エピローグ






 数日後。


 妙正寺川公園で宗方さんが来るのを待っていた。


 夏の日差しを避けて池の近くの木陰で待っていると、宗方さんが未来ちゃんを連れて現れる。


「遅くなってごめん。

 暑い中外にいて平気だった?

 ………あれっ?」


 宗方さんはあたしの足元にいる仔犬に気付く。



「また飼う事にしたの?」



「うん」



 頷いて、さっきからあたしのサンダルの紐を噛んでいるコーギーの仔犬を抱き上げる。


「裁判も終わって一段落着いたし、パパがまた家族を迎えようかって。

 どうしようか迷ったんだけど………ちょうどりんごの兄弟がね、仔犬を産んだの。

 りんごの兄弟の中の一匹は、ブリーダーさんのところに残ってたから」


「へぇ。

 じゃあこの子は、りんごの甥っ子が姪っ子って事か」


 宗方さんは仔犬の口に指を伸ばし、甘噛みする姿を見て微笑む。


「男の子だから甥っ子」


「そっか。

 名前はなんにしたの?」


「まだ決めてないんだけど………。

 また "りんご" にしようかなと思って」


「え?」


 あたしは仔犬の頭を撫でながら言った。


「りんごの代わりにするつもりはないの。

 この子はこの子だって思ってる。

 だけどりんごが生きられなかった分、この子を幸せに育ててあげたいって思うから………」


 宗方さんは口を柔らかく結んで微笑んだ。


「いいんじゃない?

 りんご二世って事で」


 あたしは笑顔で頷き、小さなりんごを地面に降ろして、未来ちゃんに紹介した。


「よろしくね、未来ちゃん」


 未来ちゃんはりんごの顔に鼻を近付け、クンクンと匂いを嗅いでいる。


 シッポを振りながら未来ちゃんの足にまとわりつくりんごを見て、宗方さんは笑いながら「またシッポがある子にしたんだ」と言って頭を撫でる。


 宗方さんは以前よりよく笑うようになっていた。


「うん。

 ………あの、宗方さん」


「ん?」


 宗方さんがこちらを見て目が合ったので、あたしはパッと目を逸らし、りんごの方を見ながら言った。


「あのさ、今までずっと………未来ちゃんのお散歩の時間に会わせてくれてありがとう」


「え?

 ………ああ、うん」


 ドキドキと緊張する胸を押さえながら、思い切って言った。


「これからはさ………未来ちゃんやりんご抜きでも………宗方さんに会いたい………」


「………」


「あっ………もちろんこれからも、一緒にお散歩したいんだけど、それだけじゃなくて………。

 つまりね、」


 勇気を振り絞り、顔を上げて宗方さんの目を見た。


「あたしは、直接宗方さんと繋がりたい………」


 宗方さんはパチパチッと瞬きをして、「ああ、うん………」と曖昧な返事をして、鼻を擦りながら顔を逸らし、未来ちゃんの頭を撫でる。


 あたしは不安になって「駄目、かな?」と尋ねた。


「いや………ちょっとびっくりしただけ。

 いきなり "今までありがとう" なんて言うから、どっか行っちゃうのかと思って………。

 一瞬焦った」


「あ………じゃあ………」


 宗方さんはあたしを見て照れ臭そうに微笑む。


「俺達、今時珍しいよね。

 ずっと犬の散歩してただけだったもんな」


 それを聞いた途端、緊張が一気にほぐれて、胸が熱くなる。


「環ちゃんは八つも年下だし、元患者さんだからな………。

 どうしていいものかって、結構悩んでた」


「………あたしも。

 宗方さんは患者としてしか見てくれてないんじゃないかって………」


「まあ、最初はそうだったけどさ」


 涙ぐんでしまうと、宗方さんは二の腕をポリポリと掻いて、やがてあたしの頭を撫でてくれる。


「でも、俺でいいの?

 しばらく彼女いなかったから、こういうの苦手になっちゃっててさ………。

 しかもあと二年もすれば俺、30だよ?」


 あたしは首を横に振った。


「宗方さんがいい。

 あたしは、宗方さんとずっと一緒にいたい。

 側に………居てもいい?」


 宗方さんは吹き出して笑い、顔を綻ばせて「うん」と言った。


「じゃあ………暑いけど、手………繋ごっか」


 恥ずかしくなって両手で顔を隠すと、小さいりんごが何事かと言うようにキャンキャンと吠えてくる。


「そこまで恥ずかしがられると、俺まで恥ずかしくなるんだけど………」


「だって、まだ色々記憶が戻ってないとこあるんだよー………。

 大人になりきれてないっていうか」


「そういうとこ記憶のせいにするなよ、俺だって恥ずかしいんだから………。

 ほら、行こう。

 未来とりんごが歩きたがってる」


 宗方さんはあたしに手を差し出してくる。


 あたしは手を震わせながらその手を握った。


 宗方さんも手を握り返してきて、引っ張ってあたしを立ち上がらせる。


「よし、歩こう」


「うん」


 未来ちゃんの後を追いかけるように、小さいりんごは右に行ったり左に行ったりしながらコロコロと走っている。


 リードの紐がよじれて、全然スムーズに前に進まなくて、あたしと宗方さんはそれを見て笑った。


 気温が高すぎて、繋いだ手はすぐに汗ばんでしまう。


 だけど時折手を放して汗を拭きながら、その度に手を繋ぎ直すのが嬉しかった。


 心が繋がっていれば、こうして何度でも幸せを感じ合う事が出来る。


 大切な人と笑っていられる。


 これから色んな時間をこの人と過ごしていきたい。


 そうやって、もっともっと絆を深めていきたい。


 宗方さんの手の平の熱を感じながら、あたしはそう願っていた。











─おわり─

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