第2話 転生後

 町娘セレネには前世の記憶があった。

 愚か者としか言えないような少女の記憶が。


 離れている間に恋人に異変があり、いざ再会してみれば貴族の馬車に乗っていて、身分なんて関係ないとばかりに迫っていたら貴族令嬢の顰蹙を買ってズタボロにされ、死ぬ気力すら無かったところに何もかも手遅れになってから思い出した恋人が訪れ、ようやく死ねたという愚かな少女の記憶が。


 この記憶から学べたことは二つ。身分は絶対だ。身分が違う相手に近づくな。それが知り合いでも。真実の愛など信じるな。災害や事故の前では無力だ。


 それを教訓としてつつましやかに日々生きている。

 ……正直なところ、前世の影響で男の人が怖くてたまらないが、普通と違うことをして異端と思われるのはもっと怖い。震える身体を叱咤して関わる人とは普通に接していた。そんなセレネを両親だけは察して優しくしてくれた。


 前世では両親に何の孝行も出来なかった。今の両親は前世とは違うけれど、前世の記憶があるような変わった娘にとても優しい。

 出来れば今世こそ親孝行をしたいものだ。良い人に会って、孫の顔を見せてやりたい。女を玩具にするようなクズじゃなくて、普通の良い人に……。


 その願いは叶った。町に引っ越してきたある家族の次男と仲良くなった。セレネが男性と距離を近くすると震えることに、大抵の男性は「俺が何かすると思ってるのか?失礼な女め」と気を悪くしたが、その次男は「何かトラウマでもあるの? 僕はどれくらい離れていたらいい? 君に負担をかけないようにするよ」とむしろセレネを気遣った。この人ならいいとセレネは思った。


 結婚話も具体的になる頃、セレネにとってトラウマの元凶が訪ねてきた。


「俺だ、カミロだよセレネ」



 カミロは赤ん坊のころから前世の記憶があった。だからこそ絶望した。前世は平民だったのに、どうして貴族に生まれたのかと。前世で縁が出来たからだろうか? しばらく悩んだが、セレネを探すのに平民よりは都合がいいと割り切ることにした。

 歩けるようになると父の仕事を手伝いたいと言ってあちこちついてまわり、そして年頃になると領地にセレネの生まれ変わりがいることに気づいた。

 カミロは喜んだ。神は自分を見捨てていない。ありがとうございます、今度こそ幸せになれるように取り計らってくれたんですね、と。

 前世のぶんまで幸せにしよう、前世で渡せなかった身分を利用した贅沢な指輪を今度こそあげようと浮かれる。



「貴族……」


 身なりを見てそう思ったのだろう、セレネはカミロを見て後ずさった。


「確かに貴族だけど、君が望むならこんなの捨てて良い! どこか遠い所で二人で暮らそう、平民だった記憶はあるんだから何てことは無い。またあの頃のように付き合う、やり直そう、今度こそ結婚しよう」

「……」

「セレネ? もしかして、記憶はない……?」

「……いいえ、あります」

「良かった、じゃあ……」

「はい、カミロ様が仰るならお付き合い致しましょう。でも、条件があります」

「条件?」

 セレネはにっこりと笑った。凄みを感じる笑みだった。

「この先二度と私の視界に入らないでください。何があっても関わらないで。連絡もしないで。手紙も要りません。それがお付き合いする条件です」

 カミロは絶句した。それでは、まるで……。

「付き合ってるって言わなくない……?」

「付き合っていますよ? 会わない時間が愛を育てるんです。私、前世で貴方を待っている間、どんな指輪をくれるんだろう、どんなお土産話を聞けるんだろうって考えてるだけで、ずっとずーっと幸せでしたから。貴方にもその幸せを味わってほしいんです」

