オデッサの悲劇

八重垣みのる

終わりの始まり

反政府勢力と一部の軍部の離反により、ロシア政権は打倒された、そこでようやくウクライナロシア戦争は終結した。


しかし、それによって悲劇が終わることはなかった。


ロシアは国内が大混乱に陥り、ウクライナへ侵攻していた軍部隊の多くは撤退したが、国境近くの東部地域では徹底抗戦を掲げる一部の部隊と親ロシア派武装勢力により、小規模だが散発的な戦闘が続いていた。


いっぽうのウクライナでも、戦時政権は解散して新政権が樹立することになった。だが、問題は山積していた。


物資的、経済的な戦後復興はもちろんだが、戦死した兵士の遺族への補償、負傷兵への支援や年金の支払いも多額に登った。さらに戦地だった東部地域の武装解除もしなければならなかった。さらに加えて、膨大な額に膨らんだ西側諸国への債務返済が待ち受けていた。


さらには国内においても、即時のEU加盟を訴える政治勢力、核武装と永世中立を掲げるグループ、まずは東部地域の完全な奪還と復興の優先を主張する抗戦派もいた。


戦後のウクライナ新政権にとっては頭の痛くなるような状況であった。


いっぽうで、政権打倒によって立ち上がった臨時ロシア政府は、欧米諸国に対して協調の意思は示したものの、ウクライナに対する賠償はかたくなに拒否しているという有り様だった。



* * *



ロシア中央地域の辺鄙な場所にある軍基地にて、新兵セルゲイとその上司イリヤの二人は、夜間警備の当直についていた。


「先輩、俺たちはこれからどうなるんすっかね?」


セルゲイはぼんやりと警備用のモニターに目を向けたまま言った。


「さあな。知るもんか。少なくとも俺たちは政治家じゃないし、やるべき仕事は、この基地の警備だ」


「でも臨時政府は、軍の縮小だとか再編がどうとか、」


「まあまあ、セルゲイ。いろいろと思うことがあるのは俺も理解できる。だがな、世の中ってのは複雑なんだ。あんまり余計なことは考えるな。考えても答など出ないし、長生きできないぞ」


それからイリヤは、棚の中からウオッカのビンを取り出した。


「まあまあ、少し飲んでリラックスでもしようぜ」


そのとき、侵入者を知らせるアラームが鳴った。


「基地内に侵入者みたいです!」


セルゲイは緊張した顔をみせたが、イリヤはいつものように眉をひそめた。


「ああ? どうかな。ついさっきみたいに誤作動か、あるいは熊か野生動物でも来たんだろ?」


「でも、万が一というのも」


「お前はほんとに真面目な奴だな。そいうのは早死のもとだぜ。ほら、モニターをよく見てみろ。怪しい人影なんかは写ってないじゃないか」


「それは、そうですけど」


「こんな夜中に来るのは野生動物か、物乞いくらいなもんさ。アラームは切って、少し飲んで休もうぜ」


古い基地であったから、設備はもちろん古かった。それは警備の機械も同じだった。故障や誤作動は日常的で、そのうえ監視カメラの幾つかは機能が止まっていた。警備室のモニターには真黒な画面しか映っていないものもあった。


こうした状態を誰も気にも留めなかったし、これまでにも、それで危険な状況になることはなかった。


しかし、今夜は違った。


警備室にいる二人も、さすがになにかようすがおかしいと思った直後だった。


特殊部隊を思わせるような黒服の人物が警備室のドアを破って入ってくると、ためらうことなく、二人に銃弾を浴びせた。


セルゲイは頭部に被弾して即死し、イリヤも無事では済まなかった。


襲撃者はすぐに警備室から出ていった。


イリヤは血だまりの中に倒れたまま、薄れていく意識のなか彼が考えていたのは、基地の地下保管庫に置かれている兵器のことだけだった。



* * *



ロシア辺境にある軍基地の襲撃事件は、この政治的混乱のさなかにおいて、ほとんど顧みられなかった。


一部の独立系メディアによって、ロシアの軍事基地から小型核兵器が拡散した可能性を警告する記事がリリースされたが、世界の多くの人々は気に留めることすらなかった。


それから、おおよそ一ケ月ほどが過ぎた日の黒海。


小隊長ハルチェンコと、彼の部下三名が乗るウクライナ軍の警備艇が一隻、黒海を航行していた。戦争は終わったにもかかわらず、彼らの仕事に終わりはなかった。


東部では親ロシア勢力がゲリラ的な戦闘を続けていたが、それは黒海の一部にも及んでいた。


あろうことか、かつてはロシア海軍艦艇への攻撃で多大な成果をあげた海上ドローンのいくつかが、親ロシア勢力によって使用されているという有り様なのだ。混乱に乗じて強奪されたのか? それとも闇ルートで流れたものなのか? 理由はともかく、頭を悩ます問題の一つだった。


哨戒している彼らの目の前を、おんぼろ漁船がオデーサ港に向かって横切ろうとしていた。


漁船はどこかフラフラとした感じに航行して、エンジンの排気口からは時折、黒煙を吐き出していた。


ハルチェンコはその漁船の様子を不審に思い、近づいて無線で呼びかけた。


「そこの漁船、こちらは海軍の警備艇だ。少々問題があるように見えるが、大丈夫か?」


「おう! 海軍さん? お勤めご苦労さん! ああ? なんてことはないぜ。今日は大漁だ!」


その返答に、警備艇のなかは少々あきれ気味みの空気になった。


「失礼。そんなことは聞いていない。その排気口の煙、エンジンに問題があるように思えるが」


「おっと、実はそうなんだよ! ちょいと調子が悪くてな。これから、港の工場に向かおうって寸法だ。たぶん、あー、大丈夫! それとも、あれか? 海軍さん、港まで曳航してくれるなら嬉しいね!」


そのとき、部下の一人がハルチェンコに言った。


「隊長。この漁船の船長は、もしかすると酔っぱらっているんじゃないでしょうか?」


「さあ、どうだかね」


「どうします?」


「もういい、放っておけ。我々が気をつけなければならないのは、東部で悪がきを続ける露助の残存勢力と、連中が誰彼構わずに使う海上ドローンだ。酔っ払い船長の乗るようなぼろな漁船ではない」


それからハルチェンコは、あらためて漁船に呼びかけた。


「我々は哨戒の任務中だ。残念だが、期待には応えられない」


「ご苦労ご苦労。こっちは自分たちでなんとかするさ。万事順調!」


なにが順調なものなのか? ハルチェンコはすっかり呆れてしまった。


彼らはしばらく、漁船が港に向かうのを見守っていたが、進路を変更して哨戒任務へと戻った。しかし、彼はこの判断を生涯後悔することになった。


おんぼろ漁船が港に入ってから数時間後、オデーサの港と市街地は凄まじいい閃光と熱に包まれ、直後に現れた強大な爆発力によって壊滅した。



* * *



オデーサの街に降りかかった悲劇に、多くの人々がショックを受けるなか、世界各地で非対称核戦争がはじまるのにはさほどの時間がかからなかった。


まずは紛争の絶えない中東で、次にヨーロッパで、もちろんアメリカも例外ではなかった……

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オデッサの悲劇 八重垣みのる @Yaegaki

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