短編集

@nkft-21527

第1話ベジタリアン

 この人のことを、「ベジタリアン」と呼んでいいのだろうか?

 母親の三美子(みみこ)の顔を見ながら、芽々(めめ)はそう思った。

 ここは、半年先まで予約が埋まっている、高級住宅街に隠れ家のようにひっそりと店を構える、人気のフレンチレストラン。ランチ営業はなく、ディナータイムのみの営業、しかも一日に十組の客しか取らないので、コース料金は五桁を超える。店の名前は「マクシムドフレンチ」。直訳すると、フランス語で「最高のフランス」という意味らしい。銀座にある、「マキシムドパリ」という有名な高級フランス料理の店があるが、この「マクシムドフレンチ」の店名は、「マキシムドパリ」のパクリではないかと、芽々は密かに疑っていた。

 世の中には、高価だから美味しいと思い込んでいる人たちは多いようで、こうした洗脳者たちに支えられて、この「マクシムドフレンチ」は、半年先まで予約で埋まっているというわけだ。繁盛している高級レストランは、料理よりもマインドコントールが上手なオーナーがいることが必須条件なのだろうと、これもまた芽々が密かに思っていることだった。

 こんな大人気の「マクシムドフレンチ」に、昨日、今日で家族四人分の予約が取れたのは、ひとえに三美子の父親、つまりは芽々の祖父の力によるものに他ならなかった。

 祖父、有坂茉由男(まゆお)は、地元では有名な資産家で、不動産会社やホテルなど数社の会社を経営しており、その中には飲食店のオーナーという肩書もあった。祖父がオーナーを務める飲食店の一つが、「マクシムドフレンチ」というわけだ。

 半年先まで予約が埋まっている超人気店の予約が、昨日、今日で取れたのは、こうした祖父の力を三美子が利用したからだった。

今夜、この「マクシムドフレンチ」で一緒にテーブルを囲んでいるのは、三美子と芽

々の他には、父親の太郎と、芽々の兄である陽介の四人だった。

 太郎は、祖父が経営する不動産会社で総務の仕事をしている。三美子と結婚したあとにこの会社に転職したわけではなく、元々大学を卒業後、新卒でこの不動産会社に就職をし、ひょんなことから、代表取締役社長のひとり娘と結婚することになったのだった。

 三美子は、茉由男のひとり娘で、跡取り娘でもあったが、太郎は有坂家に婿養子に入ったのではなく、一人娘の三美子を嫁にもらったのだ。太郎は茉由男が社長を務める不動産会社の経理部で、課長の職についている。現在、後厄四十二歳の大卒社員としては、可もなく不可もない肩書だった。

 じゃあなぜ、課長職一家四人が、一人当たり五桁もする高級ディナーを楽しむことができているのかという、疑問に対する答えは簡単だ。三美子が茉由男の経営する全ての会社の取締役を務めているからだ。つまりは、太郎と三美子の間には、天文学的な倍率の収入格差が存在をしているということだ。もちろん、今夜のディナーの代金も三美子が支払うことになるだろう。

 ここまでの話で、もうお気づきかもしれないが、祖父の「まゆお」、母親の「みみこ」、そして、娘の「めめ」の名前には、身体の一部が当てられている。祖父の「眉」、母親の「耳」、そして、娘の「目」。

 これにはれっきとした理由があった。代々有坂家の当主を務める人間には、身体の一部を名前に付けることが、何代も前から決められていたのだ。遡ること十一代前の当主だった「肩之介」が、それまで、衰退の一途を辿っていた有坂家を、一代で立て直し、これまで以上の繁栄をもたらしたことに端を発し、その後の当主には、先代が生きている間に、身体の一部を入れた名前を付けることが、有坂家の決まりごとになっていた。

 でも、それならちょっと解せないことがあるよねと、首を傾げる人のもいるだろう。そう、芽々の兄であり、長男である陽介の名前には、どこを探しても(たった漢字二文字だが)身体の一部が見当たらない。この理由も簡単だ。長男が生まれた時、茉由男が、この男の子を将来の当主として認めなかったからだ。その理由は明言されていないが、茉由男の中にある有坂家の当主に相応しい確固とした基準に照らし合わせて判断したことらしかった。

 二人目の子供が生まれた時、茉由男の確固とした基準に照らし合わせて、あとに生まれた娘は、身体の一部が組み込まれた「芽々」という名前を、祖父である茉由男が付けたのだ。要するに、望む、望まざるに関係なく、この娘が二代あとの当主を務める運命にあるということを、この名前が明言しているのだ。

