日本幻想滞在記
@tokizane
第1話 東京滞在
母国アメリカから7000マイルも離れた中東某国に数ヶ月滞在し取材を続け、帰国後は家にこもり原稿を仕上げる。平行して次の取材のために文献を読みあさり、国内外の専門家に協力を仰ぐ。書き上げた最新作が出版されれば各都市の書店で行われるサイン会のためアメリカ大陸を横断し(この苦行は数週間にもおよぶ)、それが終われば大学での講演があり、マスコミのインタビュー、新しく習得したい言語の学習、現地協力者とのセッティングその他いろいろ……。仕事があることは幸いだが、限度ってものがある。僕はもう何年もまとまった休みのとれない生活を送っていた。
もう疲れた。
僕は自分の時間が欲しくなった。リラックスしたい。休みが欲しい。
やりたいようにやることにした。キャンセルできる仕事はすべてキャンセルし、無理矢理時間をつくったのだ。
こういうときは
僕は必要最低限の荷物をバッグに詰めこみ日本へ旅立った。
そう。安全安心、外国人旅行者ウエルカムの魅力あふれるの観光立国の日本へ。
仕事のためじゃない旅行は気楽でいい。
この本をとったあなたはご存じかもしれないが、普段僕が訪れる国といえば危険で、辺境で、旅行者なんていない(それどころか地元の人しかいない!)閉ざされた地域に決まって訪れる。
それはなぜかって、そりゃ誰も見たことのないような場所を取材して、珍しい知見を得て文章を書き売り物にするのが僕の仕事だからだ。僕の本を読む読者--主に英語圏の人間にとってあまり理解が進んでいない国や地域が僕の取材対象だ。中南米やアジア、中東、オセアニア、そしてもちろんアフリカ。
世界は広い。
21世紀も20年以上経過した現代だというのに、この惑星の地表はいまだ脅威と脅威で満ち満ちている。
あなたは僕に反論したいかもしれない。「馬鹿にしないでくれ、世界各地の情報なんて一通り頭の中に入っている。君がなにを言っても驚かされることなんてないよ」なんてね。
--だがそれは間違いだ。事実は小説よりも奇なり。「平地人を戦慄せしめよ」とはよく言ったものだ。我々普通のアメリカ人の常識がまるで通用しない世界がそこにはある。
もちろん僕よりも先にその土地に足を踏み入れた先駆者はいる。
彼らが書いた旅行記を読めば良い。ネットで現地の最新の情報を仕入れることだって(ある程度は)できる。だが生の感覚を得るためには実際にその地を踏破し、ある程度長い期間滞在し歩き回らなければわからないこともある(その土地の人と親しくなって会話ができればばなお良い!)。
僕の
『その国に僕の関心を呼ぶような奇妙な事象があるのなら、その地が世界の果てにあろうと、そして旅をするまでの過程がどれほど長く困難な道のりになろうと、真相を探ってみせる』。
これに尽きる。僕はプロの
で、日本の話。
僕はこれまで2回訪日したことがある。正直なところ……収穫はほとんどなかった。
日本の文化は興味深い。伝統ある神社・寺院。豊かな自然。モダンな都市。そのどれもが世界中の人々を惹きつけるわけだ。治安もいいし、日本語が読めなくとも観光することに不都合はない。
だが僕にとって不都合な面はある。この国はもはやブルーオーシャン--競争相手がいない土地--ではないということだ。
先に触れたように僕の仕事は『誰も知らない異国の事情を執念深く調査し読者のみなさんに伝えること』なのだ。
日本なんて超メジャーな観光地を旅した人間なんてこれまで何百万人もいるというのに、僕が今さらこの国を旅して新しい見解を書き記すことができるだろうか?
