番外編 もう元には戻れなくても・2
一節前、スティの元に一通の手紙が届いた。
コンラッドから送られてきたそれにはかつての非礼の謝罪や手短な近況の報告と共に、マイシャも迷惑をかけた人達に謝りたいと言っている事が丁寧な文章で綴られていた。
既にウェス・アドニスにいる面々には直接頭を下げ、和解できた事。
その上でマイシャがスティにも謝罪したいと言っている事。
貴女さえよければ、二人で謝罪に伺いたい――と綺麗な字で締め括られた手紙を呼んだスティは内心複雑であった。
本当に非礼を謝罪をしたいだけなら、断る理由はない。
しかし、かつて恥をかかされた事を理由に復讐や強請りを企てていたら――そんな仄暗い可能性を否定できず。
迂闊に関わってまたややこしい事になりたくないという気持ちと、このまま謝罪したいという気持ちを抱えさせるのは、あまりに忍びないという気持ちが交錯し。
悩んだ結果、<許せるかどうかは今の時点では何とも言えませんが>と前置きしたうえで空いている日時を手紙に綴り。
そして今、スカートに
生誕祭のパーティーから、8年。
フード付きのマントを外した彼らの衣服はスティが着ている衣服に比べてやや質が劣るものの、それでも平民が着る物に比べて上質なもので生活に困っている訳ではない事が伺えた。
コンラッドの頬は疲労や心労からか、少しこけ、魔物との戦いでついたと思われる傷が2、3刻まれているてはいるものの、以前と見違えるほど精悍な顔立ちになり。
マイシャも髪の艶や肌の張りや以前に比べて薄れているものの、持って生まれた美そのものは衰えている様子はなく。
これで微笑めば美しく見えるだろうに――とスティは少し残念に思った。
しかし、微笑んで再会できるような別れ方をしていなかったのだから仕方がない。
スティは微笑みながら、コンラッドは少し心配そうに、それぞれマイシャを見つめながらの彼女の言葉を待つ。
二人と目を合わさず、じっと顔を俯けたマイシャは小さく息を吸った後、か細い声を紡ぎだした。
「ステラ様……8年前の、生誕祭のパーティーでは……申し訳ありませんでした」
短く簡潔な謝罪の後、部屋に沈黙が漂う。
渋々謝っているようには感じられない。
それ以上何も紡がないのも、言い訳をするつもりはないという意思表示。
全面的に自分が悪いと認めている――それだけでスティは十分だった。
「……マイシャ様、もういいのです。私もあのような場で貴方を貶めるような物言いをしてしまった事、どうかお許しください」
美しく明るく天真爛漫で、だけど危なっかしくてずっとフォローし続けてきた頑固で強情だった可愛い妹が、ようやく自分の非を認めて謝れるようになった。
マイシャの謝罪は、スティの心の中で凍り付いている一部を溶かした。
そして二人から復讐や強請りの気配を感じない事に安堵したスティは、キッチンの方に視線を向けて微笑んだ。
そしてキッチンの陰から待ってました! と言わんばかりに出てきたのは、リュペンとニルル。
「キュ、キュ!」
「あ、ああ……ありがとう」
青ペンギンからのもてなしにコンラッドは一瞬ギョッとしたものの、取っ手の無いティーカップ――湯呑みをリュペンから受け取る。
「ウェス・ティブロンが青ペンギンと共生している事は聞いていましたが……とても頭が良いのですね」
「皆がこうではないのですが、長く人と一緒にいると人の真似をしたくなる子もいるみたいで……よろしければ撫でてあげてください」
頭を突き出してくる青ペンギンにコンラッドが戸惑いながら頭を撫でる中、もう一羽小柄なペンギンがマイシャの前に湯呑みを差し出す。
「キュ!」
「……」
「キュ……?」
「……あ、ありがとう……」
首を傾げたニルルのつぶらな瞳に耐えかねてか、マイシャも恐る恐る湯吞みを受け取り、そっとニルルの頭を撫でた。
そこにかつての天真爛漫な姿も、傲慢な姿も無い。所在無さげに体を丸める姿には華やかさも棘もなかった。
リュペン達がキッチンの方に戻ると、今度はリュカが顔を出し、綺麗に切り分けた木の実が入ったケーキをコンラッド達の前に置いて行く。
「あの方は」
「コンラッド様とマイシャ様は今、いかがお過ごしで?」
言葉を被せたスティに、コンラッドは困ったように頬を掻く。
「様付けはやめてください、ステラ様……私は今や周辺の魔物討伐や父上の代筆役しかできない、冴えない男です」
「あら……コンラッド様の評判は新聞で拝見してますわ。民に混ざって魔物に荒らされた土地の修繕も、傷ついた者達の治療もなさっているのでしょう? 立派な行いですわ」
「……アドニス伯が気まぐれに私の功績を新聞に大袈裟に載せさせるだけです。貴方に比べれば、とてもちっぽけなものですよ」
茨の道を素手素足で進むような真似を8年続けられる、それはけしてちっぽけな事ではない。
