の記憶を思い出しながら答えた。


 潮風が香る紺碧の海と空。


 ローレザンヌとは違って意味で喧騒に満ち溢れていた港街。


 円形闘技場から湧き上がる独特の熱気と嬌声。


 そして丘の上の診療所から見渡せた大空を自由に滑空する海鳥たち。


「久しぶりに祖父の墓参りに行きたくなった」




 〈了〉


================


【あとがき】


 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


 主人公たちの人生はまだまだ続きますが、物語自体はここで幕引きとさせていただきます。


 そして、新作のSFファンタジーを投稿しました。


【タイトル】


【連載】空戦ドラゴン・バスターズ ~世界中に現れたドラゴンを倒すべく、のちに最強パイロットと呼ばれる少年は戦闘機に乗って空を駆ける~



目次ページです


https://kakuyomu.jp/works/16818093073491762099


よろしければ、ご一読くださいm(__)m

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