答えは残念ながらノーということになる。
例えるならばこうだ。僕1人だけがもし数ヶ月先に公開される超大作映画を人より先に観ることができて、その映画の感想を述べた文章をSNSにあげたとしよう(ネタバレは避けて)。そのテキストには価値があるだろう。その映画を楽しみにしている人は大勢いるからね。
でも僕が何十年も前の傑作映画を観てその感想をアップしても……前者に比べ後者の反響は薄いということはわかりきっている。だってその映画みんなもう観ているんだもん。
僕がむかう取材先は新作の映画、そして失礼ながら日本は古い傑作映画ってわけだ。
前者についてはみんな興味津々になるだろう。後者についてはみんな楽しみ方を知っているから、今さら僕がでしゃばってもしかたないってわけさ。
--だから今回の旅行はただの観光。もともと日本は好きな国で、日本のコンテンツも好きで、だから仕事でもないのに日本語を学んで一通り読んだり聴いたり喋ったりできるくらいの日本語力がある(僕は14カ国語を操る言語マニアだからね)。僕は来日後数日間、都内で映画館に通い詰めていたんだ。
日本映画はいつも過小評価されている。実写もアニメも特撮も宝の山だ。そのくせ
--都内ではよく外国人旅行者に声をかけられたよ。
「ミスターケイスメント? マジで? 俺君の大ファンなんだ!!」
「今度はこの国のことを書くのかい? 本が出たら絶対に読むよ、楽しみにしてるよ!」
「日本のどこに取材に行くの? 秘密にしないで教えて!」
--てな具合に。
日本人には呼び止められなかったよ。みんな僕が僕だってことを知らないようにふるまっていた(この国では僕の本がさほど売れてないからか、それとも日本人がシャイだからか)。
写真撮影にも応じたし、サインも快諾した。居酒屋ではビールを奢られたよ。
たまには自分が有名人なことを確認するのも悪くはない。しかし程度ってものがある。東京滞在の2日目の午前中にスポーツショップでサングラスを買い求めたよ。2万円するクールなデザインのやつを(夏場で日差しが強かったというのもある)。これをつけてどこにでもいるただの遊びにきた旅行者を装うことにした。というか実際そのつもりだったから。
書いている本のジャンルがジャンルなので、僕は著名な観光地に行って、外国人が集まる区域に足を踏み入れれば囲まれる。ジョシュア・ケイスメントは「旅行好き」という人種にとって教祖に等しい存在らしい。僕の本を読んでから休暇のたびに世界各地を飛び回るようになった、と。本が世に出回るということは大勢の人間に対し影響力を持つことを意味するらしい。それはそれはとして--
僕は楽しんでいた。日本語が喋れて日本語が読める僕にとって東京の居心地はアメリカで暮らしている街のそれとほぼ変わらない。スマホがあれば道に迷うこともないし、なんらかのトラブルも巻きこまれることもない。
普段の滞在先--辺境の国々ではマラリアで体調を崩してしまい1日中横になることもある。役人から払えもしない額の賄賂を求められることも、なにか勘違いした間抜けな軍人にマシンガンの銃口をむけられることもある(これらのエピソードについては僕の既刊で触れている。興味がある人は読んでみてくれ)。そういう危険がある土地をレポートするからお金になるわけだ。
治安の良い日本で旅慣れした僕が身の危険を感じることなどありえない。本国アメリカにいるときよりよほどリラックスできる環境だ。
このときはそう思っていたんだよなぁ。
平日の午前中、新宿の雑踏のなかを歩いているときのことだった。
周囲に対する警戒レヴェルを下げきったアメリカ人男性のスマホにあるメッセージが送られてきた。
(先生、今日本にいるんですか? 私もちょうど帰国してるんです。どこかで落ちあうことができたら嬉しいのですが……。
話は変わりますが、つい最近国内に先生が絶対取材したいと思うような興味深いスポットを見つけたんです。
それについてもお話ししたいので、できるだけ早く連絡してください)
数時間前、SNSで日本の街角の風景をアップしていたことを思い出す。相変わらずよくチェックしている。僕の
彼女は日本人。
日系アメリカ人は別として、僕には日本人の知りあいが1人しかいない。
僕に日本語を教えてくれた少女、
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