第2話 チェンジオブハート




 ご存じかもしれないが僕は滞在先の国の文化を最大限尊重する人間だ。なので彼女の名前も日本式に姓→名の順に表記させてもらう。子游はL.A.ロサンジェレスの某私立大学に留学している学生だ。工学を学んでいるそうだ(僕にとっては未知の世界)。僕の家の近くに住んでいる。週に4回のペースで日本語の家庭教師をしてもらっているわけだ。かれこれ2年弱の付きあいになるね。年齢は20歳。


 彼女はとってもキュートな女の子だ。誰が会ったってそう答えると思う。実年齢よりも1つか2つ若く見える顔つき。亜麻色の髪フラクセンヘア。モデルのような体型、すらりと伸びた手足をしていて……。1番の特徴は大きな眼かな。笑うとその眼が綺麗な弓形になるんだ。あの素敵な笑顔を見たら、君も彼女のことが好きになってしまうかもしれない。

 うん、僕はなにを書いているんだろう。この箇所はあとで消しておくとしよう。僕と子游は生徒と教師の関係にすぎない。いや本当に。


 東京在住の彼女は僕と会う約束をとりつけた。こちらからの拒否権の行使は許されなかった。「僕、これから観るつもりの映画があるんだけれど」「なんの映画ですか?」「きょ、今日はハリウッド映画にしよっかなって」「それは国に帰ってからにしてください。どうせずっと暇してらしたんでしょう?」「……子游クン、あの、どこで待ち合わせする?」「そこは先生にお任せします。そろそろお昼時ですし、レストランでかまいませんよ」

 だ、そうだ。

 彼女と日本で会うのは初めてである。



「--どうも日本の食は僕の舌にあわないみたいでね。毎食カレーとラーメンで済ませているよ」これは僕。

「……日本のグルメを堪能されているようにしか思えませんね」これは子游。

「なに言ってるのカレーはインド料理でラーメンは中国料理でしょ?」

「それって、わかっててボケてるんですか?」

 カレーもラーメンもとっくに日本化ジャパナイズしている料理だ。

「そう、日本のお笑いを採用してみたんだ。ウィットに富んでるだろ?」

 ちなみにこの会話は日本語でなされている。我ながら言語の習得速度が早すぎる。数少ない人に自慢できる才能がこれだ(日本語は英語話者にとって習得するのにもっとも困難な言語、なにせ覚える文字が3種類もある!)


 --僕たちはカレー屋にきている。全国チェーンの日本のどこの都市にもあるあの店だ。ボックス席に入り子游の到着を10分ほど待っていた。

 彼女は薄紫色のサングラスを外しながら僕の向かいの席に座り脚を組んだ。相変わらず日常の動作が舞台俳優のように洗練されている。

 今は大学が夏休み。彼女が帰日していたことは知っていたが、同じ国にいるからといって連絡する必要なんてないと思っていた。僕が仕事で多忙なことを彼女は知っていたから、まさか日本でバカンスしているとは思っていなかったのだろう。そのことを怒っている様子だった(たとえ怒っていようとも彼女は非現実的な美少女だ)。


「教えてくれましたら私が都内をガイドすることもできたんですよ。それがずっと映画漬けだなんて……」


 子游は白いスラックスにTシャツ。ファッションにあまり興味がない僕の眼にも高価な服だとわかる。彼女の家は相当なお金持ちなのだ。アメリカに留学できる時点でそうだし、東京の一等地にある新築のマンションの最上階でなに不自由なく暮らしている。

 アルバイトをしていたのは完全な道楽にすぎない。子游自身がそう認めていた。この店にきたときも普通の価格帯のチェーン店が珍しいのか、店内の様子をしげしげと観察していた。


「わざわざ1時間もかけて足を運んでくれてありがとう。僕に話したいトピックがあるんだね?」

 僕は先にカレーうどんを食べていた。

 カレーに和風のだしを混ぜてとろみをつけたスープ、それを太くて柔らかい小麦の麺にかけてる。この料理はカレーのスープが飛ばないよう注意して食べなければといけない。特に向かいに座っている女の子の服を万が一にも汚すわけにはいかないときは。

 子游はチキンカレーを選んだ。

「先生、繰り返しますけれど日本には取材のために訪れたわけではないんですね」

「そうだよ。遊び」

「いつもは仕事で忙しいから私とつきあってくださらないのに……」

 子游は僕に対し好意的なのだ。ドライヴに誘われたりコンサートに参戦したり。去年の僕の誕生日のときは大きなケーキをもって家にきたっけ。それがどんな意味をもつのかわからないほど僕も子供じゃあないよ。

 ……こんな中年のおっさんのどこがいいんだろう?