 ちなみに兄の「陽介」という、世間的には爽快感を匂わせる名前は、父親の太郎がつけた。理由は、自分の太郎という名前と組み合わせた時に、「太陽」になる名前を付けたかったからだそうだ。

 その陽介の十七歳の誕生日が今日で、そのためのお祝いが、この「マキシムドフランス」でこれから始まろうとしているのだ。

「マキシムドフランス」には、個室しかなく、各個室には専門のソムリエとウエイターがついていた。そのウエイターが、最初の料理を四人の前に置いた。同時に両親のグラスには、ピンクシャンパンが、陽介と芽々のグラスには、同じ色のクランベリーソーダ水が注がれた。

「陽介、十七歳の誕生日おめでとう」

 太郎の音頭で乾杯をし、お祝いの食事が始まった。

 すぐに四人のウエイターによって、テーブルに前菜の皿が運ばれた。なんと、一人の客に一人ずつウエイターが付いているというわけだ。

 前菜は、肉に海鮮に、茸に野菜。それに海藻などが、素材の良さをそのまま生かした味付けで、白いクラッシックマイセンの皿に、食べるのがもったいないくらいにきれいに盛りつけられていた。

「美味しい!」

 オマール海老のマリネを口に運んで、今日の主役である陽介を差し置いて、芽々は思わず声に出してしまった。

「本当に、この海老の料理は絶品ね」

 芽々に続いて三美子も、自分担当のウエイターにそう感想を言った。

「お口に召したとのお言葉を頂戴し、大変うれしく思います。今日のオマール海老は、地中海で獲れたものを空輸しております」

 厳しく教育されていることが、ウエイター淀みのない受け答えで、まだ中学三年生の芽々にも感じ取れた。

 牛すね肉の赤ワイン煮、松茸のソテー、クワイのマッシュ。そのどれも、舌と心が喜ぶほどの美味しさだった。

「このクワイのマッシュは、今日、初めて食べたけど、なめらかな口あたりと、クワイ独特の苦みが、上質なバターの塩味とよく合っていて、絶品ね」

 三美子が人気レポーターのような食レポまがいの感想を口にした。

「クワイは、生産量一位の広島県産のモノを低温で蒸したあと、皮をむいて丁寧に裏ごしをしています。一緒に和えているバターは、蒜山高原のジャージ牛の濃厚な牛乳で作られたものです。隠し味にすこし京都の白味噌を加えております」

 ウエイターの説明に三美子は丁寧に頷き返していたが、その中身を全く聞いていないことは、頷き方のリズムが、ウエイターの説明と微妙にずれていることで、芽々には丸わかりだった。まあ、長ったらしい講釈など聞かなくても美味しいのは確かなのだが。

「ママは美味しいと思うけど、肝心の今日の主役のお口には、合っているのかしら?」

「はい。どの料理もすごく美味しいです。十七歳の誕生日にこんな美味しいものを食べることができるなんて、僕は本当に幸せ者だと、ママとパパの子供に生まれたことを、今日ほど感謝したい気持ちになったのは初めてです」

「まあ、それは少し大げさだわ。でも、そう言ってもらってうれしいわ」

 三美子は、ピンクシャンパンのグラスを傾けながら、一オクターブ高い声で笑った。

そんな茶番劇を、芽々は冷静に見ていた。よくも白々しくこんなことが言えるものだと、陽介の一言一句を思い出しながら、心の中でそう毒づいていた。

「どの料理もすごく美味しいです。十六歳の誕生日にこんな美味しいものを食べることができるなんて、僕は本当に幸せ者だと、ママとパパの子供に生まれたことを、今日ほど感謝したい気持ちになったのは初めてです」

 これは昨年の誕生日にこの店で食事をした時の、陽介の言葉。そして、一昨年の同じ日には、十六歳が十五歳に変わっていただけだった。

 そして、これに対する三美子の言葉は、「まあ、それは少し大げさだわ。でも、そう言ってもらってうれしいわ」と、一言一句違(たが)わず、三年間同じだった。語彙力(ごいりょく)が乏しいともいえる。

 三美子は洋服をたくさん持っている。その全てがオーダーメイドだ。下着以外は既製品を身に着けない。既製品が嫌いなのではなく、好みの洋服を既製品の店で見つけるのが難しいので、買いたくても買えないのだ。