 ニコニコしながら話すセレネ。だがカミロは納得がいっていなさそうだ。

「でも……」

 不満げに声を出すカミロにセレネの表情がすっと消えた。

「私は貴方のためなら嘘の話だろうが言うこと聞いたのに、貴方はそれが出来ないって言うんですね」

 暗に、前世の偽医師の件を言っているのだ。それを言われたらカミロは何も言えない。

「う、うん。分かったよ。他ならぬ君との約束はもう絶対破らないよ」

「そうしてください。ああそうそう、私が何らかの事故で記憶を失っても、それは私ではなくて別人なので、私とどうこうなろうとか考えないでくださいね」

「……分かった。でも、いつかは君から連絡くれるんだよね?」

「……その時がくれば」

「そっか、うん、分かったよ。じゃあ、これ、俺の連絡先。……ずっと待ってるから」」



 そう言って渡された現在のカミロの連絡先が書かれた紙を、カミロが去り次第びりびりと破いて捨てた。

 家に帰るとあの婚約者の次男がいて、「さっき、他の子から君が身なりの良い男の人と話してるって聞いたんだけど……」と不安そうに聞いてくる。

「ただ道を聞かれただけよ。二度と会わないわ」



 カミロは貴族の屋敷に戻って思った。

 やっぱり……まだ怒ってるんだと。でも記憶を失ったこと自体は事故だし、何より諸悪の根源はメラニアだ。無理にでもあのあとメラニア達を成敗した話をすれば良かったのかもしれないが、セレネの圧がそうさせてくれなかった。

 セレネの怒りはいつ解けるのだろう。まさか一生ということはないだろう。なんといってもあの出来事自体数十年前の話だし。気持ちの整理がつくまでというなら一週間? ひと月? 一年?

 カミロは渡せなかった指輪を懐から出しながら、金庫にしまった。

 最近の流行りと最新の技術を集めた指輪。渡したかったなあ……。でもきっと、すぐ渡せるはず。


 そう思っていたが、一年、二年、五年、十年とセレネが連絡してくることはなかった。家令にも平民だからと思わずにセレネという女性からの連絡は必ず渡すようにと言い含めてあった。だからこちらの不手際ということはなく、単純にセレネからの連絡はずっとこなかった。

 その間にセレネは結婚をしていた。それを知った時のカミロは荒れた。

 付き合ってると言ったじゃないか、これは酷い裏切りだ。恋人を差し置いて他の異性と仲良くするなど許されない。

 ――そう思って、それがまんま自分が前世でセレネにしていたことだと思い至り、責める資格がないことに気づいてしまった。

 だからぐっとこらえた。

 セレネは怒っているんだ。だから同じことをやり返されても仕方ない。それに死ぬ間際に二度と会いたくないと言った手前会いに来づらいのかもしれない。俺はそんなの気にしないのに。気が済んだらきっとこちらに戻ってくる。だから、いつ戻ってきてもいいように最新の指輪をキープしておかないと。

 そう思って毎年新しい指輪を職人に作らせる。こうしておけばセレネが来た時「私のために指輪をいっぱい作ってくれるなんて!」と感激してくれるはず。

 ただ、職人が気を利かせたつもりなのかなんなのか「恋人さんの指輪のサイズはいつもと同じで?いやなに、うちの女房なんかは太ってサイズが変わっちまったから」と聞いてくる時があってたまらなくつらかった。同じも何も今世のサイズなんか知らない。違ってたら作り直せばいい。サンプル品のつもりで作らせているのだから。あまりにしつこく聞くようなら工房を変えることもあった。


 セレネが子供を産んだ。カミロはまた荒れた。

 白い結婚かもしれないと希望を持っていた。今度こそ愛する人との間に自分の子を作りたかった。なのに自分の種ではない子をセレネが産んだ。今世ではそうする必要ないはずなのに。付き合ってるって口約束だけど約束は約束なのに。

 その頃には貴族の嫡男であるカミロが婚約もしないことに両親も口うるさくなっていたが、カミロはセレネとの約束以前に二度と貴族の女と親しくなりたいとは思っていなかった。平気で嘘をついて、身ごもった子供を生まれる前から同族だと思わずに捨てることを宣言したあのメラニアの存在はカミロの魂に抜けない棘として残った。