 話題を逸らすことにした。

「えーと、堅苦しい日本語だね子游サン」

 僕としてはもっと砕けた(日常的な、格調の高くない)表現の日本語を学習したかったのだが。

「先生は尊敬に値する人だからです」

「先生……先生ね」


 英語圏でも『sensei』って表現は通じるんだけどね。空手とか柔道だとマスターをそう呼ぶ習慣がある。でも日本語でいうティーチャー的な意味合いはないはずなのだが。

 子游は英語でも僕のことを『先生』と呼ぶ。彼女は僕の大ファンなのだ。正確にいえば僕の本の。

 そして僕が知る限り、彼女以上に僕の著作を愛している読者はこの世界に存在しない。


「ずっと先生のガイドをしたかったんですよ」

「日本で?」

「そう」

 子游は自信満々に首を縦に振る。

「子游サンは日本のなにを教えてくれるの?」

「秘境を案内しようと思うんです。英語で言うとミステリアスランド……それともアンイクスプロードリージョンかな。どうです? 眼の色が変わりましたよ」


 僕がこれまで取り組んできた仕事の内容を考えればそれは自然なことだ。

 水を飲む。そして数十秒間考えてみた。神秘的な土地ミステリアスランド未踏の領域アンイクスプロードリージョン。その言葉に惹かれない旅人はいない。余りにもに特効な言葉すぎる。

 子游はこちらの興味を引くために話を盛っているのだろうか?

 日本の秘境……どういった場所だ? 自然が凄いとか、変な風習が残っているとかその手の話か。

 子游のカレーが運ばれてきた。彼女はひどく猫舌なので冷ますためにしばらくの間手をつけようとしない。腕時計で経過時間を計っていた。そんな習慣がこの少女らしく微笑ましい。

「どうしました?」

「いや別に。その土地は日本人の間では有名なところなの?」

「いいえ。誰もが知っているようなスポットを先生に紹介したりなんてしませんよ。『知る人ぞ知る』ですらありません。過疎地域で誰にも注目されていない村があるんです。『受領村』っていう名前です」

 そういって彼女はスマホを操作し、僕に渡した。

 ブラウザを見た。Y県の某所にその土地はある。山間部のほとんど建物のない小さな村だ。

「正確には市町村合併で『受領』という名前の村は何年も前になくなっているんですけれど。旧受領村というのが正しい表現ですね」

「ジュリョウ……受領か。金品を受けとるって意味だったっけ?」

「地名の由来は知りません……私の高校時代の友人がその村の出身で、彼女が案内役をしてくれます。大学生なので私と同様故郷に帰っているというので、会うことにしたんです」

「僕も同行したら邪魔にならない?」

「そんなことで怒る子じゃありませんから。サムライがいるんです」

「サムライ?」

 急にどうした?

「サ、サムライってあの?」

 僕は存在しない刀を上段に構えてみせた。

「あの刀を使って戦う? とっくに消えたはずのあの?」

「そうです。目撃証言があるんです。詳しくはこれから説明しますけれど……どうです、興味をおもちになりましたか?」

「……いや、興味半分不信半分ってところかな。もしサムライが……いや、サムライの格好をしている人が目撃されたっていうなら確かめてみたいと思ったよ。それこそ真相を突き止めて、面白い理由があるのなら、になるかもしれない」

「でしょうでしょう! 先生ならきっとそう思うと……」

「でも、外国人の僕にむかってサムライだなんてそんなベタな話ある? サムライで喜ぶなんて思ってるのぅ? なんか嘘くさい。どこの情報なのそれ?」

 子游はスマホを操作し、また僕の手元に置いて渡した。

 SNSだ。情報源としてそれはどうかと思いながら見ると表示されたその投稿には、

 甲冑を着込んだ武士の姿があった。日本の武士が戦で身につけるあの格好である。カブトにヨロイにスネアテまでつけた全身フル装備のあれ。美術館や博物館にあるようなあれだ。そのうえ大小(ウチガタナとワキザシ)まで腰に差している。撮影された時刻は夜であるらしく全体の風景はぼんやりとしている。道路を横断している? そして写真は武士の背後から撮られている。何者がそんな格好をしているかはわからない。性別も年齢も不明。背丈は普通の成人男性くらいだろうか?

