聖女は邪魔をしてくる奴らに「ざまぁ」をしないといけないらしい

ど山

聖女は邪魔をしてくる奴らに「ざまぁ」をしないといけないらしい

「このままじゃ『ざまぁ』されちゃう……。そんなの絶対に嫌!」


 今日も取り巻きを振り切り何とか自室に戻ってきたレイラは、硬く拳を握りそう叫ぶ。

 レイラ・シュゲール・フヴィン。今年16歳を迎える少女は、学園女子寮の自室で頭を抱えていた。






 幼い頃に身寄りをなくしたレイラは、似た境遇の子供たちと共に、とある孤児院で育ってきた。決して裕福な生活とは言えなかったが、日に数度の食事と雨をしのげる屋根があるだけまだマシだ。共同生活を送る仲間たちとこのまま十七歳までここで過ごし、その後は仕事を見つけて巣立っていくのだろうと考えていた。


 しかし数年前、突如として国に召し上げられることとなる。

 聞けば『いずれ国を発展させる能力を持った聖女が現れた』という神託が降りたというのだ。それがレイラなのだと知った孤児院の院長はひどく喜び、泣いてレイラを抱きしめ送り出してくれた。


 しかし院長の腕の中にいたレイラはそれどころではなかったのである。


(せ、聖女認定……!? これ、〝どのパターン〟なの!?)


 レイラには前世の記憶があった。

 いつからあったのかは覚えていないが、現代日本と呼ばれる世界で生き、若くして死んだひと一人分の記憶がある。少しずつ蘇ってきた記憶は今やレイラの中に浸透していた。とは言っても、孤児院ではあまり役に立つ場面はなかった。通っていた図書館で文字を覚え、そこで本を読んだことにして、食事の味付けをちょっと整えたり洗濯の小ワザを実践したりとかわいいものだ。


 ——しかし聖女として国に召喚された今、10歳を少し過ぎた幼いレイラの頭の中には、前世の記憶の中にある『異世界転生』や『悪役令嬢』についてのストーリーが巡り巡っていた。前世のレイラはファッションやメイクと等しく漫画や小説にも興味を持つ、ごく一般的な少女だった。要はオタク知識があった。


(聖女が主役ならまだいいとしても、悪役令嬢ものだったら完全に〝詰み〟……! 何も知らないままざまぁされてエピローグだけで済まされるなんて冗談じゃない。この流れこの葛藤、悪役令嬢もので彼女たちの描写を散々読んだからめちゃくちゃ知ってるんだから! もう! 意外性求めすぎて転生ものがなんでもありに終着したせいで私のこの先が全く読めないじゃん!)


「……いや、待った。落ち着いて私」


 最終的に八つ当たりに行き着いた思考に我に返り、レイラは自分をなだめるために深呼吸をした。


(そうだ、別に物語の世界だって決まったわけじゃない)


 突然の『聖女』という単語に驚いてしまったが、なにもこれが何かの物語の中だと宣言されたわけではないのだ。

 聖女や魔法が存在するファンタジー世界。まさに今、レイラが生身の人間として生きているように……前世とは別に実在する、並行世界の可能性もあるのだ。先入観が強すぎて認識の順番が逆になってしまった。そう思い至り、少し気分が落ち着く。


 ——何かしらの展開が待ち受ける『物語』でなく、レイラの努力次第で未来が変わっていく『現実』ならば。

 それならば、単に第二の人生とも言えるではないか。聖女という立場からして、決して一般人の人生とは言えないだろうが、逆に自分に秘められたまだ見ぬ能力に躍る心も否定できない。


(そうだ……どちらにせよ、私はここで生きなきゃいけない)


 夢ではない以上、レイラはここで生きていくしかない。

 それは変わらなかった。


 そう考えれば、この前世の記憶は非常に有用なものだ。多方面からさまざまな可能性を見せてくれる、ある意味虎の巻でもあった。少なくとも『何も知らず、立場も弁えずにざまぁされてしまうヒロイン』にはならないのではないか?