貴族令嬢というのは多かれ少なかれメラニアと似たようなものだ。前世の記憶がある以上、絶対に結婚なんかしない。

 神に仕えたいからと言って弟の子供を養子とすることで両親を納得させた。素直に当主の地位を弟に譲ればいいのかもしれないが……。

 災害で流れた橋を復旧させたり、セレネの住む町を少しばかり優遇したり。そんなことは当主の地位と権力がなければできないのだ。当主が誰かは知ってるはずだから、少しでも見直してくれたなら……。


 金庫はセレネへ贈るはずの指輪で溢れた。箱の中に豪華な指輪がずらっと並んだ光景は壮観だと言えるだろうが、あいにく見る人間はカミロしかいないので無駄も無駄だ。

 最初の指輪のデザインなどはもう古臭くなっている。

 今世の誕生日にはいつも指輪を作っている。世間で恋人達の日などと騒がれる日には他にもアクセサリーを作っている。

 自宅にわざわざ離れを作って、その一室を前世でのセレネの家のようにした。そこにセレネの肖像画を置いて、月に一回は楽しく語明かす。


「今年のプレゼントだと、セレネ。首飾りなんだけど、気に入ってもらえたかな?……そっか!嬉しいよ」


「結婚式は綺麗だったね。世界一綺麗な花嫁だったね。でもピンクが好きだったはずだけど、花嫁衣裳は青色なんだ。……メラニアのやつがよくつけてた色だから嫌になった?」


「ねえ、前世で死ななくても良かったじゃないか。腹の子は憎いけど、君の子供でもあると思えば成人までは責任持って育てたよ。いくらでもやり直せたよ。いや、今の子供だって受け入れるよ。セレネが俺を選んでくれたら……」


「セレネ、セレネ、これ良いお酒なんだ。服もアクセサリーも食べ物も、会いに来てくれれば全部セレネのものになるんだよ」


「いつ会いに来てくれるの?会いに来てくれるんだよね?ちょっと疲れたけど、セレネの言葉は守るよ、今度こそ……」 


 安い酒を大量に浴びて寝た日、夢にセレネが現れた。


『ごめんね、遅くなって。貴方がどこまで約束を守れるか試してたの。合格よ、今の貴方なら信用できるわ、結婚しましょう』


 カミロはセレネに取り縋って泣いた。そして多幸感に包まれた。

 この世で唯一愛した人がこの手に来てくれた。彼女さえ居てくれればいい。

「ねえセレネ、この部屋覚えてる?懐かしいんじゃない?」

 カミロの予想では『自分の部屋を覚えていてくれたのか!再現までしてくれたのか!』と感激するセレネが見られるはずだった。

 しかしセレネは表情を消した。

『貴方は過去を思い出すと幸せになれるのね。私は思い出すだけでもつらいのに』

 それを聞いたカミロが振り返った時、セレネはもういなかった。

「セレネ、どこ? 隠れているのかい? ねえ、部屋だけじゃないんだ、プレゼントがあるんだ。前世で約束したじゃないか。指輪を買ってくるって、結婚しようって。ずっと待ってたんだよ。セレネ? セレネ?」

 二日酔いでガンガン痛む頭を抱えながら起きた時、カミロは即座に命令して部屋を解体させた。以降、何もない部屋で大量のアクセサリーと肖像画を前にぶつぶつと話すカミロが目撃された。

 今世のカミロの両親はカミロの奇行を不安がったが、金、酒、女。昨今この三つでまったく問題を起こさない貴族というのは国宝並に珍しいので奇行がそれくらいなら、と放っておいた。そうでなくても平民達からの人気が高すぎる。彼を排除してもメリットがない。

 