 写真にそえられたテキストはシンプルに、『受領村で目撃』とある。

 いいねなどの数字はあまり伸びていない。そもそも10年以上前の投稿だ。SNSがそれほど発達していなかった時代と云うこともある。

「これは仮装なんじゃないの? なにかのお祭りで」

「友人曰くサムライの格好をするようなイヴェントはこの村にも周辺にもないそうです。やる人がいない。人口が少ないのでそういう趣味の人がいたら知れ渡るに決まっています」

「隠れた趣味の人がいてもおかしくないと思うけれどなぁ」

 そう思いながら僕はその写真を眺めている。うーん、あまりにも完璧なコスチュームだ。現代でこれほどの装備を調えるのにいったいどれほどのお金がかかるのだろう。時間も必要になる。もちろん情熱も。

 いったいこの人はどんな理由があってサムライの格好をしているのだろう? なにか金銭的な利益があるのか、それとも精神的な充足を得られるからなのか。謎だ。謎すぎる。

 いかん、やる気が湧いてきてしまった。

 子游の罠にかかりつつある。


 彼女はカレーを食べ始めた。ゆっくりと、音を立てず、綺麗に。

「どうです?」

「受領村はどんな土地なの?」

「友人が言うには辺鄙な村らしいです。子供がどんどんいなくなって、高齢化が進んでいて。商業施設もほぼない。そういう場所です。車がないと生活には困るでしょうね。私は町育ちなのでちょっと想像できないかな……」

 東京育ちな子游だ。現地の空気は把握できないか。

「まだ行ったことは?」

「一度もありません。今日初めて行くことになりますね」

「今日……僕が『はい』と言うと?」

「はい」

 はいじゃないが。

 僕は時間を確かめた。まだ午後1時を少しすぎたくらい。僕は暇。彼女も暇。ならありえなくもない。

 僕だって実はなにか仕事のヒントになるものがないか、この国にきてからずっと探し回っていたのだ。まさかダイレクトに魅力的な謎に出逢えるとは思っていなかったのだが。

「僕が旅をする目的は大自然や歴史的な遺産を見るためじゃない。人と会うためだ。だから言葉も文化も勉強して、現地の人の声を聴いて、自分なりにその国のことを解釈して、謎があれば解いて、わかりやすい言葉で読者に伝える。それが僕の使命」

「……知っていますよ」

 カレーを飲み込んでから子游は答える。


「僕は今推理したんだ。もしかしたらこのサムライのことを村の人は知っていて、外の世界の人に隠している。ほら、地図を見た限り他の集落からも離れているでしょ?」

「集落……また難しい言葉を覚えましたね……」

 学習意欲が無限大の男だから。

「君の高校時代の友人はその写真を見せても--」

「まったくわからないと答えました。ただ、その道路がある場所はわかったと」

 僕はうなずいた。

「僕も今を生きるアメリカ人だ。日本にサムライやニンジャがいないことくらいわかっている。ゲイシャだとかハラキリだとかフジサンだとかそんなものがないことくらいみんな知ってるさ」

「最後のはありますから……」

「でも日本に世界に知られていない独特の習慣があることは知っている。それが僕たちには理解しがたい。だからこそ惹きつけられる。わからないものをわかるようにするのがルポライターの僕の仕事だから」

「旅人じゃなかったんですか?」

 子游は食べるのを止め僕の言葉に聞き入っている。

「なんていうの? そう、因習って奴だ。そういうものが受領村にはあるのかもしれない。そのサムライを隠しているってことは、なにか後ろ暗いなにかがその村にはあるんだ。もしその謎を解き明かした暁には僕はヒーロー、本は爆売れ!」

「非常に現金ですね」

「あっは! 僕支払いはもっぱらカードだよ」

「笑いにもっていかないでください」

「ということで僕はその村に行くことにしたよ。言い出しっぺの子游クンは」

「もちろん同行させていただきます」

「同行する動向になるわけだね」

「先生の日本語ジョークだけは受け付けません……」

「それにしてもこの『謎を解明するため安易に人里離れた村に向かう』流れ、怖い話やホラー映画の導入そっくりだね」

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日本幻想滞在記 @tokizane

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