一章 逃がし屋 ♯6

 二人は林の中へ踏み入った。木々の枝葉が星の光を遮るが、ルーダの持つランタンが、歩むべき道筋を照らす。農家までの距離は短かく、さほど時間もかからずに辿り着いた。林の中の切り開かれた一角に二つの建物がある。人の居住する主屋と、その正面方向へ直角に建つ納屋である。主屋は、農家には珍しい二階建ての木造建築で、その木窓の隙間から光は見えず、人の気配がない。


 トーゲンが横目でルーダの顔を見ると、その表情に僅かな陰りを感じた。彼女は主屋の前を通過して、そのまま庭を超えて納屋の方へ歩いていき、トーゲンもそれに続いた。ルーダは納屋の前に立ち、トーゲンが追いつくのを確認してから、そっと扉を開けた。トーゲンは彼女の背中越しに中を除き見たが、当然のように暗く、何も見えない。ルーダは納屋に入り、ランタンをかざして辺りを照らすと、声を落として誰かの名前を呼んだ。


「フレン。いるか」


 返事はない。横長の納屋の、右側には干し草積まれ、左側には農機具が置かれている。ルーダは背後に立つトーゲンと向き合う。


「おかしい。私の仲間の一人と、護送中のお客さんがいるはずなんだけど」


 張り詰めたルーダの表情は、トーゲンへも緊張感を伝搬させる。


「何が起きてるんだ」

「……わからない。家の主人に確認する。警戒されたくないからここで待っていてくれ」


 ルーダはそう言うと、トーゲンが口を開く前に納屋の外へ出て行った。そしてランタンを納屋の傍にある井戸の縁に置くと、剣が吊るされている方の手を鞘の根元に置いて、主屋の方へ静かに歩いていく。無意識からそうしているのか、それらの所作は良からぬ事態を想定した行動であろうと、トーゲンは捉えていた。


 見慣れた道を歩いていたはずが、思いもよらない場所へ迷い込んでしまったような、そんな不安感を抱きながら、納屋の門口ごしにルーダの様子を窺う。彼女は主屋の扉を叩いて、中にいるであろう家人を呼んだ。


「ご主人、おられますか。少し話を伺いたい」


 トーゲンは扉を注視する。無意識に手が腰にあるはずの刀を探したが、宿舎に置いてきているため空を掴んだ。まさか血が流れることにはなるまいが、時折吹く風が木々を騒がせて、不要に神経を尖らせる。


 一瞬、僅かにだが、トーゲンは干し草を踏みしめるような音を感じた。その方向へ目を向けるが、積まれた干し草の陰がうっすらと見えるばかりで、特に異変はない。暫く凝視して、気のせいだと思って気を緩めた瞬間、干し草の陰から人の影が飛び出した。


「誰だっ!」


 影はトーゲンの問いを掻き消すよに叫び声を上げながら突進する。体躯は二回りほど小さく、叫び声は甲高い。全身を覆うような薄汚いマントに、深いフードを被ったその女は、手に携えた鍬を持ち上げると、トーゲンへ目掛けて振り下ろした。その攻撃を、トーゲンが後ろへ飛び退いて躱すと、襲撃者は再び鍬を持ち上げる。しかしその動きは鈍く、鍬の重さを腕が上手く支え切れていない様子だ。


 トーゲンは素早い身のこなしで女へ近づくと、鍬が振り下ろされるより前に、腕をつかんで取り押さえた。そのまま、抵抗する襲撃者の素性を暴くためフードに手をかけると、固い感触が皮膚を伝った。もしやと思ってフードを脱がせたら、やはりそこには角があって、若い竜人の女が顔を出した。


 思いもよらない事態に困惑したトーゲンが、襲撃者へどのような措置を取るべきか逡巡する間もなく、納屋の外から切迫した男の声が聞こえた。


「アリマ!やめるんだ!」


 トーゲンが横目に見ると、見知らぬ竜人の男が大袈裟に手を振りながら近づいてくる。その背後にはルーダの姿もあった。


 襲撃者の女、アリマは聞こえたというよりも何かを感じ取ったように、声のする方向を向いた。そしてその主を確認するや驚いたような表情になり、全身の力を抜いて無抵抗になる。トーゲンが手を離すとアリマは鍬から手を離し、よろよろと納屋の外へ出て行った。


 走ってきた男はアリマの両肩に手を置くと、彼女の顔を覗き込むように、背を曲げて頭を下げる。そして大きく口を開け「彼は敵じゃない」と何度か繰り返した。アリマはトーゲンの方へ振り向くと、「悪かった。けどお前も悪い」と、彼女にとっての反省の言葉を残し、男に連れられて主屋の中へ消えて行った。


 一連の様子を茫然と見ていたトーゲンは、傍まで来ていたルーダへ聞いた。


「いったい何が起こったんだ?」

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竜の灰 橙冬一 @fuyu1155

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