番外編 もう元には戻れなくても・1


 ティブロン村がウェス・ティブロンとしてラリマー領に割譲されてから、あっという間に八年の時が流れた。

 この間にウェス・ティブロンの女領主――ステラ・ディル・ゼクス・ティブロンの名はウェスト地方で知らぬ者がいない位に広まっていた。


 ウェスト地方に広がっているスミフラシで染めた布や品物は未だ苦情一つ入らず、ここでしか採れない海真珠をあしらったバッジはラリマー公爵家が忠臣と認めた者に贈る憧れの一品となり。


 海真珠を密漁しようと忍び込んだ賊をウミカモメや青ペンギンなどの魔獣達が追い返した際にティブロンの民は魔獣と共生していると物議を醸したが、ラリマー公爵家はそれを把握しており、女伯爵の伴侶がローゾフィアの英雄という事とリアルガー家の後押しもあって事なきを得た。


 少しずつティブロンが発展していくと共に村人達の生活も豊かになっていった。

 村は木造の家よりレンガで作られた家の方が多くなり、道も集落から灯台にかけて綺麗に整備され、村人は継ぎはぎのない綺麗な服を纏って穏やかな日々を過ごしていた。


 もうティブロン村の呪いは誰も信じていない。

 そして見た目に拒否感を抱けど害はない、うつる事は無いと分かっていればどんな場所か一度見に行ってみようと思う者も多く。


 自分も魔獣使いになりたいとスミフラシの刻印を求める者や、行商の商人や吟遊詩人なども足を踏み入れるようになり。

 ステラはそんな旅人向けに村の入り口近くに宿や店を建てた。


 当初はスミフラシや海真珠を狙った荒くれ者が現れる事も想定していたが、公爵お抱えの都市という後ろ盾と魔獣達の圧は非常に強力で、今の所はトラブルは起きていない。


 様々な状況が追い風となってウェス・ティブロンは村から街へと順調に発展を遂げていた。



 灯台の近くも大分変わった。

 岩場の傍に建てられた、学校を兼ねた教会の近くには布を染めたり真珠の餞別を行ったりする為の作業小屋が次々と立てられ、日中は常に賑やかな声が響いている。


 そんな賑やかな声の周りを数羽のウミカモメ達が周回する。

 彼らの鳴き声を聞いた、顔に青い紋様が施された女性――ニアが話していた仲間達に呼びかけた。


「皆、もうすぐ嵐が来るんだって!」

「嵐かあ……」

「ニュルル達も、今日は小屋の中で寝るんだよ!」

「キュイ!」

「キュッキュ!」


 ニアの足元で、数羽の青ペンギン達が了解を言わんばかりの声を上げる。

 年に一度ここに訪れるペンギン達はここに毎年数匹の子ペンギンや老ペンギンを残していくようになった。


 大きくなった子ペンギンは群れと共に海に戻っていき、老ペンギンは2年と経たないうちに生涯を終えるのでティブロンに滞在する青ペンギンの総数は多い訳ではない。

 しかしすぐ喧嘩したり転んで怪我したり寂しがって泣き喚いたりするのでニアは魔獣使いの紋様を刻んだ仲間達と一緒に青ペンギン達の世話に半日を費やしていた。


 10年前に刻んだスミフラシの紋様は、今は消そうと思えばシミごと消せる。

 いつでも綺麗な顔に戻れるが、ニアはそれを選ばなかった。というか、人に言われるまで考えもしなかった。


 この紋様があるから自分は魔獣使いになれたし、こうして魔獣達の世話をする日々は生活は大変だけれど、とても楽しい。それに――


「ニア、もうすぐ計算の授業始まるだろ? 嵐に備えるのは俺達に任せて、授業受けて来いよ」

「うん。ありがとうイチル!」


 出稼ぎから帰って来たイチルと一緒に過ごせる。

 もう誰かを待って寂しい思いをする事も、他の都市に憧れる事も無い。


 ニアにとって、ここが最高で最良の場所なのだから。




 ニアが教会に入ると、壇上で数冊のノートを前にヨヨが頭を抱えていた。


「うう~……難しいの……」

「ヨヨ先生、どうしたの?」

「ニア、先生って呼ぶの止めて欲しいの……私、先生の足元にも及ばないの」


 

 既に成人を迎えているもののまだあどけなさが残るヨヨは女伯爵かつ商人として日々休む暇もないステラを見かねて帳簿付けを手伝う傍ら、教師として子ども達に数字や計算を教え始めていた。


 算盤や計算を得意とし、帳簿付けも難なく覚えたヨヨは教師も何とかなる! と思っていたが、教師は対人の仕事である。

 とても物覚えが良い彼女だが、だからこそ物覚えの悪い生徒にどう教えれば伝わるのか分からず悪戦苦闘していた。


「確かに……ステラ先生、1から10まで分かりやすく教えるの上手だったもんね」

「皆、何で分からないのか分からないの……それに皆つまらないって逃げ出して……八方塞がりなの」

「言われてみれば……ヨヨの教え方って、オズウェルさんに似てるもんね。真面目にやってる子はちゃんと聞いてるし、それでもいいと思うけど」

「ううう……それじゃ駄目なの。皆にちゃんと教えていきたいの。お兄ちゃんみたいに、最低限の計算だけでも教えたいの……」


 子ども達にそれぞれ必要な学力を身に付けて欲しい――そんなスティの願いはヨヨにもしっかり受け継がれていた。

 学力は仕事に繋がる。おかしな契約に疑問を抱いて自分を守る事だって出来る。


「じゃあ先生にコツを聞いてみるとか」

「先生、忙しいからあんまり負担かけたくないの……」

「……先生、ヨヨが悩んでるって知ったら、相談に乗りたいって思うと思うけどなぁ……それじゃあ、ムトとか?」


 ニアが見据えた窓の向こうでは、物質浮遊で絵本を浮かばせているムトがいる。

 祝福を込めるのを教え込まれた彼も装飾品に祝福を込める傍ら、魔法教師として働いていた。

 彼に魔法を教えられている子ども達の表情は楽しそうで、つまらないとは程遠い。


「……ムトに聞くのは、嫌なの」

「…………どうして?」


 追及するとヨヨの顔が赤くなった事に気づいたニアは目を大きく見開き、

 

