マフラーに後ろ髪が巻き込まれてもふってなってるのが好きすぎて正気を失った少女

にゃー

“もふっ”


 不可解な寝苦しさに、新堂えりは目を覚ました。


 小さな体を起こしてみれば、真っ暗な部屋の中に見慣れない光源が二つ。毒々しいピンク色に輝くそれが一対の瞳であることに気付くまで、そう時間はかからなかった。


「ハァイ」


 淫魔である。

 下着とも呼べない布地で局部だけを覆った肉感的な肢体に、整った顔立ちの短髪。上からツノ、羽、尻尾。部屋の中心に佇む長身の女は、神秘が淘汰されて久しい現代に生きるえりですら、ひと目で淫魔と理解わかる出で立ちをしていた。

 もしも淫魔でないとすれば、真夜中に女子高生の部屋に押し入るド級のコスプレ痴女である。この法治社会はそのような存在を許しはしない。ゆえに紛れもなく、それは淫魔であった。


「ひっ……」


 えりの口から小さく悲鳴が漏れる。しかし同時、恐怖が欲望に上塗りされるかのように、ピンク色の瞳に囚われてしまう。なけなしの抵抗心が一度だけ、彼女の視線を開けっ放しの窓へと向かわせた。夜風の入り込む──あるいは、淫魔の侵入経路だったかもしれない──その四角形は、えりにとっての現在であり、未来であり、そして想い出でもあった。

 あの窓の先には幼馴染の部屋がある。隣の家。どちらも二階の、向い合わせの部屋。ほんの1メートルと少ししか離れていない窓と窓を隔てて、えりは彼女と全てを共有してきた。毎日ならんで登下校し、夜には風呂上がりの熱を夜風で冷ましながら、窓越しにとりとめのない話に花を咲かせる。今日のような初夏の日にはそのまま、お互い窓を開けたまま眠りについて。そうすれば夢のなかでも一緒にいられると、そんなことを想いながら。


 淡く甘い想い出であり、現在であり、未来。しかしそんなもの、淫魔の力の前では無に等しい。


「ぅ……ぁ……」


 輝く魔性の瞳に魅入られて、えりの中から正気が失われていく。


「そう、そうよ……さあ、貴女の欲望を見せて頂戴?」


 脳にするりと入り込む、妖艶な囁き声。一介の女子高生ごときに、抗うすべなどあろうはずもなく。やがて、えりは息を荒げながらベッドから這い出た。ふらふらとした足取りで、淫魔のもとへと向かっていく。数歩のうちにすぐ側にまでたどり着き、夢心地のままに手を伸ばして。


「さぁて、貴女はどんnいったぁっ!?!?」


 淫魔のすぐ後ろにあったタンスの引き出しを勢いよく開け放ち、そのカドで超常なる者の腰を強打した。えりは「おぉ……ぉぉぉっ……!」と悶絶する淫魔に目もくれず、全開に引き出したその中から何かを手に取る。ほかの衣類が散らばるのもかまわずに引っぱり出されたそれは、この季節には使いでのない薄ベージュのマフラー。


 そう、えりは“マフラーに巻き込まれてもふってなってる後ろ髪”に極度に興奮する少女であった。


 正気を失った瞳をぎゅるりと窓へ向け、えりは駆ける。一足でベッドに飛び乗り、二歩目はそのスプリングを利用した大きな跳躍に。寸暇の後に音もなく着地したその場所は、1メートルと少しの隔たりを越えた窓の向こう、幼馴染・古江さきの部屋であった。


「ぅぅ……うぅぅッ……!」


 獣めいた呻きを漏らしながら、えりはクローゼットの前に立つ。幼馴染なのだから当然、どこに何があるかなど全て把握している。すぐに目当てのもの──冬用の厚手長袖制服一式を手に取ったえりは、次いでデスクへ向かいブラシとヘアスプレーも拝借。その辺りで物音に気づいた部屋の主、さきがもぞりと身動ぎした。


「…………んぁ、えりぃ……?どうしたのこんな夜中に……」


 上体を起こし、目を擦りながら枕元の灯りをつけるさき。暖色の光に照らされながら、えりはベッドのすぐ横に立った。両手に持った諸々を一度枕元に置き、意味のある言葉も発せないままに、さきの両脇に手を通す。


「ちょ、なによぉ……」


 むりやりに立たされたさきの困惑など意に介さず、えりは彼女の寝間着を脱がせていく。幼馴染なのだから当然、ボタンを外すその手付きは慣れたもので一切の淀みもない。前を開け、やさしくシャツを脱がせるその指先に一度、さきの長い茶髪が触れて。えりの目に爛々と、狂気の光が蠢いた。


「ぅぅぅっ……!」


「なんなのよ……」


 いつも以上に息の荒いえりを不可解に思いつつも、幼馴染なのだから当然、さきがその手を拒む理由もなく。ズボンもするりと脱がされて、シックなナイトブラとショーツだけの姿に。かと思えばすぐにも、勝手に引っ張り出された冬制服を着せられる。セーラー服の前を留め、スカートの丈は二回折り、ご丁寧にタイまで結んで。そうして手ずから着替えさせたさきの肩に手をおいて、えりは再び彼女をベッドに座らせた。


「……はいはい、次は?」


 眠気と困惑の入り混じったジト目を向けられる中、自身もベッドに上がりさきの後ろに回るえり。膝立ちになって、頭一つ分ほど高い位置から、幼馴染のなめらかな髪を見下ろす。両手にはすでにブラシとスプレーが。