 数十年経った。セレネの連絡は一つもないまま、セレネが病気で寝込んでいるという情報が入った。関わるな、視界に入るなと言われていたが、自分もセレネも年で、これが最後のチャンスかと思うと矢も楯もたまらず一人馬に乗って屋敷を飛び出した。

 その際に召使にも家族にも何も言わなかった。出かけるといえば必ずどこに行くのかと聞かれる。場所を言えば目的は何かと聞かれる。目的を聞かれたら「いい年して女の尻を追いかけるなんて。真面目で通ってたくせに」と嫌がられるのは目に見えている。だから夜の闇に紛れて出かけたのだ。


 セレネ。会いたい。欲を言えばもう一度笑顔が見たい。ずっと忘れていなかった、セレネのためだけに純潔を保っていたと言ったら少しでも喜んでくれるだろうか。

 瞼の裏にセレネの喜ぶ顔ばかりを浮かべて、カミロは道にロープが張られているのに気が付かなかった。


 引っかかった馬が転倒した。カミロは馬から投げ飛ばされて地面に叩きつけられる。大事ないと分かって馬の様子を見ると、数人の男達が馬に刃物をつきたてているのが見えた。

「久しぶりね……カミロ」

 誰だろうかと一瞬思ったが、その顔を見て思い出した。

 メラニア。そして前世でセレネを乱暴した男達。



「よくも私を殺したわね! 罪のない赤子まで! しかも私平民なんかに生まれてるのよ、絶対あんたのせいでしょう!」

「お前のせいで悪夢にうなされて飛び起きたのは一度や二度じゃねえ!俺達が何をしたって言うんだ、てめえも同じ目に合わせてやる!」

「なんだよびびってるのかよ、笑えよ、旧知の人間に会ったんだからよお!」


 動揺するカミロを前にメラニア達は言いたい放題し、好きなように振る舞った。

 笑わないカミロの口を耳まで切り裂いて無理矢理に笑い顔にしたり、自分の内臓を食べる人間の姿を見たいと見世物のように扱ったり。




 ――気が付いたらカミロは夢を見ていた。懐かしいあの村の、セレネの家の近くに生えている巨木の下にいた。心配そうにセレネが覗き込んでいる。

「カミロったら、木から落ちて今まで気絶してたのよ、大丈夫?」

「セレネ……うん。平気だよ。全然痛くないもん」

「身体が麻痺してるのかもしれないでしょ。家から救急箱取ってくるから待ってて」


 そう言ってセレネは走って行ったのだが、いつまで経っても来ない。

 ははあ、セレネは意外とドジだから俺のことを忘れたな? でもふとしたきっかけで思い出して慌ててやってくるのが目に見えてる。

 それまで待っていよう。セレネはきっと来てくれる。

 ああ、まだかな。早く来ないかな。


 ――どこぞの山林の奥で、誰もが目をそむけたくなるような怪我をしたカミロが虫の息で笑っていた。その遺体が発見されるのは数年の時間を要した。

 見つかった時は遺族が「何で貴族の当主が共も付けずに一人で出かけたりしたのか。余程知られたくない相手だったというのか。愚かな……」と棺に縋りながら泣いた。



 その頃、セレネは愛する夫と子供達に囲まれながら儚くなろうとしていた。こんな状況なのに、思い出すのはカミロのこと。


 クズだった。

 前世ですら手遅れの状態になってからやってきて、謝罪するのかと思いきや何も言わずひたすらおたおたするだけ。こんな男のために苦労して何のために生きてるんだろうと思ったら最後の糸がふっつり切れて死ぬ力だけが湧いた。

 そして今世。二度と会いたくないって言ったのにそれを無視して会いに来た。そして謝罪はやっぱり無し。求婚より前に人として言うことあるだろう。前世の時から能天気なところあるとは思ってたけど、こんなに常識ない人だったっけ? とセレネは怒りだけが湧いた。

