ざまぁせざるを得なかった聖女(司祭視点)

 教会の上司から、幼い聖女様の面倒を見ろと言われた。

 彼女との出会いはそんなものだ。




 ——バルト・アッカー。

 姓は教会に拾われた際に与えられたものだ。


 親の顔は覚えていない。それよりも日々の食い扶持を掴むのに必死で、しかも自分より幼い弟分たちの面倒を見ていたのもあり、得にもならない人間の顔を覚えているほどの余裕はなかった。

 弟分たちと血は繋がっていなかったが、互いに助け合うために自然と身を寄せ合っていた仲間たちだ。


 アッカーという姓は、そのことを話した司祭に与えられたものだった。かつて貧しい者たちを助け、その名を馳せた詩人だか劇作家だかから取られたらしい。

 何でもいい、貰えるものは何でも貰う。生意気にも自分を拾った恩人にそう言い切ったバルトに、壮年の司祭は何も言わなかった。


 そしてからしばらく。教会の下働きを続けていた俺に、俺より上の立場にある司祭たちがとある日告げたのだ。



 ……なんでも、教会に『いずれ国を発展させる能力を持った聖女が現れる』という神託が降りたらしい。



 そしてその神託を元に探し出してきたのだという少女が一人、司祭たちの間に佇んでいた。


 ほんの少し背中を丸め、こちらを見上げるように窺っている少女。

 かつての自分と同じく姓がない天涯孤独の少女が、教会がこぞって信仰を向ける『聖女』だという。


「今日からお前が面倒を見なさい。年は十ほど。住んでいた孤児院でも幼な子たちの面倒をよく見ておられたそうです」


 優しい言葉の言外で、手がかからず面倒が少ないだろうと告げている。そして、同じく弟妹分たちの面倒をみていた自分なら適任だろうとも。


 少女に意思を問うこともない司祭に一切の反応を見せないあたり、聖女……レイラは混乱することもなく落ち着いているようだ。お世辞にも愛想がいいとは言えない自分に身を任されるというのに。

 本来ならば聖女の世話役には女の下働きの方がいいのではないかと思ったが、レイラと同じくこの場で発言権のないバルトは黙って頷くことだけをした。


「それでは聖女様。長旅の疲れを癒やされてください」

「……はい。ありがとうございます」

「……世話役のバルトです。こちらへ。どうぞ」

「あ、はい」


 目があう。俯きがちだった表情から一転、初めて真っ直ぐ視線が交わった瞬間だった。






「――バルトさん! これ見てくださいこれ!」


 初めて顔を合わせた時はそんなこともあったな、と遠い記憶を思い返していた時。まさしく思い出を遮るように、バルトの名を呼ぶ存在がいた。聖女レイラだ。


「見てください! すごくないですか!?」


 求められるままに目線を向ければ、レイラの手には先程までくたりとしおれていたはずの花がシャッキリと生気を取り戻している。

 己の見間違いではないその証拠に、彼女の横に抱えられている数本の花はどれもしおれたまま、ところどころ茶色に染まっている。


 対して、こちらに差し出されている一輪の花は、まるで地面に咲き誇っていたものをついさっき手折ったかのようなみずみずしさだ。


 トドメには「さっきまで枯れる寸前だったのに、こんなに元気になるなんて! こめる力の差異で結果も変わるかなあ試してみたいなあ魔術院のみんなにも教えてあげなきゃハアうふふ」というレイラの独り言まであった。

 清廉であるべき乙女にあるまじき笑い声で若干トリップしているのがいただけないが、その点は今更のことだとバルトは断ずる。


 それにしても。


(こんな作用をもつ術、歴代の聖女の力にあっただろうか。いや、少なくとも記憶の内にはないな……)


 この数年でレイラの世話係からお目付役の司祭に出世したバルトは、必要最低限の聖女信仰の知識は身につけていた。教会の歴史書や古典に綴られている聖女伝説はもちろんのこと、歴代の聖女たちの能力なども頭に叩き込んでいる。

