第39話 亀兎、誓う。


 振り向いたミズキの表情は緩んでいる。俺が好きな、優しさに満ちた顔だ。



「どうした?」



 柔らかい声。俺の好きな声。


 もう一度会えた。生きて帰ってこられた。仕事が大切だと分かっているし、すぐに動くべきだとも分かっている。だけど俺も、ミズキの無事を感じたい。正面からミズキに抱き着いた。温かい。心臓の鼓動がトクトクと聞こえる。俺より速い。



「へ、あ、ちょ、カメト?」



 ミズキの戸惑ったような声。珍しくてちょっと嬉しい。戸惑って固まっていたミズキの心音がさらに速くなって、その内に背中に腕を回してくれた。



「カメトが無事で良かった。本当に、心配したんだ」



 囁くような声に、俺も腕に力を入れてさらに強く抱き締めた。ああ、幸せだ。



「ミズキ、好きだよ」


「カメト……」



 思わず気持ちが溢れた。その瞬間、ミズキは腕の力を抜いて俺から身体を離した。視線が交わると、ミズキの瞳から雫が零れ落ちる。



「ミズ、キ? どうし……うわっ」



 グッと抱き締め直されて、またミズキの胸に耳が触れた。さらに速くなるミズキの心音。これほどまで速くなると落ち着かない。そのドキドキが俺にまで伝染してくる気さえしてくる。



「それを、今言うのは反則だろ」



 耳元でミズキが深い息を吐いた。耳を掠めたそれが擽ったくて身が竦んだ。だけどそれは嫌ではなくて、むしろ嬉しく思う。


 ミズキは俺からそっと離れると、俺の手を握って膝をついた。さながら王子様のようなその姿にゴクリと唾を飲んだ。



「カメト、私はあなたを愛している。私の生涯の伴侶として共に生きてはくれないだろうか」



 そっと手の甲にキスが落とされる。これではプロポーズだ。心臓がバクバクと痛いほど高鳴る。苦しくて、だけどそれが幸せ。


 まずはお付き合いから始めるもの、なんてそれは俺がいた世界の常識か。ラビアスではそんな時間の猶予はない。短い人生の中で伴侶を見つけ、子を成し、国の繁栄のために尽力する。


 個人を尊重されることはない。ただその場所で生まれ、生活し、死にゆく。その中でも己にとって大切なものを見つけ守り、自分だけの世界を生成する。


 俺が生きてきた文化とは違いがあり過ぎて戸惑うことしかない。それでも俺はこの国のことが好きだ。尊重されずとも個人の意思があって、大切なもののために力を尽くすこの国の民が好きだ。



「ミズキ、俺もミズキを愛してる。これからも、ミズキと一緒に生きていたい」


「そうか」



 ミズキの表情がふわりと緩んで、またミズキの腕の中に抱き締められた。何度も何度も抱き締められ直されて、頭を撫でられる。ミズキの細くてしなやかで、だけど筋張っている手が心地良い。



「愛おしいな」



 優しい声が耳からするりと俺の中に入り込んで、心の中を温かい風のように吹き抜ける。こそばゆくて顔が熱い。



「本当に可愛い。私の最愛の者よ。これでやっと、私のものだ」



 仄暗さを孕んだ蕩けた若草色の瞳が俺を見つめる。その瞳に俺が映る。俺だけ。それが嬉しい。


 ミズキはゆっくりと俺から手を離すと、小さくニヤリと笑った。急にキリッとした様子に切り替えられて、少しもどかしい気持ちになる。だけど今ここでミズキを引き留めてはいけないことは分かっている。



「すぐにでも家に連れ帰りたいところだが。まずは仕事だ。公私ともに支え合っていくならば、今この現状を乗り越えることから始めるぞ」



 ミズキは頼もしいその笑みでこれからもこの国の民を守るのだろう。公私ともに良いパートナーとして支え合うと決めたなら、俺はどこまででも一緒に走って行ってみせる。



「よっしゃ、初めての共同作業だな!」


「なんだそれ」



 グッと拳を握ると、ミズキはフッと笑った。肩を震わせて笑う笑顔が愛おしい。



「今日の仕事を終えて帰ったら表札に名前を入れよう。早く夫婦になるためにも頑張らないとな」



 この人が俺の夫。少し幼い笑みを見せる、愛おしい人。だけどその笑顔はすぐに引っ込む。クールないつもの宰相の顔。みんなが知っている頼りがいのある顔。



「行きますよ、宰相補佐」


「はい、宰相」



 ミズキの後ろについて民の元へ向かう。まずは炊き出し班との情報共有。それから民をそれぞれの避難所へ誘導する。それが終わったら炊き出しの準備を手伝ったり、避難所の衛生対策もしないといけない。


 やることは山積みで、街の復興が終わるまで足を止めることなんてできない。復興が終わっても、この国の発展のために走り続ける。


 きっと俺はミズキより走るペースが遅いから。いつか置いて行かれてしまうかもしれない。置いて行かれないように、ミズキの何倍も頑張らないと。



「宰相補佐」



 追いかけていた背中が立ち止まる。俺も立ち止まると、手を引かれてその隣に導かれる。



「俺と肩を並べて、自身で考えて動いてください。私の補佐ならそれができますよね?」



 煽るような口調。ギラリと光る瞳。そんな顔もできたのかとキュンとした。いや、キュンとしている場合じゃないけど。


 俺はミズキの隣に並ぶ。ミズキを見上げると、一瞬だけ優しい笑みを見せてくれた。そしてまたクールな表情に戻るとツカツカと歩き出す。俺もその隣を早足で追いかけた。



【Fin】

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うさぎとかめと こーの新 @Arata-K

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