 誰がお前と結婚なんかするかと切れ散らかしながら断ることをしなかったのは、身分差がただただ怖かったからだ。私は前世では貴族に関わったために不幸になったのに、どうしてカミロは貴族に生まれたんだろう。そしてどうして私が貴族と関わりたいと思わないって考えないんだろう。前世で私が身分差のために酷い目に合ったのを忘れたのか? 酷い目に合ったのが自分じゃないから気にしないってことか? 能天気な人だけど、そういう想像力も欠けた人でもあったなとぼんやり思う。ともかく自分が悪者にならないように退けたかった。

 それでもかなりの直球だったと思うけど、流石にあれで二度と関わりたくないってことは分かってくれたよね? お花畑なんだとしても、人生で一度しか会わないとか異常ってどこかで気づくはず。

 カミロとやり直す気はなかった。前世でされたことを思えばそうなるだろう。

 結局あれがカミロという人間の素なのだ。根っこが差別主義者で、都合が悪いと思った人間は切り捨てる。少女が暴行されてようが平気で見捨てる。こう考えると何で好きだったのだろうと考えてしまう。

 それなのに生まれ変わっても求婚はしてくる。今世は貴族なんだから美しい女性などより取り見取りだろうに。何故平民の、それも前世で汚れきった姿を知ってる恋人もどきだった自分にまた言い寄るのだろう。

 真実の愛。

 それだけはない。

 そんなのあったら前世で私は何度も裏切られてない。

 愛じゃないなら罪悪感から逃れたいからとしか思えないのだが。罪悪感で愛してもない人間を娶るなんて馬鹿にしてるとしか思えない。

 やり直したい? 結婚しよう? 貴族を捨ててもいい?

 一回でも私の意思を聞いたのかふざけんな苦しんで死ねとしか思えなかった。

 まあ貴族なんだから苦しんで死ぬなんてことないだろうけど。

 それにしても会うなと言ったから本当に会わないとか、それはそれでやる気あるのかと言いたくなる。

 ……ああもう、こんな状況なのにずっとそばにいてくれた旦那や子供じゃなくてあいつのことばかり考えてる。気が弱くなってるんだ。カミロなんかもう不快な存在でしかないのに。

 あの人が好きで好きで、一緒に幸せになるんだって信じていた頃なんて二度と戻らないのに。

「セレネ、ずっと手を握っているから」

 夫は優しい人だった。そんな人の前で結ばれなかった男のことを考えている自分が情けなかった。

 ああ神様。願わくば、生まれ変わったらカミロのことを忘れてますように。カミロに付随する記憶はもはや普通に生きる上で害でしかない。忘れて普通の女の子として生きたい。貴族が嫌いという感情だけ残っていればいい。

 そう思いながらセレネは息を引き取り、願いは叶えられた。




 カミロはもう何回生まれ変わっただろうとぼんやり思った。

 転生二回目の時にセレネに会いに行った。これはとても勇気がいることだった。セレネと同じように理不尽な暴行を受けた記憶がある今、セレネにどれほど無神経なことをしていたのか解ってしまったから。それでも同じ目にあったよと言えば彼女も流石に許してくれるのではないかと思ったのだ。


「どこかでお会いしました? すみません、私、物覚えが悪くて……」


 だが彼女の記憶は失われていた。一からやり直すチャンス、とはならなかった。


『私が何らかの事故で記憶を失っても、それは私ではなくて別人なので、私とどうこうなろうとか考えないでくださいね』


 こうなることを見越していたのだろうか、彼女の言葉がカミロを縛った。

 今のセレネと結ばれるのは他人と結ばれるようなものだから出来ない。

 結ばれるならセレネに前世の記憶を思い出してもらわなければならない。

 今世で転生した時、死に際の記憶を思い出して発狂しかけた自分にそんな酷いことはできない。それに……。


『貴方は病人同然だったんだから、思い出すように言い募るんじゃなくて、

思い出せるまで待っておけばよかったのよ』


 セレネの言葉が蘇る。記憶を無くした人に接する時の最適解が。


 それから何度も他の誰かと結婚するセレネを見送った。

 自分は婚姻しないでずっと奇跡が起きるのを待ち続けた。

 彼女の誕生日には変わらずプレゼントを買った。いつか奇跡が起きた時、何も用意してなかったら恥ずかしいから。

 いつか本物のセレネに会いたい。今度こそ結婚して人並みの家族になりたい。この世で信じられるのはもはやセレネだけだ。いつまでこの気持ちを抱えていたら許されるのだろう……。


