ショコラ

蒼開襟

第1話

 細く白い指に挟んだ茶色の煙草。赤い唇に近づけては離しを繰り返し、彼女は白い息を吐く。

 コーヒーとの相性は最悪で口中に広がる不味い味が、いつもたまらなく気持ちが悪いのに毎回繰り返してしまう。


 テーブルの上にある銀色の灰皿を引き寄せると、中央に描かれた黒猫のイラストの上でもみ消した。


 今日待ち合わせているのは彼女が一番今落としたい相手。

 モデルのミシェルはなかなか手強いのか、百戦錬磨の彼女ですら 攻略できそうにない。


 彼はモデルとしたらそれほど背が高いわけじゃない。でもその瞳が印象的でやたらと目に付く。

 モデル仲間の女の子たちは彼にどうにかお近づきになりたいと彼と一緒に仕事をする日を楽しみにしてる。目をギラギラさせながら。


 彼女はその子達よりも少しチャンスが多かった。二日前、雑誌の写真撮影で会ったミシェルに約束を取り付けた。

 バレンタインというのもあるけれど、どうやら彼はそういうイベントが好きらしく 彼女の誘いに乗ってくれた。


 肩にかかったブロンドの髪を後ろへ払い、両手を視線上に広げてみる。欠けているマニキュアはなし、派手目でない指輪もキラキラしてる。彼女は利き手の人差し指で下唇の縁をなぞると、指先についた匂いに眉をひそめた。


 すぐ傍に置いてあるペーパーナプキンを一枚取り、気休め程度に手を拭く。腕時計の時間は待ち合わせの時刻に近い、今席を立てば彼が来ても分からない。


 彼女がそうこうしていると店内がざわめき立った。入り口からスーツをラフに着こなしたミシェルがゆっくりと入ってくる。彼は少し伏し目がちに周りを見渡すと、口元をにっこりとさせて彼女のいるテーブルへやってきた。