 いや、——ならないように立ち回ってみせる!


 王宮へ向かう馬車の中、外にいる御者に聞こえないよう心の中だけで強く決意したレイラは、希望とやる気を胸にガッツポーズをした。




 だというのに。






「——アシュリアン! 貴様、また嫉妬にかられてレイラに強く迫ったようだな!」

「まあ殿下。何のことでしょうか? わたくしにそのような事実はございません」

「あ、あの……」


 貴族が多く通う王都学園。美しい学び舎に相応しい美しい中庭で、景観に似つかわしくない不穏さを持って一人の令息と一人の令嬢が睨み合っていた。


 レイラに背を向け、アシュリアンと呼んだ令嬢と対峙しているのは王子セイアン。この国の第一王子である。対してアシュリアンは、そんなセイアンの婚約者であった。はたから見れば、アシュリアンからレイラを庇う王子の図に見えているだろうが、当のレイラはその意図にまったく反した心境だ。


(あああ本当やめてよ別にアシュリアン様には何もされてないです言いがかりもいいとこですよ殿下!!)


 中庭を歩いていたと思ったらセイアンに声をかけられ、事務的に応対していたところにアシュリアンが通りかかった。中庭といえど、ここは校舎と校舎を繋ぐ通路だ。実際レイラも次の授業へと向かっていたところを呼び止められたのだが、後からこの場を通りかかったアシュリアンにセイアンが突然声を張り上げたのだ。


 以前から第一王子は自身の婚約者の有能さを毛嫌いしていると聞いていた。実際にこうしてレイラを口実にやんごとなき身分の二人の口論が勃発するのだ。こうも前触れなく言い合いを始められると心臓に悪いし、口論の原因にされているというのにレイラには何も口を出すことができない。


 何せ聖女という立場はあれど、本来の身分的には自分は平民だ。聖女の力を少しずつ伸ばしている学生の身分で、聖女としての実績もまだない。そんなレイラには、国のトップに近しい存在たちに強く異を唱えるなどできなかった。


 それでも、何も言わなければ王子に同調したと思われてしまう。


「で、殿下! 恐れながら、そのような事実はございません……!」


 不安定な聖女の立場に縋り、身分の差に怯えながら声を上げれば、レイラを庇っているはずの王子が険しい顔でこちらを振り返った。


「ご、ご学友の方々は、私がつまずいていると優しくご指摘くださいます。それもこれも礼儀作法に疎い私が皆様にご迷惑をおかけしているだけなのです」


 これは本当だ。いくら聖女教育を施されているからといって、実践経験でいえばこの学園の誰よりも乏しい。授業や学園生活の中で、クラスメイトたちに謝罪しなければならない場面はいくつも起こしてきた。


「レイラ、この者を庇わずともいい! 俺は全てを把握しているのだから」


 いや聞けよ! 何も把握してねーよ!

 もはや王子はレイラにとっての真実が何であるかなど興味がないらしい。目の前の己の婚約者をこき下ろすことで頭がいっぱいで、その正義に燃える目は酷く曇っていた。






「——ええ。気の毒ですが、あの聖女様にはこのままわたくしの婚約破棄の礎となっていただきます」


 その言葉を聞いて、レイラは愕然とした。

 棚の下に転がり込んだペンを取ろうと、死角になる机の下に身をかがめただけなのに。少しの間で部屋に入り込んできたらしい令嬢の一人がそう発言した。


 聖女の力には敵から自分の声や姿を目くらます術がある。最近開花したばかりのその力をとっさに発動させてしまったのがいけなかったのかもしれない。しかし今更解除することなんてできない。