アドニス伯の配慮や彼自身の行いが認められて徐々に茨は少なくなっているとしても、彼が望めばもっと楽な道が開けるだろうに、コンラッドは頑なにその道を進み続けている。
スティは茨の道を選べなかった。茨が敷かれた自分の人生を歩む事を諦めて身を投げた結果、他人の人生を歩んでいる。
その事はもう後悔していない。他人の人生だからこそ掴めた幸せもある。
ただ――だからこそコンラッド達が選んだ道の険しさも想像できるし、堂々としてほしいと思う。
「コンラッド様……驕ってはいけないけれど、謙遜するのもよくないのですよ」
失った価値を自分の手で少しでも取り返そうとするコンラッドにスティが本心から微笑みかけた言葉にマイシャが顔を上げ、コンラッドは頼りない笑顔を返した。
「……蔑む民や貴族達の視線に耐えて頑張り続けている事、私は本当に凄いと思っています。例えアドニス伯の力があれど一度貶められた名誉をここまで回復させた事は誇って良いと思いますわ。貴方は今、そんな私の想いを否定しているのです」
「……申し訳ありません」
「ステラ様は……姉様みたいな事を仰るのですね」
「奢ってはいけないけれど、謙遜するのも良くないと……そう言っていました。だけれど……皆、私達が人の機嫌を伺い、ビクビク怯えて生きていく事を望んでいるのです」
「……確かに、それを望む貴族もいるでしょう。ですが少なくとも私は貴方が暗い顔で過去を悔いながら不幸の中で生き続ける事を望んではいません。被害者でも何でもない他人の望みより、被害者である私の望みを重視して頂けないかしら」
「……でも、姉様だって、きっと」
「いいえ……貴方方がいつか幸せになってくれる事を、きっとシスティナ様も望んでいるでしょう。だから私も、そうあってほしいと望むのです」
「何で、そう、断言でき……」
言いかけて、マイシャは言葉を噤んだ。
視線を伏せて黙り込んだマイシャを横に、スティとコンラッドはまた会話を再開した。
二人が帰った後、キッチンからリュカと魔獣達が顔を覗かせた。
窓の向こうで、マントを羽織って寄り添って帰っていく二人を眺めるスティに優しく呼びかける。。
「……言わなくて良かったのか?」
「ええ……言えませんでした」
姉だと、システィナだと打ち明けた方が彼らの罪悪感も薄れるのはスティも重々分かっていた。
彼らを苦しめたい訳でもない。それでも、言えなかった。
「そっか……」
「恐いのです。彼らに真実を打ち明けても、以前の様な温かい関係には戻れない。また私の大切な物を奪われてしまわないか、私の世界が踏み荒らされてしまわないか……あの子が本当に反省して心を入れ替えたのは分かっているのに。冷たい姉だと、自分でも思うのですが……」
「冷たい、かなぁ……家族でも友人でも、一度でも大切な物を奪われたり、踏み躙ってきた相手を信頼できなくなるのは当たり前だと、俺は思う」
リュカの言葉は、スティの心にまた小さな光を宿す。
そう、家族でも友人でも――一度裏切られた以上、心から信頼する事はできない。
罪悪感を感じる必要も、自分を責める必要もない。
頭でそう分かっていても――心の奥底にある二人との楽しかった想い出が、時折、後を引くような悲しみを生み出すだけ。
それを切り捨てられない以上、この複雑な感情とは離れられないのだろう。
想い出が色褪せていけば、きっとこの感情も薄れていく。
それはそれで、寂しい――自分勝手な感情にスティが自嘲した時、勢いよく入口のドアが開いた。
「ただいま!」
明るい紫色の髪と目を持つ少女が入って来るや否や、魔獣達が我先にと駆け寄る。
「お帰りなさい、コーデリア。おばあ様は元気だった?」
「ひいおばー様はいつも元気だよ。おじい様より元気。それでね、もうすぐ嵐が来るんだって! おじい様、ひいおばー様が心配だから今日は灯台で寝るって。それでね、コーデリアもおじい様もひいおばー様も心配だから灯台で寝たい!」
「駄目よ、危ないわ」
スティが優しく諫めると同時に、リュカがコーデリアを拾い上げて肩に乗せる。
「リュルフ達がひいおばあ様もおじい様も守ってくれるから、コーデリアはここでお父様と一緒にお母様とルカリオを守ろうな」
「分かった!」
リュカがコーデリアに向けて優しく微笑み、コーデリアがリュカの背中でスヤスヤと眠っている、まだ一歳にも満たない弟に向けて笑う。
この幸せを誰にも崩されたくない――とスティは強く感じながら、窓の向こうの、小さくなった2つの人影を見守る。
姉だと言えなかった。
許せない事をされた。
関わりたくないと思っている。
――それでも、幸せであれと願っている。
コンラッド達がウェス・ティブロンを出てから数時間後――雲が少し黒みを帯び始めた。
