【鬼神】掌編小説

統失2級

1話完結

窓の外の暗闇に閃光が走り、2秒ほど後に雷鳴が轟く。(近いな)湯地慶彦は心の声で呟き、僅かに警戒する。しかし、その後は閃光が走る事も雷鳴が轟く事も無かった。その内、強めの雨が降り出して来たので、慶彦は窓を閉じカーテンも閉じる。煙草を一服した後、壁時計を見ると24時半を回っていた。慶彦は寝る事にした。


翌朝は7時半のアラームによって目を覚まし、8時丁度にマンションの部屋を出る。そこまでは、いつもと同じ日常だった。しかし、1階のマンション出入口まで足を進めた所で慶彦は我が目を疑う事になった。何故なら、そこにはいつもとは違う風景が広がっていたからだ。視界内には建物が1つも無く、辺り全面アスファルトの平地が広がっていた。車線も横断歩道も無いので道路とも呼べない。ただっ広い広場が地平線まで広がる圧倒的な空間で、更には人も車も全く見当たらない完全なる静寂の空間だった。暫く出入口で立ち尽くしていた慶彦だったが、意を決してアスファルトの上に足を踏み出してみる。普通のアスファルトの感触だった。何の変哲も無いアスファルトだ。3歩ほど歩いた所で妙な不安に駆られた慶彦は俊敏な動作で振り返ってみる。しかし、そこには慶彦が8年間も住み続けた煉瓦色の見慣れたマンションは消え失せており、そこにはスファルトが広がるだけであった。慶彦は益々不安になり、「誰が居ますか?」と大声で6度ほど叫んでみる。すると、とある方角から微かな声が聞こえて来た。「僕はここに居るよ、ここまでおいでよ」声変わり前の少年の声だ。慶彦は通勤鞄を放り投げ、声の聞こえた方角に向かって全速力で走りだす。強い焦りを抱えながらも延々と走り続ける。30分ほど全速力で走っただろうか、体力は全く消耗していないし、息も上がっていない。オリンピック選手であってもこれほどの長時間、全速力で走るのは不可能であるのに近頃、運動不足であった慶彦には完全にあり得ない現象だった。この現象には慶彦も疑問を感じていたが、今はそれどころじゃない。そんな事を考えながら走っていると、漸くさっきの声の主と思しき少年の下に辿り着いた。「思ったより早かったね」製菓会社のペインティングが施されたベンチに腰掛けていた少年は、そう言うと立ち上がり、慶彦に歩み寄り右手を差し出す。そこには、丸坊主頭で平均的な日本人の顔をした10歳程度の少年が居た。少年は僅かに笑みを浮かべている。慶彦は緊張していたが、作り笑顔を浮かべ自分も右手を差し出しがっちりと握手を交わす。少年の手は少年の手らしく普通にか細かった。「あなたは湯地慶彦さんだね、僕の名は太郎丸。僕は9歳で成長が止まりそれから1400年も生きている子供とも大人とも言えない変な人間だよ」


慶彦はオカルトの類に惑わされる人間では無かったが、昨日とは一変した街の風景の中にあっては太郎丸の「1400年生きている」という摩訶不思議な発言もすんなりと受け入れざるを得なかった。「ここは何処なの?」2人でベンチに腰掛けながら、慶彦は右隣の太郎丸に尋ねる。「ここは天界と地上界の中間にある去界だよ」「去界?」「そうここは去界と呼ばれる地上界の避難場所の様な所だよ。昨晩、あなたの近くに雷が落ちたでしょ。あれは鬼神によるあなたへの宣戦布告だったんだ。勿論、あなたが鬼神に勝てる訳はないので、僕が神様から命令を受けて、あなたを去界に避難させたって訳さ」慶彦は戸惑いながらも更に質問を続ける。「その鬼神ってのは何で僕に宣戦布告したんだい?」「あなたが鬼神の娘さんである美紗子さんを振ったからだよ」「えっ、美紗子って坂岸美紗子の事?」「そうだよ、その坂岸美紗子さん。美紗子さんは鬼神の娘さんで、人間の娘さんじゃない。あなたが美紗子さんと結婚していたなら、生まれて来る子供は恐らくは、IQ300くらいで、商売や発明をやらせていたら何兆円も稼いで両親に楽をさせていただろうね。それにしても美紗子さんを振るなんて、勿体ない事をしたね。あんな美人の美紗子さんを振るなんてさ」美紗子は確かに美人だったし、慶彦の事を強く愛していた。しかし、美紗子は将来の結婚生活を不安にさせる大きな材料を抱えていた。美紗子はとある宗教に傾倒しており、「食事の前は超常神であられる鬼神さまにお祈りを捧げなさい」とか、「ヴィーガンになりなさい」とか、「甘い飲食物は一切、摂取してはなりません」とか、「射精は満月の夜の1回だけにしなさい」とか、色々と奇妙な事を要求していた。それが慶彦に美紗子との結婚を断念させる理由になっていたのだが、まさか、美紗子が人間の子供ではなく、鬼神と呼ばれる超常神の子供であったとは夢にも思わなかった。慶彦は一縷の望みに縋る思いで太郎丸に質問を重ねる。「どれだけの期間、この去界に居れば、事は片付くの?」「さっき神様が鬼神と話したけど、あなたが美紗子さんと結婚するなら、今直ぐに許してくれるそうだけど、『結婚しないなら去界に1億年閉じ込めておけ』と言っていたそうだよ」と太郎丸は淡々と答えた。


慶彦は鬼神と美紗子に謝罪し、それと同時に婚姻の申し入れをした。鬼神も美紗子も慶彦を許し、2人は結婚する事となり、慶彦は地上界に戻った。1年後、慶彦と美紗子の間には鳳先という男の子が生まれたのだが、その鳳先が3歳になった時に美紗子の尻に敷かれている情けない慶彦を見て、鳳先は激しく憤り怒りが沸騰してしまい慶彦を食い殺してしまうのだった。非業の最期を迎えた慶彦ではあったが、死後の慶彦は天界に招かれる事もなければ地獄に堕ちる事もなく、透明無音無感触の幽霊となり地上界の世界各地を飛び回り、無料で世界中のトップスポーツを特等席で生観戦しては、(UFCヘビー級の世界戦がオクタゴンの中で観戦出来るなんて、僕は幸せ者だよ)とか、(オリンピック100メートル走の決勝をゴールテープの前方から観戦するのは、やっぱり何とも言えない迫力があるよな)等と暢気に感激しながら、それなりに楽しく暮らして行くのでした。

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