 だって、声でわかる。あれはアシュリアン様だ。


 レイラは思い返す。アシュリアンをはじめとした令嬢たちは、レイラのことを警戒しているのか普段は全く近づいてこない。彼女たちに近しい学友も同じくである。

 そして偶然耳にして驚いたのは、レイラが教室や食堂にやってきた時間を事細かに共有されていることだった。恐らくだが、セイアンたちがアシュリアンをはじめとした一部の令嬢たちを不当に非難していることから、身の潔白を証明するものとして記録をつけているらしい。


 この様子では、いわゆる悪役令嬢と聖女の友情エンドもないだろう。そう思っていた矢先、偶然聞いてしまったのが先ほどの生贄宣言だった。


(確かにアシュリアン様はセイアン殿下を嫌っていたけど、なんで、私……!?)


 もしかしなくとも礎とは、セイアンがレイラの保護を理由に横暴な態度を繰り返していることを指しているのだろうか。

 仮にそうならば、レイラから見てもそれは有効な手立てと言える。もともと能力面で評価が低かったセイアンが、素行や人格といった面で問題を起こしているのがレイラの過剰な擁護なのだから。

 でもそんなもの、望まない保護に巻き込まれるレイラとしてはたまったものではない。


 聖女レイラを利用し曇った正義に浸っているセイアンもだが、しかしてアシュリアンも己の利益を優先させた振る舞いを目論んでいるらしい。それは物語の中の悪役令嬢のポジションとしては正しい姿ではあるが、自身にとっても悪となる存在はレイラの心身や立場を蝕む。


(ああ、だからか)


 セイアンが彼女に叱責を飛ばした後、レイラ単身でアシュリアンへ謝罪をしに行ったことがある。

 もちろんその場には彼女と親しい他の令嬢や、部屋に偶然いあわせた令息たちもいた。王子への批判と取られるとまたややこしくなるため、あまり仰々しいものにはできなかったが、教育された礼儀作法の中で最も畏まった礼を取った。しかし……


 ——お気になさらないで、聖女様。


 アシュリアンは広げた扇子の向こうでにこやかに一言そう告げて、次の用事へと行ってしまった。


 レイラを一切を慮ることない彼女の後ろ姿に、レイラはどこか落胆した。淡い期待が打ち砕かれてから、レイラは自分が『助け』を求めていたことに気付いたのだった。

 ……そう。レイラは、あわよくばアシュリアンにこの状況から助けて欲しいと思っていた。心ある悪役令嬢の中には、望まぬ立場にあるヒロインを助ける物語もあった。しかしアシュリアンはそんな令嬢たちには当てはまらない。


 味方はいなかった。






「……はあ。どうするかなあ」


 レイラ・シュゲール・フヴィンは、学園女子寮の自室で天を仰いでいた。

 先ほどまで思い返していた問題児二人……いやセイアン殿下とアシュリアン嬢の顔をそれぞれ浮かべてから、頭を振って消し去った。あまり考えすぎるのも良くない。何か別の糸口はないだろうか。


 このままでは『何も知らず、立場も弁えずにざまぁされてしまうヒロイン』……にはならないだろうが、『全てを察し、立場も弁えていたがざまぁされてしまうヒロイン』にはなってしまうだろう。


 セイアンやその側近たちはこうした物語の役割らしく何も考えずにレイラに侍るだけ。周囲の目線や立場などお構いなしで、アシュリアンをはじめとした各々の婚約者の忠言も聞かない。更には、たまに訪れる王宮で耳にするのは、彼らへの遠回しな期待外れ宣言である。


 このままでは……セイアンに擁護されるがまま、言われるがまま行動を共にしていたら、レイラもろとも破滅エンドまっしぐらだ。そして何よりアシュリアンもそれを望んでいる。

 王宮の人間たちは、どちらかというとセイアンよりも優秀な第二王子を支持している風潮が見て取れる。同じく資質があるアシュリアンとの婚姻を望んでいる人間もいるようだった。


