46 これにてハッピーエンド、完である。
「それじゃ、いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
一足先に出た玄関から、そんなやりとりが聞こえてくる。
扉が閉まると、駆け寄ってきたノエルは隣に並んだ。
「あーあ。帰ってきたら白雪、もういないのか」
惜しむようにノエルはそう口ずさんだ。
昨日、イツキを連行して帰ると、ノエルと白雪の仲睦まじげな光景が広がっていた。どうやら先に帰宅していたノエルが、イツキを今か今かと待ち受けていた白雪と鉢合わせたらしい。
知らぬ仲でこそないが、名前で呼び合うほどの関係ではなかったふたり。挨拶もそこそこに、白雪が入れ替わりの件を持ち出したことで、話は盛り上がりすぐに打ち解けたようだ。
相当イツキを詰めるつもりらしかったが、ノエルと打ち解けられたことが嬉しかったのか、白雪のお説教はほどほどに終わった。それよりも女子トークで盛り上がりつつ、ふたりは肩を並べながら夕飯を作ったほどだ。
まさに神様仏様ノエル様。無事修羅場を回避したイツキは、ノエルを拝んだほどだ。
「ま、白雪ちゃんもあれで、テロ事件に巻き込まれたばかりだからな。早く家族に、顔を見せてやらんとだろ」
「わかってるけどさ。折角仲良くなれたんだし、もう何日かいてくれたほうが嬉しいじゃん」
「イツキがいてくれるだけマシだろ」
「そうだけどさー……お兄ちゃんだけがいてもな」
ノエルのその言い草は、どこか物足りなそうだった。
それが強がりかどうかはわからない。でもそう口にできるのなら、ノエルはこれからも大丈夫だろう。
こうしてふたりで並んで歩くのは、転校初日以来だ。
ノエルとの関係は、あれからなにも変わっていない。仲良し兄妹ではなく、従兄弟くらいの距離感だ。それでも同じ屋根の下、毎日顔を突き合わせていれば、お互いのこともよくわかってくる。
取り留めのない会話が続くのはもちろんのこと、沈黙に居心地の悪さを覚えたりはしない。学校の最寄り駅に着くのは、それこそあっという間だった。
校門まで後少しというところで、見覚えのある背中が目に入った。
「あ、華香ー!」
ノエルが手を振りながら声をかけると、御縁が肩越しに振り返る。
「あ、ノエル。一成さん」
その場に立ち止まった御縁は、こちらに振り返った。
「おはようございます」
そう微笑んだ御縁に、俺とノエルは挨拶を返さなかった。
大きく開かれたのは、口ではなく目。きっとノエルも同じに違いない。そうせざるを得ない変化がそこにあったのだ。
呆けたように口を開いたノエルは、それを指摘する。
「華香……前髪切ったんだ」
「へ、変……ですかね?」
照れた御縁は小首を微かに傾けた。
御縁を象徴する前髪が、バッサリ切られている。おでこが丸見えになるほど思い切ったわけではない。今まで覆い隠されていた両目が、くっきり見えるくらいに切られたのだ。
「ううん、変じゃない! そっちのほうが絶対いいよ!」
駆け寄ったノエルは、あらゆる角度から御縁を覗き込む。それがまた照れくさいのか、御縁はむず痒そうに唇を結んだ。
なんで前髪を切ったのかなんて、それこそ聞くのも野暮だろう。
「またベタな真似をしたな」
「はは……しちゃいました」
御縁は頬を掻きながらはにかんだ。
節目の変化。思い切りはよかったが、照れくささはしばらく付き纏うだろう。でもこうして合わせた顔を逸らさないのは、御縁なりの成長の証かもしれない。
「学園の隠れ美人が、ついに表沙汰になるな。男共も放っておかないだろうから、これから大変だぞ」
「び、美人って……わたしなんて全然そんなこと!」
美人の称号は荷が重いと、否定するように御縁は手を振った。
「謙遜は美徳とはよく言うが、自分を客観視できないのはまた別だぞ。自分の身を守るためにも、美人の自覚は持っておけ」
「そうだよ。華香は美人の上……ほら、色々と凄いからさ。はぁ……」
自分と御縁の胸を見比べたノエルは、悲しそうに嘆息を漏らした。
なんのため息かもわからない御縁は首を捻っている。
「えっと……」
「ま、これからは男共が、蛾のように群がってくるから気をつけろってことだ」
「はい、わかりました」
半信半疑なのか、御縁は困ったような苦笑いをした。
イツキのことを乗り越え、前を向けるようになったとはいえ、自己肯定感の低さまでは上がらないようだ。でもノエルや春夏冬のようなタイプが付き合っていく内に、きっとそれも上向きになるだろう。
ふたりとは教室前で別れ、各々の教室に入っていく。
「おはよー」
今日は男子たちからの挨拶は返ってこない。