 数年かけてこれらの知識を詰め込んだが、それにしてはおかしいぞと悩むことが多々あった。


「……聖女様。先程の術、また簡潔に報告書にまとめていただけますか」

「えっ? ああはい、わかりました! どちらにせよ国家魔術師のエーテル魔術師長へのご報告と、この作用で農作物へどのように影響をもたらせるかの試算、それによるこの国の食料生産率の増減を割り出してもらおうと思っ——」

「いえその前段階の、具体的にどんな作用をもたらせるのかだけで十分です。研究は魔術院の方とご随意になさってください」

「あはい、そうですか……」


 レイラの止まらないマシンガントークをぶった切り、バルトは必要最低限の要求のみを告げる。それに何故かしょんもりと肩を落としたレイラを気にすることなく、また今夜書き留めなければならない書類が増えたことをバルトは確信する。


(枯れた植物を活性化……いや蘇生? するだなんて前代未聞だぞ。また教会の上のじいさん連中が椅子から転げ落ちるな……)


 本来聖女の術というのは、教会の儀式において祈りを捧げ、国外からの魔物や獣避けなどの結界を施すことがメインであった。

 強い魔物であれば侵入自体は許してしまうものの、それらは国防にあたっている騎士団や魔術師たちが対応する形をとっている。結界の中ならば弱体化することがわかっており、討伐も比較的容易だ。


 これに加え、作物の実りを促進させるもの、病を防ぐものなど、特殊な力を獲得する聖女もいた。それらは歴代の聖女ごとに使える術や数に差異があり、得意不得意もある。


 ——祈りの結界術に加えて、それらの得意分野を見つけていくこと。

 それが聖女教育の目的であり、お目付役の司祭の役割でもあった。歴代の聖女の能力などを記録に残したのは、聖女一人ずつに仕えていた教会の司祭たちである。

 レイラに仕えているバルトも、彼女が得た能力を逐一記録して回る日々だった。


(まあ、今代の聖女様の場合、その報告書の数が群を抜いているんだが)


 バルトが書き留め、日々積み重ねていく報告書。

 普段は人の良い表情を崩さない上層部が、それらを怪訝な表情で見つめるさまは中々面白いものだった。同僚は聖女の有能さを言わずとも悟ったらしく、出世の希望に祝いの言葉をかけられることもある。

 しかし、出世と上司たちの動揺だけでは賄いきれない苦労は否めない。


 報告の数から分かる通り、先程のようなレイラの「見てください!」は日常茶飯事だ。

 ——それが何を意味するのか?


「おーい、バルト。お前の聖女様だが、さっき魔術院へ行くんだと言って馬屋に向かっていったぞ」

「は?」

「馬車が出払ってることを伝えたら止める間もなくな。行かなくていいのか?」


 隣を振り返ってみれば、先程まで言葉を交わしていたはずの聖女の姿は忽然と消えていた。バルトがものの数分思考にふけった間にこの場を離れ、早速魔術院へ向かったらしい。

 それはいい、別に構わない。しかし馬って。


 親切にも情報をもたらした同僚に感謝の言葉を伝える暇もなく、バルトは小走りに目的地へと向かう。背後から「頑張れよー」との声かけを貰い、馬屋の手前で少女の後ろ姿を捉えた。


「っはあ、は……。――聖女様」

「えっ。…………あ……はい……。馬車待ちます……」


 上がる息を整えながら、それでも万感を込めた声で呼べば、振り返ったレイラは数秒でバルトの真意を察する。そしてその圧を前に素直に従った。

 レイラのそばには数頭の馬。その内の一頭の鼻先を撫で、レイラの手には手綱がある。尊い身分の少女が颯爽と馬に跨り王都を疾走するというとんでもない光景を、すんでのところで国民に見せずに済んだようだ。