 ——ここまで来てしまえば、大筋が既に『悪役令嬢もの』を辿っているのだと嫌でもわかる。

 聖女であるレイラは愚かな第一王子と共に断罪される側で、きっとその後は優秀な第二王子と元悪役令嬢が国をまとめていくのだ。


 その未来に、実績のない『聖女』の立場はないように思える。


「ああ〜〜〜もうっ!」


 最初の内は与えられる教育と責務に心躍りながら、精一杯応えようと努力してきた。

 聖女の能力開花のための勉強も、学園の授業にも身を削るように打ち込んできたし、貴族・聖職者両方の礼儀作法だって身につけてきた。

 学ぶことが楽しくて乾いたスポンジのように知識を吸収してきたし、聖女の能力も伝統的な秘術に加えて、別の作用を持つ術まで新たに開発してきた。おかげで学園の教授や魔術院の研究員とは親しくなることができたし、普通の生徒以上の学びを得ることはできている。……しかし、それだけだ。


(まだ実績と言えるものがない。発言力が……私には影響力が、ない)


 だからこそセイアンはレイラを囲おうと躍起になるし、アシュリアンはレイラに配慮しない。

 たったそれだけのことだが、レイラにとっては死活問題なのだ。


 前世の知識があるからといっても、現実の身分の差は大きい。平民が貴族に無礼一つ働けば社会的な死、悪くすれば物理的な死が待っている。

 それに、レイラ自身も「断罪されるようなことをしなければ大丈夫」とゆるく思っていたこともある。しかしそんな甘い認識は打ち砕かれ、こうして破滅への道を歩まされている。レイラ自身がどうあるかは問題ではなく、周囲はみなレイラを聖女として扱い、利用している。



 もしも断罪されたら、そのあとは?

 聖女としての役目は果たせるのだろうか。今まで学んできた能力を活かすことはできるのだろうか。活かすことができるとしても、断罪された聖女に人々はどんな目を向けるのだろうか。愚かなことをしでかした王子に、愚かな聖女に。


 ……私は、一生蔑まれながら働かされるのだろうか?

 そんなのは嫌だ。不当な罪で断罪されるのも、政治のために誰かの手のひらの上で踊るのも。


 そんなことよりも今持っている聖女の能力を伸ばして、新しい術や魔術を開発したい。新しい可能性やその期待に目を輝かせて、それを大衆のためであれと謳っていきたい。そんな『現実』を生きてきた私の夢が、『物語』に邪魔されようとしている。


 国の保護下になってから、求められたことは学んできた。

 誰かが喜んでくれることが嬉しくて、何が国のためになるのか意欲的に考えるようにした。

 自分のために誰かを貶めることもせず、何かを利用して己の地位を高めることもしなかった。


 ……それでもこの世界は、聖女の退場を望んでいるのだ。


「——そんなの絶対に嫌!」


 レイラは、硬く拳を握りそう叫ぶ。

 こうなったら、万が一の手段として考えていた選択肢を取る他にないだろう。……いちかばちか、やってみるしかない。




 私は私の夢を奪われないために、邪魔をしてくるやつらに「ざまぁ」をしないといけないらしい。




***




「いや〜読んだかい? アラン新聞の『聖女物語』!」

「ああもちろん。うちのにも買ってくるよう急かされてなあ」

「聖女レイラ様が神託で見つかってから数年経つが、聖女の能力をめきめき開花されてるって話じゃねえか」

「つってもよ、物語はちいとばかし話を盛ってるんだろ? 枯れた木を元通りにしただの、どこまでホントなのかねえ」


 ガヤガヤと人が行き交う通りの中、オープンテラス席で昼食を摂る男性たちの話し声が聞こえる。その手もとには各々料理とともに一部の新聞が置かれていた。それを横目でこっそり窺っていたレイラに、一人の店員が歩み寄る。