『やあ、遅かったかな?』


 椅子を引きながらミシェルは笑う。


『いいえ、時間通りね。正確だわ。』


 彼女は手の中でクシャクシャにしたナプキンを食べ終わった皿の上にそっと置いた。


『それで今日はバレンタインだって。そうそう、知ってる?日本では女の子から男にチョコレートをあげるって。』


 ミシェルは傍にきたウェイトレスに注文すると、肘をつき手を顎に添えにっこりと笑った。


『知らないわ。女の子からとか、もらえない子は可哀相ね。』


 彼女はミシェルの笑顔から視線を反らして俯く。

 仕事場ではモデルの顔をしているくせに、こんなところでは何だか違う人みたいに笑っている。反則だわ・・・。


 いつも強気な彼女は唇を結んだ。それを見てミシェルは片眉をあげて唇の端を上げた。


『まあ、興味なかったら別にいいんだけど。ああ・・・そうそう、バレンタインだからコレね。』


 ミシェルはジャケットのポケットに手を突っ込むと手の平サイズの箱を取り出した。その包装用紙は大手のチョコレート専門店のものだ。


『知ってると思うけど、美味しいよ。』


 そう言って彼女の前に箱を置いた。


『・・・私に?』


 彼女は箱とミシェルの顔を何度も見返す。ちょっとは期待してたけどまさか用意してくれてるなんて思ってなかったからだ。でもチョコレートなんてのは期待はずれ。


 そっと手を伸ばして箱を手に入れると、包みを開いた。金色の箱の中に五センチ角のチョコレートが綺麗に並んでいる。


 彼女はミシェルを見てにっこり微笑むと、一つ摘もうとして手を止めた。


 チョコレートのカロリーが彼女の頭の中でいっぱいになる。十分過ぎるほど痩せているけれど、彼女の代わりなんて沢山いるのだ。太るのが怖くて彼女は小さく息を吐いた。


『ありがとう。あとで大事に食べるよ。』


 その言葉にミシェルは小さく頷き立ち上がる。


『うん、いいよ。そろそろ僕は行くよ。今日はさ、ちょっと用事があるんだ。ごめんね。』


 ミシェルが立っている傍にウェイトレスが注文の品を持ってやってきた。ウェイトレスは驚きながらもテーブルにカップを置くとすぐに立ち去った。


 彼女はミシェルを見上げて眉をしかめる。


『待って、聞いてないわ。今日はオフだって言ってたでしょ?』


 そう、昨日話した時に明日はオフで色々と話そうなんて言っていた。彼女は今までこんな扱いを受けたことがない。怒りと恥ずかしさに唇を噛んだ。


 ミシェルはウェイトレスが持ってきたカップを取ると、彼女の前に差し出した。


『これはホットミルク。君は僕が何を注文したのか聞いていた?』


 湯気の上がるカップに視線を落として彼女は顔を上げる。


『何、急に?』


 苛立ちが頭の中を支配している。さっきまで素敵だと思っていたミシェルの顔ですらイラついてたまらない。ミシェルは困ったように笑うとチョコレートを指差した。


『チョコレートとホットミルクは合うんだ。とっても美味しいよ。暖かいから気持ちも落ち着く。君は素敵だし、とっても魅力的だ。きっと落ちない男なんていないよ。

僕だってもし恋をしていなかったら、危なかったかな。でも久しぶりに会った君はどこかツンツンしてて、いつも眉間に皺。せっかく綺麗な顔なのに台無しだよ。』


 彼女ははっと息を飲んで俯いた。両手で唇を抑えて顔を赤くする。

 イライラしてた・・・まさか酷い顔してたんじゃ・・・。そう思うと指に口紅がべったりとついた。


 ミシェルは彼女のすぐ傍まで来てポケットからハンカチを取り出した。そして赤くなった彼女の指を隠すように抑える。


『モデルにとってダイエットは大切なことだと思う。僕らはモデルだからね。どんな服も着られるようにって。それでも僕は君にダイエットはやめろなんていわないけど、今日くらいはホットミルクとチョコレート食べてみてよ。美味しいからさ。

僕は初めて逢った頃の君の笑顔が今でも好きだよ。可愛くて綺麗で素敵で。』


 彼女が顔を上げるとミシェルは彼女の頬に口付けた。


『これは友達の証。今僕は恋をしてるからね。とっても素敵な女の子に。』


 暖かい唇が触れた頬がやけに熱い。彼女は片手で頬に触れた。小さな声で話すミシェルは少し手を伸ばしただけでも触れられて体を起こせば簡単にキスだって出来る。


 彼女は大きく息を吐くと声に出して笑った。


『参ったわ。』


 ミシェルは彼女が笑うのを見ると歯を見せて笑った。


『そうやって心配してから本音を言うなんて卑怯ね。いつもの私ならこんな近くに男の子がいたらキスしてメロメロにしちゃうけど、それすらさせてくれないんだもの。

まさか、お説教されるなんて思わなかった。』


 そう、キスしたいと思えば出来たのだから。彼女はテーブルの上のカップを引き寄せると口をつけた。そしてチョコレートを一つ摘んで口にほおりこむ。


 パリッとした食感が舌の上でとろりと甘く溶けていく。それが暖かなミルクと混じりほのかにチョコレートが香る。


『うん、美味しい。』


 彼女が笑うとミシェルは伝票を取り、もう一度彼女の額に口付けた。


『女の子は甘い物を食べてるときが可愛いよね。』


 そう言うと入り口へ向かって歩き出す。彼女はミシェルの背中を見て聞こえるくらいの声で問いかけた。


『恋してる子にはあげないの?』


 ミシェルは軽く振り返り笑うと、人差し指で立てて軽く振る。


『違う違う。僕は貰うんだよ。じゃあね、また次の時にでもゆっくり話そう。』


 にっこりと笑う顔が後ろを向き、ミシェルが歩き出すと入り口の向こう側へと消えていった。


 彼女はもう一切れチョコレートを摘み、口にほおりこむ。


『甘い・・・でも美味しい。』


 ふっと噴出すともう一度ホットミルクに手を伸ばした。

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ショコラ 蒼開襟 @aoisyatuD

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