第73話 自分にとっての分相応

 アイリとマルコの顔合わせは庭園の中でも一番ロマンティックな東屋ガゼボで行われた。

 早咲きの白いバラが今かとつぼみを開き始め、水色、薄紫の春の花たちが花壇に溢れていた。ラベンダーやデルフィニウムたちだ。

 草花はそよ風に触れると芳しい香りを流した。


 こほん、とラカムは神妙な顔つきで咳払いをする。場が緊張していて、わたしまで手に汗をかきそうになる。その咳払いひとつに、みんながビクッとなった。

「あー、申し訳ないんだけどこういう場に出たことが一度もないので、自己流でやらせてもらいます。アイリ嬢、それでよろしいですか?」

「は、伯爵様がよろしいようにお進めになってください」

 アイリはサッと下を向いた。ギュッと手を握ってあげたい気分になる。


 アイリには昨日は城に泊まってもらった。

 その方が気持ちも楽だろうと思ったからだ。

 でも、そんなことは大した効果がなくて、緊張は頂点に達しているようだった。

 それはそうだ、目の前にお見合い相手のマルコがいるのだから。


「ご存知の通り、こちらの令嬢がロイス男爵の長女、アイリ嬢だ」

「マルコ様、よろしくお願いします」

 アイリはもごもごと高速詠唱のように早口でそう言った。

「アイリ嬢、こちらが我が騎士団員、ウォルター男爵三男のマルコだ」

「こちらこそよろしくお願いします」

 マルコは余裕のあるように見えたけど、耳が真っ赤になっていた。気持ちが高揚している証拠だ。


「お互い、なにか質問は? ざっくばらんに話しながらお茶を楽しもう」

「今日は暖かいからハーブティーを用意したの。もちろん紅茶もあるから、好きな方を選んでね」


 なにしろわたしとラカムは元々庶民だ。貴族のお見合いなんてしるはずもない。

 仕方なく、マナー講師のマギーに頼んで、わたしたちらしいお見合いをセッティングしたわけだ。マギーは久しぶりのイベントに大喜びだった。

 春になってから、ずっと、大きなパーティーを開くべきだと主張してきた彼女をかわすのは、至難の技だった。

 そうして、この可憐な花々に囲まれた水色のガゼボでのお見合いに至ったのだ。


「⋯⋯マルコ様はこれから先のことをどう考えていらっしゃいますか?」

 おおおー、アイリにしては超現実的なド直球! お父上に言われたのか、昨日の夜から考えていたのか、なかなか大胆な質問。

「私は男爵家の三男坊ですから、家督は相続しません。なので、この城の騎士として生きていくつもりでおります。アイリ様はご結婚なさった後のことはどのようにお考えですか?」

「あ⋯⋯」とアイリの唇は震えた。予習は質問だけだったのか、とりあえず息を飲み込んだ。


「ご存知の通り、我が家にはわたくししか跡取りがおりません。⋯⋯ですから、父はわたくしの伴侶となってくださる方に爵位を譲るつもりだそうです。その、今回の話も父が⋯⋯勧めてくれましたもので」

「そうですか!」

 マルコが向日葵のような笑顔でわらった。

 下を向きがちだったアイリは、顔をサッと上げた。反射的にマルコの目を見た。


「私が奥様にお着きする時に見たアイリ様は、失礼ですがとても大人しい方に見えましたので、今回の話には驚いていたんです。私も捨てたものじゃないと同僚たちにからかわれたんですけど、それなら納得です」

「そんなつもりでは⋯⋯」

「いやいや、貴族同士の結婚は政治の部分が大きいでしょう。奥様とご主人様にしても、始めは政治的な結婚だったでしょう。なにも気にする必要はありませんよ」

「そんな⋯⋯」


 わたしは正直、大いに不満を持っていた。

 ロマンティックさの欠片もないじゃない!

 そんな現実的な話、アイリはしたいわけないじゃない!

 だから言ってるじゃない、お父様に言われて⋯⋯。

 アイリはマルコを特別には思ってないってこと?

 わたしは隣に座ったラカムの手を掴んだ。

「政略結婚かどうかなんて関係ないこと、俺たちを見てたらわかるんじゃないかな? ね、アイリ嬢はどう思われますか?」

「あの⋯⋯いつもうらやましいなって⋯⋯」

 アイリの声は次第に細くなった。


「まぁ、いいじゃない。条件だけで結婚する人も多いらしいし、それに比べたらこんなに身近で自分にとって好ましい人かどうか確かめられるんだから」

「確かめるだなんて」

「いいえ、確かめてから決めてください」

 マルコはにっこり微笑んだ。


 わたしの知ってるマルコはいつもにこにこして変わりなく、タンポポや向日葵を思わせる赤みがかったブロンドがまだかわいらしく見える青年だった。

 でも今日は真っ直ぐで頼りがいのある青年に見える。

 人って、相手によってずいぶん違うものなんだなぁと思いながらみんなで散歩をしようと立ち上がった。

 アクセントに植えられたチェリーセージの赤い小さな花が揺れる。


 前方にアイリとマルコ、わたしとラカムは後ろからついていく形になった。小径こみちが日傘で丸く切り取られる。

「ねぇ、マルコってあんな人だった? いつもはなんていうかその、平和主義っていうか」

「言いたいところはわかるけど」

 ラカムはくくくと意地悪そうに笑った。なにがおかしいんだか。

「ああ見えてしっかりしてるんだよ。じゃなくちゃハイディンだって推薦しないだろう? 自分が男爵家の三男坊だってことをよくわかってる。そういう意識って大切だろう?」


 わたしも考えてみる。

 わたしは何者なのか、どんな身分に置かれているのか、それを知っているということは確かに大切なことに思えた。

 それをよく知らないと『分をわきまえる』ことができなくなったりするんだろう。どこかのアンドリューのように。


「ラカムって、やっぱりわたしより大人だわ」

 少し間があって、彼は「当たり前だろう」と微笑んだ。そしてそっと、ふたつの影が揺れる後ろで、指を絡めた。

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わたし、勇者の嫁じゃないんですが!? 月波結 @musubi-me

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