「まったく男どもは。噂になってるけど気にするんじゃないよ、レイラ」

「えへへ、ありがとうマーサおばさん」


 隣の店から聞こえてくる噂を聞きつけ、マーサと呼ばれた中年の女性がレイラを気遣う。内容が内容だけに少しだけ身を小さくしながら、レイラは差し出されたまだあたたかい包みを受け取った。

 ——『噂の聖女物語』。この話題を耳にするたび、レイラは内心で微笑む。しかしその表情と内心は隠して、レイラはマーサに向き直る。


「あのね? ほんとは物語ほどすごくはないの」

「おやなんだい、やっぱりそうなのかい?」


 にやりと微笑みあいながら内緒話をするかのように声を落とすと、マーサもそれに合わせて顔を寄せてくれる。彼女は街でも評判のいいパン屋の主人で、平民の食事が恋しくなった時によく買いにくる。その内顔を覚えられて、今では学園で奮闘するレイラを可愛がってくれるようになった。

 そんな彼女の店の軒先、花壇に咲いていたしおれた花を手折り、マーサへと差し出す。


「でも、あのくらいは頑張ってできるようにならなくちゃとは思ってるんだ」


 手にした花がほんの少し光り、しおれていた花が鮮やかな色と張りを取り戻す。それがわかったのか、マーサは「ええ!?」と目を見開き驚いていた。それを見たレイラは得意げな微笑みと共に、マーサのエプロンの胸ポケットに花を贈った。






 レイラが決心してから数ヶ月が経っていた。

 学園では相変わらず第一王子とその婚約者による冷戦が続いており、レイラも当事者として巻き込まれる日々を送っている。


 しかし以前のようにただ巻き込まれるのではなく、レイラは一つの策を打った。

 彼らが権力を笠に策をもくろむのならば、自分は真逆の力を利用しよう。レイラはそう決心していた。幸い今は四年ある学園生活の二年目で、卒業までまだ丸二年間ある。この時間を利用し、レイラは大衆を味方につけられないかと目論んだ。


 その策こそが『聖女物語』である。

 物語の内容は、聖女として召し上げられた少女が国のために努力するというもの。学園に入学するまでと入学してからの二部編成で、もうすぐ主人公が学園に入学する展開に差し掛かる。


 王都に構える新聞社のコラム欄で突如として始まった連載は、最初は話題にもならなかった。しかし徐々に人気を伸ばしていき、一時は国が物語の連載を続行させるかどうか物議までかもしたらしい。しかし結局は、民衆の『聖女への信仰』を高めるものとして黙認されたようだ。


 この物語は作者不明の連載だ。——表向きには。

 実際にはレイラが新聞社に持ち込んでいるのだが、その事実を知る者はいなかった。聖女の術にある、敵から自分の声や姿を目くらます術。それを認識阻害術にまで発展させたことで可能にしたことだった。

 聖なる力がこんなことにまで利用できるなんて夢にも思わなかったが、幸いにも聖女の力が天から取り上げられることはなかった。むしろすっかり研究肌となったレイラは、まだまだこの力の可能性を試したくてうずうずしている。


 そうして得た小さな功績たちを着実に積み、それを脚色を加えた物語として周知させるのが『聖女物語』だった。

 権力ではなく人心、そして『ペンは剣よりも強し』を突き進む。


「まだここまでは準備段階……大事なのはここから!」


 ペンを握り、入学する自分の心境を原稿用紙に書き綴る。

 レイラの計画は少しずつ効果を見せ始めていた。




***




「——なんだこれは!」


 バン! と新聞を机に叩きつける。静かな室内にその音はよく響いた。セイアンは怒りであがった息をどうにか整える。

 ひしゃげた新聞には『聖女物語』の見出しがあった。


「『学園生活の中で第一王子と婚約者が身勝手な論争を繰り広げ、聖女はそれに苦心している』、だと……!? たかだか新聞が、王家を侮辱するようなことをよく白々と書けるものだ! ……おいアシュリアン! どうせこれもお前の手が回っているのだろう!」