 この三美子の好みの服というのが曲者だった。それは、色とか形とかのデザインでなく、プリントされている模様が独特だったのだ。

 基本的に三美子は無地の洋服は着ない。必ずプリントされた生地の洋服しか着ないのだ。しかも、プリントの絵柄は動物と決まっていた。それは、カビバラだったり、バッファローだったり、既製品で売り出したとしても、消費者に見向きもされないような動物がプリントされた洋服が好みなのだ。いや、好みという範疇を通り越して、動物がプリントされた洋服しか着ないのだった。

 陽介の十七歳の誕生日のお祝いの席に着てきたのは、キリンがプリントされたジャケットだった。こげ茶色のシンプルなノースリーブのワンピースの上に、同じこげ茶色のノーカラーのジャケットを着ていたが、このジャケットの、左右の前身ごろに見つめ合う大きなキリンの顔がプリントされていた。キリンの顔は原色に近い黄色に塗られ、茶色の斑点模様がくっきりと描かれていた。聞くだけやぼだが訊いてみた。

「今日の素敵なジャケットはどこで買ったの?」

「買ったのではなくて、マキノ先生に作っていただいたお洋服なの。だから一点ものよ」

 そりゃそうだろう。世界中に七十七億以上の人間がいても、三美子以外にこんな洋服を仕立てる人間などいないだろうことは、簡単に察しがつく。

「先日の陽介の学園祭に行った時に着ていた洋服も、とても素敵だったけどね」

 太郎が、本気で言っているのか甚だ疑わしいことを口にする。陽介の学園祭に、芽々は両親に無理矢理一緒に連れて行かれたのでよく覚えているが、いや忘れたくても忘れることができないだけなのだが、この時に三美子が着ていたのは、カピバラが温泉に浸かっている絵柄が、前面に大きくプリントされたワンピースだったのだ。

 太郎はこのワンピースのことを、素敵だったと言っているのだ。このワンピースも、三美子がマキノ先生と呼ぶ、マキノ淳という七十をとっくの昔に越えている老人デザイナーがデザインをしたものだった。

「これもマキノ先生が作ってくれたお洋服」

 仕立て上がって自宅に届けられた洋服をすぐに試着して、ファッションショーのように部屋中を歩き回る、その奇抜なアニマルプリントを見るたびに、芽々は、「この人は、マキノの爺さんに洗脳されている」と、毎回汚い言葉で毒づいてしまうのを止めることができなかった。

「そんなに新しい洋服ばかり作っても、もうクローゼットの中には納まらないでしょう」

 芽々が皮肉交じり、いやただの皮肉で言うと、身震いするような言葉が返ってきた。

「いずれ、芽々ちゃんに譲るものだから」

『絶対、いらねー!』 

 このまま三美子の洋服の話が長引いてしまうと、恐怖の「いずれ、芽々ちゃんに譲るものだから」の話が飛び出してくる恐れがあるので、それを防御するために、芽々は全く脈略のない話題を出した。

 コース料理は次々に運ばれてきた。スープに、サラダ、次に魚料理のはずなのだが、豚肉料理が各自の前に置かれた。芽々が首を傾げていたら、太郎がこの疑問に答えてくれた。

「男の子の陽介には、魚よりも肉の方がいいだろうと考えて、パパが魚料理を肉料理に変えてもらって、肉料理を二皿にしてもらったんだよ。ママも肉が大好きだし」

 太郎が言うように、食欲旺盛な男子高校生の陽介は当然だが、すでにアラフォーの三美子までもが分厚いポークのロース肉のソテーを美味しそうに食べていた。それだけではなく、その後、口直しのシャーベットのあとに出された、A5ランクの米沢牛のサーロインステーキも、二百グラムはあるのに、岩塩をふりかけながら、ひと切れも残さずに食べ切ったのだ。この人は健啖家な上に完全な肉食女子なのだと、この旺盛な食欲に感心しながら、芽々は三美子の見事な食べっ振りについ見入ってしまっていた。芽々の方といえば、ポークソテーを半分、米沢牛のステーキを三分の二以上残した。サーロインステーキを食べながら、三美子は、「脂が甘い!」と食レポをしていたが、芽々にはこの脂身がしつこくて、わざと脂身を取り除いて食べていたほどだ。