イツキと俺がまた入れ替わっているのではないか。それに気を取られたような唸る声だけが聞こえてきた。
「おはよう、アメリカン、リンリン」
「はいはい、おはよう」
「おはようイッセーくん」
今日も仲睦まじい友人コンビからは、変わらぬ挨拶が返ってくる。
一方、二股の姿は見えない。鞄がないので、どうやらまだ来ていないようだ。
そうなると駄弁る相手もいないので、いつものようにスマホを弄る。
しばらくそう時間を潰していると、隣から視線を感じた。チラチラではなくジーッと、不満げになにかを訴えかける気配だ。
春夏冬の視線なのは言わずもがな。でもそれは、イツキの面影を求めてきているわけではない。
なら今更なぜ、そんな視線を寄越してくるのか。まるでわからない、ということはなく、わかっているからこそガン無視した。
「ねえ」
痺れを切らした春夏冬は、低い声音で言った。
「なにか言うことはないのかしら?」
「今日もいい天気だな」
「他にもっと話すことあるでしょう!」
「ワガママな奴だなおまえは……」
うんざりしたようなため息をつきながら、スマホから顔を上げた。
「で、どうした?」
「なにか気づかないの?」
「気付かないのって……リンリンが髪切ったことか?」
「あ、わかる?」
少し嬉しそうに小林は毛先を弄った。
「ちょっと整えただけなのに、よく気づいたわね」
「リンリンくらい可愛い子の変化なら、そりゃ気づくさ」
「もう……そうやっておだててもなにも出ないわよ」
満更でもなさそうに小林ははにかんだ。
そうして俺はまたスマホに目を移すと、
「ちょっと待ちなさいよ!」
おかんむりの春夏冬が待ったをかけてきた。
「なんでリンの変化に気づいて、私のことはなにも気づかないのよ!」
「はいはい、わかってるよ。髪型のことだろ」
ツインテールだった春夏冬の髪型が、一夜明けたらサイドポニーテールになっている。
こんなあからさまな変化、気づかないわけがなかった。
気づいていたことを知って、より一層春夏冬は憤慨した。
「だったらなんで一言もないのよ!」
「なんだアメリカン。髪型変えたのか?」
「それを言うタイミング!」
今にもキィーって言い出しそうな、歯を食いしばるほどの形相だ。
何度も叫んで疲れてきたのか、春夏冬は犬のようにゼーゼー喉を唸らせている。そうやって不満を訴えるように睨めつけてきた。
「仮にも私は、あんたの初恋の女なのよ。もっとなにか、思うことはないの?」
「かつての天使も、今やこの有り様か。時間の流れは残酷だな」
「それはこっちの台詞よ! キィー!」
ついに伝家の宝刀を抜いて、春夏冬は悔しさを露わにした。
小林が興味深そうにマジマジと見てきた。
「そういえばイッセーくん、天梨が初恋なんだっけ? 改めて天梨のこと、意識しちゃったりしないの?」
「初恋って言っても、昔の話だからな。他に好きな女がいるんだし、意識するもなにもない」
「へー、イッセーくん、好きな――え! 好きな女の子いるの!?」
小林は仰天したように目を見開いた。
「いるし、ちゃんと告ってるぞ」
「え、じゃあイッセーくん……実は彼女持ちだったの?」
「残念ながら振られた」
「ぷー、くすすー! 振られてやんのー!」
春夏冬は人差し指を突きつけながら、愉快そうに笑っている。散々コケにされてきたから、やっと自分の番が回ってきたと嬉しそうだ。
「で、で、相手はどんな子で、どうやって振られたの? 慰めて上げるから教えなさいよ」
これでもかと調子に乗っているが、別に悔しくもなんともない。選ばれなかった恋愛敗北者と違い、俺はお預け食らっているだけだから。
でも春夏冬から敗北者扱いされ続けるのも癪である。
「それが酷い女でな。自分が初恋じゃないのが、気に食わなかったらしい。おまえの恋心は使用済み。中古はちょっと、誰かの払下げはごめんだって、人の告白を最悪な断り方をしやがったんだ。信じられるか?」
「へー。どこかで聞いたことがあるワードね」
面白くなそうに春夏冬は眉をひそめた。
「まさかあんた……自分が言われて嫌だったことを、私に言ったわけ?」
「そうだけど」
「そうだけど、じゃないわ! あんたみたいな男には、その酷い女がお似合いよ!」
「おまえからそんな風に褒められても、気味悪いんだが……」
「誰も褒めてないわよ!」
バンと机を叩いた春夏冬は、癇癪を起こしたように叫んだ。
やっと反撃できる番が来たかと思えば、すぐにやり返される。それが悔しくてたまらないのか、春夏冬は不満げに睨めつけてきた。
「というかさ、この扱いいい加減止めてくれない?」
「この扱いって、どんな扱いだ?」