「わたくしがだなんて、とんだ因縁ですわ。こんなことをして一体なんの利が? わたくしも悪し様に書かれているというのに」


 淡々と言い返すアシュリアンの言い草に、セイアンの顔がさらに険しくなる。その場にいた部下に視線を移し、八つ当たりのように声を荒げた。


「父上はなぜこれを放置している!」

「は、それが……。高まった聖女信仰に水を差すのは避けたいと。また、変に新聞社に圧をかけ差し止めると綴られている内容が事実だと認めるようなものだ、というご判断です……」

「何だと……」

「そ、それでも! 連載は止められずとも、作者の捜索は行っているそうですが、それも見つからず……」

「クソ!」

「考えられるのは、あの聖女様自身が内容を綴っているということです」

「馬鹿が! そんなことをしてレイラに何のメリットがある! それに彼女には外出できる余裕などない。行動は全て城の者が把握している!」

「さようでございますか」


 レイラ自身は、ここ二ヶ月ほど魔術院に特別講義を受けに行っており、学園にはしばらく姿を見せていない。だからこそ一部の者はレイラの関与を疑ったのだが、先ほどセイアンが言ったようにレイラの行動は全て把握されている。時折城下町で買い物をしに外出するも、護衛と監視の者から特別おかしな報告は上がっていない。新聞社に立ち寄ることも、人を呼んで届けさせることもしていないのだ。


「……アシュリアン。次の夜会だが、不本意ながら俺がエスコートしよう。俺と揃えたドレスも前もって贈る」

「まあお珍しい。嬉しいですわ。ここまで不仲説が広がってしまっては、殿下のお立場も危ういでしょう。従います」

「フン、こんなはずじゃ……」


 巷では本気か冗談か、現実の第一王子セイアンとその婚約者アシュリアンが婚約破棄するのも間近だと噂されている。聖女物語の影響だろうことは誰の目にも明らかだ。

 セイアンもアシュリアンも、互いに明言せずともそれを望んでいることは確かだった。しかし経緯とタイミングが悪すぎる。こんな世論にも政治にも影響がある形で本当に婚約破棄をしてしまえば、国王は二人の振る舞いを許さないだろう。


 だからこそ、次の夜会では仲睦まじい姿を貴族たちに見せなければならない。平民たちの間で流行っている聖女物語だが、その影響や噂話は貴族の耳にも入っている。ここで物語の通りの仲を見せてしまえば、それぞれ自分たちについている勢力が離れることもあり得る。すでに学園の生徒たちの視線がそれを語っていた。


 互いが嫌々今後の方針を決める中。冷え切った主人たちの空気に、部下や侍女たちは何も見まいと青い顔で視線を逸らした。




***




「ここに第一王子セイアンと、その婚約者であるアシュリアンの正式な婚姻を発表する!」


 学園の卒業パーティー。国王が壇上で高らかに告げた内容に、ワアッ! と会場が沸き上がる。

 国王が宣言した上座では、王のかたわらで仲睦まじく身体を寄り添い合うセイアンとアシュリアンの姿があった。絡ませた腕と、時折互いを見つめる瞳には相手への慈愛が見える。


 歓声とともにどこからともなく拍手が沸き起こった。ファンファーレまでついてきたその国民の喜びに倣うように、レイラも満面の微笑みと拍手をもって祝福を贈った。……その心境は、


(っあ〜〜〜〜〜、せいせいした!!)