 コースがデザートに移った時、クレープシュゼットを、ナイフで一口サイズに切り分けながら、太郎が話を蒸し返して、三美子のジャケットについて語り始めた。

「そのキリンの黄色が、店の照明に映えてすごくきれいだよ」

 店の光源は琥珀色の間接照明で、落ち着いた雰囲気を演出していた。確かにこうした照度の低い中で見ると、三美子のジャケットにプリントされているキリンの鮮明な黄色は、琥珀色に溶かされて、目には優しい色に映った。でも、プリントされているのはでかいキリンの顔だ。

「色はいいんだけど、キリンの模様がね……」

 正直な感想が不意に芽々の口をついた。それは、ため息と聞きまどうほどの、ほんの小さな声だったのだが、三美子は聞き逃さなかった。

「芽々ちゃん、キリンはね」

 三美子は立ち上がると、芽々を睨みつけながら、いきなり大きな声で言い始めた。

 この大声に恐れをなして、芽々は瞬時に目を閉じた。

「逆鱗に触れてしまった、どうしよう」

 芽々は今さらながら後悔をしたが、あとの祭りだった。覆水盆に返らずというやつだ。

「キリンはね、草食動物なのよ!」

「えっ?」

 てっきり怒られると覚悟をしていたので、ありがたいことだったが、完全に肩透かしを食らった感は歪めなかった。確かにキリンは草食動物だ。でも、それがどうした? この場で、三美子が、キリンは草食動物だと、まるで誰も知らなかった衝撃事実を証言するみたいに言い切った意図が、芽々には全く理解できなかった。

 芽々の思いは、太郎と陽介を同じだったようで、だから、太郎が薄っぺらな知識の中から絞りだして、三美子の気持ちを宥めるようにこう言ったのだ。

「パンダも草食動物だよね。笹しか食べないけど」

「…… パパ、それって本気で言っている?」

「えっ、どういうこと?」

 まさかこうした返しが待ち受けていることなど、全く想定していなかった太郎は、急にうろたえた表情になった。

「だから、パンダが草食動物だと本気で言っているのかと、訊いているの」

「笹は草ではなかったかな?」

 不安げな目をして、太郎は子供たちの顔を見た。援護射撃を期待しているのだろうが、芽々は取り合わなかった。

「パンダは、草食動物だよ。だって、前に動物園で見た時にも、笹の他にはリンゴしか食べていなかったもの」

 陽介が堂々とそう答えた。援護射撃ほどの攻撃力はないが、小さな助け舟一艘分くらいの援護はできただろうくらいには思っていることが、陽介のドヤ顔から読み取れた。

「そ、そうだったなあ。昔、みんなで動物園にパンダを見に行ったことがあったなあ」

 陽介のフォローがよほど嬉しかったのか、太郎は昔話まで持ち出してきた。

「パンダは、草食動物です。ラストアンサー」

 太郎は揺るぎない声でそう言い切った。おいおい、ここはクイズ番組の収録スタジオか?

「パンダは、純粋な草食動物ではありません。動物園では笹や果物しかエサとして与えないから、それしか食べないけど、野生のパンダは雑食で肉も食べています」

 そう説明する三美子もまた、ドヤ顔をしていた。

「そうなの? あんな愛らしい顔をしたパンダが、肉を噛みちぎっている姿を想像するだけで大ショックだよ」

 陽介は、両手で胸を押さえながら天井を見上げている。いつも、大げさで臭い演技をするのが陽介の特徴だ。陽介ほどではないが、パンダが肉を食べると聞いて、芽々も多少ショック受けていた。小さい頃はパンダのぬいぐるみと一緒に寝ていたのだ。これが本物のパンダだったら、食べられていたかもしれないと想像したら、恐怖で鳥肌が立った。まあ、このシチュエーションはあり得ないか?

「この前は、カピバラがプリントされたドレスを着ていたね」

 パンダの件でしくじりを犯してしまった太郎が、起死回生を狙ってカピバラの話題を出してきた。

「あの、温泉に浸かっているカピバラがプリントされた、ドレスのことだよ。カピバラが気持ちよさそうな顔をしていた」

 初冬になると必ずどこのテレビ局でも取り上げる、「冬の風物詩、温泉に浸かるカピバラ」の話をしているような調子で、太郎が言った。

「カピバラは完全な草食動物よ。それに、温泉が好きなの」

 三美子が動物学者然としてそう説明してくれたが、原産地の南アメリカでは温泉なんかには浸かっていないだろう。あくまでも、日本の温泉地の一コマなのだ。

「今度は、チンパンジーの模様も可愛いのではないかな?」

 太郎としては、安全パイを振ったつもりだったのだろう。けれど、この提案は瞬時に一蹴されてしまった。

「チンパンジーは草食動物ではないのよ。ジャングルで暮らす野生のチンパンジーは、集団で他の小さな猿を捕食してしまうこともある、完全な肉食動物なの。あんな愛らしい表情からは想像もできないほどに、獰猛な一面も持ち合わせている動物なのよ」