 そう。これこそがバルトの日常を忙しくしている最たる原因だった。



 ――共に優秀かつ役目に貪欲であるが、さながら飼い犬とブリーダーのよう。

 聖女とお目付役をよく知る者たちの間では、親しみを持ってひっそりと噂されていた。


 幼い頃からレイラと育ってきたバルトは知っている。

 彼女は聖女の役目と責任をそれなりにきちんと理解し、務めようとしている。聖女の術も積極的に試し、可能性を引き出していく。発想力があり着眼点も新しい。そのため、今までになかった使い方も次々に思いつく。

 国を発展させる聖女というのも頷けた。


 その姿は聖女というより、さながら研究者のようだ。そのおかげで魔術の獲得のため繋がりを持った魔術院の魔術師たちとはすこぶる相性がいい。放っておけばいくらでものめり込む彼らと彼女の間に割り込み、レイラを休ませるのはお目付役の仕事だった。お目付役とはこういう意味じゃないだろうに。


 聖女の運命と、レイラ自身の〝好きなこと〟が一致していたのは、自分の目から見ても良いことだと思っている。


 しかし反面、彼女自身の歯止めが効かなくなることも多い。何より、聖女レイラの暴走を止める者が国内に誰もいないことが大問題だった。

 必然的にその役目はバルト一人にのし掛かってくる。大問題だ。主に仕事量と手に負えない性質の悪さに。

 前者はまだしも、世間一般で語られる聖女のおしとやかさからかけ離れた振る舞いをすることは、教会の威信にも関わる問題なのだ。


 しかし彼女には一切悪気がない。

 それはそうだ。彼女は国に求められるまま、運命のままに聖女として力を高めているだけ。それに熱を上げることは国としても望ましい。

 レイラはバルトがたしなめればすぐに言うことを聞く。高慢でなく素直な性格は聖女らしいが、一度アイディアが浮かぶとそれに一直線になる落ち着きのなさはやはりバルトの仕事を増やすのだった。




(……ただ、まあ。今の姿の方がマシではあるか)


 バルトはふと考え直す。

 今でこそこうしてレイラ本来の気質が前面に見て取れるが、――陰りの時期があったのだ。


 規定の年齢になったレイラは、聖女の身分としてこの国の貴族子女が通う学園へと入学することになった。教会の聖女教育だけでは補えない学問や、学徒としての集団生活のためだ。

 しかし将来的に必要な礼儀作法の実践の場でもある学園は、研究気質なレイラには苦労の連続だったようだ。寮生活の合間に教会に顔を出した時は疲れた顔を見せるようになった。


 ……しかし段々と、それだけではない憔悴の色が見て取れるようになる。


 普段のレイラの研究熱が120%ととすれば、その時期は70%ほどのようだった。何かあったのかと思うも、バルトはうまく聞き出す術など持ち合わせていない。深く立ち入ることはしなかった。

 暴走が起きないという意味では仕事は楽だ。しかし教会の名物と化していたレイラの元気さが見られないことに、バルトだけではない他の司祭たちも心配していたのだ。


 そうしてレイラに異変を感じつつ過ごしていた折、バルトはとある日新聞のコラム欄に目を留めた。


「……『聖女物語』?」


 突如として連載が始まった、聖女に選ばれた少女の物語。

 よくある俗的な神話仕立てかと思えば、主人公の少女はレイラが辿ってきた生き筋そのままをよくよく丁寧に歩んでいた。孤児院から拾われたこと、覚えた聖女の術、得意な魔術、苦手な科目まで。


 これは確実に〝今代の聖女レイラ〟の事情を知る者が執筆、または関与している。そのことに、教会は事実確認に走った。


 一番疑わしいのはもちろんバルト自身だ。そしてレイラも。双方聴聞室にひっそりと呼び出され、聴取をされる。しかしバルトにはもちろん身に覚えなどないし、レイラも同様の答えだ。この聴取は自白作用のある魔術を持って行われたこともあり真実とされた。