 そんなある日、カマキリのメスが交尾中にオスを頭から食べている様子を目撃した。

 その時カミロは、畜生ですらメスのために命を賭けるというのに、自分は奉仕の精神どころか相手を欲してばかりで傲慢になっていたのだと気づいた。

 相手の幸せを喜ばない人間が好かれる訳がないのは当たり前だ。


 愛するセレネが今日も生きてる。幸せだ。

 愛するセレネが結婚した。幸せだ。

 愛するセレネが子供を産んだ。幸せだ

 今世もセレネが俺という疫病神に関わらずに天寿を全うした。幸せだ、シアワセダ、シアワセダ!


 カミロは死ぬ時にいつも神に記憶を保持させてくれと思いながら死んだ。忌まわしい記憶も残り続けるが、最初の人生で自分が記憶を失ったばかりにどれだけの人が不幸になったか。自分一人が過去に苦しめばいい話だ。


 ふとした日に昔の夢を見た。

 無事に親戚の結婚式に行って、帰って来て、セレネと結婚して、子供を抱いて、死ぬまであの山奥の村で幸せに暮らす夢。

 子供の体温までリアルに感じて、もしや夢ではないのではと思うものの、鏡に映るのはくたびれた男一人だった。

 夢で見た自分の子はどこにいるのだろう。

 カミロはセレネの肖像画の横に、小さな人形を置いた。家族が出来たみたいで嬉しかった。

 セレネが自分を許せる境地になったら、きっと……。


 累計百年以上待った。奇跡は起きなかった。

 けれどカミロは満足だった。いつも心にはセレネの言葉があったから。


『会わない時間が愛を育てるんです。私、前世で貴方を待っている間、どんな指輪をくれるんだろう、どんなお土産話を聞けるんだろうって考えてるだけで、ずっとずーっと幸せでしたから。貴方にもその幸せを味わってほしいんです』


 セレネが今世で喜ぶ指輪は何だろう。今までの転生ぶん待っていたことを話したら驚くかな。物分かりの悪い自分だけど、同じ人間から同じような罰を受けたことを知ったら流石に許してくれるんじゃないか。いつか奇跡が起きてこのことを話せたらきっと……。


 カミロは確かにセレネのことを考えている間は幸せだった。人間の悪意をこれでもかと浴びた人生を知っているから余計に。


 カミロはずっと待っている。奇跡が起きる日を、


 そしてセレネに先立たれるといつも迷わず自殺した。

 ある時はセレネが死んだ修道院で同じように崖から飛び降りて死んだ。院長は今でも谷底の骨なんか拾えない言うのであの時のセレネの遺体はずっとそこにある。骨だけでも一緒になりたかった。


 ある時は廃村になった最初の人生で生まれた村で死んだ。家と呼べるようなものはもうなかったが、セレネと登った木はまだ健在だった。ロープを死刑囚縛りにして木に括りつけ、輪の中に自分の首を入れる。そして足元の代を蹴とばす。

 苦しみながらも、セレネの両親はもっとつらかっただろうなと考えながら死んだ。


 ある時は領地内で悪い宿屋の夫婦の最後を聞いたのでそれに倣った。

 子供に家出されたうえに客が少なくて食うものに困るようになった夫婦は、狼が出るからという理由で店から毒を買い、それを客に盛って殺し、その私物を売りさばくことで生計を立てていた。そんなことが数年続いたあと、何やら懐かしい気持ちにさせる客が訪れたが、泊まった客は皆殺すと決めていた夫婦は毒を盛った。そして私物を漁ると、大昔息子に送った誕生日プレゼントがあった。客は息子だったのだ。息子を自分の手で殺したという事実に耐えきれずに夫婦は同じ毒を飲んで死んだ。