酷い雨が降るようならウェサ・クヴァレで一泊した方が良いか――と、コンラッドが考え始めた時。
「……コンラッド様」
「どうした?」
「ステラ様に会わせてくれて、ありがとうございます……」
「……ああ。君がそう言ってくれるなら、連れて来た甲斐があった」
アドニス家を出てから数年、コンラッドの人生は辛いものだった。
毎日価値を失くした事を認められないマイシャに当たられ、着いて来てくれた従者達からも呆れたような視線を向けられ、魔物討伐で共に戦う者達からは嘲笑の視線を向けられた。
それでも、全てに耐え続け、己に課せられた職務を懸命にこなしているうちに少しずつ――本当に少しずつ、全てが和らいでいった。
誰に支えられるでもなく、息子と娘には「兄上」と言われて一線を引かれる中、それでも不満一つ言わないコンラッドに同情の視線が集まり。
そんなコンラッドを見ているうちにマイシャ自身の心も少しずつ、変化していった。
パーティーの一件は、止められなかったコンラッドにも責任がある。だが、マイシャ程ではない。
それなのに自分を極力社交界から遠ざけ、自分が受けるべき批難を一身に浴び続けるコンラッドが段々気の毒になってしまった。
一時は離婚して修道院に行くと暴れた事もある。それでもコンラッドは離婚しなかった。
――君と婚約した時、君は罪を一緒に背負っていきたいと言っただろう? 私も同じ気持ちだ。君が何と言っても、私は君から離れるつもりはない――
そんな風に言われて、マイシャが自分なりにどうすればコンラッドが楽になれるか考えてようやく『自分の非を認めて迷惑をかけた人達に頭を下げる』という結論に辿り着いた。
長い月日とコンラッドの態度がようやくマイシャの頑ななプライドを溶かしたのである。
そして二人の謝罪行脚が始まった。
パーシヴァルやアーティは「今後生活に酷く困る事があるようなら相談しに来なさい」と温かな言葉を残し。
シュトラウスも「兄夫婦としてオイフェやメイファに年に一度くらいは会いに来てもいい」と温かくはなくとも二人の謝罪を受け入れ、多少の配慮を見せた。
ただ、オイフェもメイファも大好きな父親の右手を負傷させたマイシャに良い想いは抱いておらず、マイシャに対して笑顔を見せてはくれなかった。
スティの態度も、柔らかで優しいものではあったものの、完全に一線を引かれているのが感じ取れた。
「……心から謝っても、全て許してもらえる訳じゃないのね」
「そうだな……それでも、謝罪を受け入れてもらえた。皆が私達の事を気にかけて……心配していたからだ」
本当に嫌われているなら、二度と会いたくないと思っているなら会う事すら疎む。
何の心配もしていなければ謝罪は加害者の自己満足だと言い捨てて、拒む。
それは被害者の権利であり、誰かが口を挟むような事ではない。
だが――これまでマイシャが謝った相手は、誰もそれを選ばなかった。
「あの……コンラッド様。ステラ様は、もしかして……」
視線を僅かに伏せたコンラッドに、マイシャはグッと言葉を飲み込んだ。
「……いえ、何でもありません」
8年前は負の感情に飲み込まれて気づかなかったマイシャも、今なら分かる。
スティから紡がれたあの言葉も。何気ない仕草も。癖のない銀髪も、自分とよく似た目の色も――だけど。
ギュッとスカートを掴むマイシャの手に力が籠る。思い出すのは8年前の事でも、10年前の事でもない。
ずっと昔の――優し気な姉の記憶。そこに寄り添うコンラッドと姉の幸せそうな姿。
「……ごめんなさい、コンラッド様……本当に、ごめんなさい」
自分があんな事を願わなければ、事件は起きずに、二人は幸せになれたかもしれないのに。
ポロポロと涙を零すマイシャを見かねて、コンラッドは隣に座り、そっと手を握った。
「……君も、私も気づくのが遅かった。遅すぎた。だからもう元には戻れない。それでも……皆が君に前に進んで欲しいと願っている。もちろん、私も」
姉だと言ってもらえなかった。
許されない事をした。
関わりたくないと思われている。
それでも――幸せであれと願ってくれた。
マイシャはコンラッドの胸の中で、声を上げずに泣いた。
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本話にて番外編終了です。ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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朱色の流れ星~価値無し令嬢は魔獣使いの侯爵令息に溺愛されてる事に気づかない~ 紺名 音子 @kotorikawa
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