 非常に胸のすく思いを、存分に味わっていた。


 『聖女物語』を流通させて約一年。

 神託を背負い、健気に努力を続ける聖女の物語は学園編へと突入し、そこで綴られた学園での苦悩に民たちは心を打たれた。ただの平民だった少女が、まるで違う世界の洗礼を受けるという展開を現代風に書き換えられた学園編では、なんと悪役として王子とその婚約者があてがわれた。


 最初は誰も気に留めていなかったが、妙に生々しくもわかりやすい悪の印に読者の感情は聖女を応援するものへと必然的に変わっていく。その内誰が言い出したのか、「俺たちの第一王子サマたちも破局の危機なんじゃないかい?」という一人のジョークが一つの見方として浸透するようになった。


 そこからは早い。

 民衆の噂など最初気にもしていなかった王子たちは、徐々にそれらの声が大きくなるにつれ、目に見える大きな諍いを控えるようになった。

 これはどちらかと言えばセイアンがアシュリアンに突っかかることが少なくなっただけなのだが、その理由としてレイラが少しの間学園を留守にしていたことも大きい。レイラを口実に、アシュリアンを責めることができなかったのだ。


(もちろん、私自身がちょうど良い時期を見て特別講座のスケジュールを調整したのはあるけど……)


 それでも!

 合計三ヶ月間、レイラが学園を留守にして以降、あの胃の痛い冷戦に巻き込まれることは一切なくなった。


 久々に登校した際、一日が何事もなく終わったのがまるで奇跡のようだった。

 そして以前は遠巻きにされていたレイラに話しかける者も少しずつ増え、最近では男爵から子爵の令嬢にお茶に誘われることもある。


 ようやく味わうことのできた学園生活というものに、荒んでいたレイラの心が癒されたのだった——。




(……それで済ませると思ったら大間違いだけどね!!)




 卒業パーティーの会場で、壇上のセイアンたちの婚姻を祝うための拍手に自然と力がこもる。

 それはまぎれもないレイラ自身の怒りからであったが、マナーで叩き込まれた『静謐な聖女の笑み』はレイラの内心をうまく誤魔化してくれた。


(な〜〜〜〜〜にが聖女を理由に婚約破棄じゃ!! お偉いさんの勝手な陰謀にいたいけな聖女を巻き込んだこと、天の罰が当たらないでいつわからせるというのでしょう! 絶・対・に、結婚までしてもらう)


 絶対にだ!!


 そう思い、打ち続けていた拍手をふとやめ、レイラはその場でふわりと両手を組んだ。


 手の平の中心で高まる熱。神聖な力が十二分にこめられたのを感じてから、一度胸の前で抱きしめた力を両手で送り出すように頭上へと解放する。

 広間の明かりが絢爛に輝く中、それ以上の眩さが大小の光の粒となって参加者たちに優しく降り注ぐ。


「まあ……なんて美しいのかしら! 光が天井いっぱいに広がって」

「これは聖女の力か!? なんと見事な……」

「祝福の光だ! 天の神とその神子が、セイアン王子の婚姻を祝福しておられる……!」


 国王の宣言で盛り上がっていた会場がさらに沸く。

 レイラは再び神へ祈るポーズをとり、国王陛下を見る。婚姻の発表に華を添えることができたのか、王は満足げに頷いてくれた。


 膝を折り一度深くカーテシーをとってから、その隣に立っていたセイアン王子に目をやる。

 見れば、引き攣った笑顔が誤魔化しきれていない。さらに隣のアシュリアンへと視線を移せば、こちらは完璧な微笑みを浮かべていたものの目が笑っていなかった。


 ……そう。仲睦まじく、愛し合っているように見えた二人は、互いに憎みあっているままだ。

 だというのにこうして貴族たちに愛がある婚姻だというアピールをしなければいけないのだから、その心境はどんな苦いものだろうか。


 知らぬが仏、知らぬは無垢な乙女。真意を何一つ汲み取れていない鈍感な顔をして、レイラは改めて二人へ満面の笑顔を贈った。


 はたから見れば、二人の後輩でもあった聖女が心からの祝いを差し出したように見えただろう。

 実際に先ほどの聖女の術はお祝いだ。——己が野望のままにレイラを犠牲にしようとした二人への『ざまぁ』、それが念願叶った祝砲だった。


 聖女物語の影響で仲が修復されたセイアンたちは、先ほど国王から宣言された通り、このまま正式に婚姻することとなる。王位継承権を持つセイアンは国王に、アシュリアンは王妃になるだろう。一部貴族派閥で王太子へと推されていた第二王子は、そのままセイアンの補佐をすることとなった。