 起死回生ならず。芽々の頭の中で、敗戦を告げる「チン」というベルの音が響いた。ベルの音が聞こえたわけではないだろうが、太郎はガクっとうな垂れていた。

 キリンやカピバラは良くて、パンダやチンパンジーはだめ(まあ、私はどの動物がプリントされていようと、着るのも嫌だけどね)。三美子の頭の中には、どんな基準があるのだろうか?

「先月の授業参観の時には、ヤギが草を食べている姿がプリントされたジャケットを着て来たよね?」

「正確にいうと、あれはカシミヤヤギなのよ。ちなみにジャケットの生地はカシミヤウール。ダブルカシミヤなのよ」

 カシミヤヤギであろうがなかろうが、私が訊きたいのはそんなことではないと芽々は思いながら、次の質問の内容を頭の中で組み立てていた。

「キリンやヤギやカピバラが良くて、パンダがダメなのはどうして? チンパンジーはなぜNGなの?」

 授業参観に三美子が来るたびに、洋服にプリントされているアニマル模様のことが、放課後必ず生徒の間で話題になった。もちろん、良い話題ではない。誰になんと言われようと、三美子は自分が好きなのだからお構いなしだろうが、娘が迷惑を被る行動は避けて欲しい。授業参観や学園祭などの学校行事には、プリントなしの洋服にするか、来ること自体を止めてもらいたい。切実にそう願っていた。

 この芽々の切実な思いを三美子に訴えるためには、まずは敵を知ることが肝心だろうと考えて、この質問をしたのだ。

「芽々ちゃん、それはね、ママがベジタリアンだからなのよ」

「ベジタリアン?」

 全く想定外の方向から弾が飛んできた。でも、ちょっと待て、こんな子供騙しの嘘には引っかからないぞ。さっきの食事の二種類の肉料理を、三美子はぺろりと平らげているではないか。自宅での食事でも、肉類の総菜がテーブルに並ばない日はないくらいだ。とうていベジタリアンとは真逆の食生活を送っている。一緒に暮らしている家族を前にして、よくもこんな大それた嘘がつけたものだと、芽々は呆れてものが言えないほどだった。

「でも、さっきの分厚いポークソテーや、米沢牛のサーロインステーキも残さず食べたよね。あれは、陽介の誕生日のお祝いの席だから、無理をしていたの?」

 太郎がそう訊いたが、自分の欲望を我慢するような人ではないことは、二十年近くも一緒に暮らしていたら、とっくに気づいているだろうと、もの心ついた時にはすでに気づいていた芽々は思った。

「無理なんかしていないわよ。だって私はお肉大好きだもの」

 三美子は堂々とそう言ってのけたが、それなら、さっき言ったこととの整合性がないだろう。この人は「矛盾」という言葉を知らないのか。そんな目をして三美子を見た。

「ママがベジタリアンだから」と「私はお肉大好きだもの」

 どちらも三美子の口から飛び出した言葉だ。この矛盾をどう説明するのだ?

「でも、ママはさっき、自分のことをベジタリアンだと言ったよね? あれは、僕の聞き間違いだったのかな?」

 甘々だなあと思いながら太郎の顔を見た。まさか、本気で聞き間違いだと思っているわけではないだろう。

「私がベジタリアンなのは確か。そして、お肉が大好きなのも本当のことよ」

「でも、それって……」

 返す言葉がないというのは、まさにこういうことだ。

「私、洋服にプリントする動物は、どうしても草食動物でないとダメなのよ。肉食獣は論外だし、雑食動物もグレーな部分があるからNGにしているの。厳密に、ベジタリアンに徹したいからね」

「……」

 三美子のこの説明を、ポカーンと口を開けて太郎と陽介は聞いていたが、芽々は、「ああ、なるほどね」と思いながらも、この場合、「ベジタリアン」という表現は、果たして適切なのだろうかと、見つめ合うキリンがプリントされたジャケットを見ながら、草食動物のキリンに答えを求めていた。

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