 誰もが人殺し夫婦ざまあみろと笑っていたが、カミロだけは違った。確かにやったことは許されないが、殺したのが愛しい我が子だったと知った時の絶望を思うと涙が止まらないのだ。全てが終わってからセレネのことを思い出した自分に重なって。せっかくなのでその生ではその毒で死んだ。


 時々、殺した男達に殺される時があった。

 そのほうが嬉しかった。

 自殺は罪深いというし、他者に殺されるなら自分で死ななくて済む。罪が軽くなる。

 ああでも、セレネが死ぬまで彼女をサポートするためだけに生きてるのに、それがしないで先に死ぬのはやはり罪深いかなあ……。

 そんな男達も最近では「殺したことは謝るから許してくれ。もう記憶なんていらない。普通の人間に生まれたい」と謝ってくる。そうは言っても自分は関知してないからどうにもできないんだけどなあ。



 セレネはいつからか遠くから自分を見る男が気になっていた。初めて会ったはずなのに、前にも会った気がする人。

 けれど、その身なりの良さから育ちが良い人なのだろうと分かるとすぐ顔を背ける。どういう訳か昔から上流階級に苦手意識があるのだ。それを無視してまであの人に事情を聞く気にはなれない。時折何か思い出しそうになるけど、その度に頭が酷く痛む。

 何で自分が苦しんでまで知らない人のこと気にかけなきゃいけないんだか。

 セレネはそう思って、その男を忘れることにした。


 結婚する時はいつも楽しい。無事に結婚式を綺麗な身体で迎えられるというだけでどうしてこうも嬉しいのか。

 子供を産む時はいつも楽しい。なんらやましいところのない子供を産み育てることの誇らしさはいつも格別だった。

 寿命で死ぬ時に家族が傍にいることの安心感ときたら。いつも「よかった、これでよかった」と確信する。

 まるで、そうでなかった時を知っているかのように。


 何か違う選択をしたら、そうでない未来があるのだろうか。でも私はもう自分が損する選択なんかしたくない。今がじゅうぶん幸せなのにわざわざ面倒な選択なんかしたくない。聖人でも聖女でもないのだから。



 最初の人生でセレネの両親は絶望しながら死んでいった。

 自分達の娘が一体何をしたというのだろう。娘は自分が馬鹿だった、カミロには会えなかったというけれど、嘘をつく時の仕草を親が知らないとでも思っているのだろうか。

 ボロボロな姿で帰ってきた娘の腹がどんどん膨らんでいった。そんな汚らわしい娘を置いておけないと村長が修道院に行くように圧力をかけてきた。圧力をかけてきたくせに、入れるための出費は全部こちら持ち。娘を無理に王都に行かせたこともあり、財産は底をついた。会いに行く金もないし、そもそも潔癖な村長は汚い女を二度と出すなと厳命している。

 一人娘を失って、何を生きがいに生きていけばいいのだろう……。

 金もないのにこの間の嵐の影響で屋根が剥がれ、雨漏りもする家で生きていく気力がなくなった。

 二人は丈夫な植物の蔓を死刑囚縛りにした。娘の思い出が残る品を前に踏み台を蹴り倒す。まだ何の苦しみも知らなかった頃の品だ。気道を圧迫される苦しみも娘が受けた非道な仕打ちを思い出せば怒りが勝る。



 呪ってやる。

 この命を引き換えにしてでも呪ってやる。

 娘に乱暴した人間も、カミロも。

 神なんていない。だから悪魔様。どうか娘が許すまでカミロ達が永遠に苦しみますように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

決して戻らない記憶 菜花 @rikuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