「今までのようなぞんざいな扱いよ。もう私は、イッセーのこと乗り越えたんだから。人並みに優しくしてくれてもいいじゃない」
「人並みって、たとえば?」
「リンくらいには優しく扱ってほしいわ」
「いくらなんでも、それは調子に乗りすぎだろ」
「調子に乗りすぎってどういうことよ!」
「リンリンほら、可愛いから」
「私は? ねえ、私は?」
「うーん……合格ラインには達してるんだけど、それを上回るポンコツのイメージが強すぎてな。ま、おまえの扱いはこのままでいいだろ。ほら、俺たち双子はバファリンだからさ。薬効のためにも泣く泣く厳しく接することにするよ」
「理由が雑すぎるでしょ!」
不平不満を春夏冬は訴えてくる。
すると、思い出したように春夏冬は得意げな顔をした。
「そもそもバファリンって、優しさに該当する成分は、半分も入ってないのよ」
「え、そうなのか?」
「胃への負担を軽減する成分が、バファリンの優しさらしいわ。でもそれは、あんたのいう厳しさに該当する成分に対して、三分の一しか入ってないのよ」
「マジか」
「つまりあんたが私に厳しく接する理由に、バファリン双子理論は成り立たないの」
「へー、知らんかったわ。わざわざ無駄に調べたんだな」
「無駄って言うな!」
吠える春夏冬はさておいて、バファリンの半分は優しさでできていないことには驚いた。
春夏冬の調べが正しいのなら、バファリンの四分の一は優しさでできている。つまり一の優しさに対して、厳しさは三の割合になってしまう。
イツキにかけられた優しさの分だけ、俺が厳しく接する。そうでないと薬の効果が出ないから。そんな春夏冬命名、バファリン双子理論は成り立たないのが判明した。
つまり、今までとやり方を変えなければならい。
「でも、俺が適当なことを言ってたのは間違いないな」
「ふん、わかったならそれでいいのよ。だから大人しく――」
「だからこれからは、イツキにかけられた優しさの三倍、厳しく接することにしよう」
「……え」
その意味を咄嗟に理解できなかったのか、春夏冬は呆けたような顔をする。数秒した後、墓穴を掘ったことを悟ったのか、見る見るうちに青ざめていった。
正直な話、春夏冬に優しく接することで、困るような心配はもう起こらない。
まだまだ失恋の痛みはあるかも知れないが、一番辛い時期は乗り越えられた。これから先、イツキへの失恋を理由に不幸なことにはならないだろう。
俺がイツキの兄として面倒を見るのはここまで。この先、なにかあったとき手を差し伸べることがあったとしたら、それはひとりの友人としてだ。
かといって、今日から態度を変えるのも違うが気がした。初恋の相手だとわかった途端、手のひら返しをしたようで癪である。
なにせイツキが残した問題が一件落着したとはいえ、それですべてが終わるわけではない。ヒロインと結ばれたハッピーエンドの先で、
もし、なにかが変わることがあるとしたら、そのキッカケは未来。それこそイツキほどではないが、色んなイベントを乗り越えた先にあるものだ。
たとえば、俺の初恋の相手が春夏冬と知ったカノンが、危機感を覚えて学園に来襲してくる。そこで春夏冬を目の敵にし、噛みついたはいいものの、ポンコツを返上した学園の才媛をどうこうするのは、さすがのカノンも一筋縄ではいかず……なイベントが数時間後に控えている。
他には男装麗人、女探偵、チャイナ娘、それと怪盗。彼女たちにイツキと間違えられたばかりに、映画版コナンのような事件に巻き込まれる。そんな、作風が違うのはもう懲り懲りだ、なイベントもこの先待ち受けている。
でも、それはまた別な話だ。
主人公に選ばれなかったヒロインたちが、立ち直るまでの物語はこれにて――
「そんなの嫌! いいから普通に優しくして!」
「駄目だ! これからは厳しさ三倍だ!」
ハッピーエンド、完である。
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これにて完結です。
最後まで当作品にお付き合いくださり、ありがとうございました。
活動報告にカノンなどの裏話などを載せておりますので、よろしければご一読ください。
もし★での評価がお済みでなければ、完結を持ちまして評価頂ければ幸いです。
他にも感想、レビューなどお待ちしております。
そして新作投稿を始めましたので、よろしければご一読ください。
弟に選ばれなかった負けヒロインは、双子の兄(おれ)を隣席から未練タラタラに眺めてくる件。 二上圭@じたこよ発売中 @kei_0120
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