「えっ、ヨヨ……ついにアーティ様から卒業したの!?」

「違うの! そういうのじゃないの……!! ムトはアーティ様やお兄ちゃんみたいに優しくないし、からかってくるし……違うの!」




 授業を終えて子ども達を見送ったムトはふと、教会の窓を覗いた。

 顔を赤くしているヨヨとニヤニヤしているニアを見て、


(相変わらず仲良いな、あの二人……)

 

 そう思いながら、近くに人の気配を感じて振り返ると小さな木箱を抱えたゴーカが立っていた。


「ムト、出来上がった装飾品持ってきたぞ」


 六年前にウェサ・マーレから帰って来たゴーカはティブロンにも小さな細工工房を建てて、そこで弟子を数人取りながら装飾品を作っている。

 ムトに出来上がった装飾品に祝福を込めてもらうのは変わっていない。


 ムトが木箱を覗き込むと、そこには青真珠や貝殻の装飾品の中、ひと際輝く海真珠に小さな青真珠や白真珠を組み合わせたブレスレットがあった。


「お、レイチェル様に頼まれた海真珠のブレスレット、ついに出来たのか……」


 一年前、レイチェルが女公爵となる際に依頼された物の完成にムトは複雑な表情で黙り込んだ。


「……どうした?」

「いや、その……公爵様が戦うのって凄く強い魔物だろ? 俺が祝福込めるより、もっとちゃんと魔導に精通してるに込めてもらった方が良いんじゃないか?」


 祝福に込められた魔法の強度は術者の魔力や技術によって大きく左右する。

 ムトの祝福はその辺りにいるような魔物の攻撃なら防ぐ事はできるが、凶悪な魔物や公爵の一撃に耐えられるものではない。 

 

「オレ、ルヴィス様の事あんまり好きじゃなかったけどレイチェル様は好きなんだよ……だから、俺よりずっと凄い祝福込められる人に込めてもらいたい」


 一年前、ルヴィスが深海の魔物討伐で死亡し、紺碧の大蛇がレイチェルに宿った。

 今、ウェスト地方の凶悪な魔物の討伐はレイチェルが背負っている。


 手足も口も青に染まったティブロン村の民を嫌悪する事なく、元凶であるスミフラシすら可愛がる公爵様に一日でも長く生きていてもらいたい――ムトの願いはゴーカにも通じるものがあった。


「分かった。じゃあ先生に相談してくるか……」

「あ、ついさっき先生の家に誰か入っていったから後にした方がいいぞ」

「誰か?」

「オレの知らない奴。二人組で……マント羽織っててフードもしてたから顔はよく見えなかったけど、多分男女かな……あ、村長出てきた。それ、村長に渡して伝言頼めば?」


 ムトの助言を受けて、ゴーカは灯台の方へと歩き出した。




「祝福か……確かに、女公爵が身に付ける物だからな。祝福を込めるなら強固なものが良いだろう。私からスティに伝えておこう」

「……村長、どうして公爵が魔物討伐しないといけないんだ?」


 オズウェルはもう村長ではないのだが、子ども達は「ずっと村長って言ってたし、今更名前で呼ぶの何か恥ずかしい」と言われ、オズウェルも好きに呼べばいいとずっと村長呼びされている。


「色神は私達より遥かに強い力を持っている。そんな色神に愛されている公爵だけが凶悪で強大な魔物を討伐できるからだ。公爵が各地の魔物を討伐するからこそ、この国の平和は守られている」


 ゴーカもそれは知っている。ただ、それでも若い女性がその身と色神一つで戦う姿が納得できない。

 そんなゴーカの思考を悟ったかのようにオズウェルは言葉を重ねた。


「それに、公爵だけが魔物討伐している訳ではない……ここは他の地に比べれば魔物の被害が殆ど無く、トドアザラシが毎年立ち寄るようになってからはフカワニサメが居着く事も無くなって平和だが、ここ以外の場所では騎士団なり冒険者なり、常に魔物と戦っている」

「……冒険者かぁ」


 ゴーカがウェサ・マーレで2年間勉強している間、多くの友人が出来た。

 友人達は家業を継いだり、職人の道を選ぶ者が大半であったが、中には侯爵家が所有する騎士団や冒険者の道を選ぶ者もいた。


 冒険者は危険な分、見返りも多い。親にとって子どもに最も選んでほしくない職であり、世界を回り、一山あてたいと思う若者達にとって夢のある職でもあった。


 ただ、ウェサ・マーレでは魔物に襲われた人の話もよく聞く分、ゴーカは冒険者になった友人を心から祝う事は出来なかった。


 今も友人は、この空の下で生きていてくれてるだろうか――何となく薄暗い空を見上げると、オズウェルが怪訝な表情で問いかけた。


「どうした?」

「ああ、いや……ところで今、お客さん来てるんだろ? どんな人?」


 ゴーカが咄嗟に話題を逸らすと、オズウェルは言おうか言うまいか少し視線を逸らした末――一つ息をついて来客の正体を教えた。


「……あの子の古い知り合いだ」




 ゴーカとオズウェルが会話している所から壁一枚挟んだところで、スティはフードを降ろした男女と向かい合って座っていた。


「お久しぶりです、コンラッド様……マイシャ様」


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