「ぅぅ、ぅぅ……っ」


「ん……」


 口からは理性を失った呻きを垂れ流したまま、髪の手入れが始まった。長くまっすぐなおぐしを、ゆっくりと梳かしていく。わずかに付いていた寝癖を優しく解きほぐし、次いで、ヘアスプレーと手さばきを駆使して、髪全体にほんのりと空気を含ませる。真っ直ぐでなめらかな質感はそのままに、気持ち分ふわりと、シルエットを膨らませて。幼馴染なのだから当然、ヘアセットも手慣れたものであった。


「ぅぅ……」


「満足した?まだ?」


 そうしてものの数分もしないうちに、さきは今すぐにでも登校できそうな装いに仕上がっていた。化粧こそしていないものの、枕元の薄明かりが生む暖色の陰影が、ナチュラルメイク代わりにそのかんばせを彩る。素材の良さを存分に活かした美少女の姿。通学路を歩けば、思わず振り向いてしまう者も少なくはないだろう。

 

 しかし、まだ足りない。

 淫魔に解き放たれたえりの欲望にとって、ここまでは下ごしらえに過ぎないのだ。


「ぅぅッ……!」


 ブラシとスプレーを放り、本命を──自室から持ち出したマフラーを手に取る。そうして、毛糸で編まれたそれをゆっくりと、一分のミスも許されない手付きで、さきの首に巻き始めた。


「えぇ、マフラーまで……?」


 この初夏の夜にするべき格好ではない。しかし呆れ混じりの声は口先だけのもので、二重に巻かれた防寒具を取り除けるようなことを、さきはしなかった。どちらにせよ既に、自分の肌はしっとりと湿ってきているのだから、と。


 ──そしてまた僅かな時間のうちに、両端を前に垂らす形でマフラーが巻き終えられた。


 全てを終えたえりの視界に映るのは、紛れもない至高の“もふっ”。

 首に沿って巻かれたマフラーの、その内側に楚々とは収まりきらなかった長髪が、頭蓋のシルエットを越えて膨らむいびつな曲線。暗い茶髪と、薄ベージュのマフラー、同系色の両端にあるような二色の生むコントラスト。それでいて、光源に乏しいこの部屋では、二つの境目はどこか曖昧に揺らいでいる。しっとりとして、同時に目にも感触が理解わかる“もふっ”であり、しかししかし、侵されざる聖域。触れれば崩れてしまう。ゆえに、どれだけ顔を寄せようとも、決して手を伸ばすことはできない。

 

 それがえりを狂わせる。


「ぅ゛ぅ、ふーっ……ふ゛ーっ゛……!!」


 濁りが交じるほどの興奮が、さきの耳朶を後ろからくすぐり。思わず身を捩らせれば、またわずかにその髪が形を変える。えりの瞳は血走り、瞳孔はケダモノがごとく縦に割れていた。


「……ああ。そういえばあんた、これ好きだったよね」


 えり本人は自覚していなかったが、幼馴染なのだから当然、見られる側のさきはもうずっと前から分かっていた。今度は自らの意思で誘うように頭を揺らし、お髪の膨らみをたわませる。


「ぅ゛っ……!し゛ゅ゛き゛ッ゛……!゛!゛」


「もう、単純なやつ……」


 表情は見えないが、笑んでいる。きっとお互いに。そうと分かるほどに静かなさきの部屋で、カーテンがわずかにはためいた。


「──ふふ、完敗ね」


「きゃぁあああ!!窓から半裸いや9割裸の変態女が入ってきたぁっいやぁぁぁぁっ怖い助けてえりやだやだ怖いやだ助けてえり変態がいやぁああえり助けてっ法治社会!!!!」


 えりの部屋から様子を窺っていた淫魔が姿を現し、その超常の気配にさきが錯乱する。魔眼に光を灯さずとも、ただそこにいるだけで小娘一人を慄かせる、それが魔の者という存在。しかし当の、腰に青痣のできた淫魔自身は、その恐怖を喰らうでもなくただ淋しげな微笑みを浮かべるのみ。


「ワタシも、もう少し髪を伸ばしていれば良かったかしら──」

 

「負けヒロイン仕草しながら消えてったんだけど何アレ怖すぎやだえり怖かった今日は帰らないでずっといてお願いえりねぇ怖かったよえりぃ……!」


 神秘など全て淘汰された。

 そう錯覚する現代の人間が本当の理外に遭遇したとき、できるのはただ呑まれるか怯えるかだけ。今宵もまた二人の少女が淫魔によって狂わされ、辛くも生き延びられたとして、暗闇に根付いた狂気と恐怖から抜け出すには、その小さな身を寄せ合い恐々と朝を待つしかない。先程までは暑苦しかったマフラーも、今のさきにとっては恐れと震えを和らげるぬくもりであった。


「ぅ゛……うぅ……っ」


「えりぃ……っ」


 淫魔が去ったことにより、えりの獣性が少しだけ落ち着きを見せる。しかし、静かになってしまったその吐息をもっと近くに感じたくて、さきが背中からもたれかかってしまったものだから。


「う゛っ!?ァ、ごめん無理く……!」


 “もふっ”に鼻先を突っ込む形になったえりが、白目を剥いて昇天した。「ぉっ、ぉっ」と体を震わせるその姿はさながら、聖域に足を踏み入れてしまった小さな悪霊のようであったが……ただ温もりに身を委ねるさきは、そのことに気付けない。


「……えりの吐息、あったかい……今夜は、こうしてるだけでいいや……」


「ぉっ」


 ──それから、えりが朝日を浴びて正気を取り戻すまで、二人はベッドの上で一夜を共にした。

 幼馴染とはいえども節度は必要で、同衾は週に二回までと我慢しているえりとさきだが。さすがに今夜のこれは、全会一致でノーカウントと判断されるべきだろう。

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マフラーに後ろ髪が巻き込まれてもふってなってるのが好きすぎて正気を失った少女 にゃー @nyannnyannnyann

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