 ……ただ、気になる点が一つ。


 以前、レイラが見て欲しいと言ってきた聖女の術に、とあるものがあった。

 それは『聖女自身の声や物音を周囲から遮断する』というものだ。


 正直レイラから報告を受けた時、なんだそれはと思ったものである。この国に神の恵みをもたらす存在である聖女が、何故こんな作用の術を発動できるのか。なんの利点があって。そう思うものの、自分が担当している聖女はそれができてしまうのだから仕方ない。

 そう思い事務的に書き上げた報告書は、今頃他のものにまぎれて埋もれてしまっているだろう。このことを覚えている人間が、自分以外にいるとは考えにくい。だからこそバルトは慎重に思考した。



 ――もし、あの術をレイラが研究し、発展させていたら?



 声や物音だけでなく、姿まで遮断できるのならば。……自らが綴った物語を、新聞社に持ち込むことができるのではないだろうか。

 聖女の術の発展に熱心なレイラは、編み出した術を応用したり、さらに効果を高めることがザラにある。ゆえに、十分に考えられる可能性だった。


 しかしその行動により、レイラになんのメリットがあるのだろうか?

 レイラの性格からいっても自己顕示欲などといったものからは程遠い。研鑽と自己満足を彼女という形に流し込んで固めたような人間がレイラだ。


 それもありバルトは特に上司たちにこのことを報告せずにいた。


 結局教会と国は、作者不明という不審な点はあれど、国民の聖女信仰を高めるものとして連載を差し止めることはしなかった。




「——聖女様、馬車が来ましたよ」

「あ、ほんとですか。ありがとうございます」


 あれからしばらく。

 沈んでいたレイラの表情は徐々に明るくなり、今ではほとんど前と変わらない熱心さを取り戻していた。

 聖女物語という懸念はあったものの、物語が学園編に突入したあたりからレイラの調子がいい。話の展開について王宮の一部で物議をかもしたそうだが、結局連載は続いているようだ。


 何でもいい。

 バルト自身、仕事が滞りなく、もっといえば聖女が力を付け国に繁栄をもたらしてくれるのならばそれで構わなかった。

 研究欲と共に彼女の根底にある、人々のために働く聖女の慈愛を自分は知っている。——民に感謝され、心の底から嬉しそうに笑うレイラを知っているから。


「あれ、バルトさんも魔術院に用ですか?」

「ええ。また聖女様を一人行かせれば、今度は三日の徹夜では済まないでしょうから」

「ソノセツハ モウシワケゴザイマセン デシタ」

「それに……今後予定している三ヶ月の魔術院での講義。それに自分も同行するスケジュールを伝えなくてはと思いまして」

「えっ、来るんですか? バルトさんも? 三ヶ月間ずっと?」


 レイラが乗り込んだ馬車に続けて入り込むバルトの言葉に、レイラは多くのハテナを浮かべた。

 三日放置しただけで徹夜で深い隈を作り込むくせに、三ヶ月もあればどんな無茶をするのかわからない。そう意図を込めた真顔でレイラを見つめれば、青くなった顔が秒で逸らされた。

 いい反応だ。そう思い、バルトは普段から注意しようと思っていたことをその流れで口にしていく。最初は移動手段に騎馬を選ぶことについてだ。


「馬車の中だと逃げ場がなかったかぁ……!」


 両膝に両手を置きながらそう小さくぼやいたレイラを見逃さず、聞いておられますかとバルトがたたみ掛ける。その姿はまさに飼い犬とブリーダーのようで、しばらく元気がなかったレイラへこうして説教が出来ることに、バルトは心のどこかで安堵していた。




「なんだかバルトさんって私のお兄さんみたいですよね」

「…………」


 お説教の海の中、ふとレイラが口にした形容に、心がほんの少し冷静になる。バルトがこんなにも苦労する役目を果たしている理由、真の意味を知る者がどれだけいるのだろうか。

 つい、兄ではなくと即座に否定したくなった気持ちはまだ言うべきではないのだ。まだ。

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聖女は邪魔をしてくる奴らに「ざまぁ」をしないといけないらしい ど山 @d0yama

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