 これは国王の決定であり、何人たりとも覆すことはできない。


 セイアンは嫌っていたアシュリアンと結婚する未来から逃れられず、想いを寄せていた聖女には逆に逃げられた。同じく愚かなセイアンが好きではないアシュリアンは、相手有責の婚約破棄を目論んでいたもののそれが失敗。

 ここまで来てしまえば、誰が何を言おうと二人は国民の模範として仲睦まじい姿を公共の場で演じ続けなくてはならない。


 事態がここまで進んだのはもちろん『聖女物語』の影響でもあるが……それに後押しをかけたのがもう一つ。


 それはレイラの「お二人は物語にあるような方々ではありません!」という決死の訴えだった。


 ——自分の尊敬する人たちを悪し様に書くなんて!

 ——お二人の仲の良さは私も憧れていたのに!

 そうレイラが涙ながらにマッチポンプをする度に、セイアンとアシュリアンの顔が気まずく曇っていく。最終的に二人がレイラに近付かなくなったことで、校舎から自室に戻ったレイラは「っしゃあ!!」と雄叫びを上げた。もちろん防音魔法は発動させた上で。




「聖女よ。二人の門出を祝福してくれたこと、礼を言う」

「国王陛下」


 上座から声をかけられ、歓声がぴたりと止む。レイラも今一度正式な礼を返し、王の言葉を待った。

 今レイラが着ているのは、貴族の令嬢が好むようなドレスでもましてや学園の制服でもない。聖女としての正装……この国の祭服にもなる白のローブとスレンダーラインのドレスだ。公共の場でこれを着るのは初めてだった。


「ちょうど良い機会だ。皆聞け。先の討伐において、聖女レイラは学徒の身にも関わらず陣の先頭に立ち、魔物どもを一掃してくれた。放たれる数々の光はまさに神の矢であった。学びに対しても貪欲で、その勤勉なる心、まさに神子。——王として、聖女の益々の活躍を祈る」

「国王陛下のお言葉、この心に刻みます」


 この瞬間、国王の言葉は聖女レイラの功績を認めたものとして認知された。


 学園を留守にしていた三ヶ月間。魔術院で聖女の術の講義や練習をしていたのに加え、レイラは実際の討伐任務にもあたっていた。今までは魔術院で技術を高めるだけだったが、高めた末の実力を買われ騎士団の討伐任務に同行することになったのだ。そこでなんとか騎士団の力になれたことで、レイラの実績が魔術院と騎士団の両方から国王に報告があがったらしい。


 ……ああ。これで何者にも脅かされることもなく、聖女としてこの身を高めていける。

 聖女の術の可能性を求めて研究できるし、力を使って困っている人々を救いに行くことができる。




 邪魔者はもういない。

 あの二人はまとめて王宮に縛り付けることができたのだから!




 これからレイラを待っているめくるめく自由な生活を想像する。

 自由な研究! 誰かに感謝される日々! と内心唱えたところで、背後から「控えてください」という注意が入る。何かと力になってくれるも手厳しいお目付け役である司祭様のお怒りの気配に、背筋がピンと伸びる。直後、研究への欲望から聖女らしからぬ表情になっていた顔から一転、レイラは『静謐な聖女の笑み』を浮かべた。




 なおこれは後日談だが、セイアンとアシュリアンを結びつけたとして「聖女レイラの力は永遠の愛を生む」という逸話が生まれ、いつの間にかレイラは恋愛成就のご神体とされていた。

 面倒なので教会にそれらしいモニュメントを置いてお布施を募ったところ、司祭様にサムズアップされたので良いことだったのだろう。

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